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8.変化Ⅲ
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アルバートの部屋を出ると、足速にその場を離れた。廊下を突き進み、階段を降りると、その中ほどで足を止め、勢いよくその場に蹲った。
(最低だ……!!)
下腹部に生まれた違和感。ズクズクと疼くような熱を孕み、明らかに芯を持った陰部に、テオドールは蹲ったまま頭を抱えた。
決してアルバートに欲情した訳ではない。彼に対して、劣情を抱いている訳でもない。
本来は目にすることのない他者の自慰行為に間近で触れ、意図せず性的な刺激を受けたことで、生理的に体が反応してしまっただけ……ただそれだけだ。
そう思うのに、アルバートの秘めたる姿によって下半身が反応してしまったのは事実で、否が応でも罪の意識が生まれた。
(やっぱり、願われても側にいるべきじゃなかった……)
あんな風に、名を呼ばれるなんて──瞬間、アルバートの赤らんだ頬や艶めいた嬌声、潤んだ瞳を思い出し、カァッと顔が熱くなった。
「っ……!」
触れてはいけないものに触れてしまったような罪悪感と、身を焦がすような羞恥に、赤く染まっているであろう顔を両手で隠す。
ドクドクと暴れる心臓に、ぐぅ……と唸るも、それに反応するように下半身の違和感が大きくなり、慌てて立ち上がった。
(アルバート様にバレなくて良かった……)
万が一にも勃起した股間に気づかれていたら、あまりの羞恥と罪悪感で死んでいたかもしれない。
不幸中の幸いに大きく息を吐き出すと、気を落ち着かせるために、何度か深呼吸を繰り返した。
(早く、戻らないと)
アルバートが部屋で待っているのだ。
湯を沸かしている間に、さっさと処理してしまおう──少しばかり歩きにくい下腹部に顔を顰めつつ、大きく一歩を踏み出すと、テオドールは急いで湯殿へと向かった。
湯を張った盥を持ち、アルバートの部屋に戻れば、下半身をタオルで隠したまま、ベッドに横になるアルバートが待っていた。
よほど疲れたのか、今にも眠ってしまいそうな姿に苦笑しつつアルバートを起こすと、彼が身を清め、支度が整うまで、背を向けたままその場で待った。
その後、アルバートが布団に潜り込むのを見守り、開けていた窓を閉めれば、いつもと同じ、穏やかな夜が帰ってきた。
「随分と夜更かしをしてしまいましたね。明日は、少し寝坊されても大丈夫ですからね」
「ぅん……ねぇ、テオドール」
「はい?」
「色々、教えてくれて、ありがとう」
「……お役に立てて、なによりです。さぁ、もうお休みしましょう」
「ん……、おやすみなさい」
「おやすみなさいませ、アルバート様」
ふにゃりと笑い、すぐに目を瞑ってしまったアルバートにホッと息を吐くと、静かに部屋をあとにする。そのまま隣の自室に戻ると、倒れるようにベッドの上に突っ伏した。
「はぁ……」
いつもと変わらぬ日常の中で起きた、非日常的な出来事。
まるで夢でも見ていたかのような怒涛の連続に、今になってどっと疲労が押し寄せた。
(疲れたな……)
アルバートの成長は喜ばしいことなのに、あまりにも他の衝撃が大きすぎて、素直に喜べない。
まだ緊張しているのか、落ち着かない胸の鼓動に、思わず溜め息が溢れた。
未だにモヤモヤとする胸。それでも、一晩寝て起きたら、少しは気持ちも落ち着いてくれるだろうか──そんな淡い期待を抱きながら目を閉じれば、あっという間に意識は眠りの底に落ちていった。
微睡む意識の中、自分の名を呼ぶアルバートの声が、鼓膜の奥でずっと響いていた。
アルバートが精通を迎えた日から一週間後。テオドールは高熱にうなされ、ベッドから起き上がれずにいた。
「テオドール、大丈夫?」
「ゴホッ……、アルバート様、私なら大丈夫です。風邪がうつってしまいますから、どうかお部屋の外に出ていてください」
「でも……」
全身で心配だと訴えるアルバートの優しさが、今はとても心苦しい。
風邪がうつってしまうかもしれない心配と、それとは異なる居心地の悪さから、つい突き放すような言い方をしてしまった。
体調不良も、勝手な心苦しさも、自業自得だった。
アルバートの自慰行為を手伝った翌朝、愕然とした気持ちで目が覚めた。
前日の夜、一度欲を発散させたにも関わらず、性器が勃起していたのだ。
勿論、朝勃ちという生理現象という可能性も捨てきれない。だがしかし、屹立した性器の先は僅かに濡れ、下着は冷たく湿っていた。
夢精──そう認識した瞬間、心臓がヒュッと竦み上がった。
アルバートの精通と、それに付随した出来事が原因なのは明らかだった。朧げな夢の記憶を辿れば、うっすらとアルバートの面影が浮かび、慌てて残っていた微かな記憶を振り払った。
冷えていく体に反して顔面は熱く、それを誤魔化すように、必死に自分の中で言い訳を並べた。
決してアルバートに劣情を抱いている訳ではない。ただ昨日の出来事に誘発されただけ。
夢にアルバートが出てきたのは、眠る直前まで、彼のことを考えていたからだ。
きっと、特別な情が混じっているような声で名を呼ばれ、少し驚いてしまっただけ──……
『テオドール……ッ』
刹那、脳の奥でアルバートの幼い声が響き、ぶわりと肌が粟立った。それと同時に、どうしようもない自己嫌悪と罪悪感が押し寄せ、腫れた股間を隠すように、ベッドの上で膝を抱いた。
邪な気持ちが無いとはいえ、アルバートを汚してしまったような罪悪感が、後から後から湧き出る。
精通を迎え、半分大人になったとはいえ、アルバートはまだ十四歳だ。まして、その見た目は十歳の子どもとそう変わらないほどに幼い。
アルバートの幼い外見と言動が、より一層罪悪感を掻き立て、罪の意識を濃くさせた。
その日から、贖罪を乞うように、記憶を振り払うように、一心不乱に鍛錬に打ち込んだ。と言っても、昼間はアルバートと共に過ごしているので、夜中、アルバートが寝た後に励んでいたのだが……これが良くなかった。
肌寒くなってきた季節は、夜になれば更に気温が下がる。体を動かせば体温は上がるが、流れた汗は外気に触れて冷えていく。そんな中で長々と鍛錬を続ければ、どうなるか……そんな簡単なことにも、この時の自分は気づけなかった。
(風邪をひいたのなんて、いつぶりだろう……)
夜の鍛錬を続けて五日目。突然の悪寒にふるりと身震いした時には、既に風邪をひいていた。
正直、この程度で体調を崩すとは思っていなくて驚いたが、みるみる内に悪化していく症状に、あっという間に寝込んでしまった。
そうして今、寝込んで二日目にして高熱で意識が朦朧とし、立つのも辛い状態になっていた。
(まずいな……)
頭痛でクラクラとする視界の端、アルバートが氷水に浸した手拭いを絞る姿が見えた。
「アルバート様、本当に、うつしてしまいますから……」
「いいの! うつってもいいから……」
その言葉と共に、濡れた手拭いが額の上に載せられた。ひんやりとしたそれは気持ち良く、火照った体を心地良く冷やしてくれる。
堪らないほどの気持ち良さに、ほぅ……と息が漏れるも、現状を享受する訳にはいかなかった。
「ありがとうございます、アルバート様。あとは、自分でやりますから……」
「ダメだよ。ちゃんと寝てて。起きるのも辛いんでしょう?」
「本当に、大丈夫ですか……っ、ケホッ」
「テオドール、無理しないで。僕なら大丈夫だから」
「ですが……」
経緯が経緯なだけに、気まずさと申し訳なさが先に立つ。その上で、もしもアルバートに風邪をうつしてしまったらと思うと心配で、なんとか部屋から出てもらえないかと、回らない頭を必死に動かした。
「……ごめんね」
「え?」
なかなか言葉が出てこないまま、まごついていると、アルバートがポツリと呟いた。
突然の謝罪の意味が分からず目を瞬くも、続いた言葉に、ヒュッと喉が鳴った。
「困らせて、ごめんね」
「いえ、困るだなんて……」
「……あんまり、僕と一緒にいたくないかもしれないけど、でも、テオドールが心配だから、今だけ、許してほしい」
「──」
平坦で静かな声に、胸の臓器が軋むような音を立てた。
「何を、仰って……」
「……最近、あんまり、テオドールと目が合わないの、知ってるよ」
「っ……」
「あの夜から、テオドールがあんまり元気じゃないのも、ちゃんと寝れてないのも、知ってる」
「ア、アルバート様……」
「ごめんね。僕が、変なことお願いしたから、いっぱい、困らせちゃったね……」
「違います! アルバート様、私は……!」
俯いたまま、絞り出すように声を震わせるアルバートに血の気が引く。必死になって弁明しようとするも、半分は彼の言う通りで、上手く言葉が出てこなかった。
『あの夜』から、アルバートの瞳を直視できなくなっていた。
アルバートの自慰行為を間近で感じ、それによって夢精してしまったのだろう己が信じられなくて、後ろめたくて、申し訳なくて、逃げるようにルビーのような赤い瞳から逃げていた。
彼の瞳を見たら、あの日見た光景をまた思い出してしまいそうで、自身の名を呼ぶアルバートの声を思い出してしまいそうで、それが怖くて、ずっと逃げていたのだ。
ただ自分が臆病なだけで、彼を傷つけるつもりなんて、これっぽっちもなかったのに……
「ごめんなさい……っ、もう、困らせること、しないから……!」
ぽたぽたと零れる雫と共に落ちる震える声に、胸が張り裂けそうになる。
自分の浅はかな行動が、どれだけアルバートを不安にさせ、傷つけたのか。
それすら必死に隠そうとしていたのだろう痛々しさに、様々な感情が一気に込み上げた。
「ちゃんと、良い子にしてるから……っ、お願いだから、嫌いにならないで……!」
「ッ──!! アルバートさ、ま……っ」
そんな言葉を、貴方に言わせたくない。聞きたくない。
不甲斐ない自身への憤りと、アルバートへの情が膨れ上がり、感情のままに上体を起こした──直後、ぐわんと大きく脳が揺れ、そのまま崩れ落ちた。
「テオドール!?」
「う、くっ……」
悲鳴のようなアルバートの声が聞こえるも、今はそれに応えられる余裕もない。
急激に昂った感情と、熱で茹だった体。ただでさえ体調不良で視界が眩んでいたところを精神的に揺さぶられ、その上でいきなり起き上がったことで、脳の軸が完全にブレてしまった。
「ぐ……っ」
「テオドール! テオドール!!」
込み上げる吐き気に口元を押さえながら、布団の上にゆっくりと倒れ込む。
チカチカと点滅する視界は明らかに異常で、すぅっと冷めていく体温に、これ以上意識を保っていられないのだと悟る。
「アルバ……さま……」
「やだ!! テオドール!! しっかりして……!!」
真っ青な顔で泣くアルバートの姿が、ぼやけた視界の中に映る。
せめて「大丈夫ですよ」と言って、安心させてあげたいのに、今はその一言すら言えなくて、胸が苦しい。
どうか、泣かないで──傷つけてしまったこと、心配させてしまったこと、泣かせてしまったこと……いくつもの『ごめんなさい』という想いが溢れる中、テオドールは意識を手放した。
(最低だ……!!)
下腹部に生まれた違和感。ズクズクと疼くような熱を孕み、明らかに芯を持った陰部に、テオドールは蹲ったまま頭を抱えた。
決してアルバートに欲情した訳ではない。彼に対して、劣情を抱いている訳でもない。
本来は目にすることのない他者の自慰行為に間近で触れ、意図せず性的な刺激を受けたことで、生理的に体が反応してしまっただけ……ただそれだけだ。
そう思うのに、アルバートの秘めたる姿によって下半身が反応してしまったのは事実で、否が応でも罪の意識が生まれた。
(やっぱり、願われても側にいるべきじゃなかった……)
あんな風に、名を呼ばれるなんて──瞬間、アルバートの赤らんだ頬や艶めいた嬌声、潤んだ瞳を思い出し、カァッと顔が熱くなった。
「っ……!」
触れてはいけないものに触れてしまったような罪悪感と、身を焦がすような羞恥に、赤く染まっているであろう顔を両手で隠す。
ドクドクと暴れる心臓に、ぐぅ……と唸るも、それに反応するように下半身の違和感が大きくなり、慌てて立ち上がった。
(アルバート様にバレなくて良かった……)
万が一にも勃起した股間に気づかれていたら、あまりの羞恥と罪悪感で死んでいたかもしれない。
不幸中の幸いに大きく息を吐き出すと、気を落ち着かせるために、何度か深呼吸を繰り返した。
(早く、戻らないと)
アルバートが部屋で待っているのだ。
湯を沸かしている間に、さっさと処理してしまおう──少しばかり歩きにくい下腹部に顔を顰めつつ、大きく一歩を踏み出すと、テオドールは急いで湯殿へと向かった。
湯を張った盥を持ち、アルバートの部屋に戻れば、下半身をタオルで隠したまま、ベッドに横になるアルバートが待っていた。
よほど疲れたのか、今にも眠ってしまいそうな姿に苦笑しつつアルバートを起こすと、彼が身を清め、支度が整うまで、背を向けたままその場で待った。
その後、アルバートが布団に潜り込むのを見守り、開けていた窓を閉めれば、いつもと同じ、穏やかな夜が帰ってきた。
「随分と夜更かしをしてしまいましたね。明日は、少し寝坊されても大丈夫ですからね」
「ぅん……ねぇ、テオドール」
「はい?」
「色々、教えてくれて、ありがとう」
「……お役に立てて、なによりです。さぁ、もうお休みしましょう」
「ん……、おやすみなさい」
「おやすみなさいませ、アルバート様」
ふにゃりと笑い、すぐに目を瞑ってしまったアルバートにホッと息を吐くと、静かに部屋をあとにする。そのまま隣の自室に戻ると、倒れるようにベッドの上に突っ伏した。
「はぁ……」
いつもと変わらぬ日常の中で起きた、非日常的な出来事。
まるで夢でも見ていたかのような怒涛の連続に、今になってどっと疲労が押し寄せた。
(疲れたな……)
アルバートの成長は喜ばしいことなのに、あまりにも他の衝撃が大きすぎて、素直に喜べない。
まだ緊張しているのか、落ち着かない胸の鼓動に、思わず溜め息が溢れた。
未だにモヤモヤとする胸。それでも、一晩寝て起きたら、少しは気持ちも落ち着いてくれるだろうか──そんな淡い期待を抱きながら目を閉じれば、あっという間に意識は眠りの底に落ちていった。
微睡む意識の中、自分の名を呼ぶアルバートの声が、鼓膜の奥でずっと響いていた。
アルバートが精通を迎えた日から一週間後。テオドールは高熱にうなされ、ベッドから起き上がれずにいた。
「テオドール、大丈夫?」
「ゴホッ……、アルバート様、私なら大丈夫です。風邪がうつってしまいますから、どうかお部屋の外に出ていてください」
「でも……」
全身で心配だと訴えるアルバートの優しさが、今はとても心苦しい。
風邪がうつってしまうかもしれない心配と、それとは異なる居心地の悪さから、つい突き放すような言い方をしてしまった。
体調不良も、勝手な心苦しさも、自業自得だった。
アルバートの自慰行為を手伝った翌朝、愕然とした気持ちで目が覚めた。
前日の夜、一度欲を発散させたにも関わらず、性器が勃起していたのだ。
勿論、朝勃ちという生理現象という可能性も捨てきれない。だがしかし、屹立した性器の先は僅かに濡れ、下着は冷たく湿っていた。
夢精──そう認識した瞬間、心臓がヒュッと竦み上がった。
アルバートの精通と、それに付随した出来事が原因なのは明らかだった。朧げな夢の記憶を辿れば、うっすらとアルバートの面影が浮かび、慌てて残っていた微かな記憶を振り払った。
冷えていく体に反して顔面は熱く、それを誤魔化すように、必死に自分の中で言い訳を並べた。
決してアルバートに劣情を抱いている訳ではない。ただ昨日の出来事に誘発されただけ。
夢にアルバートが出てきたのは、眠る直前まで、彼のことを考えていたからだ。
きっと、特別な情が混じっているような声で名を呼ばれ、少し驚いてしまっただけ──……
『テオドール……ッ』
刹那、脳の奥でアルバートの幼い声が響き、ぶわりと肌が粟立った。それと同時に、どうしようもない自己嫌悪と罪悪感が押し寄せ、腫れた股間を隠すように、ベッドの上で膝を抱いた。
邪な気持ちが無いとはいえ、アルバートを汚してしまったような罪悪感が、後から後から湧き出る。
精通を迎え、半分大人になったとはいえ、アルバートはまだ十四歳だ。まして、その見た目は十歳の子どもとそう変わらないほどに幼い。
アルバートの幼い外見と言動が、より一層罪悪感を掻き立て、罪の意識を濃くさせた。
その日から、贖罪を乞うように、記憶を振り払うように、一心不乱に鍛錬に打ち込んだ。と言っても、昼間はアルバートと共に過ごしているので、夜中、アルバートが寝た後に励んでいたのだが……これが良くなかった。
肌寒くなってきた季節は、夜になれば更に気温が下がる。体を動かせば体温は上がるが、流れた汗は外気に触れて冷えていく。そんな中で長々と鍛錬を続ければ、どうなるか……そんな簡単なことにも、この時の自分は気づけなかった。
(風邪をひいたのなんて、いつぶりだろう……)
夜の鍛錬を続けて五日目。突然の悪寒にふるりと身震いした時には、既に風邪をひいていた。
正直、この程度で体調を崩すとは思っていなくて驚いたが、みるみる内に悪化していく症状に、あっという間に寝込んでしまった。
そうして今、寝込んで二日目にして高熱で意識が朦朧とし、立つのも辛い状態になっていた。
(まずいな……)
頭痛でクラクラとする視界の端、アルバートが氷水に浸した手拭いを絞る姿が見えた。
「アルバート様、本当に、うつしてしまいますから……」
「いいの! うつってもいいから……」
その言葉と共に、濡れた手拭いが額の上に載せられた。ひんやりとしたそれは気持ち良く、火照った体を心地良く冷やしてくれる。
堪らないほどの気持ち良さに、ほぅ……と息が漏れるも、現状を享受する訳にはいかなかった。
「ありがとうございます、アルバート様。あとは、自分でやりますから……」
「ダメだよ。ちゃんと寝てて。起きるのも辛いんでしょう?」
「本当に、大丈夫ですか……っ、ケホッ」
「テオドール、無理しないで。僕なら大丈夫だから」
「ですが……」
経緯が経緯なだけに、気まずさと申し訳なさが先に立つ。その上で、もしもアルバートに風邪をうつしてしまったらと思うと心配で、なんとか部屋から出てもらえないかと、回らない頭を必死に動かした。
「……ごめんね」
「え?」
なかなか言葉が出てこないまま、まごついていると、アルバートがポツリと呟いた。
突然の謝罪の意味が分からず目を瞬くも、続いた言葉に、ヒュッと喉が鳴った。
「困らせて、ごめんね」
「いえ、困るだなんて……」
「……あんまり、僕と一緒にいたくないかもしれないけど、でも、テオドールが心配だから、今だけ、許してほしい」
「──」
平坦で静かな声に、胸の臓器が軋むような音を立てた。
「何を、仰って……」
「……最近、あんまり、テオドールと目が合わないの、知ってるよ」
「っ……」
「あの夜から、テオドールがあんまり元気じゃないのも、ちゃんと寝れてないのも、知ってる」
「ア、アルバート様……」
「ごめんね。僕が、変なことお願いしたから、いっぱい、困らせちゃったね……」
「違います! アルバート様、私は……!」
俯いたまま、絞り出すように声を震わせるアルバートに血の気が引く。必死になって弁明しようとするも、半分は彼の言う通りで、上手く言葉が出てこなかった。
『あの夜』から、アルバートの瞳を直視できなくなっていた。
アルバートの自慰行為を間近で感じ、それによって夢精してしまったのだろう己が信じられなくて、後ろめたくて、申し訳なくて、逃げるようにルビーのような赤い瞳から逃げていた。
彼の瞳を見たら、あの日見た光景をまた思い出してしまいそうで、自身の名を呼ぶアルバートの声を思い出してしまいそうで、それが怖くて、ずっと逃げていたのだ。
ただ自分が臆病なだけで、彼を傷つけるつもりなんて、これっぽっちもなかったのに……
「ごめんなさい……っ、もう、困らせること、しないから……!」
ぽたぽたと零れる雫と共に落ちる震える声に、胸が張り裂けそうになる。
自分の浅はかな行動が、どれだけアルバートを不安にさせ、傷つけたのか。
それすら必死に隠そうとしていたのだろう痛々しさに、様々な感情が一気に込み上げた。
「ちゃんと、良い子にしてるから……っ、お願いだから、嫌いにならないで……!」
「ッ──!! アルバートさ、ま……っ」
そんな言葉を、貴方に言わせたくない。聞きたくない。
不甲斐ない自身への憤りと、アルバートへの情が膨れ上がり、感情のままに上体を起こした──直後、ぐわんと大きく脳が揺れ、そのまま崩れ落ちた。
「テオドール!?」
「う、くっ……」
悲鳴のようなアルバートの声が聞こえるも、今はそれに応えられる余裕もない。
急激に昂った感情と、熱で茹だった体。ただでさえ体調不良で視界が眩んでいたところを精神的に揺さぶられ、その上でいきなり起き上がったことで、脳の軸が完全にブレてしまった。
「ぐ……っ」
「テオドール! テオドール!!」
込み上げる吐き気に口元を押さえながら、布団の上にゆっくりと倒れ込む。
チカチカと点滅する視界は明らかに異常で、すぅっと冷めていく体温に、これ以上意識を保っていられないのだと悟る。
「アルバ……さま……」
「やだ!! テオドール!! しっかりして……!!」
真っ青な顔で泣くアルバートの姿が、ぼやけた視界の中に映る。
せめて「大丈夫ですよ」と言って、安心させてあげたいのに、今はその一言すら言えなくて、胸が苦しい。
どうか、泣かないで──傷つけてしまったこと、心配させてしまったこと、泣かせてしまったこと……いくつもの『ごめんなさい』という想いが溢れる中、テオドールは意識を手放した。
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