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第二章 針の筵の婚約者編

公爵子息の末路

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 アベル=マックウォルト――先代ウォルト公爵子息。チャールズ様と彼との間に血の繋がりはないが(スティリアム王家の血筋と言う意味では遠い親戚であるものの)同じウォルト公爵家として括られた者同士。平民に身を落とした彼がどこに住んでいるのか、知っていてもおかしくはないが、よもや私の専属医師として雇うとは思いもしなかった。

「私の子の、未来……?」
「あくまで可能性の一つではあるがね……ウォルト公爵家に課せられた決まり事として、肝に銘じておいて欲しい。
…貴女は生まれた子の行く末について、どの程度把握しているね?」

 ウォルト公爵家は、大罪を犯し本来であれば直系はすべて処刑されるところを、ただ一人力を持たない生き残りに与えられる一代限りの爵位だ。そしてさらに次の世代は、公爵の死と共に平民となる。

「――私が知っているのは、このくらいですが」
「では、その平民がどんな処置を取られているかは?」
「え……まさか、そこでも監視されているのですか!? それか、貧しい暮らしを強いられているとか」
「いや、後見人がいて連絡は取り合っているが、公爵家にいた頃よりは縛りはきつくない。暮らしも生まれつきの平民より恵まれているだろう。何せ父が死ぬまでは最高の教育機関に通い、資格も伝手も充分あった」

 言いながらマックウォルト先生は眼帯を解き出す。こちらを試すかのような片方だけの金の瞳に、私は目を逸らせなくなった。

「私が知りたいのは、貴女が母として、我が子へのこの仕打ちに耐えられるか否かだ」
「!! っひ、ぐ……」

 パサリと眼帯がテーブルに落ち、彼の素顔が露わになった瞬間、私は悲鳴を上げかけた口を咄嗟に手で塞いだ。

 隠されていた彼の顔の左半分は、右側とはあまりにも異なっていた。見た事もない模様が複雑に描かれている。どこかの民族の入れ墨のようだ。そして左目は右目のように金色ではなかった。
 真っ赤だ。眼球のすべてが充血していると言うレベルではなく、血のように赤い石がそこに嵌め込まれているように見えた。
 それはまるで……そうだ、魔石そのものではないか。

 あまりにもグロテスクな光景に、体の震えが止まらなくなった。汗が滝のように噴き出している。
 私の反応は想定内だったのか、先生は冷静に入れ墨を指差す。

「この模様は、魔法陣だ。二種類あって、一つは眼球を魔石化させるもの。膨大な時間がかかる上に成長してから行えば始終魔力の変換時の違和感に苛まれるため、物心がつく前に入れられる。
現在は完全に魔石化し、視力はほぼない。代わりに他人の魔力の流れは感じ取れるので、それを活かして助産医をやっている。この魔石は死後王家に捧げる事になっているが、寿命を全うしてから取り出された魔石は通常の五十倍の魔力があり、国宝の扱いを受ける。あまり光栄とは思わんがね」
「……」
「もう一つは、次世代に魔力を継がせないための魔法陣だな。分かりやすく言えば、黄金眼球の継承ができなくなる。実際、私の子供たちも誰一人として目が金色ではない。我が一族への代々の罰を思えば、こればかりは感謝しているよ」

 罰。

 知識として知っていたはずのその言葉が、とてつもなく重い。今まで雲の上の人だったチャールズ様の背負われているものなど、私にとって同情はできても他人事だった。けれど今や私もその罰を次世代に引き継ぐ者なのだ。

(どうして、どうしてチャールズ様は――)

「罰、とは……一体何なのですか」

 ヒューヒューと掠れた息にしかならない声を何とか絞り出す。

「国のトップである王族が、皆殺しに遭わなければならない罪。それは、国家反逆罪だ。国の転覆を目論んだ、その輩に利用され担ぎ出された。経緯に問わず、国家を揺るがし危機に陥れた罪……王家の血を引くからこそ、その責任の重さも命に値する」
「でも……でも! 生まれてくる命に、罪はないじゃないですか!」

 声に力が戻ってきた。たとえ枯れてでも叫ばずにはいられなかった。先生は見えないはずの赤い眼で、じっと見据えてくる。

「我々ウォルト公爵家の人間は、命と言う括りではないんだよ、お嬢さん。許されざる大罪の『血』そのものだ。これでも昔に比べて、随分恩恵は受けられるようになった。
それも絶対に王家に楯突かない、反逆を企てる者に利用されないと身をもって証明した上でだがね」
「目を犠牲にする事が……黄金でなくなる事が証明になるんですか」
「なる」

 先生は元通り顔半分を眼帯で覆い隠すと、ハンカチを差し出してきた。いつの間にか、私の頬は涙で濡れていた。
 ドアの前で、クララがこちらをハラハラしながら見守っている。ここで私は、先生が入口を背にした位置に座った理由が分かった。顔を私だけに見せ、彼女たちを怯えさせないためだ。

「黄金眼球は王家の血を引く証として、あまりにも分かりやす過ぎる。王位継承権は決められているものの、国そのものを引っ繰り返したい連中にとっては、目が金色でありさえすれば、旗印として担ぎ出すには持ってこいのステータスになる。おまけにウォルト公爵家は反逆者の末裔だ。王家への恨みを晴らすと言う大義も充分だろう」

 先生の話を聞く内にだんだん血の気が引いてきた私は、力なくソファに凭れかかった。頭がガンガンする…気持ちが悪い…
 クララが慌てて駆け寄り、汗を拭き取ったり水差しからカップに注いだりして介抱してくれながら先生を睨み付ける。

「もうこの辺で……お嬢様のお体に障ります」
「後回しにしたところで、いずれは向き合わなければならない問題だ。これは、最終確認だと思ってもらいたい」
「何のですか?」
「貴女が本当に、後悔しないかどうかのだ」

 私はクララの手を制して起き上がる。私が、この子を産んで後悔しないか? 愚問だ、とつい先程までなら言い切れた。だけど先生から告げられた真実は、その決意に波紋を投げかけた。先生はこの子の未来の姿だと言った意味もよく分かった。

「どうして公爵様は……私に諦めさせようとした時、この話をされなかったのでしょう?」
「具体的にはどう説得された?」
「必ず自分と同じように、不幸になると……」
「まあ私も婚約に至るまでの詳細は聞いておらんが、あまり政治的に突っ込んだ話をペラペラ喋る立場ではないからな。ここの家の連中であれば多かれ少なかれ知っている話ではあるが。
…で、聞いていたとして、貴女は堕胎しようと思ったか?」
「……」

 先生の言葉に、私は考える。確かにチャールズ様の言う通り、ウォルト公爵家は不幸と犠牲の上に成り立っている。あまりにも重過ぎて、ベアトリス様はともかく無力な私ではとても受け止め切れない。チャールズ様が歪んでしまったのも、この重みに潰されてきたからであれば無理もない。

 それなら、諦めても仕方がないの……?

 あの時、確かに聞こえた声。気のせいかもしれなくても、生まれたいと言う願いを、私は信じた。そこには王家も公爵家も伯爵家も――誰の都合もどうでもよかった。
 私は静かに首を振る。

「思いません。ウォルト公爵家に生まれたからと言って、必ず不幸になるとも限りません。マックウォルト先生、貴方にお会いして、それを確信しました」
「……ほう、何故そう思った?」

 先生が面白そうに口端を上げた。先程まで意図的に威圧するような雰囲気だったのが、柔らかくなっている。私も負けじと笑いかけた。

「本当に不幸な人って、自分一人の事で精一杯だと思うんです。他人の事を見て、助ける余裕なんてあるわけない。
だけど先生は、王家の力を、魔力を他人の命を助けるために使っている。親族を殺されて平民に落とされれば王家を恨んでおかしくないのに、はっきり恩恵を受けていると冷静に言い切っていました。不幸だと思っていれば、絶対に言えない事です」
「私も歳だからね。己の境遇を諦めているだけかもしれんよ。事実、母は私の顔を見る度に嘆いていた。わざと気にしていないよう振る舞う内に、板についてきた部分も否定できん」

 先生が最初に覚悟を問うたのは、自分の体験に基づいていたのか。市井に下るにあたり、何故助産医を選んだのか、分かった気がした。そしてチャールズ様が私の専属に選んだのも。

「子を想って心を痛める親がいるのは、不幸ではありません」
「……!」
「少なくとも、私はそう思っています。もちろん先生のお母様にとっては不幸かもしれませんし、私もきっと辛いでしょう。でも、もう諦めるのも大人しく奪われるのも、しません。私一人にできる事なんてたかが知れてるかもしれないけど、それでも先生……この子のために、力を、貸して下さい!」

 お腹に手を当て、頭を下げる。
 しばらくそうしていると、頭上から溜息が降ってきた。

「無論、そのために私はここにいる。『私一人』などと、シングルマザーにでもなるつもりかね? これからも時々診察に来るから、今度は旦那の尻引っ叩いてでも付き添わせるんだ」
「は、はい!」
「それと、これは推測なんだが……公爵が貴女に詳細を告げなかったのは、余計な不安を与えたくなかったのもあるんじゃないか」

 顎に手を当てて言い淀む先生に、首を傾げながら先を促した。

「どう言う事ですか?」
「心のどこかで、貴女が産む選択をするのを望んでいたと言う事だ」

 まさか!

 私は首を振った。今でこそ婚約者として迎え入れているが、あの時は私がかなり無茶を言って押し通したので渋々と言った感じだった。先生の話を聞いて余計に、チャールズ様にとっては厄介事そのものでしかないと思い知ったのに。

「心と言うよりは、生物としての本能と言った方がいいな。番い、産むと言った行為は元来自然な欲求であって、愛やら政略やらはすべて後付けのものだ。
まあ楽観的な事を言うなら、子供が生まれたからと言って入れ墨をするかどうかは半々なんだがな」
「えっ」

 先生に素顔を見せられた時から戦慄していたのが、急に肩透かしを喰らって力が抜けた。もし自分の子の顔に一生ものの傷を付けられたり、視力を奪われたらと、恐怖がなかったわけじゃない。
 そう、女の子であれば、尚更だ。

「忘れたのか? 王家の男を父親に持つと、子供は男女問わず黄金眼球を引き継ぐ。だが王女が母となった場合――父親が王族でない限りは、子供の目は父親に似る」
「あっ」

 そうだ…陛下や殿下、その親族一同が揃ってキラッキラの金色の瞳だったから頭から抜けていた。王家の中には貴族や他国に嫁いだ王女が何人もいた。その家には以降金色の瞳の者は生まれたのかと考えれば、分かる事だ。
 黄金眼球の継承ができるのは、スティリアム王家の男子のみ。生まれてくる子が娘であれば、引き継がれない。

「と言う事は、魔法陣の必要もないのですね?」
「確率は半分だがな。私は男だし、母が自分以上に泣いてくれたおかげか却ってそれほど気に病む事もなかったが、いずれにしろ苦労が待っているのには変わりない。親としてしっかり支えてやってくれ」
「はい、それはもちろん」

 その後、私は先生の診断を受けた。堕胎を寸前で止めたのが胎児の声だったのかは分からないが、魔力の高い子供は胎内にいる時点で意思を持つ事もあり得るそうだ。
 特にこの子は、スティリアム王家以外にも特殊な魔力の流れを感じる……との事で。

「私が診ただけでも、相当入り組んだ事情を抱えていそうだな。公爵の思惑は分からんが、身を護るためにも今後の事は二人で連携を取ってしっかり話し合うといい。
貴女たちは夫婦になるのだからな」

 それまで澱みなく頷いていた私も、その返事だけはつかえてしまった。

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