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9.変化Ⅳ
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次に目覚めた時、ベッドの傍らには、顔をぐしゃぐしゃに濡らして泣くアルバートと、いつもと変わらぬ無表情の家令、白髪混じりの見知らぬ初老の男性が揃っていた。
「……え?」
「テオドール……! 死んじゃやだ……っ!!」
「ただの風邪です。死にはしません」
一瞬、何が起こっているのか分からず、脳が停止しかける。
ベッドの上に突っ伏し、泣きじゃくるアルバートと、淡々と言葉を返す家令というちぐはぐさに混乱したまま上体を起こそうとすれば、それを家令に止められた。
「寝ていなさい。たった今、薬を飲ませたばかりです」
「随分と熱が高かったからね。即効性のある解熱薬を飲ませたんだが、気分はどうだい?」
「え……あ……」
その言葉に、ようやく熱で苦しんでいたことを思い出す。遅れて、口の中が苦いことに気づくも、苦しかった呼吸や体の火照りはかなり楽になっていた。
「怠さは、ありますが、とても楽です……」
「良く効いたみたいだね。良かった良かった。でも薬が切れれば、また熱がぶり返すだろうからね。当分は安静にしてなさい。強い薬は、そう何度も飲むものじゃないからね」
そこで初めて、穏やかに微笑む見知らぬ男性が医師であることに気づくも、頭は未だに混乱したままだ。
一体いつ、なぜ、どうやってここに……意識が途切れた瞬間から、今に至るまでの経緯が分からずオロオロするも、用事は済んだとばかりに、家令と医師は部屋の扉に向かって歩き出した。
「処方したお薬は朝晩ちゃんと飲みなさい。しっかりご飯を食べて、ゆっくり休むんだよ」
「今日から三日間は、こちらで食事を用意して持ってきます。無闇に動き回らないように」
「は、はい。ありがとう、ございます……」
状況を理解できないまま、それでもなんとか感謝の気持ちを伝え、部屋を出て行く彼らを見送った。
そうして再び二人きりになった部屋の中、未だに泣き続けるアルバートに視線を移すと、ベッドに突っ伏す頭をそっと撫でた。
「……ごめんなさい。心配させてしまいましたね」
「っ……、し、死んじゃうかと、思った……!」
「……私がですか?」
「だって……っ、倒れたまま、動かなくなっちゃったから……!」
そう言って涙を流すアルバートに、ツキリと胸が痛む。
本当に、どれほど心配させてしまったのか……意識を手放す前の苦しさに、ズキズキとした痛みが加わるも、今はなによりアルバートを安心させたくて、ベッドに横たえていた体をゆっくりと起こした。
「! ダメだよ、テオドール! 寝てなきゃ……っ」
「お薬を飲みましたから、これくらいなら大丈夫ですよ」
本当に驚くほど熱が引いているが、きっと一時的なものなのだろう。無理はしないよう、慎重に上体を起こし、ベッドの上に座ると、ポンポンとマットレスを叩いて床に座り込むアルバートを誘った。
きちんと意図が伝わったのか、ヨロヨロと立ち上がったアルバートがベッドの縁に腰掛けるのを待って、静かに口を開く。
「アルバート様が、家令殿とお医者様を呼んでくださったのですか?」
「……お医者さんは、執事のおじいちゃんが呼んでくれたの。僕は、執事のおじいちゃんに、助けてってお願いすることしか、できなくて……」
「しか、なんて仰らないでください。アルバート様が家令殿の元へ行ってくださったおかげで、お医者様が呼べたんです。……助けてくださり、ありがとうございます」
「っ……」
心からの感謝の気持ちを伝えれば、アルバートの顔がくしゃりと歪んだ。
「うぅ~……っ」
「もう、大丈夫ですよ」
「良かった……! テオドールが、死んじゃったら、どうしようって……っ、怖くて……!」
「……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」
不安にさせて、傷つけて、怖がらせて……自分の不甲斐なさに唇を噛みながら、布団の上で握り締めていた拳を解くと、アルバートの頬を濡らす雫を指先で拭った。
「たくさん、不安にさせて、ごめんなさい」
「……テオドール?」
「アルバート様のことを、避けていた訳ではありません。困っていた訳でもありません。私が勝手に、恥ずかしがって……その、逃げていただけなんです」
苦しい答え方だと分かっている。何に対して、と問われても、答えることなんてできない。
それでも、ここ数日はアルバートに対する罪悪感と後ろめたさ、夢精してしまった羞恥で、いっぱいいっぱいだったのは本当なのだ。
でも、アルバートの涙と苦しみを知った今、あんなにも戸惑い、焦っていた気持ちは、嘘のように消えていた。
「悲しいお気持ちにさせてしまって、本当にごめんなさい。決して、アルバート様のことを避けようとしていた訳ではございません。嫌うだなんて、とんでもない」
「……!」
「それに、アルバート様はとっても良い子ですよ。優しくて、思いやりがあって、一生懸命で……そんなアルバート様が、私は大好きですよ」
「ッ……」
混じり気のない、純粋な好意を告げれば、アルバートが潤んだ瞳を大きく見開いた。
アルバートと初めて言葉を交わしたあの日に生まれ、共に過ごす中で少しずつ育った温かな情。
側にいたいと、ただ守りたいと思ったのも、素直で健気な彼のことを好ましく思ったからこそだ。
ここ数日の気まずさもあって、「大好き」と言葉にする瞬間は少しだけ緊張したが、『愛しい』と想うこの気持ちは、紛れもない本物だった。
「~~~っ、テディ!!」
「わっ」
直後、アルバートが自身の首筋に勢いよく抱きつき、わんわんと泣き出した。
突然の抱擁に驚くも、小さな体から伝わる温もりは堪らないほど愛しくて、キュウッと胸が鳴いた。
「僕も好き……! 大好きだよ、テディ……!」
「アルバート様……」
「好きだから、大好きだから……っ、お願いだから、独りにしないで……!」
「っ……」
離すまい、離れまいと、ぎゅうぎゅうと抱き締める腕の強さと必死さに、堪らず腕が伸びていた。
泣きじゃくりながら、小さな体で懸命にしがみつくアルバートが切なくて、愛しくて、反射的に伸ばした両腕でその身を抱き締め返すと、サラリとした黒髪をそっと撫でた。
「……独りになんてしませんよ」
「……本当?」
「ええ、本当です」
「……本当に? ずっと、側にいてくれる? 僕と、一緒にいてくれる?」
「ええ。アルバート様が、望んでくださるなら」
本当は、不確定な未来なんて口にするべきじゃないのかもしれない。
それでも、微熱に犯されて火照った思考は、ただ“そう在りたい”という未来を願うように、言葉を紡いだ。
「……ずっと、側にいて」
「はい」
「ずっとずっと、これから先もずっと、一緒だよ、テディ」
「はい。アルバート様」
「……へへ、嬉しい」
歌うように笑う柔らかな少年の声が、心地良く鼓膜を揺らし、脳のずっと深いところで響く。
重なり合った体温はどこまでも心地良くて、嬉しくて、下がっていた熱が少しずつ上がっていくような錯覚を覚えた。
離れ難い熱を閉じ込めるように瞼を閉じれば、安心感が全身を巡る──と、ふと、こうして誰かと抱き合うのは、家族を失ったあの日以来だと思い出し、アルバートの背を抱く手に力が籠った。
(……離れたく、ないな)
芽生えた欲に、どんな想いを詰め込んだのかも分からない。
ただ、遠いあの日、寂しさだけを生んだ抱擁を上書きするような温もりは、どうしようもないほど温かくて、苦しくて、閉じた瞼の隙間から、一雫の情がポタリと零れ落ちた。
「……え?」
「テオドール……! 死んじゃやだ……っ!!」
「ただの風邪です。死にはしません」
一瞬、何が起こっているのか分からず、脳が停止しかける。
ベッドの上に突っ伏し、泣きじゃくるアルバートと、淡々と言葉を返す家令というちぐはぐさに混乱したまま上体を起こそうとすれば、それを家令に止められた。
「寝ていなさい。たった今、薬を飲ませたばかりです」
「随分と熱が高かったからね。即効性のある解熱薬を飲ませたんだが、気分はどうだい?」
「え……あ……」
その言葉に、ようやく熱で苦しんでいたことを思い出す。遅れて、口の中が苦いことに気づくも、苦しかった呼吸や体の火照りはかなり楽になっていた。
「怠さは、ありますが、とても楽です……」
「良く効いたみたいだね。良かった良かった。でも薬が切れれば、また熱がぶり返すだろうからね。当分は安静にしてなさい。強い薬は、そう何度も飲むものじゃないからね」
そこで初めて、穏やかに微笑む見知らぬ男性が医師であることに気づくも、頭は未だに混乱したままだ。
一体いつ、なぜ、どうやってここに……意識が途切れた瞬間から、今に至るまでの経緯が分からずオロオロするも、用事は済んだとばかりに、家令と医師は部屋の扉に向かって歩き出した。
「処方したお薬は朝晩ちゃんと飲みなさい。しっかりご飯を食べて、ゆっくり休むんだよ」
「今日から三日間は、こちらで食事を用意して持ってきます。無闇に動き回らないように」
「は、はい。ありがとう、ございます……」
状況を理解できないまま、それでもなんとか感謝の気持ちを伝え、部屋を出て行く彼らを見送った。
そうして再び二人きりになった部屋の中、未だに泣き続けるアルバートに視線を移すと、ベッドに突っ伏す頭をそっと撫でた。
「……ごめんなさい。心配させてしまいましたね」
「っ……、し、死んじゃうかと、思った……!」
「……私がですか?」
「だって……っ、倒れたまま、動かなくなっちゃったから……!」
そう言って涙を流すアルバートに、ツキリと胸が痛む。
本当に、どれほど心配させてしまったのか……意識を手放す前の苦しさに、ズキズキとした痛みが加わるも、今はなによりアルバートを安心させたくて、ベッドに横たえていた体をゆっくりと起こした。
「! ダメだよ、テオドール! 寝てなきゃ……っ」
「お薬を飲みましたから、これくらいなら大丈夫ですよ」
本当に驚くほど熱が引いているが、きっと一時的なものなのだろう。無理はしないよう、慎重に上体を起こし、ベッドの上に座ると、ポンポンとマットレスを叩いて床に座り込むアルバートを誘った。
きちんと意図が伝わったのか、ヨロヨロと立ち上がったアルバートがベッドの縁に腰掛けるのを待って、静かに口を開く。
「アルバート様が、家令殿とお医者様を呼んでくださったのですか?」
「……お医者さんは、執事のおじいちゃんが呼んでくれたの。僕は、執事のおじいちゃんに、助けてってお願いすることしか、できなくて……」
「しか、なんて仰らないでください。アルバート様が家令殿の元へ行ってくださったおかげで、お医者様が呼べたんです。……助けてくださり、ありがとうございます」
「っ……」
心からの感謝の気持ちを伝えれば、アルバートの顔がくしゃりと歪んだ。
「うぅ~……っ」
「もう、大丈夫ですよ」
「良かった……! テオドールが、死んじゃったら、どうしようって……っ、怖くて……!」
「……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」
不安にさせて、傷つけて、怖がらせて……自分の不甲斐なさに唇を噛みながら、布団の上で握り締めていた拳を解くと、アルバートの頬を濡らす雫を指先で拭った。
「たくさん、不安にさせて、ごめんなさい」
「……テオドール?」
「アルバート様のことを、避けていた訳ではありません。困っていた訳でもありません。私が勝手に、恥ずかしがって……その、逃げていただけなんです」
苦しい答え方だと分かっている。何に対して、と問われても、答えることなんてできない。
それでも、ここ数日はアルバートに対する罪悪感と後ろめたさ、夢精してしまった羞恥で、いっぱいいっぱいだったのは本当なのだ。
でも、アルバートの涙と苦しみを知った今、あんなにも戸惑い、焦っていた気持ちは、嘘のように消えていた。
「悲しいお気持ちにさせてしまって、本当にごめんなさい。決して、アルバート様のことを避けようとしていた訳ではございません。嫌うだなんて、とんでもない」
「……!」
「それに、アルバート様はとっても良い子ですよ。優しくて、思いやりがあって、一生懸命で……そんなアルバート様が、私は大好きですよ」
「ッ……」
混じり気のない、純粋な好意を告げれば、アルバートが潤んだ瞳を大きく見開いた。
アルバートと初めて言葉を交わしたあの日に生まれ、共に過ごす中で少しずつ育った温かな情。
側にいたいと、ただ守りたいと思ったのも、素直で健気な彼のことを好ましく思ったからこそだ。
ここ数日の気まずさもあって、「大好き」と言葉にする瞬間は少しだけ緊張したが、『愛しい』と想うこの気持ちは、紛れもない本物だった。
「~~~っ、テディ!!」
「わっ」
直後、アルバートが自身の首筋に勢いよく抱きつき、わんわんと泣き出した。
突然の抱擁に驚くも、小さな体から伝わる温もりは堪らないほど愛しくて、キュウッと胸が鳴いた。
「僕も好き……! 大好きだよ、テディ……!」
「アルバート様……」
「好きだから、大好きだから……っ、お願いだから、独りにしないで……!」
「っ……」
離すまい、離れまいと、ぎゅうぎゅうと抱き締める腕の強さと必死さに、堪らず腕が伸びていた。
泣きじゃくりながら、小さな体で懸命にしがみつくアルバートが切なくて、愛しくて、反射的に伸ばした両腕でその身を抱き締め返すと、サラリとした黒髪をそっと撫でた。
「……独りになんてしませんよ」
「……本当?」
「ええ、本当です」
「……本当に? ずっと、側にいてくれる? 僕と、一緒にいてくれる?」
「ええ。アルバート様が、望んでくださるなら」
本当は、不確定な未来なんて口にするべきじゃないのかもしれない。
それでも、微熱に犯されて火照った思考は、ただ“そう在りたい”という未来を願うように、言葉を紡いだ。
「……ずっと、側にいて」
「はい」
「ずっとずっと、これから先もずっと、一緒だよ、テディ」
「はい。アルバート様」
「……へへ、嬉しい」
歌うように笑う柔らかな少年の声が、心地良く鼓膜を揺らし、脳のずっと深いところで響く。
重なり合った体温はどこまでも心地良くて、嬉しくて、下がっていた熱が少しずつ上がっていくような錯覚を覚えた。
離れ難い熱を閉じ込めるように瞼を閉じれば、安心感が全身を巡る──と、ふと、こうして誰かと抱き合うのは、家族を失ったあの日以来だと思い出し、アルバートの背を抱く手に力が籠った。
(……離れたく、ないな)
芽生えた欲に、どんな想いを詰め込んだのかも分からない。
ただ、遠いあの日、寂しさだけを生んだ抱擁を上書きするような温もりは、どうしようもないほど温かくて、苦しくて、閉じた瞼の隙間から、一雫の情がポタリと零れ落ちた。
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