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第二章 針の筵の婚約者編

基準がよく分からない

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 瞼を優しい日の光が差し、意識がゆるゆると浮上する。

 ああ、朝だ……起きなきゃ。

 …と思っていると。

「おはよう、可愛い人。朝食の準備が整っている。そろそろ起きないと、君の方を食べてしまうよ」

 耳元で、とびきり甘い声で囁かれる。

(何その口説き文句。相手間違えてるんじゃ…)

 夢の中でクスクス笑った…つもりだったのだが。何かに圧し掛かられ、ベッドが軋む。訝しく思う間もなく唇が緩く抉じ開けられ、口にぬるっと何かが侵入してきた。

「んっ!? ふ、うぅ…っ」

 ここまでされればさすがに覚醒する。バンバンと上に乗っかる何かを滅茶苦茶に叩けば、呆気なく解放される。

「ぷは、ぜぇっぜぇっ」
「おはよう、寝坊助」
「ゴホゴホッ、今何時ですか…」
「おはよう」
「……オハヨウゴザイマス」

 同じ答えを繰り返すチャールズ様に諦めて返せば、彼はついっと開いているドアの方に視線を向けた。と同時に、表情が余所行きの優しげなものに変わる。
 この屋敷では起きた瞬間から、生存戦略の舞台が幕を開けるのだろう。昨日覚悟していたはずだったが憂鬱になる。
 チャールズ様がベッドから下りると、着替えとタオルを持ってきたクララが頭を下げた。

「申し訳ありません。旦那様が来られてから何度も起こしたのですが」
「大丈夫、昨日しっかり休んでいたつもりだったけれど、疲れが残っていたみたいね」

 主に気疲れが。こんな事ではお腹の子にも響くし、早々に頭を切り替えなくては。

「これから急いで着替えます。先に食堂で待っていて頂けますか」
「いや、部屋の外にいる。ゆっくり着替えるといい」

 さすがに着替えるところを同席はしないらしい。昨日は浴室に乱入までしてきたと言うのに。どうやら周りから見て甘い雰囲気に見えるかどうかが基準のようだ。私の反応がぶち壊しにしてないだろうかこれ。


「では行こうか、お姫様」

 手と腰を取られ、気遣うようにエスコートされる。本当に、こんな美麗過ぎる殿方に傅かれるなんて緊張でどうにかなりそうなのに、世のお嬢様方のように無邪気に喜んでいる余裕なんてあるわけない。それでも私はこれから、この御方の婚約者を務めなくてはならない。そのためにもチャールズ様には一言伝えておかなくては。


「もっと家族らしい振る舞い?」
「そうです。私たちがこれからなるのはこの子の親なのです。だから触れ合いも恋人としてではなく、家族のするものでなくてはと……差し出がましくも思うのですが」

 愛し合ってもいないのに朝も夜も関係なしにブチュブチュやるのは止めて欲しい……とは直接言えないのだが、せめて軽くしてもらわないと心臓に悪い。
 遠回しにそう伝えたところ、チャールズ様が眉根を寄せてこちらを凝視していた。これは、どう受け止めればいいのか。まるで本気で言ってる事が分からないとでも言いたげな――

「家族のキス……と言うのは、君はどんなものか知っているのか?」
「はい??」

 貴方は知らないんですか? と聞きそうになって、口を噤む。ウォルト公爵家がどんな存在であるか、思い出したのだ。チャールズ様の親族は全員処刑されている。それは知識として知っていたが、具体的にいつ、どの時期にかは詳細は知らない。だけど彼が物心つく前、家族として触れ合う時間すら許されなかったのだと、改めて思い知らされた。

(まずい事言ってしまったかしら……でもキスくらい、今まで付き合ってきた御令嬢に対して優しく触れたりとか……まさかまったくなかった!? そんなバカな…)

「ゾーン伯爵や彼の後妻とは折り合いが悪かったと聞いたが」
「……」

 チャールズ様が指摘したのは私の方の事情だった……まるっきり的外れでもないのが何とも。あの父とアンヌ様から家族のキス? 今更過ぎて気分が悪い。

「十歳まで実母は存命でしたから……久々にはなりますが」
「私もそれくらいは御無沙汰だったな。もう子供ではないからと疎遠になって、育ててもらっておきながら我ながら薄情だった」

 一瞬誰の事かと思ったが、チャールズ様の育ての親はカーク殿下の伯母上であるパメラ神官長だ。この国における聖マリエール教のトップ……いつか、公爵夫人として挨拶に行く日が来るんだろうか。
 そんな事を考えていると、チャールズ様が目を泳がせてそわそわし出した。

「そ、そうか……家族になると言うのは、あれをやるんだな」
「公爵様…? お嫌なら無理にとは言いませんが」
「いや……神官長からされる時は何とも居心地が悪かったが、思春期で照れ臭かっただけだから問題はない。改めて私からとなると……上手くできるか分からないが」

 大丈夫かこの人。
 平静を装っているが、食器が触れ合う度にカタカタ鳴ってるし、耳が薄っすら赤く染まっている。正直、こんな事であっさりチャールズ様の仮面が剥がれるとは予想外だった。
 快楽を与える情熱的なキスより、親愛のキスが恥ずかしいとか、意味が分からない。この人の基準はどうなっているのかしら。

 そんな主人の様子は傍から見てもおかしかったらしく、ジャックが肩を震わせてニヤニヤしていたし、クララはそんな彼の足を踏みつつも呆れた表情を浮かべていた。
 私はと言えば、何と反応していいやら戸惑っていた。


 朝食が済むと、準備を整えたチャールズ様を見送るため、私も玄関までついて行く。

「いってらっしゃいませ」

 そう言った私の肩を、最初は強く掴まれ、痛みとギラリと光る黄金にヒッと声が出そうになるが何とか飲み込む。チャールズ様は今度は優しく労わるように手を添えると、両頬に触れるだけのキスをしてきた。唇が押し当てられる瞬間、震えているのが伝わる。

「行ってくる」

 ……だから何でそこで照れるの、私まで居た堪れなくなる。お互いにぎこちない笑みを作り、玄関の扉が閉められた後、私は大きく息を吐き出した。
 おかしい……キスを軽いものにしてもらったはずなのに、却って疲れたわ。

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