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第二章 針の筵の婚約者編

ゲラーデ

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 私のお母様、カトリーヌは物心つく前にアディン子爵家(当時)に引き取られた養女である。ルーカスの父とは義理の兄妹であり、ティアラ伯母様とは伯父様の婚約者となった時からの長い付き合いだ。
 私自身はアディン伯爵邸まで赴くのはルーカスとの婚約が決まった時を除けば新年の挨拶くらいか。しかも今年は婚約破棄だの妊娠だの色々あったので、顔を出せずにいた。

「伯母様、報告が遅れまして本当に…」
「まあまあ、いいのよ謝らなくて。貴女は何も悪くない……ね、いつも言ってるでしょう? 本当の母だと思って頼って欲しいって。
…でも、そうね。こんな状況じゃ顔も見せ辛いわよね。本当にうちのバカ息子はっ」
「……」

 出迎え早々テンションの高い伯母に、私は曖昧に笑ってみせる。母と仲の良かった伯母の厚意に縋れるものならありがたいが、何せ彼女はただの伯母ではなく、ルーカスと婚約していた当時は未来の義理の母でもあったのだ。
 それに、自分を差し置いて母にばかりべったりな婚約者を、ルーカスがどう思うだろうかと気にして、無遠慮に甘える事に躊躇があった。婚約相手がサラと挿げ替えられてからは、さらに会いに行き難くなっている。

 だから、そんな私の事情をすっ飛ばした今回の呼び出しは、よっぽどの事なのだと察した。

「そうそう、ここに貴女を呼んだのはね、貴女がウォルト公爵邸に行く前に渡しておきたい物があったからなの。出産した後すぐに結婚ともなれば、今まで以上に会えなくなりそうだから」

 そう言うと、ティアラ伯母様は小箱から大切そうに鍵を取り出した。

 チェーン付きでネックレスのように首にかけられる、古い鍵だった。金とも鉄とも違う金属で、小さな魔石が嵌め込まれている。

「これはね、貴女が結婚して子供が出来た時に渡して欲しいと、カトリーヌ…貴女のお母様から託された遺産ゲラーデよ」

 ゲラーデ…女同士で受け継がれる特有財産の事だ。私の場合、既に鏡台と日記帳、それにクララを身請けする時に売り払ったアクセサリー数点がそれに当たるのだが、まだあった事に驚いた。

「お母様は何故このタイミングで、鍵だけを分けていたのでしょうか?」
「彼女が言うには、この鍵を使うには子を宿せるようになる事が絶対条件とか……カトリーヌは実母から受け継いだらしいのだけれど、実際使えるようになったのは、貴女を妊娠した後だって言っていたわ」

 子供が出来て、初めて使える……条件付きの、鍵。どこかで聞いたような。それじゃ、まるで――

「ねえ、アイシャ。貴女って、魔法は信じる?」

 伯母様の問い掛けに、私は確信した。これは、魔法の鍵だ!

「幼い頃からガラン叔父様に見せて頂いたので。それに、ルーカスと一緒にカーク殿下とチャールズ様の双鷹そうようの儀を見に行きました」
「そうね、あれと大体同じようなものだけど、効果はもっとはっきり目で見れるわ。これはね、困った時は貴女を助けてくれるし、離れていても望めばいつだってその手に戻ってくる。ただし貴女を持ち主と認めるための契約が必要なんだけど……分かるわね?」

 私は頷く。やはり、双鷹そうようの儀と同じなのだ。
 伯母様は契約を行うためにテーブルに簡易魔法陣の描かれた布を敷き、その上に鍵と私の手を置いた。

「英雄ケイコ=スノーラの作りし鍵よ、新たな主をカトリーヌ=ゾーンからアイシャ=ゾーンへと変更する。この血と魔力をもって、異界と現世を繋げたまえ」

 スッと当てられたナイフで滴った私の血が、鍵の魔石に吸い込まれていく。すると一瞬、パシュッと眩い光が走り、思わず目を瞑る。恐る恐る瞼を開けてみると、鍵から発せられる光は鈍くなっていて、私の手は伯母様に薬を塗られ、包帯が巻かれた。

「契約はこれで終わり。鍵は貴女の物よ。いつも首にかけて、失くさないように……と言ってもカトリーヌによれば心配いらないみたいだけど」

 私はチェーンを首にかけ、胸元の鍵をまじまじと見る。入浴や就寝の時も着けてなきゃダメなのかしら。それに、もしサラが目を付けたら……お父様に泣き付かれたらお終いよね。

「彼女から預かったのは、もう一つあるわ。ヘンリーの事だから、アイシャが家を出て行く時はカトリーヌの遺産を根こそぎ奪うんじゃないかって。だから彼女が直接手放した財宝は、あげてしまいなさい。
その代わり、遺産ゲラーデはアイシャの物だって認めさせるのよ。ここにカトリーヌの署名入り契約書があるから、貴女とヘンリーのサインと拇印も入れてもらえる?」

 私は伯母様から受け取った契約書を確認し、署名すると親指を噛んで紙に押し付ける。本当に、私の事をずっと想ってくれていたんだ。お母様だけじゃなく、伯母様も……

「何から何まで、ありがとうございます」
「私は大した事はしてないわ。すべてはカトリーヌの、母の愛よ。できれば私の事も、頼って欲しかった。貴女には辛いだろうけれど、カトリーヌの思い出もたくさん語り合いたかったけれど――」

 伯母様は、ぎゅっと私を抱き締めて頭を撫でてくれる。お母様と同じように。
 ああ、私は遠慮なんてして、伯母様に寂しい思いをさせてしまっていた。

「しっかりおやりなさい。どうしてもダメなら、この部屋の扉をいつでも開けておくから……お母様の友人としてね」
「はい……」

 契約書にぽろりと涙が落ちて焦ったが、不思議と字は滲んでいない。もしかしてこれも、魔法がかかっているのかしら?

 私はそれからしばらく伯母様と思い出話をした後、帰路に就いたのだった。

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