どうなるのか見てみたかった~婚約破棄された令嬢は、その後の王国がどうなるのか見守ってみることにした~

キョウキョウ

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第7話 帰還と報告

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 馬車の窓から見える景色が徐々に変わっていった。首都グランツの洗練された石畳の通りから始まり、広大な平原を経て、今は険しい北部の山々と針葉樹の森が視界を埋めていた。

「もうすぐバーミリオン領です、お嬢様」
「無事、帰ってきたのね」

 御者の声に、姿勢を正して窓の外に視線を向けた。

 真っ青な空の下に広がる北部バーミリオン公爵領。急峻な山々には豊かな鉱脈が眠り、厳しい自然に囲まれた渓谷には豊かな土地が広がっていた。王国最北の辺境でありながら、その資源の豊かさゆえに王国屈指の富と権力を誇る領地。

 例の出来事や長旅の疲れで体は重かったが、故郷の光景に心が静かに落ち着いていくのを感じた。この景色が大好きだった。幼い頃から変わらぬ故郷の姿。



 馬車が街の入口を通過する。石畳を車輪が打つ音が変わり、活気ある市場の喧騒が耳に届いた。店先には色とりどりの商品が並び、行き交う人々の笑い声が聞こえる。

 領民たちは普段通り仕事に励んでいるようだったが、バーミリオン家の紋章を掲げた馬車が通ると、彼らは足を止めて頭を下げ、敬意を表した。遠目にも分かる家紋を見上げる彼らの眼差しには、尊敬の色があった。

 背筋をさらに伸ばし、表情を引き締めた。自分が弱い姿を見せれば、それは家全体の弱さと見なされる。幼い頃からそう教えられてきた。

 バーミリオン家の娘として、しっかりした姿を見せないと。

 やがて館が見えてきた。北部の厳しい風土に合わせて建てられた灰色の石造りの要塞は、王宮のような華やかさはないものの、その堅牢さと威厳は王国内でも比類なかった。

 高い城壁と四隅にそびえる塔、そして中央に位置する本館は、何世紀にもわたるバーミリオン家の力と歴史を物語っていた。

 門をくぐると、中庭には家臣団が整然と並んで待っていた。彼らの顔には心配と敬意が入り混じっている。先頭に立つのは執事長のヘンリーだった。白髪交じりの髭を蓄えた老執事は、私が生まれる前からバーミリオン家に仕えてきた忠実な家臣だ。

 馬車が止まると、ヘンリーが恭しく一歩進み出て扉を開けた。とても洗練された動き。

「おかえりなさいませ、フローレンスお嬢様。無事のご帰還、家中一同心より喜んでおります」

 温かみのある深い声に、私は笑みを浮かべる。

「ありがとう、ヘンリー。皆も出迎えてくれて嬉しいわ」

 深く息を吸い、凛とした態度で馬車を降りた。長旅で少し硬くなった足を伸ばし、出迎えのために集まってくれた家臣たちに微笑みかけ、一礼した。慣れ親しんだ顔々に囲まれて、ようやく本当に帰ってきたという実感が湧いた。

 ヘンリーが、周囲に聞こえないよう顔を寄せて低い声で言った。

「お嬢様、旦那様がお待ちです」

 そして、気遣いを込めて付け加えた。

「お部屋でお着替えや休息をお取りになりますか? 長旅でお疲れのことと存じます」

 休むかどうか。一瞬考えたが、首を横に振った。後回しにしても気持ちが落ち着かないでしょう。先に報告を済ませておきたい。

「いいえ、大丈夫です。すぐ父上にお会いしたいわ」

 それに今回の件は、すぐに知らせたほうがいい。そして、父の判断を仰ぐべきだ。個人の問題ではなく、家全体の問題だから。

「かしこまりました。執務室へご案内いたします」

 廊下を歩きながら、私はどう報告しようかと考えていた。心の準備も必要。私の父アルフレッド・バーミリオンは北部を統治する公爵として、厳格で公正な人物として知られていた。

 私が王子との婚約破棄を受け入れたこと、お父様はどう思うのかしら。ちゃんと話せば理解してくれると思うけれど。

 重厚な木製の扉の前で、ヘンリーが軽くノックした。

「どうぞ」

 部屋の中から、低く落ち着いた声が返ってきた。その声に懐かしさを感じて、少しだけ緊張が和らいだ。

 深呼吸してから、自分の表情を意識しつつ父の執務室に足を踏み入れた。

 広い部屋の奥、大きな窓の前の机に父が座っていた。窓からは北部の山々が見え、部屋には厳かな雰囲気が漂っていた。壁には家系図や地図、そして歴代当主の肖像画が整然と飾られている。

「お父様、ただいま戻りました」

 私は、丁重に一礼した。姿勢を正し、視線をまっすぐに保ちながら。

 お父様は椅子から立ち上がり、ゆっくりと近づいてきた。50代半ばながら、その姿勢は凛として背筋が伸びていた。

「フローレンス、よく戻ってきた」

 私の肩に手を置いた。その温もりに、一瞬だけ弱さを見せそうになった。だけど、すぐに自分を取り戻す。

「長旅だっただろう。疲れていないか?」

 父の声には、心配が滲んでいた。

「大丈夫です。それよりも、お話しておくべきことがあります」
「ああ、聞いている。婚約破棄の件だな」

 やはり、もう伝わっているみたい。父の言葉に、そうだと頷いた。

「座りなさい」
「はい」

 暖炉の前に置かれたソファーを示した。私が座ると、お父様も向かいの席に腰を下ろした。間に小さなテーブルを挟んで、向かい合う形。

「君の口からも説明してくれるか?」
「はい、もちろんです」

 主観が入りすぎないように気をつけながら、事実を順序立てて説明していくつもりだった。感情に流されずに、ただ事実だけを。

「季節の祝宴の最中のことでした。ザイン王子が突然、私との婚約を解消すると宣言しました。理由は『真実の愛』。新興貴族クリムゾン家の令嬢アマリリスとの関係を公にし、彼女を次期王妃にするつもりのようです――」

 淡々と事実を述べていった。ザイン王子の言葉、自分の対応、そして最後に「王国の行く末を遠くから見守らせていただきます」と告げて退席したことまで。

 話している間、父は一言も発せず、ただ私の言葉に耳を傾けていた。時折、眉をひそめたり、顎に手をやったりする仕草もあった。

「――ということです」

 私は話を終えた。緊張しながら、父の反応を伺う。なんと言われるのか。お父様は暫く沈黙した後、ゆっくりと頷いた。深い溜息と共に。

「婚約破棄を受け入れたのは、正しい判断だった。公の場で、そんな事をされたんだ。威厳を保ったまま退くことで、バーミリオン家の品格を示した。賢明な選択だ」

 肩から緊張が解けていくのを感じた。よかった、理解してもらえた。私は、ほっと息をついた。

「とにかく大変だったね。しばらくの間、休んでくれていいよ。この地で、心と体を休めなさい」

 父の言葉には優しさが込められていた。しかし、私は首を横に振った。

「いいえ」

 きっぱりと示す。まだまだ大丈夫だから。休んでいる暇はない。

「王宮で過ごした数年間、私は王妃になるための準備として多くのことを学びました。政治学、経済学、外交術、言語、芸術。それらの知識をバーミリオン家のために活かしたいのです」

 そう。これまで私が学んできたことは、とても価値ある知識のはずだ。学んだだけでは、もったいない。活用しないと。

「学んできたことを共有し、家の繁栄に貢献したいのです」

 決意を込めた言葉に、お父様はわずかに驚いた表情を見せた後、誇らしげに微笑んだ。

「バーミリオン家の娘として貢献したい、ということか」
「はい。それともう一つ」
「何だ?」

 私は一瞬ためらったが、すぐに決心して言葉を続けた。

「新しい婚約相手を探していただけないでしょうか」

 そう言うと、お父様の眉が上がった。

「婚約を破棄されたばかり、なのにか?」

 父の声には心配が滲んでいた。表情を探るように見つめられる。その視線を、まっすぐ見つめ返す。そして、言った。

「大丈夫です。私は、バーミリオン家の娘です。家のために最善を尽くすのは当然のことですから」

 早く相手を見つけて、落ち着きたい。婚約を破棄されるという出来事に、区切りをつけたいという思いもあった。次の一歩を踏み出したい。

「……わかった。新しい婚約相手については、考えておく」
「よろしくお願いします」

 伝えるべきことは伝えたかな。これで、お話は終わりね。彼女は立ち上がろうとした。

「今日は、しっかり休んでおけ。長旅で疲れているだろうから」

 お父様の優しい声に、私は頷いた。

「はい。わかりました」

 そこまで言われたら、しっかり休むことにする。やることは沢山あるはずなので、ちゃんと休んで明日から頑張りましょう。

 扉の方へ歩き出したとき、父の声が再び聞こえた。

「フローレンス」

 お父様も席から立ち上がって、私の顔を見ていた。

「私は、お前を誇りに思っている」
「ありがとう、お父様」

 帰ってきて、良かったと思った。
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