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ご令嬢のストーカーが因縁を吹っ掛けられます
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「あ、あんたか? 僕たちを呼び出したのは?」
「いや。俺も手紙をもらってきたんだ」
「…うう」
波路は手紙を見せて否定する。そう言ってきた男子生徒は風貌から察するに自分たちと同じ新入生だと見受けられた。しかし顔に見覚えがないという事は他の寮生という事だろうか。
波路とデキマを除くと、そこには既に男子三人、女子三人の合わせて六人の生徒がいた。全員が恐らくは一年生という事の他に、共通点がある。
全員が終始おどおどしたり、自身がなさそうに振る舞ったりしており、如何にも弱々しいのだ。
それを見てデキマは自分の予想が、ほぼ確信に変わった。あの手紙はアヤコ・サンモトが差し出したものではなく、もっと別の目的があったのだと。
「お、揃ってる揃ってる」
その時、闇に塗られた木々の間から誰かが現れた。自然と全員の目がその声のした方向に向く。そこには三人の男と二人の女がいた。学園の生徒には違いないが、醸し出している雰囲気を思うにどうやら上級生らしい。
するとそのうちの一人が片手を上げて陽気な挨拶を飛ばしてきた。が、その表情は笑顔でこそあるがどこか嗜虐的だ。勘の鋭くない者であっても、彼が良からぬことを考えているとは容易に知れるだろう。
「こんばんは。『嫉妬の寮』の三年で、ゴーバミコです。ちゃんと全員…あれ?」
ゴーバミコと名乗った男子生徒は首を傾げながら、集まっていた一年生たちを一人ひとり指さして数えだした。
「なんで八人いるんだ?」
「私はこちらのカツトシ・ナミチの従者です。手紙は受け取っていないので、正式に招待はされておりません」
「おいおい、最低の成績で従者持ちかよ?」
「この場合はそんなのをわざわざ主人に持った従者の方に問題があるんじゃねえの?」
「確かに。ていうか八人いて女が五人で、今年は楽しめるじゃん」
いや、男は五人だ。
波路はそう心でツッコミを入れた。それと同時に、まあデキマさんを女にカウントしてしまうのは仕方がないか、とも思っていた。
現れた五人の馬鹿にした笑いが夜の風に乗る。とは言え、そんなのは先の食堂で散々にやられた事。あの時でさえ気にしなかった波路とデキマが今更ムキになる筈はなかった。
だが食堂ではすぐに相手が引いてくれたものの、今回は勝手が違うようだ。
「で、カツトシ・ナミチくんだっけ? ダメじゃない、手紙には一人で来いって書いてだろ? 君が甘えん坊のせいでこの子までひどい目に遭っちゃうよ」
奥にいた女が「カワイソー」と見事に棒読みで憐れむ。
それよりも気になるのはひどい目に遭うというセリフの方だ。それを聞いた途端、一年生のうちの一人が短い悲鳴を上げて後ずさった。
「ひぃ」
「お、その様子じゃ噂くらいは知ってんだな? それとも何されるか想像ついちゃった感じ?」
「アンタ、何か知ってるのか?」
「う、噂で聞いた事がある」
その男子生徒は声まで震わせて、陰鬱なトーンで喋りだした。
「毎年、寮の最下位の成績者は怪我をしたり、行方不明になったりして、とにかく何かがあるって」
「正解。分かりやすく言うと成績の悪い君たちはこれからの学園生活が大変だろうから、僕たち先輩が色々と教えてあげる交流会をやってるんだ、毎年ね。ま、これも先輩の義務って奴さ」
「…じゃあここに一年の高慢の寮長はこないのか?」
「こないよ。あれは君たちをここに呼ぶために勝手に名前を借りただけだから」
つまり今から行われるのは先ほどの最下位イビリの延長戦。先輩の暴行乱暴のターゲットとして高慢の寮だけでなく、全ての寮の最下位を集めただけのこと。男なら暴力を振るわれ、女なら…。
いくらでも悪い想像は働くが、波路にとっては亜夜子が関わっておらず、いくら待てどもここには決して現れない事実の方が精神的ダメージが大きかった。
「くぅぅぅっ」
突如としてよく分からない悲鳴を出した波路に一同は戸惑った。声に恐怖心は全く乗っていないのだ。
唯一、波路の心情を理解していたデキマがため息交じりに呟いた。
「だから申し上げたではないですか」
「帰ろうか」
「そうしましょう」
すくっと立ち上がった波路は一切の躊躇なく、先輩たちの間を通り越して帰路についた。あまりの迷いのなさに、全員がお手本のような放心顔をさらしている。しかし当然ながらそのまま素直に帰らせてもらう事は叶わなかった。
「おい、どこいくんだよ」
「亜夜子さんが来ないなら、ここにいても仕方ないので」
「ア、 アヤコ?」
「高慢の寮の一年寮長です」
上級生たちの内の二人がすぐに波路の前に回り込むと魔術書や杖を取り出して構えた。もしかしなくても力づくで行く手を阻む気だ。
「誰が帰っていいって言ったんだよ?」
デキマはその様子を見届けると、我先に前に出て上級生のうちの一人の手を取った。そして儚げなオーラを出し、哀れな懇願をする態度を見せた。
それには波路も困惑した。
「お待ちください」
「何?」
「あなたたちの敵う方ではありません。今からでも許しを乞えば、命だけは助けてくださるよう私からもお願いしますから」
すると今まで平静を装い、嗜虐的な顔を見せるに留まっていた上級生たちが激昂し、感情を露わにした。
「ふざけてんじゃねぞっ」
そう言ってデキマの手を乱暴に払う。
するとデキマはわざとらしく、キャアなどと可愛い悲鳴を上げ、地面に倒れこんだ。如何にも芝居がかった動きだったのだが、皆の怒りの矛先は波路に向いており、それに気が付いたのも彼だけだ。
「アジア人が最下位の成績で入学ってのは知ってんだよ。つまりテメエだろ?」
今まで押し込めていた加虐的な感情を解放し、上級生たちは待ちかねたと言わんばかりの表情へと変わった。頭の中は一年生たちがどんな命乞いをしてくるのかという想像で満ちている。
現に呼び出された新入生たちは一人を除いて、皆がこれから行われるであろう悪魔の饗宴に震えていた。自分たちも魔に属しているからこそ、上級生の非道な行為が容易に予想できるのだ。
波路はそれを肌で感じ取った。だからこそ、平静を装っていた。他人を虐げることに快感を覚える輩には、こうして取り合わないことが一番効果的な反撃になると知っているから。そしてその無表情のまま手を叩き始めた。
繰り返される三三七拍子の拍手の音が使い魔の丘と暗い森の中にこだまする。誰もが波路の刻むリズムの意味が分からずに茫然としていた。やがて上級生たちが痺れを切らして襲い掛かろうとした、その刹那。その出鼻を挫くように上級生たちの後ろを指さして言った。
「あ」
古典的な手だ。
それだけなら引っかかる可能性は低かった。しかし手拍子がその場の全員の警戒心を薄くしたのである。波路は経験則として、人間は一つの驚きに対しての耐性はあるが予想外の事が二つ同時に起こると容易に心が綻ぶという事を知っていた。しかも手拍子のような一定のリズムは否応なしに耳に入り、簡単に相手のペースを乗っ取ることができる。
要するに上級生たちの視線は容易く波路が指さした方へ向いたという事だ。
波路はまず右側にいる先輩に一足で近づく。杖を握りって大きくこちら側に突き出した腕を取ると背負い投げをした。魔導は使えても武道の心のない相手の体は羽のように軽く上がり、地面に叩き付けられた。
ぐう、という絶え絶えな息遣いが耳をかすめる。
次に波路は収納空間から瞬く間に一握の塩を取り出した。この収納魔法で持ち運びできるのは、別に武器に限った事ではない。そしてその塩を未だに状況判断すらできていないもう一人の上級生の目に向かって浴びせかけた。目つぶしとしてならただの砂よりも塩の方がより効果的だ。まさかそんなものが飛んでくるとは思ってもいなかったもう一人の上級生は魔導書を放り出して、悲鳴と共に目をこすり出した。
そうして生まれた隙をつき、波路は彼の足をひっかけながら胸に軽い掌底を撃ち込む。受け身など取れるはずもなく、上級生はすぐに沈んだ。
あまりの早業に一年生たちもそれを見ていた残る三人の上級生たちも茫然と立ち尽くす以外の行動が許されていない。ただ唯一動くことができたのは当事者の波路一人だけだった。
「デキマさん…わざと煽っただろ」
「こういう時、日本で何というか知ってますよ」
「なんて言うんだよ?」
「てへぺろ」
「…」
「いやはや。それにしても見事なお手並みでした」
「まあいいや。結果としてあっちも助けられたから」
真面目なのか不真面目なのか判断のつきにくいデキマのペースに飲まれ、怒ったり注意したりする気が失せてしまった。
とは言え波路もあからさまに降りかかってくる暴力に対して無抵抗を決め込んでいた訳ではないので、ハナから叱責するつもりはなかったが。
波路はデキマを助け起こすと、残る三人の上級生を見た。外見から感じ取れる気配は先に気絶させた二人と同じくらい。もしも危険察知力が高ければ逃げてくれるかもしれない。もしそうでなければ少し面倒だが相手になるしかない…。
などという波路の心配は杞憂に終わった。三人の上級生は波路が足を踏み出したのを見て、許しを乞いながら逃げ出してしまった。戦う事は好きだが、逃げ出すほど実力が違う相手を追い詰めるような趣味はないのでそのまま見逃すことにした。ともすれば後は未だに茫然としてどうしていいか分かっていない同級生たちの気付をするくらいしか思いつかなかった。
「なんかつまらないイビリをするつもりだったらしいけど、この通りだから帰っていいよ。気をつけてな。俺が言えた義理じゃないけど」
「あ、ありがとう」
一年生のうちの一人だけが辛うじて謝辞の言葉を飛ばしてきた。そして一人が震える足を奮い立たせて走り出すと、それにつられて全員が急ぎ自分の部屋に逃げ帰っていった。
後には一仕事終えた顔の波路と、アクシデントは起こったが少々物足りないという顔を波路に見られないように振る舞うデキマの二人だけとなっていた。
しかしその時。
背負い投げをかまされたゴーバミコが上手く呼吸ができないながらも、波路たちに恨み節を飛ばしてきた。
「こ、このままじゃ済まさねえぞ…」
そして右手を勢いよく地に叩き付け、胸の痛みを堪えながら叫ぶようにある者の名前を呼んだ。
「ダーム! スナッフォ!」
怒号にも似た声が森の奥へと消えていく。すると墨を溶いたような暗闇の中に蠢く陰影のようなものが沸きあがってきた。それは徐々に形を成していき、使い魔の丘の上にあたかも最初から存在して居たような出で立ちで、巨大な蝿と三つ首の巨犬が現れた。
途端に周囲に腐臭が立ち込めたような気がする。
波路はその二匹の巨獣から目を逸らさずにデキマに尋ねた。
「こいつらは…?」
「ケルベロスと蝿…『暴食の寮』の使い魔ですね。どうやらあの方が呼んだようです」
「使い魔…あれが」
その二匹の獣はのっそりと歩き出し、横たわっているゴーバミコを見下ろしながら言った。
「何だ? こっぴどくやられてんじゃねえか」
「そういうなよ。餌がくえりゃそれでいいだろ」
「まあな」
「へへへ…」
ゴーバミコは二匹の興味と空腹の関心が波路たちに向いた事で口元を綻ばせた。
それを目の当たりにしたデキマは、「うわぁ、他力本願で勝ち確顔決めてるよ…」と憐みの顔を向けていた。
二匹の巨獣は見下している生徒たちの心情などは意に介さず、ただ単に食欲を満たすことしか考えていない。
「食っちまっていいのか?」
「ああ。もうこうなりゃどうでもいい。食い殺してくれ」
「二人か…しょぼいな」
「まあ半分にできるからいいじゃねえか」
波路は言った。
「どうやら晩御飯にされそうだ」
「そのようですね。しかしそれは嫌なので、先ほどのように軽くいなしては頂けませんか?」
「そいつはいくらなんでも―――」
デキマの言葉に波路は冷や汗を浮かべる。いくらなんでもそれは自分を買いかぶり過ぎだし、相手の実力を測りかねていると言わざるを得ない。
波路はあるはずのない腰の刀に手をかける。そしてまるでジェスチャー・ゲームの如く居合抜きの動作を見せた。
「―――素手じゃきつい」
デキマはまず、堅いもの同士がぶつかるような鈍い音を最初に感じ取った。瞬きもせずに波路の動きを観察していたのだが、多分木刀で横薙ぎの一撃を放ったのだろう…という予測めいた結論しか出せない。正しく気が付いたら波路の攻撃が終わっていたのだ。
「がはぁ」
「どっから…武器を…」
突っ伏しながらそんな捨て台詞を吐くダームとスナッフォを尻目に、波路はデキマの腕を取りそそくさとその場から逃げ出した。
「さっさと帰ろう。面倒が増えるだけだ」
勝利の余韻に浸るでもなく、負かした相手を蔑むことのない戦いは悪魔たちにとっては初めての事だ。そしてその戦いと波路の立ち姿とにデキマとゴーバミコの二人は心を奪われていた事にしばらくしてから気が付いたのだった。
「いや。俺も手紙をもらってきたんだ」
「…うう」
波路は手紙を見せて否定する。そう言ってきた男子生徒は風貌から察するに自分たちと同じ新入生だと見受けられた。しかし顔に見覚えがないという事は他の寮生という事だろうか。
波路とデキマを除くと、そこには既に男子三人、女子三人の合わせて六人の生徒がいた。全員が恐らくは一年生という事の他に、共通点がある。
全員が終始おどおどしたり、自身がなさそうに振る舞ったりしており、如何にも弱々しいのだ。
それを見てデキマは自分の予想が、ほぼ確信に変わった。あの手紙はアヤコ・サンモトが差し出したものではなく、もっと別の目的があったのだと。
「お、揃ってる揃ってる」
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するとそのうちの一人が片手を上げて陽気な挨拶を飛ばしてきた。が、その表情は笑顔でこそあるがどこか嗜虐的だ。勘の鋭くない者であっても、彼が良からぬことを考えているとは容易に知れるだろう。
「こんばんは。『嫉妬の寮』の三年で、ゴーバミコです。ちゃんと全員…あれ?」
ゴーバミコと名乗った男子生徒は首を傾げながら、集まっていた一年生たちを一人ひとり指さして数えだした。
「なんで八人いるんだ?」
「私はこちらのカツトシ・ナミチの従者です。手紙は受け取っていないので、正式に招待はされておりません」
「おいおい、最低の成績で従者持ちかよ?」
「この場合はそんなのをわざわざ主人に持った従者の方に問題があるんじゃねえの?」
「確かに。ていうか八人いて女が五人で、今年は楽しめるじゃん」
いや、男は五人だ。
波路はそう心でツッコミを入れた。それと同時に、まあデキマさんを女にカウントしてしまうのは仕方がないか、とも思っていた。
現れた五人の馬鹿にした笑いが夜の風に乗る。とは言え、そんなのは先の食堂で散々にやられた事。あの時でさえ気にしなかった波路とデキマが今更ムキになる筈はなかった。
だが食堂ではすぐに相手が引いてくれたものの、今回は勝手が違うようだ。
「で、カツトシ・ナミチくんだっけ? ダメじゃない、手紙には一人で来いって書いてだろ? 君が甘えん坊のせいでこの子までひどい目に遭っちゃうよ」
奥にいた女が「カワイソー」と見事に棒読みで憐れむ。
それよりも気になるのはひどい目に遭うというセリフの方だ。それを聞いた途端、一年生のうちの一人が短い悲鳴を上げて後ずさった。
「ひぃ」
「お、その様子じゃ噂くらいは知ってんだな? それとも何されるか想像ついちゃった感じ?」
「アンタ、何か知ってるのか?」
「う、噂で聞いた事がある」
その男子生徒は声まで震わせて、陰鬱なトーンで喋りだした。
「毎年、寮の最下位の成績者は怪我をしたり、行方不明になったりして、とにかく何かがあるって」
「正解。分かりやすく言うと成績の悪い君たちはこれからの学園生活が大変だろうから、僕たち先輩が色々と教えてあげる交流会をやってるんだ、毎年ね。ま、これも先輩の義務って奴さ」
「…じゃあここに一年の高慢の寮長はこないのか?」
「こないよ。あれは君たちをここに呼ぶために勝手に名前を借りただけだから」
つまり今から行われるのは先ほどの最下位イビリの延長戦。先輩の暴行乱暴のターゲットとして高慢の寮だけでなく、全ての寮の最下位を集めただけのこと。男なら暴力を振るわれ、女なら…。
いくらでも悪い想像は働くが、波路にとっては亜夜子が関わっておらず、いくら待てどもここには決して現れない事実の方が精神的ダメージが大きかった。
「くぅぅぅっ」
突如としてよく分からない悲鳴を出した波路に一同は戸惑った。声に恐怖心は全く乗っていないのだ。
唯一、波路の心情を理解していたデキマがため息交じりに呟いた。
「だから申し上げたではないですか」
「帰ろうか」
「そうしましょう」
すくっと立ち上がった波路は一切の躊躇なく、先輩たちの間を通り越して帰路についた。あまりの迷いのなさに、全員がお手本のような放心顔をさらしている。しかし当然ながらそのまま素直に帰らせてもらう事は叶わなかった。
「おい、どこいくんだよ」
「亜夜子さんが来ないなら、ここにいても仕方ないので」
「ア、 アヤコ?」
「高慢の寮の一年寮長です」
上級生たちの内の二人がすぐに波路の前に回り込むと魔術書や杖を取り出して構えた。もしかしなくても力づくで行く手を阻む気だ。
「誰が帰っていいって言ったんだよ?」
デキマはその様子を見届けると、我先に前に出て上級生のうちの一人の手を取った。そして儚げなオーラを出し、哀れな懇願をする態度を見せた。
それには波路も困惑した。
「お待ちください」
「何?」
「あなたたちの敵う方ではありません。今からでも許しを乞えば、命だけは助けてくださるよう私からもお願いしますから」
すると今まで平静を装い、嗜虐的な顔を見せるに留まっていた上級生たちが激昂し、感情を露わにした。
「ふざけてんじゃねぞっ」
そう言ってデキマの手を乱暴に払う。
するとデキマはわざとらしく、キャアなどと可愛い悲鳴を上げ、地面に倒れこんだ。如何にも芝居がかった動きだったのだが、皆の怒りの矛先は波路に向いており、それに気が付いたのも彼だけだ。
「アジア人が最下位の成績で入学ってのは知ってんだよ。つまりテメエだろ?」
今まで押し込めていた加虐的な感情を解放し、上級生たちは待ちかねたと言わんばかりの表情へと変わった。頭の中は一年生たちがどんな命乞いをしてくるのかという想像で満ちている。
現に呼び出された新入生たちは一人を除いて、皆がこれから行われるであろう悪魔の饗宴に震えていた。自分たちも魔に属しているからこそ、上級生の非道な行為が容易に予想できるのだ。
波路はそれを肌で感じ取った。だからこそ、平静を装っていた。他人を虐げることに快感を覚える輩には、こうして取り合わないことが一番効果的な反撃になると知っているから。そしてその無表情のまま手を叩き始めた。
繰り返される三三七拍子の拍手の音が使い魔の丘と暗い森の中にこだまする。誰もが波路の刻むリズムの意味が分からずに茫然としていた。やがて上級生たちが痺れを切らして襲い掛かろうとした、その刹那。その出鼻を挫くように上級生たちの後ろを指さして言った。
「あ」
古典的な手だ。
それだけなら引っかかる可能性は低かった。しかし手拍子がその場の全員の警戒心を薄くしたのである。波路は経験則として、人間は一つの驚きに対しての耐性はあるが予想外の事が二つ同時に起こると容易に心が綻ぶという事を知っていた。しかも手拍子のような一定のリズムは否応なしに耳に入り、簡単に相手のペースを乗っ取ることができる。
要するに上級生たちの視線は容易く波路が指さした方へ向いたという事だ。
波路はまず右側にいる先輩に一足で近づく。杖を握りって大きくこちら側に突き出した腕を取ると背負い投げをした。魔導は使えても武道の心のない相手の体は羽のように軽く上がり、地面に叩き付けられた。
ぐう、という絶え絶えな息遣いが耳をかすめる。
次に波路は収納空間から瞬く間に一握の塩を取り出した。この収納魔法で持ち運びできるのは、別に武器に限った事ではない。そしてその塩を未だに状況判断すらできていないもう一人の上級生の目に向かって浴びせかけた。目つぶしとしてならただの砂よりも塩の方がより効果的だ。まさかそんなものが飛んでくるとは思ってもいなかったもう一人の上級生は魔導書を放り出して、悲鳴と共に目をこすり出した。
そうして生まれた隙をつき、波路は彼の足をひっかけながら胸に軽い掌底を撃ち込む。受け身など取れるはずもなく、上級生はすぐに沈んだ。
あまりの早業に一年生たちもそれを見ていた残る三人の上級生たちも茫然と立ち尽くす以外の行動が許されていない。ただ唯一動くことができたのは当事者の波路一人だけだった。
「デキマさん…わざと煽っただろ」
「こういう時、日本で何というか知ってますよ」
「なんて言うんだよ?」
「てへぺろ」
「…」
「いやはや。それにしても見事なお手並みでした」
「まあいいや。結果としてあっちも助けられたから」
真面目なのか不真面目なのか判断のつきにくいデキマのペースに飲まれ、怒ったり注意したりする気が失せてしまった。
とは言え波路もあからさまに降りかかってくる暴力に対して無抵抗を決め込んでいた訳ではないので、ハナから叱責するつもりはなかったが。
波路はデキマを助け起こすと、残る三人の上級生を見た。外見から感じ取れる気配は先に気絶させた二人と同じくらい。もしも危険察知力が高ければ逃げてくれるかもしれない。もしそうでなければ少し面倒だが相手になるしかない…。
などという波路の心配は杞憂に終わった。三人の上級生は波路が足を踏み出したのを見て、許しを乞いながら逃げ出してしまった。戦う事は好きだが、逃げ出すほど実力が違う相手を追い詰めるような趣味はないのでそのまま見逃すことにした。ともすれば後は未だに茫然としてどうしていいか分かっていない同級生たちの気付をするくらいしか思いつかなかった。
「なんかつまらないイビリをするつもりだったらしいけど、この通りだから帰っていいよ。気をつけてな。俺が言えた義理じゃないけど」
「あ、ありがとう」
一年生のうちの一人だけが辛うじて謝辞の言葉を飛ばしてきた。そして一人が震える足を奮い立たせて走り出すと、それにつられて全員が急ぎ自分の部屋に逃げ帰っていった。
後には一仕事終えた顔の波路と、アクシデントは起こったが少々物足りないという顔を波路に見られないように振る舞うデキマの二人だけとなっていた。
しかしその時。
背負い投げをかまされたゴーバミコが上手く呼吸ができないながらも、波路たちに恨み節を飛ばしてきた。
「こ、このままじゃ済まさねえぞ…」
そして右手を勢いよく地に叩き付け、胸の痛みを堪えながら叫ぶようにある者の名前を呼んだ。
「ダーム! スナッフォ!」
怒号にも似た声が森の奥へと消えていく。すると墨を溶いたような暗闇の中に蠢く陰影のようなものが沸きあがってきた。それは徐々に形を成していき、使い魔の丘の上にあたかも最初から存在して居たような出で立ちで、巨大な蝿と三つ首の巨犬が現れた。
途端に周囲に腐臭が立ち込めたような気がする。
波路はその二匹の巨獣から目を逸らさずにデキマに尋ねた。
「こいつらは…?」
「ケルベロスと蝿…『暴食の寮』の使い魔ですね。どうやらあの方が呼んだようです」
「使い魔…あれが」
その二匹の獣はのっそりと歩き出し、横たわっているゴーバミコを見下ろしながら言った。
「何だ? こっぴどくやられてんじゃねえか」
「そういうなよ。餌がくえりゃそれでいいだろ」
「まあな」
「へへへ…」
ゴーバミコは二匹の興味と空腹の関心が波路たちに向いた事で口元を綻ばせた。
それを目の当たりにしたデキマは、「うわぁ、他力本願で勝ち確顔決めてるよ…」と憐みの顔を向けていた。
二匹の巨獣は見下している生徒たちの心情などは意に介さず、ただ単に食欲を満たすことしか考えていない。
「食っちまっていいのか?」
「ああ。もうこうなりゃどうでもいい。食い殺してくれ」
「二人か…しょぼいな」
「まあ半分にできるからいいじゃねえか」
波路は言った。
「どうやら晩御飯にされそうだ」
「そのようですね。しかしそれは嫌なので、先ほどのように軽くいなしては頂けませんか?」
「そいつはいくらなんでも―――」
デキマの言葉に波路は冷や汗を浮かべる。いくらなんでもそれは自分を買いかぶり過ぎだし、相手の実力を測りかねていると言わざるを得ない。
波路はあるはずのない腰の刀に手をかける。そしてまるでジェスチャー・ゲームの如く居合抜きの動作を見せた。
「―――素手じゃきつい」
デキマはまず、堅いもの同士がぶつかるような鈍い音を最初に感じ取った。瞬きもせずに波路の動きを観察していたのだが、多分木刀で横薙ぎの一撃を放ったのだろう…という予測めいた結論しか出せない。正しく気が付いたら波路の攻撃が終わっていたのだ。
「がはぁ」
「どっから…武器を…」
突っ伏しながらそんな捨て台詞を吐くダームとスナッフォを尻目に、波路はデキマの腕を取りそそくさとその場から逃げ出した。
「さっさと帰ろう。面倒が増えるだけだ」
勝利の余韻に浸るでもなく、負かした相手を蔑むことのない戦いは悪魔たちにとっては初めての事だ。そしてその戦いと波路の立ち姿とにデキマとゴーバミコの二人は心を奪われていた事にしばらくしてから気が付いたのだった。
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