Sub侯爵の愛しのDom様

東雲

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「あの方をどうにかして下さい! あなたの弟でしょう!」
「阿呆! 三十過ぎのガキのお守りなんぞやってられるかっ!」

ガン!ガン!と木刀が激しくぶつかる音が響く鍛錬場で、大男二人が大声で言い合いながら木刀を振るう。
見た目だけなら白熱した模擬戦だが、会話の内容は酷く、人払いをした中で見守っている陛下の側近達は呆れ返っていた。


メリアにマクシミリアンの粘着から助けてもらった日から約一週間。あの後も、顔を合わせれば嫌味を言われるのは変わらなかった。
それどころか、メリアの時に話を無理やり切り上げたのが気に食わなかったのか、以前にも増してネチネチと言われるようになってしまった。
もういい加減にしてくれ───あまりのしつこさに辟易へきえきとしていたところに、オードリックから鍛錬の誘いがあり、積もり積もったストレスをオードリックにぶつけるように木刀を振るった。

「六年も前のことをいつまでも…! 私だって好き好んで目立った訳ではありません!」
「それは知ってる! 悪かったとは言えんがすまないことをしたと思ってる!」

当時、オードリックはまだ王太子であり、パレードを決行したのは父君である前陛下だ。
現国王として、騎士達を讃える華やかな過去を否定するようなことは言えない。それでも、友として私を気遣ってくれる言葉に、木刀を振るう力を弱めた。

「…過去のことはもういいのです。それよりも! 今です!」
「くっ…!」

地面を強く踏み締めるように一歩を踏み込み、緩急のついた隙を狙い、大きく腕を振るう。バキッという木が軋むような音と共にオードリックの手にしていた木刀が吹き飛び、クルクルと回転しながら遠くの地面に落ちた。

「はぁ……はぁ…」
「はぁ……今日はここまでだな」

互いに肩で息をしながら、額に滲んだ汗を拭う。ちょっとした鍛錬のつもりが、随分と本気で動いてしまっていたらしい。

「マクシミリアンのことは、我慢する必要はない。言い返してやれ。アレの言に歯向かったところで、不敬罪になどならん」
「余計うるさくなるだけだと思うのですが…」
「ぎゃあぎゃあ言うようならこちらで教育してやる。はぁぁ…みっともないことばかりしているから、周りの目が厳しくなるというのに……本当に馬鹿で困る」

眉根に深い皺を刻むオードリックに、多少の申し訳なさは感じるが、陛下公認で言い返す権利を得たことに、内心「よし」と拳を握り締めていた。
兄弟仲が良好とは言えないからこそ、オードリックはマクシミリアンとの接触を嫌がるが、この件に関しては助力してくれるらしい。
とは言え、思う存分体を動かしながら胸の内を吐き出したおかげか、気持ちはだいぶスッキリしていた。

「いざという時は頼りにしていますよ、陛下」
「まったく…息子の方がよほど利口だぞ」

御年十歳になられる第一王子と比べられるマクシミリアンに閉口しつつ、現状一番の面倒事が減らせそうなことに足取りは軽くなり、オードリックと共に鍛錬場を後にすると、晴れやかな気持ちで財務部へと戻った。



(遅くなってしまったな)

オードリックの鍛錬に付き合うのは、いつも仕事終わりだ。日中は互いに職務がある為、致し方ないことだが、今日は打ち合いに熱中してしまい、少しばかり帰りが遅くなってしまった。
人気の無くなった廊下を進み、財務部の部屋の扉を開ける───と、暗くなっているとばかり思っていた室内は仄かに明るく、首を傾げながら中に入れば、思いがけない人物がそこにいた。

「……メリアくん?」
「ベルナール様、おかえりなさいませ」

暗い部屋中、自席の周りにだけ明かりを灯したメリアがそこにいて、驚きから目を見開いた。

「どうしたんだ? 帰ったはずじゃ…」
「ええ、一度帰ろうとしたのですが、やり残していたことを思い出して戻ってきました。ベルナール様もまだお帰りではなかったので、待っていようかと思いまして…」

自分を待っていた。
純粋なまでに己に向けられた好意的な発言は、妙に胸を擽り、なんと返していいのか言葉に迷ってしまうほどだ。

「…ありがとう。随分待たせてしまっただろう? 一緒に帰ろう」

「一緒に帰ろう」と言っても、馬車に乗るまでの短い道のりを歩くだけだ。そんな僅かな時間の為に待っていたメリアを申し訳なく思いつつ、自席に向かえば、メリアがそっと席を立った。

「陛下と鍛錬をされてきたのですよね? 少しお体を休めてからお帰りになりませんか?」
「いや、しかし、メリアくんも帰りが…」
「僕のことならご心配なく。お茶をご用意しておりますので、少しだけお休みになって下さい」
「え?」

見れば、メリアの机の上には可愛らしいティーコゼーとティーカップが揃っていた。
準備の良さにポカンとしている間に、砂糖を落とした温かなミルクティーがカップに注がれ、目の前に置かれた良い香りを漂わせるそれに、パチリと目を瞬いた。

「…わざわざ、用意して待っていたのか…?」
「わざわざというほどではございません。…一休みしてほしかったのも本当ですが、お茶を飲みながら、少しお話できる時間があればいいなぁと思った、僕の我が儘です」
「それは……その、…ありがとう。…お言葉に甘えて、一休みしていこうか。その間、話し相手になってくれるかな?」
「はい。喜んで」

ニコリと微笑むメリアに、そわそわと妙に落ち着かない気持ちになる。
最近のメリアは、今まで以上に真っ直ぐな言葉で気持ちを口にするようになり、ドキリとすることが増えていた。好意的な子だとは思っていたが、どんどんと言葉選びが大胆になってきている気がするのだ。
素直なのは良いことなのかもしれないが…と、少しばかりドギマギしながら腰を落ち着けると、カップに口を付けた。

(…美味しい)

自分の好みに合わせて淹れられたミルクティーは、動き回り、疲労の残った体にじんわりと染み込むような味で、その甘さにホッと気持ちが和らいだ。

「美味しいよ」
「ありがとうございます」
「…ミルクが変わったのかな?」
「はい。キッチンメイドに頼んで、仕入れてもらいました」
「…仕入れた?」
「ベルナール様のお好みに合うものを、と思いまして」
「……そう、か」

サラリと告げるメリアに、それがどれほどのことなのかよく分からなくなる。
傍らに佇むメリアを見つめつつ、素直に美味しいと喜んでいいのか分からなくなってきた紅茶をもう一口飲めば、やはり口の中には幸福感が広がった。

「ああ、そうでした。こちら、明日の会議でお使いになる資料ですが、まとめておきましたので明日にでもご確認下さい」
「え…?」

コクコクと甘い紅茶を飲んでると、机の上に紙の束をそっと置かれた。
それはメリアに振り分けた仕事ではないはず…そう思い、困惑しながら彼を見上げれば、にこやかな笑みが返ってきた。

「こちらの資料を受け取りに、別棟に行かれるご予定でしたよね? あまりお外に出ると、また王弟殿下に遭遇しかねませんので、先に揃えておきました」

当然のように告げるメリアに、驚きから目を見開いた。
メリアが自分の明日の予定を把握していたことにも驚くが、その為にどのように動くかを予測し、その上でマクシミリアンと鉢合わせする可能性まで考えて行動してくれたことに、口を半開きにしたまま固まってしまった。

マクシミリアンとのいざこざについては、メリアにもほんの少しだけ、胸の内のモヤモヤを吐き出していた。だがそれに対し、メリアが特別気を遣う必要など無かったのだ。
にも関わらず、先を見越し、その上でマクシミリアンとの接触を避けるべく動いてくれた彼のありとあらゆる能力の高さに、ただただ感心してしまった。

「……申し訳ございません。出過ぎた真似を…」
「あ、いや、違うんだ! 少しびっくりしてしまって…色々気を遣ってくれて、ありがとう。助かるよ」
「…ご迷惑ではございませんか?」
「まさか。すごく助かるし、とても有り難いよ」

嘘偽りない、本当の気持ちだった。
驚きから黙り込んでしまったことで、不安にさせてしまったのだろう。しょんぼりと顔を伏せるメリアに、手にしていたカップをソーサーに戻すと、慌てて体ごと向き直った。
人によっては過干渉と思われてしまうかもしれないが、自分にはただただ有り難かった。
マクシミリアンとのこともだが、普段の業務に関してもさりげないメリアのサポートのおかげで、非常に助かっているのだ。
そこではたとあることに気づき、俯くその顔を覗き込むように見上げた。

「…もしかして、これを揃える為に残っていたのかい?」
「……はい。勝手なことをして、申し訳ありません」
「メリアくん、謝らないでくれ。本当に嬉しいし、助かるよ。…いつもありがとう」
「…お褒め頂き、光栄です」

努めて柔らかな声で話し掛ければ、そろりと顔を上げたメリアがふわりと微笑んだ。
ああ、笑ってくれた───それを嬉しいと感じている自分がいることに気づかぬまま、机の上に並んだ資料と紅茶を見遣る。
思えば、口を付けた紅茶は熱過ぎず、かと言って温くもなく、程良い温かさのそれはとても飲み易かった。
紅茶一杯にまで巡らされたメリアの気配りはどこまでも細やかで、それでいて自然と頼ってしまうような彼の優しい空気が心地良くて、思わず苦笑が零れた。

「ベルナール様?」
「いや、随分とメリアくんに甘えてしまっているなと思ってね」

というよりも、甘えっぱなしだ。
年上として、上司として、もっとしっかりしなければ…そう思いながら、口からは本音のような言葉がポロリと零れた。



「君がいないと、ダメになってしまいそうだ」



助けてもらってばかりではいけないな…そんなつもりで言った何気ない一言。

いつもの他愛もない会話の、ほんの一小節───そうであったはずの一言が体の外に出た瞬間、その場の空気が一瞬で変わった。










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