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「僕、薬師になる」
熱に倒れてから五日後。倦怠感も消え、すっかり元の生活に戻ったその日、アルバートから唐突な宣言を受けた。
「薬師、ですか?」
「うん。本当はお医者さんになりたかったけど、お医者さんになるには、学校に行かなきゃいけないみたいだから……」
来年には貴族学校に通う年になるアルバートだが、当然、入学はできないだろう。そのことはアルバート本人も分かっていて、特に気にしてはいないようだったが、今はとても落ち込んでいるように見えた。
「アルバ──」
「でも薬師なら、学校に行かなくても、知識と経験があって、試験に合格すればなれるって、この前来たお医者さんが教えてくれたんだ! だから、これからいっぱいお薬作りの勉強して、薬師になる!」
「……将来の夢ができたのは、素敵なことですね。私も、応援致します」
慰めようと口を開きかけたのを遮り、元気に答えたアルバートに、慰めの言葉は飲み込んだ。
「薬師なら、どこの町や村でも歓迎されるはずですし、食いっぱぐれることもないでしょう。良い職だと思いますよ」
突然の宣言に驚いたが、心当たりはある。恐らくは、先日、自分が風邪で倒れたことがキッカケだろう。目の前で寝込む病人に、彼の中で何かが目覚めたのかもしれない。
キッカケはなんにせよ、手に職があるというのは強い。成人後のことを考えれば、安定した職を目指すのは大事なことだ。
「テディは?」
「はい?」
「テディは、僕が薬師になったら嬉しい?」
「? ええ、勿論」
「ふふ、良かった」
なぜかやたらと嬉しそうなアルバートに首を傾げつつ、愛らしい笑顔に癒される。
抱擁を交わしたあの日から、アルバートは自分のことを『テディ』と愛称で呼ぶようになった。自然と定着した呼び名に、互いに触れることもせず、翌日には愛称で呼ばれることにも慣れた。
本当の家族にすら呼ばれたことのなかった初めての愛称呼びは、妙に擽ったかったが、アルバートとの距離が更に縮まったようで嬉しかった。
未来の希望を口にした日から、新たな目標を掲げたアルバートは、これまで勉強に当てていた時間で薬学と医学を学び始めた。
幸いなことに、書斎にはそれらの専門書も揃っており、読んで学ぶ分には問題なかった。ただ、そこまでの専門知識になると、テオドールに教えられることがない。更には薬を煎じたり等の実戦も必要になり、流石に独学で学ぶには知識も道具も足りないという状況だった。
なにより、必要な知識を正しく教えてくれる師が必要だろう。
(流石に難しいか……いや、あの人ならきっと……)
ここでの生活で唯一頼りになる人物を思い浮かべると、テオドールはすぐさま行動に移った。
「先日のお医者様であれば、月にニ度こちらに見えられます。その時に教えを請えばいいでしょう。こちらで話を通しておきます」
「……ありがとうございます」
アルバートに薬師としての知識を教えてくれるような師を紹介してもらえないか──ダメ元で家令に確認したのだが、可否の返事を飛び越して師が決定した。
恐らく大丈夫だろう、と漠然とした希望を抱いてはいたが、こうもあっさりと了承されると逆に心配になってくる。
「お医者様に渡す報酬は、私がお支払いします。おいくらに……」
「月にニ度、短時間で基礎を教えるだけです。その程度であれば、雑費に含んでしまいますので結構です」
「ですが、そのようなことをして……その……」
物言いは素気なく、決して親しみやすい方ではないのだが、やはりこの家令は何かとアルバートに甘い。
ただ、そんなことをして侯爵の怒りを買わないか、そちらが心配だ。なんと尋ねるべきかまごついていると、表情を変えぬまま、家令が口を開いた。
「アルバート様のことは、離れに閉じ込めておけ、余計なことをさせるなと言われただけです。世話をするなとも言われていませんし、学ぶことは余計なことではございません」
淡々と答える家令に、ポカンとする。完全に屁理屈だが、それを当然のことのように言ってのける肝の座り具合が非常に清々しい。
「……ありがとうございます。ただ、あまり無茶はされませんように……」
「必要最低限のことにしか手を出しませんので、ご心配なく。ついでに、アルバート様が成人される前には、退職金をいただいて引退予定です」
「それは……頼もしい限りです」
彼の言葉は裏を返せば、アルバートが成人を迎えるまでは、見守ってくれるということだ。その上で、退職金はしっかりもらって侯爵家を去るというのだから、なんとも強かなお方だ。
彼に甘えっぱなしになるつもりはないし、生活そのものをこれまでと変えるつもりはないが、それでも、いざという時に相談できる相手がいるというのは心強かった。
(アルバート様の成人まで、四年弱か……)
離れで暮らし始めて三年半。折り返し地点を迎えた穏やかな軟禁生活は、着実に終わりの日に向かって進んでいた。
薬学と医学の勉強を始めたアルバートは、実技を教える医師が驚くほどのスピードで技術と知識を身につけていった。
これまでの姿から、なんとなく気づいていたが、アルバートは非常に賢く、大概のことは一度教えたら完璧にこなせてしまう天才肌だ。
勉学も、体力作りのための剣術も、魔力の扱いも、ついでに言えば料理や洗濯といった家事全般も、すべて驚異的なスピードで身につけ、器用にこなしていた。
「それじゃあ、先生と森まで行ってくるね」
アルバートが医師から薬学を学ぶようになってから二年。最近では、薬の原料となる薬草や実の見つけ方、見分け方を学ぶため、医師と共に離れの裏にある森へ向かうようになった。
軟禁とは一体なんだったのか、という自由度だが、あくまで医師と行動を共にすることが条件であり、森の外に出ることは禁じられた。その上で、自分は離れに残るようにと家令から言われてしまった。
こういう時こそ、護衛騎士としてアルバートの側にいるべきなのだが、家令曰く「お二人が逃亡するとは思っていませんが、共にお出かけになられることは許可できません。ですが、あなたが離れに残るのなら、アルバート様の外出は許可しましょう」と言われ、頷くしかなかった。
逃げる気などさらさらないが、表向きは監視役の家令のことを考えれば、二人同時に外に出すのは難しいのだろう。幸い、裏の森は獣も少なく、仮に出てきても、アルバートが自力で撃退できるはずだ。
既にあり得ないほど自由にさせてもらっていることもあり、テオドールは大人しく留守番することに同意した。
「テディ、どこにも行かないでね? 僕が帰ってくるまで、お家で待っててね?」
「どこにも行きませんよ。ほら、先生がお待ちですよ。お気をつけて、いってらっしゃいませ」
「うん、いってきます!」
一体なんの心配をしているのか、毎回出かけ際になると不安げな表情で抱きつくアルバートに苦笑しながら、その身を抱き締め返す。
愛称で呼ばれるようになった頃から、アルバートとの距離は物理的にも近くなり、ことあるごとに抱擁を交わすようになった。
十六歳の少年にしてはスキンシップが多いような気がしたが、甘えたい盛りの幼少期に突然親からの愛情を断たれ、辛い思いをした反動で、少し甘えん坊なのかもしれない……と、特に気に留めることもなく、アルバートの温もりを享受した。
あっという間に月日は流れ、アルバートは順調に薬師としての道を歩んだ。
吸血鬼という種族ゆえか、魔力量も多く、魔力濃度も濃いらしいアルバートが作る薬は、全てが高品質で、教えた医師も舌を巻くほどの出来栄えだった。
これが幸いし、アルバートが作る薬を医師が購入してくれることになり、定期的な収入を得られるようになった。
そうしながら、医師からは薬師として店を構えた時の販売方法や、薬の保存方法、適正価格等、アルバートが独り立ちするために必要な知識も教わった。
意欲的に学び、素直に質問するアルバートのことを医師も孫のように可愛がってくれ、その繋がりはアルバートが成人を迎えるまで、三年半途切れることなく続いた。
テオドールがアルバートに初めて血を与えた日から七年。
気づけば、アルバートが成人を迎えるその日が、すぐ目の前まで迫っていた。
「王都に戻ってこいって」
本邸から届いた手紙を手に、抑揚のない声で内容を告げるアルバート。
一ヶ月後に十八歳になる彼宛に届いた便りの中身は、侯爵家からアルバートを除籍する手続きのため、本邸に戻ってこいという無情なものだった。
七年間、音沙汰一つ無かった親からの手紙。これが両親の愛情に飢えた子どもであったなら、絶望し、涙を流していたことだろう……が、アルバートは違った。
「やった! これで自由になれるよ、テディ!」
「今もだいぶ自由ではあるんですけどね」
手紙を放り投げんばかりの勢いではしゃぐアルバートに苦笑しつつ、抱きついてきたその身を受け止める。
「今の内に少しずつ荷物をまとめて、必要な物を揃えなければいけませんね」
「そうだね。あ、荷物がいっぱい入る鞄を作ったから、馬車二台分くらいの荷物なら簡単に運べるよ」
まるでどこかに遊びに行くような気軽さで話しているが、状況としては生家を追い出され、家族と絶縁し、他人となるための手続きに向かうのだ。
客観的に見れば、決して明るい話ではないのだが、アルバートも、そして自分も、この日をずっと待ち侘びていた。
アルバートが成人と共に侯爵家から除籍されることは、彼が薬師を目指し始めた頃に伝えていた。
伝える瞬間は流石に緊張したが、アルバートは当たり前のようにその未来を受け入れた。
賢い子だ。離れに追いやられた時点で、こうなることは分かっていたのだろう。なんの感情もなく現実を受け入れる少年に、自分の方が狼狽えてしまうほどだったが、そんな動揺も、嬉々として薬師としての将来を夢見るアルバートを見ている内に霧散した。
アルバートは、侯爵家にも、家族にも、なんの未練もない。
明るく、未来だけを見ているその姿に、七年前のあの日、蹲って泣いていた幼な子に声を掛けて良かったと、心からそう思えた。
(長くて短い、七年だったな)
この場所で生まれた多くの思い出が蘇り、ジン……と熱いものが胸に込み上げるも、感慨に耽っている余裕はない。
避けては通れない懸念が、まだ一つだけ、残っているのだ。
「アルバート様」
「なぁに?」
腰に抱きついたまま、こちらを見上げる愛らしい顔。十八歳には到底見えないその幼さに、僅かに眉を下げた。
この七年で、ようやくテオドールの胸の高さまで伸びた身長。十三歳前後の少年と変わらぬ体躯は、当初に比べれば随分と大きくなったし、華奢な見た目に反して鍛えた肉体は、意外とガッチリしている。
それでも、今のアルバートはどう見ても成人には見えない。本人の気質ゆえか、幼いままの言動も相まって、より一層幼く見えた。
(そろそろ、本気でどうにかしないと……)
自分の手の平にすっぽりと収まる細い肩。その両肩をグッと掴むと、キラキラと輝く紅い瞳を真っ直ぐ見つめた。
「アルバート様。ここを離れる前に、自力で血を飲めるようになりましょう」
「……!」
アルバートが吸血鬼として一人前になるための、最初で最後の一番大事な課題が、まだ残っていた。
熱に倒れてから五日後。倦怠感も消え、すっかり元の生活に戻ったその日、アルバートから唐突な宣言を受けた。
「薬師、ですか?」
「うん。本当はお医者さんになりたかったけど、お医者さんになるには、学校に行かなきゃいけないみたいだから……」
来年には貴族学校に通う年になるアルバートだが、当然、入学はできないだろう。そのことはアルバート本人も分かっていて、特に気にしてはいないようだったが、今はとても落ち込んでいるように見えた。
「アルバ──」
「でも薬師なら、学校に行かなくても、知識と経験があって、試験に合格すればなれるって、この前来たお医者さんが教えてくれたんだ! だから、これからいっぱいお薬作りの勉強して、薬師になる!」
「……将来の夢ができたのは、素敵なことですね。私も、応援致します」
慰めようと口を開きかけたのを遮り、元気に答えたアルバートに、慰めの言葉は飲み込んだ。
「薬師なら、どこの町や村でも歓迎されるはずですし、食いっぱぐれることもないでしょう。良い職だと思いますよ」
突然の宣言に驚いたが、心当たりはある。恐らくは、先日、自分が風邪で倒れたことがキッカケだろう。目の前で寝込む病人に、彼の中で何かが目覚めたのかもしれない。
キッカケはなんにせよ、手に職があるというのは強い。成人後のことを考えれば、安定した職を目指すのは大事なことだ。
「テディは?」
「はい?」
「テディは、僕が薬師になったら嬉しい?」
「? ええ、勿論」
「ふふ、良かった」
なぜかやたらと嬉しそうなアルバートに首を傾げつつ、愛らしい笑顔に癒される。
抱擁を交わしたあの日から、アルバートは自分のことを『テディ』と愛称で呼ぶようになった。自然と定着した呼び名に、互いに触れることもせず、翌日には愛称で呼ばれることにも慣れた。
本当の家族にすら呼ばれたことのなかった初めての愛称呼びは、妙に擽ったかったが、アルバートとの距離が更に縮まったようで嬉しかった。
未来の希望を口にした日から、新たな目標を掲げたアルバートは、これまで勉強に当てていた時間で薬学と医学を学び始めた。
幸いなことに、書斎にはそれらの専門書も揃っており、読んで学ぶ分には問題なかった。ただ、そこまでの専門知識になると、テオドールに教えられることがない。更には薬を煎じたり等の実戦も必要になり、流石に独学で学ぶには知識も道具も足りないという状況だった。
なにより、必要な知識を正しく教えてくれる師が必要だろう。
(流石に難しいか……いや、あの人ならきっと……)
ここでの生活で唯一頼りになる人物を思い浮かべると、テオドールはすぐさま行動に移った。
「先日のお医者様であれば、月にニ度こちらに見えられます。その時に教えを請えばいいでしょう。こちらで話を通しておきます」
「……ありがとうございます」
アルバートに薬師としての知識を教えてくれるような師を紹介してもらえないか──ダメ元で家令に確認したのだが、可否の返事を飛び越して師が決定した。
恐らく大丈夫だろう、と漠然とした希望を抱いてはいたが、こうもあっさりと了承されると逆に心配になってくる。
「お医者様に渡す報酬は、私がお支払いします。おいくらに……」
「月にニ度、短時間で基礎を教えるだけです。その程度であれば、雑費に含んでしまいますので結構です」
「ですが、そのようなことをして……その……」
物言いは素気なく、決して親しみやすい方ではないのだが、やはりこの家令は何かとアルバートに甘い。
ただ、そんなことをして侯爵の怒りを買わないか、そちらが心配だ。なんと尋ねるべきかまごついていると、表情を変えぬまま、家令が口を開いた。
「アルバート様のことは、離れに閉じ込めておけ、余計なことをさせるなと言われただけです。世話をするなとも言われていませんし、学ぶことは余計なことではございません」
淡々と答える家令に、ポカンとする。完全に屁理屈だが、それを当然のことのように言ってのける肝の座り具合が非常に清々しい。
「……ありがとうございます。ただ、あまり無茶はされませんように……」
「必要最低限のことにしか手を出しませんので、ご心配なく。ついでに、アルバート様が成人される前には、退職金をいただいて引退予定です」
「それは……頼もしい限りです」
彼の言葉は裏を返せば、アルバートが成人を迎えるまでは、見守ってくれるということだ。その上で、退職金はしっかりもらって侯爵家を去るというのだから、なんとも強かなお方だ。
彼に甘えっぱなしになるつもりはないし、生活そのものをこれまでと変えるつもりはないが、それでも、いざという時に相談できる相手がいるというのは心強かった。
(アルバート様の成人まで、四年弱か……)
離れで暮らし始めて三年半。折り返し地点を迎えた穏やかな軟禁生活は、着実に終わりの日に向かって進んでいた。
薬学と医学の勉強を始めたアルバートは、実技を教える医師が驚くほどのスピードで技術と知識を身につけていった。
これまでの姿から、なんとなく気づいていたが、アルバートは非常に賢く、大概のことは一度教えたら完璧にこなせてしまう天才肌だ。
勉学も、体力作りのための剣術も、魔力の扱いも、ついでに言えば料理や洗濯といった家事全般も、すべて驚異的なスピードで身につけ、器用にこなしていた。
「それじゃあ、先生と森まで行ってくるね」
アルバートが医師から薬学を学ぶようになってから二年。最近では、薬の原料となる薬草や実の見つけ方、見分け方を学ぶため、医師と共に離れの裏にある森へ向かうようになった。
軟禁とは一体なんだったのか、という自由度だが、あくまで医師と行動を共にすることが条件であり、森の外に出ることは禁じられた。その上で、自分は離れに残るようにと家令から言われてしまった。
こういう時こそ、護衛騎士としてアルバートの側にいるべきなのだが、家令曰く「お二人が逃亡するとは思っていませんが、共にお出かけになられることは許可できません。ですが、あなたが離れに残るのなら、アルバート様の外出は許可しましょう」と言われ、頷くしかなかった。
逃げる気などさらさらないが、表向きは監視役の家令のことを考えれば、二人同時に外に出すのは難しいのだろう。幸い、裏の森は獣も少なく、仮に出てきても、アルバートが自力で撃退できるはずだ。
既にあり得ないほど自由にさせてもらっていることもあり、テオドールは大人しく留守番することに同意した。
「テディ、どこにも行かないでね? 僕が帰ってくるまで、お家で待っててね?」
「どこにも行きませんよ。ほら、先生がお待ちですよ。お気をつけて、いってらっしゃいませ」
「うん、いってきます!」
一体なんの心配をしているのか、毎回出かけ際になると不安げな表情で抱きつくアルバートに苦笑しながら、その身を抱き締め返す。
愛称で呼ばれるようになった頃から、アルバートとの距離は物理的にも近くなり、ことあるごとに抱擁を交わすようになった。
十六歳の少年にしてはスキンシップが多いような気がしたが、甘えたい盛りの幼少期に突然親からの愛情を断たれ、辛い思いをした反動で、少し甘えん坊なのかもしれない……と、特に気に留めることもなく、アルバートの温もりを享受した。
あっという間に月日は流れ、アルバートは順調に薬師としての道を歩んだ。
吸血鬼という種族ゆえか、魔力量も多く、魔力濃度も濃いらしいアルバートが作る薬は、全てが高品質で、教えた医師も舌を巻くほどの出来栄えだった。
これが幸いし、アルバートが作る薬を医師が購入してくれることになり、定期的な収入を得られるようになった。
そうしながら、医師からは薬師として店を構えた時の販売方法や、薬の保存方法、適正価格等、アルバートが独り立ちするために必要な知識も教わった。
意欲的に学び、素直に質問するアルバートのことを医師も孫のように可愛がってくれ、その繋がりはアルバートが成人を迎えるまで、三年半途切れることなく続いた。
テオドールがアルバートに初めて血を与えた日から七年。
気づけば、アルバートが成人を迎えるその日が、すぐ目の前まで迫っていた。
「王都に戻ってこいって」
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一ヶ月後に十八歳になる彼宛に届いた便りの中身は、侯爵家からアルバートを除籍する手続きのため、本邸に戻ってこいという無情なものだった。
七年間、音沙汰一つ無かった親からの手紙。これが両親の愛情に飢えた子どもであったなら、絶望し、涙を流していたことだろう……が、アルバートは違った。
「やった! これで自由になれるよ、テディ!」
「今もだいぶ自由ではあるんですけどね」
手紙を放り投げんばかりの勢いではしゃぐアルバートに苦笑しつつ、抱きついてきたその身を受け止める。
「今の内に少しずつ荷物をまとめて、必要な物を揃えなければいけませんね」
「そうだね。あ、荷物がいっぱい入る鞄を作ったから、馬車二台分くらいの荷物なら簡単に運べるよ」
まるでどこかに遊びに行くような気軽さで話しているが、状況としては生家を追い出され、家族と絶縁し、他人となるための手続きに向かうのだ。
客観的に見れば、決して明るい話ではないのだが、アルバートも、そして自分も、この日をずっと待ち侘びていた。
アルバートが成人と共に侯爵家から除籍されることは、彼が薬師を目指し始めた頃に伝えていた。
伝える瞬間は流石に緊張したが、アルバートは当たり前のようにその未来を受け入れた。
賢い子だ。離れに追いやられた時点で、こうなることは分かっていたのだろう。なんの感情もなく現実を受け入れる少年に、自分の方が狼狽えてしまうほどだったが、そんな動揺も、嬉々として薬師としての将来を夢見るアルバートを見ている内に霧散した。
アルバートは、侯爵家にも、家族にも、なんの未練もない。
明るく、未来だけを見ているその姿に、七年前のあの日、蹲って泣いていた幼な子に声を掛けて良かったと、心からそう思えた。
(長くて短い、七年だったな)
この場所で生まれた多くの思い出が蘇り、ジン……と熱いものが胸に込み上げるも、感慨に耽っている余裕はない。
避けては通れない懸念が、まだ一つだけ、残っているのだ。
「アルバート様」
「なぁに?」
腰に抱きついたまま、こちらを見上げる愛らしい顔。十八歳には到底見えないその幼さに、僅かに眉を下げた。
この七年で、ようやくテオドールの胸の高さまで伸びた身長。十三歳前後の少年と変わらぬ体躯は、当初に比べれば随分と大きくなったし、華奢な見た目に反して鍛えた肉体は、意外とガッチリしている。
それでも、今のアルバートはどう見ても成人には見えない。本人の気質ゆえか、幼いままの言動も相まって、より一層幼く見えた。
(そろそろ、本気でどうにかしないと……)
自分の手の平にすっぽりと収まる細い肩。その両肩をグッと掴むと、キラキラと輝く紅い瞳を真っ直ぐ見つめた。
「アルバート様。ここを離れる前に、自力で血を飲めるようになりましょう」
「……!」
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