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4.二人きりⅡ
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(放っておくだけで、冷遇されていないのは幸いだったな)
コトコトと煮え立つクリームシチューを混ぜながら、テオドールは一年間で把握した実状に想いを馳せた。
王都の本邸から領地の離れに追いやられたアルバートだが、別邸の人間はアルバートに対して無関心だ。それは悪いことでもあり、同時に良いことでもあった。
掃除や洗濯等、必要最低限のこと以外は放置されているが、生きてく上で欠かせない食事はおざなりにされることもなく、日に三度、きちんとした物が与えられていた。
とはいえ、あの侯爵がそんな温情をアルバートに与えるはずがない。恐らくは、別邸の家令の独断だろう。
(食材も普通に分けてくれたしな)
別邸の家令は、五十代後半の寡黙な男性だ。無表情で、無駄な会話が一切無く、非常に近寄り難い人だが、決して悪い人ではなかった。
離れでスープだけでも作りたい、とダメ元で願いに向かった際も、家令は特に嫌な顔をすることもなく、「承知しました」と言って翌日から食材を届けてくれた。
今では毎朝清掃に訪れるメイドが一日分の食材とパンを運んでくれるので、彼女達が日に三度、食事を届けに来ることもなくなった。
もしかしたら、食毎に離れまで食事を運ぶ面倒を省きたかっただけかもしれないが、こちらとしては気が楽で有り難かった。
平穏な日々のおかげで、騎士として振る舞う機会も無くなったが、今の生活に不満は無かった。
毎日の鍛錬だけは欠かさず、万が一に備え剣帯もしているが、日々の勤めはアルバートの家庭教師兼世話役に変わっていた。
(もし、自分以外の者がここに来ていたら……)
もしかしたら、漠然と時間が流れていくだけの退屈な生活に嫌気が差し、監視という役目も放棄して逃げ出していたのではないか……そう思ってしまうほど、ここでの生活は単調で、外界から切り離された完結的なものだった。
自分としては、穏やかな今の生活に特に不満はない。が、軟禁は軟禁だ。
アルバートは屋敷の周辺から離れることを許されず、一切の外出を禁じられている。
娯楽品や嗜好品の類が与えられることもなく、外の世界の情報も遮断された。
離れという限られた空間で、ただ息をして、無意味な日々を孤独に過ごすだけ──侯爵がアルバートに課した軟禁とは、本来そういうものだ。
(きっと、そうなることをお望みだったんだろうが)
テオドールは監視のため、アルバートが逃げ出さないように、常に側で見張っているようにと命じられた。
つまりは、自分自身も軟禁されているようなものだ。恐らく侯爵は、自分がアルバートを見捨てて逃げるとでも思ったのだろうが──生憎と、そんな気は微塵も無い。
「テオドール、はい、お皿」
「ありがとうございます」
自身の隣、ちょこんと立ったアルバートから深めの木皿を受け取り、シチューをよそる。温かな湯気を立てるそれは見るからに美味しそうで、我ながら上出来だと褒めたくなる。
出来上がったシチューは、大きく切った野菜と肉がゴロゴロと入った食べ応えのある一品だ。アルバートと共に席に着き、とろりとしたシチューをパンにつけて食べれば、味わい深い風味が口の中に広がった。
「美味しいね!」
「ええ、美味しいですね」
小さな口いっぱいに頬張るアルバートにクスリとしながら、薔薇色に染まる頬を見つめた。
食生活が変わり、十分な栄養を摂取するようになったことで、アルバートは随分と健康体になった。最近ではテオドールの鍛錬時間に合わせ、共に軽い運動もこなすようになり、日毎逞しく育っていた。
(……でも、アルバート様の成長には足りない)
匙を口に運びながら、唯一の懸念をシチューと共に飲み込む。
吸血鬼が成長するために必要不可欠な血液の摂取──移り住んでから約一年、アルバートは未だに、吸血行為ができないままでいた。
「さぁ、アルバート様、今月も頑張りましょう」
「……うん」
就寝前、テオドールはアルバートの寝室を訪れると、彼と隣合わせでカウチに座った。
夕食時の元気が嘘のように大人しくなってしまったアルバートに苦笑しつつ、体の向きを変えると、彼の前に自身の左手を差し出した。
「アルバート様、多少の痛みなら、私は平気です。頑張って噛んでみましょう?」
「……うん」
恐る恐るテオドールの手を取り、口元まで近づけるも、そのまま固まってしまったアルバートに眉を下げる。
(今回も無理かな……)
ここでの暮らしに馴染み、半年ほど経った頃から、アルバートが血を飲むための練習を始めた。
やはり吸血行為ができないままでいるのは、アルバートにとっても良くない。そう考え、彼を説得し、月に一度だけ『噛んでみる日』を設けたのだ。
勿論、血が出ればそのまま飲んでくれて構わない、と伝えているのだが、アルバートが肌に歯を立てたことは、未だに一度もなかった。
「……」
「……」
長い長い沈黙の中、互いに身じろぎしないまま静かな時間が流れる。
小さな手でテオドールの手を握ったまま、潤んだ瞳でその手を見つめるアルバートの顔を覗き込むと、殊更穏やかに話し掛けた。
「アルバート様、本当に大丈夫ですから」
「……」
「……アルバート様?」
「……できないよ……」
俯いたまま、震える声でポツリと呟くアルバート。その泣きそうな声に切なくなりながら、浅く息を吐くと、サラリと流れる黒髪をそっと撫でた。
「分かりました。来月、また頑張りましょうね」
「……ごめんね」
「まだ怖いですか?」
「……うん」
「う~ん、どうしたら怖くなくなるんでしょうね」
「……ごめんなさい」
「ああ、違うんです! 責めたい訳ではなくて、純粋にどうしたら怖くなくなるのだろうと思って……!」
慌ててアルバートの柔らかな頬を両手で包み込むと、俯いてしまった顔と向き合う。
「少しずつ、気持ちを整理していきましょう。アルバート様にとって必要な行為だと、ご自身できちんと理解できるようになれば、きっと噛めるようになるはずですから」
「……うん」
コクンと頷いてくれたアルバートにホッとしつつ、頬に添えていた手を離すと、傍らに用意していたナイフを手に取った。
「テ、テオドール、血ならいらないから、切らないでいいよ……!」
「そう言って、先月もお飲みになっていないでしょう?」
「そうだけど……」
「アルバート様、私の血ではお口に合わないかもしれませんが、せめて少量でも──」
「テオドールの血は美味しいよ! あっ……」
咄嗟に言ってしまったのか、慌てて両手で口を押さえるアルバートにポカンとしながら、クスリと笑みを返した。
「お口に合ってなによりです」
「うぅ……っ」
味の良し悪しを答えるのは恥ずかしい行為なのか、アルバートが赤く染まった顔を両手で隠している間に、ナイフで手の側面を浅く切った。
途端に切った断面から鮮血が滲む。その芳香に気づいたのか、パッと顔を上げたアルバートが、コクリと喉を鳴らした。
「どうぞ、お飲みくださいませ」
「……ごめんね。痛いのに、いつもありがとう」
「どういたしまして」
感謝の言葉を素直に受け取れば、小さな手が、自身の左手を優しく握り締めた。
恭しく持ち上げられた左手に少しばかり擽ったい気持ちになりながら、静かにその様子を見守れば、血が垂れる切り口を温かな唇がはむりと包み込んだ。
チュウチュウと可愛らしい音を立てながら血を飲むアルバートはどこか満足げで、その姿にホッと息を吐く。
(血を飲まれること自体は、お好きみたいなんだよな)
あくまで噛むのが怖いだけで、血そのものはむしろ好きなように見える。吸血鬼なので、当然と言えば当然なのかもしれないが……
(味が好きなら、その内、本能的に噛めるようになるんじゃないかな?)
楽観的な考えかもしれないが、まったく希望がない訳でもない。
まだ十二歳なのだ。これから少しずつ慣れていけばいいじゃないか──最後の一雫まで飲み干そうと懸命に吸いつくアルバートを見つめながら、願望めいた期待を胸に抱いた。
「……ねぇ、テオドール」
「はい」
「テオドールは、どうして、僕とずっと一緒にいてくれるの?」
「はい?」
血を飲み終え、ベッドに潜り込んだアルバートが、布団で半分顔を隠したまま小さく呟いた。
「どうして、とは?」
「だって……ずっとここにいなきゃいけないし、他の人と、お喋りもできないし……楽しくないでしょう?」
照明を落とした部屋の中、手に持ったランプの光だけが、ぼんやりとアルバートの輪郭を映し出していた。
その表情が、不安げに揺らめいていることに気づき、ふっと頬を緩めた。
「どこかに行きたいとも思っておりませんし、アルバート様と毎日お話しできて、私は楽しいですよ」
「でもっ、どこにも、行けないし……」
「そうですね……せめて、買い出しくらいは行かせてもらえるようになれば──」
「そうじゃなくて! ……ここに来なければ、テオドールはもっと、自由に生きられたはずだ」
布団を跳ね除け、ガバリと起き上がったアルバートが、悔しげに表情を歪めた。
「毎月、手を切って痛い思いをする必要だってなかった。それに……家族や、恋人にも……会えないでしょう……?」
両手の拳をぎゅうっと握り締め、俯いてしまったアルバートに、僅かに息を呑む。
彼自身、『家族』という話題に触れたくなかったはずだ。にも関わらず、自分のことを案じ、言葉にしてくれた。いや、もしかしたら、もうずっと、心配してくれていたのかもしれない。
余計な心配はさせまいと、身の上について黙っていたことが、逆に不安にさせてしまったのだと思い至り、反省する。
手にしたランプをサイドテーブルに置くと、テオドールはアルバートのベッドに腰を下ろした。
ギシリと音を立てて沈んだマットレスに、ハッとして顔を上げたアルバート。その緋色の瞳を真っ直ぐ見つめ返すと、ゆっくりと口を開いた。
「アルバート様、私がアルバート様のお側にいるのも、手を切るのも、私がそうしたいからです。アルバート様が気に病まれる必要はございません。どうか、ご自身をお責めにならないでくださいませ」
「でも……」
「それと、私には家族も恋人もいません」
「……え?」
恋人はともかく、家族がいないのは予想外だったのだろう。目を丸くして固まってしまったアルバートに、眉を下げた。
コトコトと煮え立つクリームシチューを混ぜながら、テオドールは一年間で把握した実状に想いを馳せた。
王都の本邸から領地の離れに追いやられたアルバートだが、別邸の人間はアルバートに対して無関心だ。それは悪いことでもあり、同時に良いことでもあった。
掃除や洗濯等、必要最低限のこと以外は放置されているが、生きてく上で欠かせない食事はおざなりにされることもなく、日に三度、きちんとした物が与えられていた。
とはいえ、あの侯爵がそんな温情をアルバートに与えるはずがない。恐らくは、別邸の家令の独断だろう。
(食材も普通に分けてくれたしな)
別邸の家令は、五十代後半の寡黙な男性だ。無表情で、無駄な会話が一切無く、非常に近寄り難い人だが、決して悪い人ではなかった。
離れでスープだけでも作りたい、とダメ元で願いに向かった際も、家令は特に嫌な顔をすることもなく、「承知しました」と言って翌日から食材を届けてくれた。
今では毎朝清掃に訪れるメイドが一日分の食材とパンを運んでくれるので、彼女達が日に三度、食事を届けに来ることもなくなった。
もしかしたら、食毎に離れまで食事を運ぶ面倒を省きたかっただけかもしれないが、こちらとしては気が楽で有り難かった。
平穏な日々のおかげで、騎士として振る舞う機会も無くなったが、今の生活に不満は無かった。
毎日の鍛錬だけは欠かさず、万が一に備え剣帯もしているが、日々の勤めはアルバートの家庭教師兼世話役に変わっていた。
(もし、自分以外の者がここに来ていたら……)
もしかしたら、漠然と時間が流れていくだけの退屈な生活に嫌気が差し、監視という役目も放棄して逃げ出していたのではないか……そう思ってしまうほど、ここでの生活は単調で、外界から切り離された完結的なものだった。
自分としては、穏やかな今の生活に特に不満はない。が、軟禁は軟禁だ。
アルバートは屋敷の周辺から離れることを許されず、一切の外出を禁じられている。
娯楽品や嗜好品の類が与えられることもなく、外の世界の情報も遮断された。
離れという限られた空間で、ただ息をして、無意味な日々を孤独に過ごすだけ──侯爵がアルバートに課した軟禁とは、本来そういうものだ。
(きっと、そうなることをお望みだったんだろうが)
テオドールは監視のため、アルバートが逃げ出さないように、常に側で見張っているようにと命じられた。
つまりは、自分自身も軟禁されているようなものだ。恐らく侯爵は、自分がアルバートを見捨てて逃げるとでも思ったのだろうが──生憎と、そんな気は微塵も無い。
「テオドール、はい、お皿」
「ありがとうございます」
自身の隣、ちょこんと立ったアルバートから深めの木皿を受け取り、シチューをよそる。温かな湯気を立てるそれは見るからに美味しそうで、我ながら上出来だと褒めたくなる。
出来上がったシチューは、大きく切った野菜と肉がゴロゴロと入った食べ応えのある一品だ。アルバートと共に席に着き、とろりとしたシチューをパンにつけて食べれば、味わい深い風味が口の中に広がった。
「美味しいね!」
「ええ、美味しいですね」
小さな口いっぱいに頬張るアルバートにクスリとしながら、薔薇色に染まる頬を見つめた。
食生活が変わり、十分な栄養を摂取するようになったことで、アルバートは随分と健康体になった。最近ではテオドールの鍛錬時間に合わせ、共に軽い運動もこなすようになり、日毎逞しく育っていた。
(……でも、アルバート様の成長には足りない)
匙を口に運びながら、唯一の懸念をシチューと共に飲み込む。
吸血鬼が成長するために必要不可欠な血液の摂取──移り住んでから約一年、アルバートは未だに、吸血行為ができないままでいた。
「さぁ、アルバート様、今月も頑張りましょう」
「……うん」
就寝前、テオドールはアルバートの寝室を訪れると、彼と隣合わせでカウチに座った。
夕食時の元気が嘘のように大人しくなってしまったアルバートに苦笑しつつ、体の向きを変えると、彼の前に自身の左手を差し出した。
「アルバート様、多少の痛みなら、私は平気です。頑張って噛んでみましょう?」
「……うん」
恐る恐るテオドールの手を取り、口元まで近づけるも、そのまま固まってしまったアルバートに眉を下げる。
(今回も無理かな……)
ここでの暮らしに馴染み、半年ほど経った頃から、アルバートが血を飲むための練習を始めた。
やはり吸血行為ができないままでいるのは、アルバートにとっても良くない。そう考え、彼を説得し、月に一度だけ『噛んでみる日』を設けたのだ。
勿論、血が出ればそのまま飲んでくれて構わない、と伝えているのだが、アルバートが肌に歯を立てたことは、未だに一度もなかった。
「……」
「……」
長い長い沈黙の中、互いに身じろぎしないまま静かな時間が流れる。
小さな手でテオドールの手を握ったまま、潤んだ瞳でその手を見つめるアルバートの顔を覗き込むと、殊更穏やかに話し掛けた。
「アルバート様、本当に大丈夫ですから」
「……」
「……アルバート様?」
「……できないよ……」
俯いたまま、震える声でポツリと呟くアルバート。その泣きそうな声に切なくなりながら、浅く息を吐くと、サラリと流れる黒髪をそっと撫でた。
「分かりました。来月、また頑張りましょうね」
「……ごめんね」
「まだ怖いですか?」
「……うん」
「う~ん、どうしたら怖くなくなるんでしょうね」
「……ごめんなさい」
「ああ、違うんです! 責めたい訳ではなくて、純粋にどうしたら怖くなくなるのだろうと思って……!」
慌ててアルバートの柔らかな頬を両手で包み込むと、俯いてしまった顔と向き合う。
「少しずつ、気持ちを整理していきましょう。アルバート様にとって必要な行為だと、ご自身できちんと理解できるようになれば、きっと噛めるようになるはずですから」
「……うん」
コクンと頷いてくれたアルバートにホッとしつつ、頬に添えていた手を離すと、傍らに用意していたナイフを手に取った。
「テ、テオドール、血ならいらないから、切らないでいいよ……!」
「そう言って、先月もお飲みになっていないでしょう?」
「そうだけど……」
「アルバート様、私の血ではお口に合わないかもしれませんが、せめて少量でも──」
「テオドールの血は美味しいよ! あっ……」
咄嗟に言ってしまったのか、慌てて両手で口を押さえるアルバートにポカンとしながら、クスリと笑みを返した。
「お口に合ってなによりです」
「うぅ……っ」
味の良し悪しを答えるのは恥ずかしい行為なのか、アルバートが赤く染まった顔を両手で隠している間に、ナイフで手の側面を浅く切った。
途端に切った断面から鮮血が滲む。その芳香に気づいたのか、パッと顔を上げたアルバートが、コクリと喉を鳴らした。
「どうぞ、お飲みくださいませ」
「……ごめんね。痛いのに、いつもありがとう」
「どういたしまして」
感謝の言葉を素直に受け取れば、小さな手が、自身の左手を優しく握り締めた。
恭しく持ち上げられた左手に少しばかり擽ったい気持ちになりながら、静かにその様子を見守れば、血が垂れる切り口を温かな唇がはむりと包み込んだ。
チュウチュウと可愛らしい音を立てながら血を飲むアルバートはどこか満足げで、その姿にホッと息を吐く。
(血を飲まれること自体は、お好きみたいなんだよな)
あくまで噛むのが怖いだけで、血そのものはむしろ好きなように見える。吸血鬼なので、当然と言えば当然なのかもしれないが……
(味が好きなら、その内、本能的に噛めるようになるんじゃないかな?)
楽観的な考えかもしれないが、まったく希望がない訳でもない。
まだ十二歳なのだ。これから少しずつ慣れていけばいいじゃないか──最後の一雫まで飲み干そうと懸命に吸いつくアルバートを見つめながら、願望めいた期待を胸に抱いた。
「……ねぇ、テオドール」
「はい」
「テオドールは、どうして、僕とずっと一緒にいてくれるの?」
「はい?」
血を飲み終え、ベッドに潜り込んだアルバートが、布団で半分顔を隠したまま小さく呟いた。
「どうして、とは?」
「だって……ずっとここにいなきゃいけないし、他の人と、お喋りもできないし……楽しくないでしょう?」
照明を落とした部屋の中、手に持ったランプの光だけが、ぼんやりとアルバートの輪郭を映し出していた。
その表情が、不安げに揺らめいていることに気づき、ふっと頬を緩めた。
「どこかに行きたいとも思っておりませんし、アルバート様と毎日お話しできて、私は楽しいですよ」
「でもっ、どこにも、行けないし……」
「そうですね……せめて、買い出しくらいは行かせてもらえるようになれば──」
「そうじゃなくて! ……ここに来なければ、テオドールはもっと、自由に生きられたはずだ」
布団を跳ね除け、ガバリと起き上がったアルバートが、悔しげに表情を歪めた。
「毎月、手を切って痛い思いをする必要だってなかった。それに……家族や、恋人にも……会えないでしょう……?」
両手の拳をぎゅうっと握り締め、俯いてしまったアルバートに、僅かに息を呑む。
彼自身、『家族』という話題に触れたくなかったはずだ。にも関わらず、自分のことを案じ、言葉にしてくれた。いや、もしかしたら、もうずっと、心配してくれていたのかもしれない。
余計な心配はさせまいと、身の上について黙っていたことが、逆に不安にさせてしまったのだと思い至り、反省する。
手にしたランプをサイドテーブルに置くと、テオドールはアルバートのベッドに腰を下ろした。
ギシリと音を立てて沈んだマットレスに、ハッとして顔を上げたアルバート。その緋色の瞳を真っ直ぐ見つめ返すと、ゆっくりと口を開いた。
「アルバート様、私がアルバート様のお側にいるのも、手を切るのも、私がそうしたいからです。アルバート様が気に病まれる必要はございません。どうか、ご自身をお責めにならないでくださいませ」
「でも……」
「それと、私には家族も恋人もいません」
「……え?」
恋人はともかく、家族がいないのは予想外だったのだろう。目を丸くして固まってしまったアルバートに、眉を下げた。
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