私だけの吸血鬼

東雲

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3.二人きり

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「ごめんね、テオドール……! ごめんなさい……!」
「アルバート様が悪い訳ではございません。どうかそのように謝らないでくださいませ」

小さな体を更に小さくし、馬車の向かい側の席に座るアルバート。今にも泣き出しそうな彼に苦笑で答えれば、潤んだ紅い瞳が一層水気を帯びた。

「だ、だって、僕と関わったから……テオドールにも、迷惑が……」
「迷惑だなどと思っておりません。ご安心ください」

アルバートと二人きりの馬車の中、顔には笑みを浮かべつつ、内心は呆れと怒りで荒んでいた。勿論、アルバートに対してではない。アルバートの父親、ツェペラ侯爵に対してだ。


アルバートに血を与えた三日後。アルバートは王都にある本邸から、侯爵領にある別邸の離れにその身を移されることになった。
表向きは、社交の場にすら出せない病弱な長男の療養のためだが、実際は領地に軟禁することが目的だ。
長男でありながら、跡継ぎとして使い物にならないと判断されたアルバートは、既に侯爵一家にとっていらない存在だった。
問題のある子どもを領地に閉じ込めておくことは、貴族間では珍しいことではない。それでも、吸血行為ができないというだけで我が子を貶し、捨てるように本邸から追い出した侯爵に怒りを覚えた。

(あんな輩の顔を見ないで済むと思うと清々する)

テオドールは護衛騎士として、ただ一人、アルバートと共に領地へ向かうようにと命じられた。
言われた当初は、なぜ自分が選ばれたのだろうと不思議に思ったが、なんのことはない。先日、アルバートに話し掛け、その身を労っていたところを誰かに見られ、侯爵に告げ口されたのだ。
侯爵一家にも腹が立つが、なにより同じ騎士団に所属している者が、当たり前のようにアルバートを見下し、親しげに近づく者を排除しようとしていたその性根の悪さに腹が立った。
アルバートのことがずっと気掛かりで離れられなかっただけで、本当ならとっくの昔に騎士団など辞めていた。既に侯爵家の騎士として仕える気は完全に失せていたのだから。

だからこそ、此度の護衛騎士の話は、テオドールにとっては願ったり叶ったりだった。
他の騎士達からしたら、領地の離れに追いやられるとんでもない『ハズレ役』であり、護衛騎士とは名ばかりのアルバートが逃げ出さないための監視役など願い下げだろう。
貧乏くじを押し付けたつもりなのだろうが、侯爵一家の目が無いところであれば、堂々とアルバートに接することができる。アルバートも、傷つくことなく、それなりに平和に過ごせるようになるはずだ。

(……父親や、兄の代わりになろうという気はない)

自分は一介の騎士であり、アルバートの側に付いているだけの存在だ。
ただせめて、健やかに育ってほしいと願ってしまう。
大人になり、いつか彼が自由を手にした時に、不自由なく生きていけるだけの手助けがしたい──そう思ってしまったのだ。
ガタガタと揺れる馬車の中、自身を責めるあまり、俯いたまま顔を上げられないでいるアルバートに苦笑すると、席を立ち、その足元に膝をついた。

「!?」
「本当に、アルバート様のせいではございません。むしろ私は、アルバート様と共に領地に向かえることを嬉しく思っておりますよ」
「……どうして? だって、行っても何もないよ……?」
「アルバート様がいらっしゃるではございませんか」
「……!」

アルバートは、自分が王都を追い出され、閑職に追いやられることを心配してくれているのだろう。
だが既に辞めるつもりだったのだ。一番の懸念だったアルバートの側にいられるのであれば、閑職だろうがなんだろうがどうでもいい。 

「これから、よろしくお願い致します。アルバート様」

そう言って、もう一度笑みを浮かべれば、前髪の隙間から覗く頬が淡い色に染まり、小さな頷きが返ってきた。


馬車で移動すること五日。アルバートとテオドールは、侯爵領の別邸、その隅にある離れに到着した。
離れは別邸と同じ敷地内にはあるものの、かなり離れた位置に建てられており、あからさまに問題のある者を収容する場所という雰囲気が漂っていた。
二階建ての小さな屋敷は、貴族の館にしては随分と質素な造りだったが、二人で生活するには充分な広さがあった。

(……ここで、アルバート様と一緒に過ごすのか)

ほんの少しの緊張と不安。それと、微かな希望──ここでの生活が、アルバートにとって望ましいものになるようにと願いながら、隣に立つ小さな主を見守った。



そうして始まったアルバートの軟禁生活は、実に単調なものだった。
アルバート付きの使用人はなく、離れに常駐している者はいない。別邸の人間が毎朝決まった時間に訪れ、掃除や洗濯を行うと、さっさと別邸に戻っていく。それ以外で使用人が訪れるのは、日に三度の食事を運んでくる時だけだ。
食事は別邸で作られたものが運ばれてくるのだが、運んでくる間に料理が冷めてしまい、温かい食事を口にすることは無くなった。とはいえ、食事の内容そのものは悪くないし、離れの中も清潔さが保たれており、決して劣悪な環境ではない。
ただ、誰もがアルバートの存在を無視し、一言も言葉を交わそうとしないのだ。
そこにいるのに、いない者として放置している空気は、寒々しいほどの孤独が充満していた。
自分がこの場にいなかったら、ここでのアルバートの生活はもっと孤独で、寂しいものになっていただろう……その事実に胸が締め付けられるも、当の本人は、あまり気にしていないようだった。

使用人の一人もいない別邸は、アルバートにとっては静かで心地良い場所のようで、本邸にいた頃よりも落ち着いているように見えた。
罵声を浴びせる両親も、嘲笑う弟妹も、見下す使用人達もいないだけで、彼にとってはどれほど息がしやすかったことか。オドオドしていた態度は軟化し、きちんと顔を上げて話してくれるようになった。
領地に着いた当初は、自分も含めて使用人達に放置される現状を謝り続けていたアルバートだが、「私は大丈夫です」と何度も言葉を重ね、共に過ごす内に、謝る回数も減っていった。
物理的に距離を縮めたことが功を成したのか、精神的な距離も縮まり、少しずつ会話が増えたことで、徐々にだが素直に自分を頼ってくれるようになった。


「テオドール、この文字が読めないんだけど……」
「どちらで……ああ、これは『触媒』ですね」
「しょくばい……」

離れにある一室。大きな書棚の中に無数の本が並ぶ部屋で、真剣に本に向かうアルバート。
真剣なその横顔を見つめながら、テオドールは穏やかに流れる時間にふっと頬を緩めた。

侯爵領の離れに移り住んで早一年。日々は驚くほど和やかに過ぎていた。
使用人達との関係は変わらずだが、それ以外の部分では、当初と変化した部分がいくつもあった。
一つは、アルバートが勉強を始めたことだ。九歳以降、家族に放置されていたアルバートは、家庭教師の授業も無くなり、基礎学習も満足に習っていなかった。
流石に家庭教師を呼ぶことはできず、一応貴族の出であり、貴族学校にも通っていた自分が最低限の読み書きや貴族マナーを教えることになった。
手探りで始めた家庭教師の真似事だが、アルバートは教えたことをあっという間に覚え、更なる知識を求めた。
そこで役に立ったのが、離れの中にあった書斎だ。多くの書物で溢れ返ったその部屋は、古い物から比較的新しい物まで、あらゆる種類の読み物が揃っていた。
以前の住人が残したものなのか、妙に充実した書斎だが、アルバートの勉学には非常に役立った。
元々が賢い子なのだろう。簡単な読み物から始まった読書は、徐々に難解な内容のものに変わり、語学や数学、歴史書といったものの他に、専門書のようなものまで読み始めるようになった。
そうしてぐんぐんと知識を増やしたアルバートは、知的好奇心にも目覚め、以前よりもずっと明るくなった。

「テオドール、これは?」
「こちらはですね……」

たまに読めない文字があると、自分を頼ってくれるアルバートが微笑ましくて、彼の隣で静かに読書に耽るのが、今では当たり前の時間になっていた。

「アルバート様、お髪が伸びましたね」
「……また、切ってくれる?」
「ええ、勿論」

本を読むアルバートの前髪が気になり、手を伸ばす。目に掛かる前髪を指先で優しく流せば、その下から綺麗な緋色の瞳が現われた。
二つ目の変化は、アルバートが前髪で顔を隠さなくなったことだ。
周囲の視線と、痣のできていた顔を隠すため、髪を伸ばしっぱなしにしていたアルバートだが、ここに来て二ヶ月ほどが経った頃、髪の毛を切ることを許してくれた。
慣れない作業だったが、散髪をさせてくれるほど気を許してくれたのだと思うと嬉しくて、丁寧に丁寧にその毛先を整えた。
元はボサボサでパサついていた髪の毛も、栄養のある食事と十分な睡眠で艶が増し、丁寧に梳くことでサラサラの黒髪に生まれ変わった。

(こうして触れることにも、随分慣れたな)

前髪に触れていた手でアルバートの頬を撫でるも、彼は嬉しそうに手に頬を擦り付けるだけだ。その仕草は愛らしい子猫のようで、つい笑みが零れる。
最初はほんの少しの接触にも震えていたアルバートだが、時間が経つほどに触れ合いにも慣れ、今では褒めてほしい時は自ら頭を差し出すようになっていた。
実年齢は十二歳だが、アルバートは見た目も精神もまだ幼い。辛い過去があったのだ。今はまだ甘やかしてもいいだろう、と特に気にせず可愛がった。

「日が暮れてきましたね。読書の時間は終わりにして、そろそろご飯の準備をしましょう」
「うん!」

コクンと頷くと、アルバートは読みかけの本に栞を挟み、机の上に広げていた教材やノートを丁寧に片付けていく。そうして二人で書斎を出ると、キッチンに向かって歩き出した。

三つ目の変化は、毎食の準備を二人で行うようになったことだ。
キッカケは、書斎で見つけた料理本だった。初心者向けのそれに興味を示したアルバートに、スープでも作ってみましょうかと提案したのが始まりだった。
ほとんど使われていなかったキッチンだが、調理器具は揃っており、問題なく使うことができた。
貴族出身とはいえ、成人後は庶民と変わらぬ暮らしをしてきたテオドールにとって、簡単な調理くらいなら経験があった。
別邸から食料を分けてもらい、初めて二人で作ったスープは、なんの変哲もない野菜スープだったが、久々の温かなそれが無性に美味しかったのを覚えている。
それからはパンだけを別邸から届けてもらい、それ以外は食材をそのまま分けてもらうことにして、自分達の食事は二人で作るように徐々に変わっていった。
今では料理のレパートリーも増え、それなりに見栄えのいいものも作れるようになった。
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