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短編
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「すまない、僕はもう君の事を愛してあげられないんだ」
結婚した日の夜、寝室で待っていた私に、旦那様となった彼は悲痛な声でそう言って謝った。
「は……?」
一瞬、何を言っているのか理解できなかったが、やがてじわじわと脳内に言われた言葉が浸透してきたと同時に、彼との思い出が走馬灯のように走り抜けた。
彼とは馴れ初めとも言えるものがないほどの、それこそ物心がついた頃からの幼馴染みで、その頃から既に結婚しようとかずっと一緒にいようとか、プロポーズまがいの事を言われるのは日常茶飯事だった記憶がある。
もちろん貴族なのだから、結婚は政略的なものだとは歳を重ねるごとに分かってくるのだが、いつだって彼は私を求めてくれるのだと、当たり前のように思っていた。
そう、この国の第二王子殿下に見初められ、三角関係になった時も。
殿下はデビュタントで私に一目惚れをしたそうだが決して無理強いはせず、あくまで私の意思を尊重してくれた。彼とは私を巡って恋のライバルだったが、私が重病にかかった時に諦めずに駆けずり回り、必ず治ると励まし続けた彼を最終的に認め、友人でいようと言ってくれた。
「僕を選んでくれてありがとう。ずっと君の事を愛すると誓うよ……」
結婚式の直前まで、世界一幸せだという表情で私にそう言ってくれたのに。
誓いの口づけで、一瞬苦痛に耐えるような仕種を見せて以来、様子がおかしいのは気になっていたけれど。
「私を愛しているというのは、嘘だったの?」
「違う! 君の事はずっとずっと好きだった。だけど、今の僕にはその資格がない。君を妻として愛せない体になってしまったんだ」
何それ!?
要は、好きっていうのは友達としての意味だったって事? いざ夫婦となったら、営みをする気が失せてしまったという……
「ふざけないで!」
「僕だって信じたくないんだ。だけど」
「言い訳なら結構よ。今夜私を抱く気がないのなら、今すぐ出て行って!」
カッとなった私は、何かを言いかけた旦那様を寝室から追い出した。そして内側から鍵をかけ、ベッドに潜り込んで泣いた。
ずっと愛してるって……幸せにするって約束したくせに。嘘つき!
一晩中泣いて、これからどうしようと考えた末、すぐに離婚は無理だと考えた。何せ式を挙げたばかりだし、結婚は家同士の繋がりでもある。初夜に抱いてくれなかったからと感情的になって恥を吹聴するのはお互いにとって良くない。
けれど二年経てば白い結婚が認められ、離婚ができる。
その間に後腐れなく別れられるように、各方面に手を回しておかないと。
見ていなさい、初夜に私を拒絶した事を後悔させてやるんだから!
次の日、早くも私の目的は叶う事になった。朝食の席についていた旦那様は、この世の終わりでも見てきたかのように憔悴していたのだ。なんで愛せないと言った方が傷付いている様子なのか納得がいかない。
「おはよう……」
「おはようございます、旦那様。あとでお話がありますから、執務室に行ってよろしいでしょうか?」
自分でもぞっとするほど冷たい声が出たが、旦那様が頷いたので早々に食事を終わらせ、執務室へ向かう。
そこで私は二年後に離婚するための誓約書を書かせた。真っ青になった旦那様は反論しかけるが、
「一日だけ猶予を差し上げます。初夜の仕切り直しをしてくださるのなら、撤回いたしますわ」
と言い放ってやると、震える手で書類にサインした。離婚を渋る割に、夫としての務めを果たす気はないのね。
もう長年の情も尽き果てたわ。
そこから二年、旦那様も使用人たちもとても優しく接してくれたものの、本当の意味で夫婦になる事はなく、私たちは別れた。途中で気が変わって誘いが来たとしても拒むつもりなので、特に残念だとも思わなかったが。
そして私は、婚約者を持たずにずっと想っていてくれたという第二王子のプロポーズを受けた。殿下は身を引いたものの諦めきれず、もし旦那様が私を幸せにできないのならば奪ってやるつもりだったらしい。
「あいつ、この二年間街の裏路地へ赴いて、怪しい女の家に通い詰めていたらしいんだ。学生時代は君に他の男を近寄らせまいと、あんなにも必死に牽制してきたというのに……失望したよ、まったく」
ああ、そういう事。急に心変わりをした理由が分からなかったが、今となってはもうどうでもいい。一刻も早く新しい恋で上書きして、彼の事を忘れたい。できればもう二度と顔も見たくないわ。
投げやりな私の願いは、やがて最悪な形で叶えられる事になる……
「彼が、死んだ……!?」
その訃報を耳にしたのは、王子妃教育を受け持っている夫人が話しているのを通りがかって聞いてしまった時だった。殿下は王太子ではないものの、王族に嫁ぐ以上は最低限のマナーを学ばなければならないので、私は王宮に通っていた。
私には絶対に聞かせてはいけなかったらしく、夫人は青い顔で話した事は秘密にしてくれと頼まれたが……不審な態度から殿下にはすぐにバレてしまった。
「隠していてすまない……せっかく君が未来を向いているのに、影を落とす事は聞かせたくなかったんだ」
「どうして……どうして……」
抱きしめて慰められたが、私はショックが大き過ぎて殿下の声も聞こえなかった。今にして思えば、旦那様のあの辛そうな表情や態度は、こうなる事が分かっていたからではないか? だとしても、私に何の相談もせずにすれ違ったまま別れるなんて。知っていれば、限られた時間の中だけでも夫婦でいたかったのに……
しばらく立ち直れず、婚姻式を延長させてしまったものの、いつまでも周囲に心配はかけられない。私は傷付いた心を隠し、殿下の手を取ったのだった。
彼女に会ったのは、結婚から一年後に懐妊を報告してからほどなくだった。妹の幸せを見届けるまではという心配性な兄がようやく妻を迎えると聞いてホッとしたのだが、相手が誰なのかを知った瞬間、心がざわついた。
元夫の死後、養子に迎えられたという遠縁の『彼女』に、兄は幼い頃から恋していたらしいのだが、片思いだからとずっと心に秘めていたのだとか。そしてどんな経緯かは教えてくれなかったものの、ようやくプロポーズが受け入れられたのだとか。
(でも、ちょっと待って……)
遠縁とは言え血が繋がっているのだから、面影があるのは分かる。だけどこれは……似過ぎている。兄妹――いやもっと近い。双子の片割れとも違う。まるで……
「はじめまして……と言った方がいいでしょうか」
少し気まずげに、小首を傾げて自己紹介する『彼女』。知っているそれよりもずっと高い声だったが、仕種や女性にしてはやや高い背丈……それにほくろの位置まで同じだなんてあり得るのかしら。
(何より――)
その瞳は、後悔とか申し訳なさとか未練とか……最後の別れで見せた彼の眼差しと同じだった。
「どういう事か……説明してもらえますか?」
「聞いてくれるの? 今度こそ……」
声色から、暗に私が彼の言い分から耳を塞いできた事に対する責めが感じられる。だけど私だって、結婚した途端に愛せないと言い出したり、別れてから突然死んだと聞かされたり、かと思えば女性として兄と結婚したりと意味が分からない元夫に振り回されていたのだから、気にしないわけにはいかない。
そこで聞かされた真相は、私の理解を超えていた。始まりは私が病気で死にかけた時の事――治す方法を調べ回って万策尽きた彼は、禁忌に手を出す。悪魔との契約で、私への愛と引き換えに願いを叶えたと言うのだ。
私の命さえ助かるならと悪魔の囁きに乗ってしまったが、それを知った殿下は彼の心が奪われる前に宮廷魔術師を総動員させて悪魔を封印した。恋敵ではあるが、私が選んだ相手に勝手に諦めて欲しくなかったんだとか。
けれど契約執行を邪魔された悪魔の呪いは完全には祓い切れなかったらしい。
それは、まさに結婚式で誓いのキスを交わした瞬間に発動した。
激しい痛みと共に、夫の性別は失われていた。まだ一見すると男のままだったが、女と交わる事はできない体になっていたのだ。
『すまない、僕はもう君の事を愛してあげられないんだ』
あれは、そういう意味だったのか。最初から悪魔に心を売り渡し、恋を諦めていたのなら覚悟はできていた。けれど一度は呪いを跳ね除け、結ばれる直前まで行っていたのだ。幸せの絶頂からどん底に叩き落とされたショックは計り知れず、私に打ち明けるかどうか物凄く悩んだ。
私はその時……怒りのあまり、話を聞こうともしなかった。不貞腐れて、そっちがその気ならこっちだって嫌ってやると拗ねていた。
日を追うごとに女性へと近づいていく事もあり、ますます真実を打ち明け辛くなった夫は何度も言いかけては口を噤む日々を繰り返し、離婚が成立した日は身を切られるような痛みを味わったが、男だと思われているうちに別れられてよかったとも思っていた。
「たとえ憎まれたとしても……君には一度は愛し合った『男』として覚えていて欲しかった」
当初は本当に死ぬつもりだったという。が、兄に助けられ説得された。今の人生を捨てていいのであれば、生まれ変わったつもりで別人として生きてはどうかと。
実は兄は初めて出会った時、まだ幼い彼を女の子だと思い込んでいたそうで、妹の婚約者となってからは家族として大切にしていこうと決めていた。が、女になる呪いをかけられ一人悪者になって死んでいこうとする彼に秘めていた想いが爆発し、『彼女』として受け入れてくれるよう口説き続けた。
「……私が立ち直って殿下と人生をやり直すまで?」
「体が女性になったとは言え、今までの人生や性格が消えるわけじゃないから、なかなか踏ん切りがつかなかったけれど。
でも初夜の告白と死亡報告が君を苦しめ続けていた……その罪滅ぼしは直接謝罪しなければできないんじゃないかと、君の兄さんに言われて」
いつもと変わらない口調を透き通るような美声で話すものだから、違和感が拭えない。ここまで別人になってしまうと、謝られても戸惑いの方が大きい。『男』としての彼にはきっともう、二度と会えないのだろう。私の病気のためなら悪魔の手さえ取れる彼が、ついには戻れなかったのだから……『彼』が死んだ、というのはある意味正しかった。
そうして、今後彼……いや彼女とは義姉妹として接する事になった。殿下が知ればいい気はしないだろうし、男だった頃の態度はこれっきり出さないようにすると言っていた。だからこの再会は、別れのための禊。
彼が生きていてくれた事は本当に嬉しかったけれど、変わってしまった事、元の関係には戻れない事への寂しさに、私は自室で一人になった時にそっと涙を流した。
殿下は変わらず優しかった。生まれたのは私にそっくりな王女で、弟が生まれても嫁には出したくないと溺愛している。
義姉を前にしても何の反応も見せず、かつての恋敵とは思いもよらないのだろう、が……
(果たして本当に、そうなのかしら?)
私の病気を治したのが、元夫の悪魔との契約だとすぐに見抜き、秘密裏に対処できた殿下だ。隠していたとは言え、彼の異変に気付けないなんてあるのだろうか。だって私の事はずっと見ていてくれたのだもの。
もしや呪いも元夫の生存も全て知っていて、私にずっと黙っていたのだろうか。
だとすれば……
黒い感情が沸き上がるも、私はすぐに打ち消した。
だとしても。
もう感情のままに夫を責め立てる事はしたくない。恋とはエゴであり、愛のためなら悪魔にもなる。元夫も殿下も兄も、私だってそう。
だからそれぞれの罪の上に敷かれた、この道を歩いていく……どれだけ後悔に苦しめられても、振り返らずに。
私がその後、幸せになれるかなんて分からない。
ただ、『彼』の魂が心安らかである事を願う。
結婚した日の夜、寝室で待っていた私に、旦那様となった彼は悲痛な声でそう言って謝った。
「は……?」
一瞬、何を言っているのか理解できなかったが、やがてじわじわと脳内に言われた言葉が浸透してきたと同時に、彼との思い出が走馬灯のように走り抜けた。
彼とは馴れ初めとも言えるものがないほどの、それこそ物心がついた頃からの幼馴染みで、その頃から既に結婚しようとかずっと一緒にいようとか、プロポーズまがいの事を言われるのは日常茶飯事だった記憶がある。
もちろん貴族なのだから、結婚は政略的なものだとは歳を重ねるごとに分かってくるのだが、いつだって彼は私を求めてくれるのだと、当たり前のように思っていた。
そう、この国の第二王子殿下に見初められ、三角関係になった時も。
殿下はデビュタントで私に一目惚れをしたそうだが決して無理強いはせず、あくまで私の意思を尊重してくれた。彼とは私を巡って恋のライバルだったが、私が重病にかかった時に諦めずに駆けずり回り、必ず治ると励まし続けた彼を最終的に認め、友人でいようと言ってくれた。
「僕を選んでくれてありがとう。ずっと君の事を愛すると誓うよ……」
結婚式の直前まで、世界一幸せだという表情で私にそう言ってくれたのに。
誓いの口づけで、一瞬苦痛に耐えるような仕種を見せて以来、様子がおかしいのは気になっていたけれど。
「私を愛しているというのは、嘘だったの?」
「違う! 君の事はずっとずっと好きだった。だけど、今の僕にはその資格がない。君を妻として愛せない体になってしまったんだ」
何それ!?
要は、好きっていうのは友達としての意味だったって事? いざ夫婦となったら、営みをする気が失せてしまったという……
「ふざけないで!」
「僕だって信じたくないんだ。だけど」
「言い訳なら結構よ。今夜私を抱く気がないのなら、今すぐ出て行って!」
カッとなった私は、何かを言いかけた旦那様を寝室から追い出した。そして内側から鍵をかけ、ベッドに潜り込んで泣いた。
ずっと愛してるって……幸せにするって約束したくせに。嘘つき!
一晩中泣いて、これからどうしようと考えた末、すぐに離婚は無理だと考えた。何せ式を挙げたばかりだし、結婚は家同士の繋がりでもある。初夜に抱いてくれなかったからと感情的になって恥を吹聴するのはお互いにとって良くない。
けれど二年経てば白い結婚が認められ、離婚ができる。
その間に後腐れなく別れられるように、各方面に手を回しておかないと。
見ていなさい、初夜に私を拒絶した事を後悔させてやるんだから!
次の日、早くも私の目的は叶う事になった。朝食の席についていた旦那様は、この世の終わりでも見てきたかのように憔悴していたのだ。なんで愛せないと言った方が傷付いている様子なのか納得がいかない。
「おはよう……」
「おはようございます、旦那様。あとでお話がありますから、執務室に行ってよろしいでしょうか?」
自分でもぞっとするほど冷たい声が出たが、旦那様が頷いたので早々に食事を終わらせ、執務室へ向かう。
そこで私は二年後に離婚するための誓約書を書かせた。真っ青になった旦那様は反論しかけるが、
「一日だけ猶予を差し上げます。初夜の仕切り直しをしてくださるのなら、撤回いたしますわ」
と言い放ってやると、震える手で書類にサインした。離婚を渋る割に、夫としての務めを果たす気はないのね。
もう長年の情も尽き果てたわ。
そこから二年、旦那様も使用人たちもとても優しく接してくれたものの、本当の意味で夫婦になる事はなく、私たちは別れた。途中で気が変わって誘いが来たとしても拒むつもりなので、特に残念だとも思わなかったが。
そして私は、婚約者を持たずにずっと想っていてくれたという第二王子のプロポーズを受けた。殿下は身を引いたものの諦めきれず、もし旦那様が私を幸せにできないのならば奪ってやるつもりだったらしい。
「あいつ、この二年間街の裏路地へ赴いて、怪しい女の家に通い詰めていたらしいんだ。学生時代は君に他の男を近寄らせまいと、あんなにも必死に牽制してきたというのに……失望したよ、まったく」
ああ、そういう事。急に心変わりをした理由が分からなかったが、今となってはもうどうでもいい。一刻も早く新しい恋で上書きして、彼の事を忘れたい。できればもう二度と顔も見たくないわ。
投げやりな私の願いは、やがて最悪な形で叶えられる事になる……
「彼が、死んだ……!?」
その訃報を耳にしたのは、王子妃教育を受け持っている夫人が話しているのを通りがかって聞いてしまった時だった。殿下は王太子ではないものの、王族に嫁ぐ以上は最低限のマナーを学ばなければならないので、私は王宮に通っていた。
私には絶対に聞かせてはいけなかったらしく、夫人は青い顔で話した事は秘密にしてくれと頼まれたが……不審な態度から殿下にはすぐにバレてしまった。
「隠していてすまない……せっかく君が未来を向いているのに、影を落とす事は聞かせたくなかったんだ」
「どうして……どうして……」
抱きしめて慰められたが、私はショックが大き過ぎて殿下の声も聞こえなかった。今にして思えば、旦那様のあの辛そうな表情や態度は、こうなる事が分かっていたからではないか? だとしても、私に何の相談もせずにすれ違ったまま別れるなんて。知っていれば、限られた時間の中だけでも夫婦でいたかったのに……
しばらく立ち直れず、婚姻式を延長させてしまったものの、いつまでも周囲に心配はかけられない。私は傷付いた心を隠し、殿下の手を取ったのだった。
彼女に会ったのは、結婚から一年後に懐妊を報告してからほどなくだった。妹の幸せを見届けるまではという心配性な兄がようやく妻を迎えると聞いてホッとしたのだが、相手が誰なのかを知った瞬間、心がざわついた。
元夫の死後、養子に迎えられたという遠縁の『彼女』に、兄は幼い頃から恋していたらしいのだが、片思いだからとずっと心に秘めていたのだとか。そしてどんな経緯かは教えてくれなかったものの、ようやくプロポーズが受け入れられたのだとか。
(でも、ちょっと待って……)
遠縁とは言え血が繋がっているのだから、面影があるのは分かる。だけどこれは……似過ぎている。兄妹――いやもっと近い。双子の片割れとも違う。まるで……
「はじめまして……と言った方がいいでしょうか」
少し気まずげに、小首を傾げて自己紹介する『彼女』。知っているそれよりもずっと高い声だったが、仕種や女性にしてはやや高い背丈……それにほくろの位置まで同じだなんてあり得るのかしら。
(何より――)
その瞳は、後悔とか申し訳なさとか未練とか……最後の別れで見せた彼の眼差しと同じだった。
「どういう事か……説明してもらえますか?」
「聞いてくれるの? 今度こそ……」
声色から、暗に私が彼の言い分から耳を塞いできた事に対する責めが感じられる。だけど私だって、結婚した途端に愛せないと言い出したり、別れてから突然死んだと聞かされたり、かと思えば女性として兄と結婚したりと意味が分からない元夫に振り回されていたのだから、気にしないわけにはいかない。
そこで聞かされた真相は、私の理解を超えていた。始まりは私が病気で死にかけた時の事――治す方法を調べ回って万策尽きた彼は、禁忌に手を出す。悪魔との契約で、私への愛と引き換えに願いを叶えたと言うのだ。
私の命さえ助かるならと悪魔の囁きに乗ってしまったが、それを知った殿下は彼の心が奪われる前に宮廷魔術師を総動員させて悪魔を封印した。恋敵ではあるが、私が選んだ相手に勝手に諦めて欲しくなかったんだとか。
けれど契約執行を邪魔された悪魔の呪いは完全には祓い切れなかったらしい。
それは、まさに結婚式で誓いのキスを交わした瞬間に発動した。
激しい痛みと共に、夫の性別は失われていた。まだ一見すると男のままだったが、女と交わる事はできない体になっていたのだ。
『すまない、僕はもう君の事を愛してあげられないんだ』
あれは、そういう意味だったのか。最初から悪魔に心を売り渡し、恋を諦めていたのなら覚悟はできていた。けれど一度は呪いを跳ね除け、結ばれる直前まで行っていたのだ。幸せの絶頂からどん底に叩き落とされたショックは計り知れず、私に打ち明けるかどうか物凄く悩んだ。
私はその時……怒りのあまり、話を聞こうともしなかった。不貞腐れて、そっちがその気ならこっちだって嫌ってやると拗ねていた。
日を追うごとに女性へと近づいていく事もあり、ますます真実を打ち明け辛くなった夫は何度も言いかけては口を噤む日々を繰り返し、離婚が成立した日は身を切られるような痛みを味わったが、男だと思われているうちに別れられてよかったとも思っていた。
「たとえ憎まれたとしても……君には一度は愛し合った『男』として覚えていて欲しかった」
当初は本当に死ぬつもりだったという。が、兄に助けられ説得された。今の人生を捨てていいのであれば、生まれ変わったつもりで別人として生きてはどうかと。
実は兄は初めて出会った時、まだ幼い彼を女の子だと思い込んでいたそうで、妹の婚約者となってからは家族として大切にしていこうと決めていた。が、女になる呪いをかけられ一人悪者になって死んでいこうとする彼に秘めていた想いが爆発し、『彼女』として受け入れてくれるよう口説き続けた。
「……私が立ち直って殿下と人生をやり直すまで?」
「体が女性になったとは言え、今までの人生や性格が消えるわけじゃないから、なかなか踏ん切りがつかなかったけれど。
でも初夜の告白と死亡報告が君を苦しめ続けていた……その罪滅ぼしは直接謝罪しなければできないんじゃないかと、君の兄さんに言われて」
いつもと変わらない口調を透き通るような美声で話すものだから、違和感が拭えない。ここまで別人になってしまうと、謝られても戸惑いの方が大きい。『男』としての彼にはきっともう、二度と会えないのだろう。私の病気のためなら悪魔の手さえ取れる彼が、ついには戻れなかったのだから……『彼』が死んだ、というのはある意味正しかった。
そうして、今後彼……いや彼女とは義姉妹として接する事になった。殿下が知ればいい気はしないだろうし、男だった頃の態度はこれっきり出さないようにすると言っていた。だからこの再会は、別れのための禊。
彼が生きていてくれた事は本当に嬉しかったけれど、変わってしまった事、元の関係には戻れない事への寂しさに、私は自室で一人になった時にそっと涙を流した。
殿下は変わらず優しかった。生まれたのは私にそっくりな王女で、弟が生まれても嫁には出したくないと溺愛している。
義姉を前にしても何の反応も見せず、かつての恋敵とは思いもよらないのだろう、が……
(果たして本当に、そうなのかしら?)
私の病気を治したのが、元夫の悪魔との契約だとすぐに見抜き、秘密裏に対処できた殿下だ。隠していたとは言え、彼の異変に気付けないなんてあるのだろうか。だって私の事はずっと見ていてくれたのだもの。
もしや呪いも元夫の生存も全て知っていて、私にずっと黙っていたのだろうか。
だとすれば……
黒い感情が沸き上がるも、私はすぐに打ち消した。
だとしても。
もう感情のままに夫を責め立てる事はしたくない。恋とはエゴであり、愛のためなら悪魔にもなる。元夫も殿下も兄も、私だってそう。
だからそれぞれの罪の上に敷かれた、この道を歩いていく……どれだけ後悔に苦しめられても、振り返らずに。
私がその後、幸せになれるかなんて分からない。
ただ、『彼』の魂が心安らかである事を願う。
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そのあと、懇切丁寧に説明したら
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と抜かしたので
『聞かずにわめき散らしたのは、そちらですが?』
と返したら黙りました。
ご感想ありがとうございます。