隔ての空

宮塚恵一

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5th episode 〔zombie〕

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 空に円が見えることを言った時、知り合いにはほとんどに、嫌な顔をされた。

 あの円はただ見えるだけ。

 幽霊を見ることができる、と主張しているのと何ら変わりはない。
 そんなことを真剣に言おうものなら、良いとこ変わり者扱い、大抵の場合は嘘つき呼ばわりなのだ。

 だから、何度か円の話をしているうちに、元々そう多くはない友人とは自然と距離遠くなったし、他に同じような知り合いもいない。

 そんな中で、興味津々で話しかけてくれた咲凜は、正直な話、救いだった。

「円が見えるってのは君!? ねえねえ、もっとその話詳しく!!」

 咲凜にとっては百パーセント純粋な好奇心だったろうけど、そんな風に僕の話を何の疑いもなく聞いてくれる人は、新鮮だった。

 だから咲凜には出来るだけ協力する。ああして僕と友達になってくれた恩返しをしたくて。

 そう、思っていたけれど。

 校門前の男がかざしたスマホ写真。その中に写る咲凜の背後に、バスケットボールが見えた。
 
 だから阿澄さんが森から駆けつけて、庇ってくれた後、僕が真っ先に向かったのは体育倉庫だった。
 校門をよじ登り、一直線に校庭の奥にある体育倉庫を目指した。鍵がかかっているはずの倉庫の扉は開いていて、当たりだと確信した。
 咲凜の無事を確認して、連れ出す。
 それからはどうしたらいい?
 まずは警察署だろうか。阿澄さんのことは伏せるとして、不審者に襲われたのだからそれが正解だと思う。
 咲凜も男の顔は見ているだろうし、一緒に証言すれば……。

 そんなことを考えていたけれど、一気に思考全てが、頭から消え去る。

 僕は膝から崩れ落ちる。理解はできない。納得もできない。

 でもじゃあ、倉庫を開けた先にある、をどう捉えたらいい。

 僕は人の形をしたそれに近づき、触ろうとした。

「生かしているわけがない」

 だが、僕は肩を掴まれ、乱暴に押し飛ばされる。
 男が顔や腕、色々なところを負傷しながらも、僕の前に立っていた。

「その子を拐かしたのは勘違いだったけど、生かしておけば、その子は僕のことを誰かに言うだろ。円の見えない者を殺したのは不本意ではあるが、リスク管理だ。仕方ない」

 男の言葉のほとんどが、僕の耳を通り過ぎていくけれど、男も僕に話していると言うより、ただくどくどと独り言をつぶやいているだけのようだった。

「阿澄さん、は……」
「あの女のこと? 苦労したけど、首を焼き切った。彼女の殻には、僕の炎も効かなかったからね。君も残念だったね。あの女がどうして君を庇ったのか知らないけれど、それも関係ないな」

 男は、僕を指さす。

「君も円が見える。ならば死なないといけない」
「どうして」
「円が見える者は、異端だよ。世界の異端。あの円は世界の綻びだ。だから、あの綻びを見える者は世界の綻びの影響を受けるんだ。を持つんだよ。異能は更に世界に綻びをうみ、その綻びからまた世界が綻ぶ。だから、円が見える者は死ぬべきだ。世界のために。僕はそれを実行できる。だから死んでもらう」

 そんな到底理解できない言葉を冷静に語る男を見ていて、その男の声をどこかで聞いたことがある理由に思い至った。

「ユークリ?」

 僕がつぶやくと、優しげな声で男は息を吐いて笑った。

「耳が良いんだな、君は」

 男は再び、倒れる僕に向けて手を掲げた。男の掌に、さっきと同じように炎が集まる。にわかには信じられない光景だけれど、間違いなく僕の目の前で熱気が強く圧縮され、男の掌に集約される。

「君はまだ異能を持たないようだが、だからこそ今のうち消えるべきだ。君も世界の脅威になんてなりたくないだろ」

 それでもやっぱり、意味がわからない。

 この男の話す言葉の一つとして、理解できるものがない。
 男の炎から逃げようと、手を伸ばして、焼け果てた死体の指が僕の手に触れた。

 信じたくないと言う陰りと、胸の奥から湧き上がる爆発しそうな激情が同時に僕の頭を占める。

 わからない。わからないわからない。
 だけど、この男は。

 僕は強く唇を噛む。
 口から顎へ、つうと血が垂れる。
 震える手で倉庫の床を無意識に引っ掻いて、爪もぼろぼろになる。
 顔が熱くなり、大声で叫び散らかしたかった。

「僕は世界を正せる。そのための力がある。だから、その責任もある。円が見える世界の綻び全てを滅ぼして、最後には自分を燃やす」

 そうして相変わらず、くどくどと語る男の身体に、影がさした。

 僕は男の背後にそびえる巨体を見上げた。
 男も違和感に気付き、振り向いたが、遅かった。

「あ」

 男の胸が、貫かれる。
 阿澄さんが、右手のハサミを背中から男の胸に刺していた。

「? 確かに首を焼き切ったのに」

 男の掌に集まっていた炎の玉が、急速に鎮火した。
 阿澄さんが右手を男の胸から引き抜く。
 そのままどさりと仰向けに男は倒れた。
 どくどくと血が倉庫内に流れて行く。

「いや、そうか。わかった。とっくに死んでいたのか」

 弱々しい瞳で、男は改めて僕を見た。

「まだ異能を持たないなんて、とんでもない。僕が戦っていたのは、君だったのか」

 続いて自身を見下ろす阿澄さんを見上げた。

「気付いていたか? この女はずっと、死んでいたんだ。おい君、君だよ。彼女を動かしていたのは」

 未だ言葉を紡ぎ続ける男に飽きたかのように、阿澄さんの脚が、男の顔を踏み潰した。

「阿澄さん……」

 阿澄さんの顔は、火傷でひどく崩れている。いや、崩れているなんてもんじゃない。

 上頭部は燃え尽きている。

 鼻から下だけの顔のまま、阿澄さんは男の胸元をハサミで探った。

 阿澄さんは男のワイシャツの内ポケットから、ネックレスを取り出した。

 そのネックレスは、阿澄さんが塾のティーチングアシスタントだった時にも毎日身に付けていたものだ。

 ああそうか。
 阿澄さんが夜な夜なその姿のまま、街を探していたのはそれなのだと、わかった。
 それが何かは僕にはわからないけれど、阿澄さんにとっては、とても大切なものだったのだろう。

 阿澄さんは、ハサミで傷つけないように、ぎゅっとそれを自身の胸に抱く。

 ありがとう。

 彼女の口がそう、動いたかと思うと、さらさらと彼女の身体はまるで砂のように崩れ、風に吹かれていった。
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