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本編
18 - 2 ユーディスの提案
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「そんな顔すんな……」
「あ……。驚いただけ、で」
ロゼと別れたあの日から、私は何も変われていなかった。
誰かとデートしても家に帰ると虚しさだけが襲った。ペンダントを外していなかったから、触れることもできないと相手と揉めたりもした。それなのに、私は何も変えられなかった。
ペンダントを外すこともできず、ロゼの家を退去することもできず、彼が書いた三枚の手紙を大事に本に挟んで、時折それに触れては文字を眺めて泣いた。
こんなに感情をコントロールできないことは初めてで、私にはなす術もなく、どうすることもできなかった。時間が経てば忘れられると思っていたから……。
私はずっと、彼の存在を上書きできる人を探していた。
「泣きたい時は、好きなだけ泣けばいいさ」
ユーディスが片手で私を抱き寄せる。大柄な彼に私の体はすっぽり収まった。
「あんまり弱った姿見せてるとつけ込むぞ?」
「あは……ユーディスはそんなことしないでしょ」
「今してる」
冗談めかした声色で本気ではないのだろう。そう思ってユーディスを見上げると声色とは裏腹に、真剣な眼差しで見つめていた。
「わ……私、ギルド員と付き合えないわよ?」
「知ってるよ。ウィスコールを辞めてパン屋でもやれば解決だろ?」
ユーディスがパン屋だなんて想像できない……いやいや、そんな話じゃなくて!
ランク八の彼が簡単にウィスコールを辞めると口にするなんて信じられない。そのランクになるには、様々なスキルの習得やチームの統率力、任務の実績も多数必要だろう。どれほどの時間がかかったか、努力したか、何も知らなくとも並大抵でないことはわかる。
「……冗談、よね?」
刺すように冷えた空気に放たれる吐息が、白く漂いながら消えていく。ユーディスの意図を読もうと表情を窺うと、彼は柔らかい微笑を浮かべた。
「俺がウィスコール辞めたら真剣に考えるつもり、あるか?」
突然の提案に、私は口を開けたまま固まってしまった。ユーディスを異性として意識したことは……申し訳ないが一度もなかった。頼れる兄貴分のように思っていたから、いきなり異性として見るなんておかしくて――頭が真っ白になった。
「断らないってことは肯定と見なすけど」
冴ゆる風が小さな葉をブルーグレージュの髪に運んで悪戯をする。ユーディスは落ち着いた動作でそれを払って、私に視線を戻した。
「あ……いえ、その、突然だったから……! あの、問題はない、けど、か、考える時間をちょうだい……っ」
急に……男の顔をされても困る。体温が上がって顔が熱い。押しが強く感じられるけれど、ユーディスの手は背中に添える程度の力で、いつでも逃げられるようにしてある。
しどろもどろに答えて狼狽える私の様子に、ユーディスは声を出して笑いだした。
「ふ……ははははっ。――聞いてたか? こうやって口説けば良かったんだよ」
ユーディスが私の後ろに顔を向けた。声をかけたのは私にではない。
私も彼の視線を追って振り返ろうとした、その時。
「さっさとその手、離せって……っ」
ふわりと浮くような感覚がして、私の視界からユーディスが離れていく。正確には離れていくのは私の体の方。後ろから抱きかかえられて、持っていた布袋を地面に落とした。
私の体を抱えるその腕に触れ、私はゆっくり頭上にある顔を見上げた。
「お前の来るのがもうちょっと遅かったら、俺が新しい彼氏になる予定だったのになあ」
ユーディスはおどけた調子で話す。私を抱いている男は息も切れ切れで、ここへ走ってきたのがわかるほど呼吸が乱れていた。
「は……、こんな、養護院に行く途中のわかりにくい道に、誘い出す方がおかしいだろ……。わざとか?」
ユーディスは私が落とした布袋を拾い、私に笑顔を向けた。
「これは俺が届けるから、そこのヘタレとゆっくり話し合え。それじゃサリダ、またな」
私は一言も返すことができず、そのままユーディスの後ろ姿を見送ることになった。何がどうなっているのか、何故ここに彼がいるのか、頭が混乱したまま。
「……サリダ。こっち向いて」
私を抱いていた腕が離れると、ゆっくり振り返って彼を見た。
「あ……。驚いただけ、で」
ロゼと別れたあの日から、私は何も変われていなかった。
誰かとデートしても家に帰ると虚しさだけが襲った。ペンダントを外していなかったから、触れることもできないと相手と揉めたりもした。それなのに、私は何も変えられなかった。
ペンダントを外すこともできず、ロゼの家を退去することもできず、彼が書いた三枚の手紙を大事に本に挟んで、時折それに触れては文字を眺めて泣いた。
こんなに感情をコントロールできないことは初めてで、私にはなす術もなく、どうすることもできなかった。時間が経てば忘れられると思っていたから……。
私はずっと、彼の存在を上書きできる人を探していた。
「泣きたい時は、好きなだけ泣けばいいさ」
ユーディスが片手で私を抱き寄せる。大柄な彼に私の体はすっぽり収まった。
「あんまり弱った姿見せてるとつけ込むぞ?」
「あは……ユーディスはそんなことしないでしょ」
「今してる」
冗談めかした声色で本気ではないのだろう。そう思ってユーディスを見上げると声色とは裏腹に、真剣な眼差しで見つめていた。
「わ……私、ギルド員と付き合えないわよ?」
「知ってるよ。ウィスコールを辞めてパン屋でもやれば解決だろ?」
ユーディスがパン屋だなんて想像できない……いやいや、そんな話じゃなくて!
ランク八の彼が簡単にウィスコールを辞めると口にするなんて信じられない。そのランクになるには、様々なスキルの習得やチームの統率力、任務の実績も多数必要だろう。どれほどの時間がかかったか、努力したか、何も知らなくとも並大抵でないことはわかる。
「……冗談、よね?」
刺すように冷えた空気に放たれる吐息が、白く漂いながら消えていく。ユーディスの意図を読もうと表情を窺うと、彼は柔らかい微笑を浮かべた。
「俺がウィスコール辞めたら真剣に考えるつもり、あるか?」
突然の提案に、私は口を開けたまま固まってしまった。ユーディスを異性として意識したことは……申し訳ないが一度もなかった。頼れる兄貴分のように思っていたから、いきなり異性として見るなんておかしくて――頭が真っ白になった。
「断らないってことは肯定と見なすけど」
冴ゆる風が小さな葉をブルーグレージュの髪に運んで悪戯をする。ユーディスは落ち着いた動作でそれを払って、私に視線を戻した。
「あ……いえ、その、突然だったから……! あの、問題はない、けど、か、考える時間をちょうだい……っ」
急に……男の顔をされても困る。体温が上がって顔が熱い。押しが強く感じられるけれど、ユーディスの手は背中に添える程度の力で、いつでも逃げられるようにしてある。
しどろもどろに答えて狼狽える私の様子に、ユーディスは声を出して笑いだした。
「ふ……ははははっ。――聞いてたか? こうやって口説けば良かったんだよ」
ユーディスが私の後ろに顔を向けた。声をかけたのは私にではない。
私も彼の視線を追って振り返ろうとした、その時。
「さっさとその手、離せって……っ」
ふわりと浮くような感覚がして、私の視界からユーディスが離れていく。正確には離れていくのは私の体の方。後ろから抱きかかえられて、持っていた布袋を地面に落とした。
私の体を抱えるその腕に触れ、私はゆっくり頭上にある顔を見上げた。
「お前の来るのがもうちょっと遅かったら、俺が新しい彼氏になる予定だったのになあ」
ユーディスはおどけた調子で話す。私を抱いている男は息も切れ切れで、ここへ走ってきたのがわかるほど呼吸が乱れていた。
「は……、こんな、養護院に行く途中のわかりにくい道に、誘い出す方がおかしいだろ……。わざとか?」
ユーディスは私が落とした布袋を拾い、私に笑顔を向けた。
「これは俺が届けるから、そこのヘタレとゆっくり話し合え。それじゃサリダ、またな」
私は一言も返すことができず、そのままユーディスの後ろ姿を見送ることになった。何がどうなっているのか、何故ここに彼がいるのか、頭が混乱したまま。
「……サリダ。こっち向いて」
私を抱いていた腕が離れると、ゆっくり振り返って彼を見た。
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