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第20話 襲来
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ユーグ様が常連になってから、特に変わったことは無かった。彼と少し会話もしたけれど、貴族についての話は一切なく。コーヒーの味の感想とか、私たちの住む町のことについてとか、そういった普通の話題ばかり。
彼から名前も教えてもらっていない。私は彼のことを常連さんと呼んで、彼は私を店長と呼んだ。世間話するぐらいなので、それで会話が成立している。
それから、彼が店の近くに滞在していることも教えてもらった。ルニュルス公爵家のご子息が、どうして他貴族の領地で暮らしているのか。
もしかしたら偽の経歴を用意して、身分を隠して暮らしているのかしら。謎は深まるばかり。だけど、事実を追求しようとは思わない。
このまま何事もなく、常連と店長という関係を続けていくことが一番平和だから。
そして今日もお店を開き、お客様を招き入れて、飲み物や料理を提供する。これが私の日常として、染み付いてきた。
そんな、ある日のこと。面倒な嵐は、突然やって来た。
平日の真っ昼間。お客様の入りはまずまず、といったところか。忙しく立ち働いている最中のこと。
「アンリエッタ!」
「ッ!?」
突然、バンと大きな音が鳴った。お店の扉が乱暴に開かれて、私の名を大声で叫ぶ男が現れたのだ。私は驚いて、体が硬直した。男の大声に恐怖を感じた。
賑わっていた店内の声が消えて、しんと静まり返る。
「こんな所に居たんだね。ようやく見つけたぞ!」
嬉しそうな声。笑顔を浮かべて、ズンズンと大股で近寄ってきた。荒々しい足音が店内に響き渡った。
私は金縛りにあったように動けなくて、その場で立ち竦む。
男は私の前に立って、両腕を左右に広げた。それからギュッと私を抱きしめようとする。カウンター席も越えようとして、身を乗り出して。嫌だ。
「アンリエッタ! ああ、アンリエッタ!」
「いやっ!?」
「店長!?」
その瞬間に、なんとか体が動くようになった。慌てて後ろに下がると、抱きつきを避けることに成功した。こんな男に抱きつかれなくて、本当に良かった。
従業員の女性が声を上げ、カウンター席に男を通さないように立ち塞がろうとしてくれた。だが手で制して、彼女に視線を向けて止まってくれと首を横に振る。これは厄介な問題。下手に彼女たちを関わらせるべきではない。
でも、どうしよう。どうやって解決するのか。この問題を切り抜けるための方法を必死で考える。
彼は、不満そうな表情を浮かべながら言った。
「ようやく再会したのに、なんで避けるんだ」
「……ランドリック」
再び私は前を向く。男の名前が、私の口から漏れ出た。なぜ彼が、こんなところに居るのか。
「君に会いに来たんだよ、アンリエッタ」
もう二度と会うことはないと思っていた男が、目の前に立って自信満々で偉そうに笑っている。なぜ、そんな表情を私に向けることが出来るのか。あのパーティーでの出来事を覚えていないのかしら。意味がわからない。
「さぁ、俺と一緒に王都へ帰ろう」
「は?」
私の目の前に手を差し伸べて、笑顔を浮かべて誘ってくる。その手を私が握るわけないのに。
彼から名前も教えてもらっていない。私は彼のことを常連さんと呼んで、彼は私を店長と呼んだ。世間話するぐらいなので、それで会話が成立している。
それから、彼が店の近くに滞在していることも教えてもらった。ルニュルス公爵家のご子息が、どうして他貴族の領地で暮らしているのか。
もしかしたら偽の経歴を用意して、身分を隠して暮らしているのかしら。謎は深まるばかり。だけど、事実を追求しようとは思わない。
このまま何事もなく、常連と店長という関係を続けていくことが一番平和だから。
そして今日もお店を開き、お客様を招き入れて、飲み物や料理を提供する。これが私の日常として、染み付いてきた。
そんな、ある日のこと。面倒な嵐は、突然やって来た。
平日の真っ昼間。お客様の入りはまずまず、といったところか。忙しく立ち働いている最中のこと。
「アンリエッタ!」
「ッ!?」
突然、バンと大きな音が鳴った。お店の扉が乱暴に開かれて、私の名を大声で叫ぶ男が現れたのだ。私は驚いて、体が硬直した。男の大声に恐怖を感じた。
賑わっていた店内の声が消えて、しんと静まり返る。
「こんな所に居たんだね。ようやく見つけたぞ!」
嬉しそうな声。笑顔を浮かべて、ズンズンと大股で近寄ってきた。荒々しい足音が店内に響き渡った。
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男は私の前に立って、両腕を左右に広げた。それからギュッと私を抱きしめようとする。カウンター席も越えようとして、身を乗り出して。嫌だ。
「アンリエッタ! ああ、アンリエッタ!」
「いやっ!?」
「店長!?」
その瞬間に、なんとか体が動くようになった。慌てて後ろに下がると、抱きつきを避けることに成功した。こんな男に抱きつかれなくて、本当に良かった。
従業員の女性が声を上げ、カウンター席に男を通さないように立ち塞がろうとしてくれた。だが手で制して、彼女に視線を向けて止まってくれと首を横に振る。これは厄介な問題。下手に彼女たちを関わらせるべきではない。
でも、どうしよう。どうやって解決するのか。この問題を切り抜けるための方法を必死で考える。
彼は、不満そうな表情を浮かべながら言った。
「ようやく再会したのに、なんで避けるんだ」
「……ランドリック」
再び私は前を向く。男の名前が、私の口から漏れ出た。なぜ彼が、こんなところに居るのか。
「君に会いに来たんだよ、アンリエッタ」
もう二度と会うことはないと思っていた男が、目の前に立って自信満々で偉そうに笑っている。なぜ、そんな表情を私に向けることが出来るのか。あのパーティーでの出来事を覚えていないのかしら。意味がわからない。
「さぁ、俺と一緒に王都へ帰ろう」
「は?」
私の目の前に手を差し伸べて、笑顔を浮かべて誘ってくる。その手を私が握るわけないのに。
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