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本編
18 - 3 ユーディスの提案
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別れてから七ヶ月ぶりだろうか。目の前にロゼがいる。
「何でここに……?」
久々に会ったロゼは少し痩せて見えた。アッシュブロンドの髪が伸びて、前髪は無造作に分け、後ろは肩に付きそうな長さ。それも似合っていると呑気なことを思った。
「寒いから……帰りながら話そうか」
ロゼは私の手を引いて歩き出す。私の手を握る冷たい手は前と同じ。低音の落ち着く声も変わっていない。暖かそうなコートの上にマントも羽織ってしっかり防寒している。よく手が冷たくなるから寒がりなのかもしれない。
「……どうして、こっちにいるの?」
ロゼの顔を見上げると、少し痩せた横顔はゆっくり呼吸を整え、少し間を置いて口を開いた。
「ギオクラウス国を出てここに入国したのは昨日の夜だったんだ。この町に着いたのが明け方で。君が早番って聞いてたから、朝の内に店へ行きたかったけど起きたら昼過ぎで……、ユーディスから連絡もらった時にはもう養護院に向かってて――」
これまでの経緯を話し続けるロゼに、私は慌てて口を挟んだ。
「ちょっと待って、ここに来るまでのことを聞いてるんじゃなくてっ」
ロゼはキョトンとした顔を私に向ける。
「あなたは帰国して任務を続けてたんでしょう。どうしてまたニーリル国に来ているの? もしかしてまたこっちで任務が……?」
「ごめん……気が急いて。任務じゃないよ」
ロゼは足を止め、私の方へ向き直った。
「サリダに会いたかったから……」
白む吐息が空中に漂っては消え、ロゼは少し赤くなった鼻をすする。私の手を握る冷たい手に力がこもった。
「捜査官を辞めたんだ」
ロゼの言葉は過去形になっている。もう、辞めた……?
ギオクラウス国の特殊捜査官になるのは大変だと聞いた。様々な能力を求められ、優秀な人間しかなれないとユーディスが話していた、のに。
「特殊捜査官になるのは大変だったんでしょう……?」
「そうだな、もう何年も前のことだけどたくさん勉強した。ずっとやってきた仕事も簡単に辞めれたわけじゃない。……けど向こうに戻って君に会えないと思うと、俺の中で優先順位が大きく変わった」
ロゼは、もう何の迷いもなさそうに真っすぐ私を見る。
「大事な仕事を抱えてたんじゃないの……?」
「抱えてた仕事はもちろん全て片付けて、引き継ぎも終えたよ」
ロゼの真っすぐな眼差しと柔らかい笑みに、胸をぎゅっと締め付けられる。
零度あるかどうかの気温の中で、幻でも見ているんだろうか。けれど冷たい手は確かに私の手を握っている。本物かどうか反対の手で触れてみようと手を伸ばすと、私の手は微かに震えていた。
「ロゼ……。私のために仕事を辞めたの……?」
私の問いに、ロゼは静かにうなずいた。
「もう、君以上に優先させるものなんてないから。仕事ならこっちにいくらでもあるだろう。ユーディスの茶番みたいにパン屋もいいかもな」
プライベートで見せてくれるロゼの笑い方、話し方だ。
エスプレッソと甘い物が好きで。
すぐにペン先をつぶしそうな強い筆圧で、読みづらい癖のある文字を書くし。
照れている時は目を合わせてくれない。
仕事の時はとても能弁なのに、普段の会話では少し話が噛み合わないこともある。
器用ではないところも全部――。
「……サリ」
滲む視界の中、ロゼがぼやける。熱いものが溢れ出して、ロゼは私の頬を拭った。両手で拭っても追いつかず、ロゼは私を腕の中に閉じ込めた。
彼の温かいマントに包まれ、背中に腕を回して私は確かめるように彼にしがみつく。
「わ、すれようと……思ってたのに……」
何度も触れて、何度も確認する。
「ぜんぜん……だめだった……」
彼の温もり。
彼の匂い。
本物。
「サリダ、俺は――」
「私……ロゼが好きなの……っ」
簡単に忘れられると思っていた私は馬鹿だった。彼を上書きできる人なんて、どんなに探してもきっといない。こんなに人を好きになったのは、この人が初めてだったのだから。
抱き締めるロゼの腕に力がこもる。顔を埋める私の頭上でふっと息が漏れてロゼの優しい声が響く。
「……俺が先に言いたかったのに。俺もサリダが好きだよ」
ロゼの言葉で余計に目頭が熱くなる。
溢れる雫をロゼは何度も拭い、目尻にも頬にも口付ける。
「ウィスコールに来た時から、ずっと君が好きだった」
ロゼは優しく笑って私を上に向かせると、冷えた空気で白む吐息が重なった。啄むように柔く触れ、何度も確かめるように唇を重ねる。触れたところが熱くて心が震えた。
会いたかった。
声を聞きたかった。
この腕で、抱き締めたかった。
胸に閉じ込めていたものが溢れ出して堪え切れず、私は彼の腕の中で啼泣した。
「何でここに……?」
久々に会ったロゼは少し痩せて見えた。アッシュブロンドの髪が伸びて、前髪は無造作に分け、後ろは肩に付きそうな長さ。それも似合っていると呑気なことを思った。
「寒いから……帰りながら話そうか」
ロゼは私の手を引いて歩き出す。私の手を握る冷たい手は前と同じ。低音の落ち着く声も変わっていない。暖かそうなコートの上にマントも羽織ってしっかり防寒している。よく手が冷たくなるから寒がりなのかもしれない。
「……どうして、こっちにいるの?」
ロゼの顔を見上げると、少し痩せた横顔はゆっくり呼吸を整え、少し間を置いて口を開いた。
「ギオクラウス国を出てここに入国したのは昨日の夜だったんだ。この町に着いたのが明け方で。君が早番って聞いてたから、朝の内に店へ行きたかったけど起きたら昼過ぎで……、ユーディスから連絡もらった時にはもう養護院に向かってて――」
これまでの経緯を話し続けるロゼに、私は慌てて口を挟んだ。
「ちょっと待って、ここに来るまでのことを聞いてるんじゃなくてっ」
ロゼはキョトンとした顔を私に向ける。
「あなたは帰国して任務を続けてたんでしょう。どうしてまたニーリル国に来ているの? もしかしてまたこっちで任務が……?」
「ごめん……気が急いて。任務じゃないよ」
ロゼは足を止め、私の方へ向き直った。
「サリダに会いたかったから……」
白む吐息が空中に漂っては消え、ロゼは少し赤くなった鼻をすする。私の手を握る冷たい手に力がこもった。
「捜査官を辞めたんだ」
ロゼの言葉は過去形になっている。もう、辞めた……?
ギオクラウス国の特殊捜査官になるのは大変だと聞いた。様々な能力を求められ、優秀な人間しかなれないとユーディスが話していた、のに。
「特殊捜査官になるのは大変だったんでしょう……?」
「そうだな、もう何年も前のことだけどたくさん勉強した。ずっとやってきた仕事も簡単に辞めれたわけじゃない。……けど向こうに戻って君に会えないと思うと、俺の中で優先順位が大きく変わった」
ロゼは、もう何の迷いもなさそうに真っすぐ私を見る。
「大事な仕事を抱えてたんじゃないの……?」
「抱えてた仕事はもちろん全て片付けて、引き継ぎも終えたよ」
ロゼの真っすぐな眼差しと柔らかい笑みに、胸をぎゅっと締め付けられる。
零度あるかどうかの気温の中で、幻でも見ているんだろうか。けれど冷たい手は確かに私の手を握っている。本物かどうか反対の手で触れてみようと手を伸ばすと、私の手は微かに震えていた。
「ロゼ……。私のために仕事を辞めたの……?」
私の問いに、ロゼは静かにうなずいた。
「もう、君以上に優先させるものなんてないから。仕事ならこっちにいくらでもあるだろう。ユーディスの茶番みたいにパン屋もいいかもな」
プライベートで見せてくれるロゼの笑い方、話し方だ。
エスプレッソと甘い物が好きで。
すぐにペン先をつぶしそうな強い筆圧で、読みづらい癖のある文字を書くし。
照れている時は目を合わせてくれない。
仕事の時はとても能弁なのに、普段の会話では少し話が噛み合わないこともある。
器用ではないところも全部――。
「……サリ」
滲む視界の中、ロゼがぼやける。熱いものが溢れ出して、ロゼは私の頬を拭った。両手で拭っても追いつかず、ロゼは私を腕の中に閉じ込めた。
彼の温かいマントに包まれ、背中に腕を回して私は確かめるように彼にしがみつく。
「わ、すれようと……思ってたのに……」
何度も触れて、何度も確認する。
「ぜんぜん……だめだった……」
彼の温もり。
彼の匂い。
本物。
「サリダ、俺は――」
「私……ロゼが好きなの……っ」
簡単に忘れられると思っていた私は馬鹿だった。彼を上書きできる人なんて、どんなに探してもきっといない。こんなに人を好きになったのは、この人が初めてだったのだから。
抱き締めるロゼの腕に力がこもる。顔を埋める私の頭上でふっと息が漏れてロゼの優しい声が響く。
「……俺が先に言いたかったのに。俺もサリダが好きだよ」
ロゼの言葉で余計に目頭が熱くなる。
溢れる雫をロゼは何度も拭い、目尻にも頬にも口付ける。
「ウィスコールに来た時から、ずっと君が好きだった」
ロゼは優しく笑って私を上に向かせると、冷えた空気で白む吐息が重なった。啄むように柔く触れ、何度も確かめるように唇を重ねる。触れたところが熱くて心が震えた。
会いたかった。
声を聞きたかった。
この腕で、抱き締めたかった。
胸に閉じ込めていたものが溢れ出して堪え切れず、私は彼の腕の中で啼泣した。
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