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ご令嬢のストーカーが因縁を吹っ掛けられます
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しおりを挟む二人が寮についた時、既に他の皆は出払った後だった。スオキニ先生の命令はあくまで自室待機だったので、誰もいない寂しい廊下を進み部屋の戸を開ける。
波路はソファに腰かけて不意にできた時間の使い方を検討していたが、デキマは一旦部屋の外に出て行ってしまった。待機命令は波路にだけ課せられたものであるのでデキマには適応されていない。そうして一体何をしているのだろうかと思っていたが、答えはすぐにわかった。
部屋に戻ってきたデキマは一枚のトレーを持っていた。それに乗っていた物のおかげで部屋の中に豊満で爽やかな香りが立ち込めたのである。
そして当たり前のようにメイド服に着替えてきたデキマはそれを波路の前のテーブルに上品に置いた。
「どうぞ。紅茶です」
「お、ありがとう」
「クッキーもありますよ」
木皿に盛られていたのは一瞬、焦げているのかと錯覚してしまうほどに黒いクッキーだった。しかし芳醇な香りは決して失敗作のそれではないことを物語っている。
波路はまだ温かさの残っているそれを指で抓むと一口齧ってみた。サクリという小気味よい音が部屋に響く。
「あ、うまい」
「光栄です」
短い時間の付き合いでしかないが、波路が世辞や皮肉で称賛の言葉を紡ぐような人間ではないという事は知っている。美味しいという評価を素直に受け入れ、お礼をしてから給仕に徹した。
すると波路がまじまじとデキマの事を見て言った。
「なあデキマさん」
「はい。なんでしょうか?」
「もしかしてデキマさんって悪魔の中でも変わり者?」
波路の問いかけにデキマはふっという息遣いを漏らしてから返事をする。
「もしかしなくても変わり者です。周囲はおろか親兄弟も私の事を変わり者といいますから」
「お。キョウダイがいるの?」
「はい、姉と妹が。と申しますか二人とも今年度の新入生です」
「ん? お姉さんと妹さんなのに同じ学年なの?」
「三つ子なんです。三卵生の」
「三卵生!? すごいな」
思えば人生で初めて三つ子という奴と遭遇したな、と波路は呑気な感想を持つ。同じ学年であるというのなら、その内に会う機会もあるだろう。きちんと挨拶をしておきたいところだ。
「今度紹介します。私の初めてのご主人さまだと」
「何か誤解を招くような言い方…って、え? 初めてなの?」
「はい」
「にしては、何か手際が良すぎない」
短い時間の付き合いしかないが、デキマの世話焼きのスキルは一朝一夕で身に着けたものではない事は肌で感じ取れている。きっとこれまでもどこかの誰に従事してきていたのだろうと勝手に推測していた。
「そういう家系なんです。我が家は代々アンチェントパプル家に仕えてきました。なのでこの手の行儀作法はある程度はこなせます」
「アンチェントパプルって…フィフスドルのところの?」
「はい。尤も私は先に申した通り変わり者でしたので、両親からアンチェントパプル家に顔を出すことを禁じられていましたが」
「女装のせいでか?」
「それだけではありませんが…でも姉と妹は優秀ですよ。二人でそのフィフスドル様にお仕えしていますから」
デキマはそう言って紅茶のおかわりをテーブルに置いた。その時、不意に波路の顔に目線を向け、小さく笑った。
「ふふ」
「え? なんかおかしかった?」
「フィフスドル様をご存じという事は、やはり『七つの大罪』に選ばれて顔見知りになるくらいの成績は納めたという事でしょう? スオキニ先生の事情と態度も考えるとひょっとしたらトップの成績だったのではないですか?」
「…」
波路の肩がピクリと反応した。そしてデキマにとってはそれが何よりも雄弁な答えとなった。
誤魔化すか、それとも白を切るかと色々考えている内に結局波路は押し黙ってしまう。白兵戦はともかくとして、テーブル上の戦いでは付け入る隙ができるかもしれないとデキマは思った。
しかしここで不信感を買うつもりもさらさらない。デキマは補足してあくまで従者としての領分を弁えていることをアピールする。
「ご心配なく。真相を言えぬ事情も何となく察しております。主にあれもこれもと言わせぬのが従者の矜持ですから」
すると、いつの間にか考え事にシフトしていた波路が手を叩いて立ち上がった。
今度はデキマの方が肩を動かして驚きを表現している。
「よし、決めた!」
「な、何をですか?」
「デキマさん」
「はい」
テーブルを迂回してデキマに近づいた波路は彼の手を取った。
お、キスか? とデキマは一瞬思ったが、その目は邪な事などは一切考えていない紳士的な色を放っている。
そしてその目の色と同じくらい情熱を乗せて、波路はデキマが混乱するような事を言った。
「俺に、従者としての心得を教えてくれ」
「…はい?」
心底意味が分からなかったので、デキマは取り繕う事も忘れてそんな声を出した。
若干、混乱気味のデキマとは対照的に波路はすっかり自分の世界に入り込み、身振り手振り込みで自分の今しがた思い描いたばかりの青写真の詳細を語り始める。
「亜夜子さんに仕えると言っておきながら、俺はそういう訓練をしたことがなかった。腕っぷしだけであの人を守ることしか考えたことがない」
「いえカツトシ君の場合、それで十分かと」
「もっと身近でお世話をできるスキルを身に着けないと…もしかしたら亜夜子さんは俺にそのスキルがないから従者の申し出を断っていたのかも知れない」
「絶対違います」
自分街道まっしぐらになった波路の耳にはデキマの言葉などまるで聞こえなくなった。そして希望に胸を膨らませると、今度はデキマの肩を力強く握りしめ、再度お願いをした。
「だから教えてくれ。どうすれば主人に仕えて身の回りのお世話をできるのかを!」
「まあ、それがご命令とあれば」
「ありがとう」
波路は満面の笑みでお礼を言った。そしてすぐに明るい未来を夢想した哀れな男の地を這うような笑い声が聞こえてくる。
ウキウキになっている波路をよそに、デキマはアヤコ・サンモトに対して思いを新たにする波路の姿を見て、刀を握っている時と今の姿とのギャップを埋めるのに苦労していた。
だが、それと同時に使い魔の丘での体験が癖になってもいた。
つまり今の彼の姿を見て舐めてかかってくるような輩が、波路の実力を目の当たりにして戦意を失い、無様に命乞いをする様子が見れることに期待しているのだ。
特にあの姉と妹は実に面白い反応をしてくれるだろう。そう思うとデキマはついおかしくなってしまい、フフフと笑った。
一年生のいなくなった、その寮の一室に妄想にふける二人分の笑い声がこだましていた。
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