Ordinary

宮塚恵一

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タイムカプセル

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 台所で米を研いでいたら、樹里が脇腹を小突いてきた。
「またトイレットペーパーの芯、捨ててなかったろ」

 樹里は両手を腰に当て、抗議の眼で俺を睨む。

「ごめんて」

 捨てようとは思って、と言おうとして、呑み込んだ。

「明日のお弁当、もう一品樹里の好きなモノ入れるから」
「……まあ、よろしい」

 樹里は溜息をつき、もう一度俺は脇腹を小突く。

「ピーマンの肉詰め」
「了解」

 俺の返事を聞いて、満足げに頷くと、樹里はリビングへ戻った。

 俺は冷蔵庫を覗き、材料がないのを確認すると、出かけてくる、と伝えて、近くのスーパーへ向かうことにした。

 もう冬も近いのに温めの空気が肌を触る。明日はもう少し涼しいと良いな、などと考えながら車を走らせて、ピーマンと挽肉を買う。

 家に帰ると、樹里は風呂から出たばかりのようで髪の毛をタオルで拭きながら、おかえり、と出迎えてくれた。

「風呂入れる?」
「入れるよ。ちゃんとお湯入れたから」
「おっけー。じゃあ先に入っちゃう」

 買ってきた食材を冷蔵庫にしまい、脱衣所に向かった。湯船に浸かり、深く息を吐く。

 明日から連休を利用して、樹里の祖父母のいる新潟に遊びに行く予定だ。樹里が祖父母に会うのは数年ぶりと言うし、それに大切な用事もある。
 俺の方が緊張していても仕方がないのだが、心臓の鼓動が高まっているのは、湯に浸かっているというのだけが理由ではないだろう。

 風呂から出て、樹里が就寝準備をしている間に、ピーマンに挽肉を詰めてしまう。新潟に行くまでの道中、公園に寄って一緒に家から持って行ったお弁当を食べるつもりだから、明日の朝、すぐにお弁当を作れるようにしている。

 一通りの仕込みを終えて、二人一緒にベッドに入った。

「なあ」

 仰向けで寝ていた樹里が小さな声で呼びかけた。

「腕借りても良いかな」
「良いよ」
「ありがと」

 樹里の頭に左腕を伸ばす。樹里は俺の方を向き直し、俺の腕を枕にした。
 明日のことについて、樹里は何も口にはしなかったが、やはり不安なのだろう。
 俺は反対の腕を樹里の背中に回した。
 樹里は何も言わず、頭を俺の胸に当て、また小さく感謝の言葉を口にした。

 朝起きると、既に樹里が髪の毛を手入れしていた。

「起きた?」
「早いね」
「目が覚めちゃって」
「何時?」
「4時くらい。もう一眠りってのもできなくてさ」
「そっか。朝ご飯は?」
「まだ」
「んじゃお弁当と一緒に作るよ」

 俺は起き上がり、顔を洗ってから台所に立った。昨日仕込んだ具材を冷蔵庫から取り出して、お弁当を作った。簡単に味噌汁と目玉焼きも作り、リビングに持って行った。

 朝食を食べ終えて、二人で荷物を持って車に乗り込んだ。樹里はいつもより食が進まず、早く起きてしまったのもやはり昨夜から緊張が解れていないからなのだろう。
 公園までと高速に乗るまでは樹里の運転だ。運転は、樹里の覚えていた数少ない技能で、俺なんかより余程ハンドル捌きは上手い。だから長い距離を走る時は基本的に樹里が率先してハンドルを握っていた。

 運転する間、樹里はいつものように好きな音楽を流して口ずさんでいたが、ふと赤信号に引っかかるのと同時にそれを止めて、
「新潟って行ったことある?」
 と尋ねてきた。
「小さい頃に旅行で行ったきりかな」
「へー、何しに?」
「スキーしに」
「うっそ、スキーできんの? 初耳」
「子どもの頃に行ったことあるってだけだよ」

 少し強張っていた樹里の表情が、それで少し和らいだみたいで。少しだけ歌う声も大きくなったようだった。

 公園に到着し、二人でお弁当を持って公園のベンチに座った。
 お弁当箱を開け二人の間に置く。

「お、ちゃんと肉詰めある」
「そりゃあね」
「ありがと。じゃ、いただきます」

 樹里はピーマンの肉詰めをひょいと箸で掴み、一口で頬張る。樹里がそのパッチリとしたアーモンドアイの眼で、美味しそうにご飯を食べる姿を見るのは好きだ。
 その笑顔に俺も釣られて笑い、二人で一品一品、味を楽しんだ。

 高速道路に乗り、サービスエリアで運転を変わったりしながら、樹里の祖父母の家に着いた。

「樹里ちゃん、お久しぶりねえ」
 と、嬉しそうな祖父母に対して、樹里はどう振る舞うか迷っているようだったが祖父母共、
「大丈夫よ」
 と、優しく出迎えてくれた。

 目当てのものは、リビングのテーブルの上にあった。
 金属製の四角い缶。元はお菓子の入れ箱か何かなのだろうけれど、周りは錆びていて何の箱なのかはわからない。

「掘り起こしてもらってから、土は落としたんだけどねえ。わたしらは茶でも淹れてくるから、ゆっくり見てもらって大丈夫」
「ありがとうございます」

 俺と樹里は、同時に祖父母に頭を下げた。それを見てお二人とも「仲が良ろしいのね」と朗らかに笑ってくれた。

「どうする? 自分で開ける?」
「ああ」

 俺の問い掛けに、樹里は頷いた。
 両手で缶を持ち、ゆっくりと蓋を開ける。錆び付いてしまったせいで少し開けづらくはあったようだけれど、問題なく中を見ることができた。

 中には、フォトアルバムや日記が入っていた。その一つ一つを手に取り、樹里と俺は目を通して行く。

 何年か前に、樹里が埋めたタイムカプセル。祖父母の家に植わっていた木が朽ちてしまい、撤去作業をしていたら、木の根元にこの缶が埋まっているのを発見したらしい。

 一頻り中身を見て、樹里は俺の顔を見た。

「何にもピンと来ないや。何を思ってタイムカプセルを埋めたのかもわかんないし。昔のあたしは昔のあたし。全然違う」
「それがわかって良かった?」
「ああ」

 樹里はすっくと立ち上がり、自分の顔を叩いた。
 祖母が部屋の戸を開け、お茶を持ってきてくれたのとほぼ同時だった。

「あら、もう良いの?」
「ありがとう、おばあちゃん……で良いのかな? お茶、持ちますよ」
「そう。ゆっくりしていって構わないからね」
「ええ、お休みの間はしばらく、よろしくお願いします」

 先程とは打って変わり、樹里は吹っ切れたように祖母に挨拶すると、二人分のお茶を受け取り、俺の側に座って脇腹を小突いた。

「ほら! せっかく新潟まで来たんだから! 一休みしたら目一杯観光! 行くよ!」

 その顔は先程、彼女の祖父母が見せた朗らかな笑顔とよく似ていた。


 樹里の実家──両親と一緒に住んでいた家が火事になったのはもう六年前。火は家一棟を丸ごと呑み込み、全てを灰にした。
 火事が消したのは、彼女の家と両親だけではなかった。火事の中、助け出された樹里が昏睡状態から目覚めた時から、彼女の記憶は、火事以前のものが全て、なくなっていた。

 彼女の記憶に残っていたのは、車の運転技能や高校から続けていたギターの弾き方、大学から学んでいた分子生物学の知識の一部など、そう多くはなく、人間関係や自分自身の記憶は、何も残っていなかったという。

 当時、樹里とは大学時代からの友人だった俺は、他の友人達とも彼女の記憶が戻ることはないかと手を尽くそうとしたが、上手くはいかなかった。それから彼女と居る時間も増え、四年前から俺は、樹里と一緒に住み始めた。

 そんなところに、記憶を失う前の樹里が埋めたタイムカプセルを見つけたと言う連絡を貰ったのだ。以前の樹里の私物は、火事でほぼ全てが燃えてしまっており、以前の樹里のモノと言える貴重な品の発見に、俺たち二人は驚いた。
 だけど、樹里にとって、昔の自分の写真や日記を見たところで、それが自分のものであるという感覚は、どうしても持てなかったらしい。

「良いんだよ。それよりさ、スキーしたことあるって言ってたじゃん。スキー場、開てないのかな?」
「もう早いとこは開いてるんじゃないかな」
「じゃあ、行こう! スキー、教えてくれよな!」
「いや、だからそれは子どもの時だけで……」
「いいからいいから!」

 樹里は俺の脇腹を小突き、歩き出す。俺は彼女を見失わないように、樹里の手を握った。
 樹里は少しだけ、驚いたような顔をして、でもすぐに朗らかな笑顔を向ける。

 連休は始まったばかりだった。
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