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本編
06 - 1 記憶がない女性
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太陽が天頂を通過し、影も伸び始めた頃。
仕事を終えた私は日差しを避けるように、甘い香りの漂う建物の軒下に佇んでいた。子供の頃のご褒美で心躍らされた小麦の焼ける甘い香り。
私が背にしているのは青いファサードが目立つ、昔からある老舗のお菓子の店だ。陳列窓から見える色とりどりのお菓子は見ているだけでワクワクする。フラリと足が向いてしまいそうだが、甘い誘惑を何とか打ち破っていた。
前回待ち合わせた時もそうだったが、何故この店の前を指定したのか些か謎だった。美味しい香りのする場所から、悪臭漂う下水道へ連れて行かれたから悪意でもあるのかと疑ったくらいだ。
「――サリダ、もう来てたんですね」
声のした方へ顔を向けると、声の主はお菓子の店の中から出てきた。きっと私は間抜けな顔をしていただろう。もう店の中にいたなんて予想外で。
ロゼはいつもの見慣れた魔導士コートを着ておらず、朝着ていたラフな格好に深緑の軍用ジャケットを羽織っていた。朝との印象に懸隔があり、ほとんどウィスコール内でしか顔を合わさない私は彼の姿に目を奪われた。
「……何です?」
私が何も言わず彼を見ていたからおかしく思ったのだろう。
「あ……、いえ。お菓子のお店にいたなんて思ってなかったから」
まさか見とれていたなんて言えるわけもなく、私の中にあったもう一つの所感だけを口にした。
「今の顔は驚いていたんですか」
見とれていたのを見透かされたのかもしれない。そう思うと僅かに顔が熱くなる。そんな私の様子もお構いなしに、ロゼは当たり前のように自然に私の手を取った。
「とりあえず行きましょうか」
「ロゼ、今日はどこへ向かうの?」
「行けばわかりますよ」
行き先も言わず足を進めるロゼ。指を絡めてしっかりと繋がれた手に導かれ、ついて行く私。まるで恋人同士みたいで当惑する。割り切って体の関係に、なんて提案しておいてこれは、こんなこと、……意識しない方が難しい。一体私をどうしたいんだろう。
それに私がここへ来たのは、ユーディスに付き合ってやってくれと頼まれたからだ。決して来たかったからじゃない。
暖かい陽射しの中、少しひんやりした春風が私たちの間を通り抜けていく。先ほど漂っていた甘い香りがロゼの方から感じられ、衣服に匂いが移ったのかと思っていると、彼のもう片方の手に大きな紙袋が握られていた。
「もしかしてさっきの店でお菓子を買ったの?」
「ええ。これを今から届けるんです」
「へえ……。そんな仕事もあるのね」
私は何を手伝えばいいんだろう。彼にそれを尋ねても私の欲する答えは得られず、ラモントでの仕事のことや、誰と会話をしたかなどポツリポツリと聞かれた。
「そういえば仕事が終わる前、レオンに言われたわよ。今後の配達は執務室と鍛冶工房のみになったって。一体、上になんて言ったの?」
本当に驚いたけれど、ロゼの言ったことがもうウィスコールで通っていたのだ。
「店員が配達から戻らないと店内が忙しいみたいだ、と話しただけですよ」
「本当にー?」
「本当ですって」
配達を利用してアスターにどこかへ呼び出される、というようなことは今後なくなる。配達に時間を取られることもなくなり、それには私も安堵したけれど、朝話したことが昼にはもう話が通ってるなんて早すぎる。ロゼは一体どうやって上に話をしたんだろう。何度尋ねても同じ答えしか返ってこなかった。
三十分ほど歩き、町の中心部から少し離れた辺りまで来ると、古びた建物が見えてきた。
石造りの古い建物で一階の建物が横に広がり、中央に大きな時計塔がある。敷地の周りは柵で囲まれ、中央に大きな門が構えている。
ロゼが門扉のドアノッカーを叩いて少し待つと、中から壮年の女性が笑顔で迎えてくれた。
「ようこそ、お越しくださいました! さあ、中へどうぞ」
仕事を終えた私は日差しを避けるように、甘い香りの漂う建物の軒下に佇んでいた。子供の頃のご褒美で心躍らされた小麦の焼ける甘い香り。
私が背にしているのは青いファサードが目立つ、昔からある老舗のお菓子の店だ。陳列窓から見える色とりどりのお菓子は見ているだけでワクワクする。フラリと足が向いてしまいそうだが、甘い誘惑を何とか打ち破っていた。
前回待ち合わせた時もそうだったが、何故この店の前を指定したのか些か謎だった。美味しい香りのする場所から、悪臭漂う下水道へ連れて行かれたから悪意でもあるのかと疑ったくらいだ。
「――サリダ、もう来てたんですね」
声のした方へ顔を向けると、声の主はお菓子の店の中から出てきた。きっと私は間抜けな顔をしていただろう。もう店の中にいたなんて予想外で。
ロゼはいつもの見慣れた魔導士コートを着ておらず、朝着ていたラフな格好に深緑の軍用ジャケットを羽織っていた。朝との印象に懸隔があり、ほとんどウィスコール内でしか顔を合わさない私は彼の姿に目を奪われた。
「……何です?」
私が何も言わず彼を見ていたからおかしく思ったのだろう。
「あ……、いえ。お菓子のお店にいたなんて思ってなかったから」
まさか見とれていたなんて言えるわけもなく、私の中にあったもう一つの所感だけを口にした。
「今の顔は驚いていたんですか」
見とれていたのを見透かされたのかもしれない。そう思うと僅かに顔が熱くなる。そんな私の様子もお構いなしに、ロゼは当たり前のように自然に私の手を取った。
「とりあえず行きましょうか」
「ロゼ、今日はどこへ向かうの?」
「行けばわかりますよ」
行き先も言わず足を進めるロゼ。指を絡めてしっかりと繋がれた手に導かれ、ついて行く私。まるで恋人同士みたいで当惑する。割り切って体の関係に、なんて提案しておいてこれは、こんなこと、……意識しない方が難しい。一体私をどうしたいんだろう。
それに私がここへ来たのは、ユーディスに付き合ってやってくれと頼まれたからだ。決して来たかったからじゃない。
暖かい陽射しの中、少しひんやりした春風が私たちの間を通り抜けていく。先ほど漂っていた甘い香りがロゼの方から感じられ、衣服に匂いが移ったのかと思っていると、彼のもう片方の手に大きな紙袋が握られていた。
「もしかしてさっきの店でお菓子を買ったの?」
「ええ。これを今から届けるんです」
「へえ……。そんな仕事もあるのね」
私は何を手伝えばいいんだろう。彼にそれを尋ねても私の欲する答えは得られず、ラモントでの仕事のことや、誰と会話をしたかなどポツリポツリと聞かれた。
「そういえば仕事が終わる前、レオンに言われたわよ。今後の配達は執務室と鍛冶工房のみになったって。一体、上になんて言ったの?」
本当に驚いたけれど、ロゼの言ったことがもうウィスコールで通っていたのだ。
「店員が配達から戻らないと店内が忙しいみたいだ、と話しただけですよ」
「本当にー?」
「本当ですって」
配達を利用してアスターにどこかへ呼び出される、というようなことは今後なくなる。配達に時間を取られることもなくなり、それには私も安堵したけれど、朝話したことが昼にはもう話が通ってるなんて早すぎる。ロゼは一体どうやって上に話をしたんだろう。何度尋ねても同じ答えしか返ってこなかった。
三十分ほど歩き、町の中心部から少し離れた辺りまで来ると、古びた建物が見えてきた。
石造りの古い建物で一階の建物が横に広がり、中央に大きな時計塔がある。敷地の周りは柵で囲まれ、中央に大きな門が構えている。
ロゼが門扉のドアノッカーを叩いて少し待つと、中から壮年の女性が笑顔で迎えてくれた。
「ようこそ、お越しくださいました! さあ、中へどうぞ」
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