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第5話 逃避

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 どれくらい走っただろう。
 またにげた。にげてばかりだ。
『自分の性別からもにげているのよね!』
 姫香ちゃんのその言葉は、今までのどんな言葉よりもグサリときた。
 『性別からにげる』……か。
 屋上につづく階段に、かくれるように身をひそめて座った。
 屋上は立ち入り禁止だから、ここに人が来ることはほどんどないだろう。
 服のそでをハンカチ代わりに、なみだをふいた。
 ……ああ、音楽室にもどりたくないな。このまま帰ってしまおうか。
 そんなことを思っていると、階段を上る音が聞こえた。
(まずい、だれか来る)
 わたしは移動しようと立ち上がったところで、もうおそかった。
「なんだ、こんなところにいたのか」
 走ってきたのだろうか。息を切らしながら、階段を一段ずつ上ってきたのは陽だった。前からは陽が、後ろにはかぎのかけられた屋上のドアが。
 にげようにも、にげられない。
「……」
 わたしは気まずくなって、陽から目をそらした。
「先生が心配してる」
「……いや。もどりたくない」
 わたしは首を横にふった。
 陽だけでなく、他のみんなにもわたしのことを知られてしまった。
 わたしが男の子のかっこうをして、サッカーをしているということを。
 陽は急にわたしの左手首をつかんだ。
「えっ?」
「ごめん。無理にキーパーやらせたから、それでいためたんだろ」
 センリの話だ、とすぐわかった。
「あれは……! ぼくが……いや、わたしがやるって言って――」
(あれ? 今『センリ』と『チサト』、どっちを演じているんだっけ)
 陽は、混乱しているわたしの目をまっすぐ見つめた。
「もういいから。男とか、女とか、そういうの。おれは気にしてない」
「……え?」
 ひょうしぬけして、わたしはポカンと口をあけた。てっきり、またからかわれるのかと思っていた。表情一つ変えず、彼はたんたんとそう言ったのだ。 
「……それより、どうして指のことが――」
「弦を移動させるとき、かばっているようにみえたんだ。左の人差し指を」
「え?」
 自分でも気づかなかった。
 どうして一番遠くで見ていた陽が、こんなに細かなところに気づいたのだろうか。
「えっと……。指はだいじょうぶだから、その――」
「え? ……っ! 悪い! いたかったか?」
 ハッとしたように、陽はわたしの右手首をはなした。
 そのときのあわてている様子がおもしろくて、わたしは少しだけ笑った。
 『チサト』のときに、久しぶりに笑ったかも。
「先にもどるからな、千里ちさと。早く来いよ」
 陽はわたしに背を向けてそう言うと、速足に階段を下りて行った。
 彼の姿が見えなくなると、わたしは痛めた左の人差し指を右のてのひらで優しく包みこんだ。
「……ありがとう、陽」
 わたしは小さくつぶやくと、音楽室に向けての一歩をふみ出した。
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