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第二章 針の筵の婚約者編

今度こそは

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 一階の隅にある部屋まで案内する最中、だんだんマックウォルト先生の顔が強張っていった。

「ウォルト公爵。この屋敷の間取りは先代と同じだと聞いているが」
「ええ、特に私からの希望はありませんでしたので」
「…私がいた頃は、この先は湿気が酷くて物置にしかならなかったと記憶しているが?」

 先生の視線が、壁や天井のシミやカビに貼り付いている。こめかみには青筋が立ち、静かに怒っているのが窺える。
 チャールズ様も不穏な状況を察し、耳打ちしてきた。

「アイシャ、これはどう言う事だ? 私がいない間に部屋を変わるなど」
「仕方ないんです、元の客室の手前にある階段には蝋が塗られていて……そのせいでクララが怪我までしたので」
「何…?」

 とうとう廊下の行き止まりまで来た時、先生が私を押し退けドアを開けた。すぐに閉めたが、ぶわっと埃が舞い散る中、チャールズ様が掴みかかられた。

「貴様、歴代の公爵夫人がどれだけ苦労させられてきたと思っている! その私の前で、妊娠中の妻を物置に押し込めるなど! そんなだから、反逆者の血筋などと揶揄されるのだ!」
「ま…ゲホッ、待って下さい違うんです!」

 慌てて二人の間に割り入り、どうにかこうにか説明して魔法の鍵で部屋に入ってもらう。先生はまだ納得できない顔をしていたが、入り口付近のカビや埃をどうにかする事、そして後でクララの具合も診ると言う事で落ち着いた。
 チャールズ様は初めて見る私の魔法の部屋に驚き、興味深げに見回していた。

「これが、ケイコ=スノーラの魔法の遺産……ネメシスが警戒する訳だ」
「公爵様は、私の祖母の事をご存じでしたか」
「ああ……私ともまるっきり無関係でもないと聞いている」

 視線を天井に向けたまま、奥歯に物が挟まったような物言いをする。私の祖母ケイコはルージュ侯爵家と因縁があるが、王家とも何らかの関わりがあったのならチャールズ様の言葉もおかしくはない。

 ソファに座り診断を受けていると、メイドたちが部屋の前にやってきた。

「アイシャ様、わたくしたちも部屋に入れて頂けませんか」
「ドアなら全開にしてあるけど…」
「あまり奥に行かれますと、こちらからでは声が聞こえませんので」

 監視している事を隠そうともしないが、全員がリバージュ様の部下を名乗っているので、私が下手に断ればベアトリス様の心証が悪くなると脅されるだろう。

「なら、ベッキーだけ入って。クララもいるし、詳しい話は彼女たちから聞いてちょうだい」
「……っ」

 残ったメイドたちにすごい目で睨まれるが、負けじと足を踏ん張る。彼女たちの後ろには私の破滅を願う、ネメシス様がいるのだ。
 それにしても、外からの盗み聞きも防いでいるとは。本当に、母が遺してくれた砦とでも言うべき部屋でありがたい。実家の私室での対処が無駄な努力に終わったのを考えると魔法様々だ。

 せっかく分娩室があるからと、私たちは設備の使い方を説明してもらった。ベッドの上で恥ずかしい寝方をさせられた時は居た堪れなくなったが、先生もチャールズ様も真剣な表情で話し合っている中、私一人が気にしているのもおかしいと心を無にする事にした。

「ここの魔法は我が国の最先端技術を遥かに凌駕している。魔力さえあれば、子宮内の写真を撮る事も可能なようだ」
「えっ!」

 そこまですごいと思わずに、目を瞬かせる。写真など、普通でもかなり大掛かりな手間を要するのに、その上見えない部分まで透かして撮る事ができるのか。

「それって……お腹の子が見られるんですよね」
「それだけじゃない。母体や胎児の健康状態から、性別まで判別可能だ」

 胎児の性別と聞いて、ドキッとする。もしも男の子だったら……マックウォルト先生のように、幼い内からその目に忌まわしい魔法陣が施される。そしてネメシス様に狙われていると聞いた今、それだけでは済まない事も分かった。

「あの……性別は、言わなくていいです」
「アイシャ?」
「お願いします…」

 不安が声色に出ていたのか、先生は頷くと今日は独自の方法で診察をする事になった。

「これは私の診療所でのやり方だが、旦那の協力が要る。今から母体に私の魔力を流すので、公爵はアイシャ様の腹部に耳を当ててみるといい」

 そう言って先生は眼帯を取ると、不気味な模様に囲まれた真っ赤な瞳を私と合わせる。その瞬間、ビリッと軽い痺れが走り、浮遊感に包まれる。

(ひえっ!)

 チャールズ様が、私のお腹に覆い被さって耳を当ててきた。服の上からとは言え手が際どい場所に触れ、あの式典での出来事が思い起こされる。

「アイシャ、固くなるな。心臓の音でよく聞こえない」
「そ、そそそそ」

 そんな事言われたって! パニックを起こす私の手を、クララが握ってくれた。

「アイシャ様、深呼吸です。大きく息を吸って…」

 言われるままに呼吸を繰り返すと、だんだん落ち着いてくる。すると私の上に頭を乗せているチャールズ様を観察する余裕も出てきた。目を閉じているので、長い睫毛が影を落としているのが見える。こんな美しい人の子供が私の中にいるだなんて、今も変な感じなのよね。

「何か、聞こえますか?」
「心臓の音と重なって……風のような音だ。ゴウゴウと唸りを上げているが不思議と落ち着く……どこかで、聞いた事があるような」
「母体は健康だな。他には?」
「風はどこかでぶつかって、独特な音を立てている。私には小さな…鈴の音に聞こえる」

 鈴?
 同じく聴診器をお腹にあてていた先生が、ちらりと私を見た。

「それが、赤ん坊の魔力だ。どうやら順調に育っていっているようだ。…しかしこの部屋と言い、やはりあんたの家系の魔力は特殊だったな。しかも次から、王家の血が混じる事になる。くれぐれも身辺の警戒を怠るなよ」

 そう言って先生は外した聴診器を鞄に仕舞い込み、部屋を後にする。その直前、ぴたりと足を止めると、チャールズ様の方を見据える。

「そうだな……あんたたち二人は、もっとコミュニケーションを取るように」
「コミュ…?」
「夫婦になるのであれば、必要な事だ。母体の健康だけじゃない。妻の精神を夫が支えるのも、元気な子を産む上では大切な事だ」

 夫婦のコミュニケーション……少なくとも私の両親とは無縁だったんだけど、私は元気な赤ん坊ではなかったのかしら。だから成長しても何かと上手くいかない人生だったのかしら……ならば尚更、今度こそは無事出産を迎えたいところだけど。

「ええ、肝に銘じます」

 チャールズ様に肩をぎゅっと抱かれて、またも私は緊張してしまった。こんな上辺だけの関係で、果たしてお腹の子は大丈夫なのかと不安になったが、それを解消するためにもこれから話し合いが必要なのだと改めて思った。

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