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1.出会い
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ずっと幼ない子どものままだと思っていた。
成人を迎えても少年と変わらぬ体躯と、あどけない面立ち、幼さを残す言動。
その見た目に囚われ、目の前にいる彼が十八歳の青年であるということをすっかり忘れていた。
「僕が好きなのはテオドールだよ……!!」
だからだろうか。突然の告白に対して照れもなく──それが例え、押し倒されている状況であっても、子犬が戯れついてきたような驚きばかりが、先立ってしまうのは。
◇◇◇◇◇
「この恥晒しがっ!!」
バシンッという殴打音と共に、何かが倒れる音が聞こえる。扉の前、音だけとはいえ、室内の出来事がほぼ筒抜けであることに、テオドールは顔を顰めた。
「暇な奴らがいない者の話をダラダラといつまでも……! お前のような出来損ないの話など聞きたくもないというのに、腹立たしい!!」
人を貶す言葉ほど、聞いていて不快なものはない。
自分が言われている訳ではないのに、延々と続く罵声に怒りと悲しみが込み上げ、無意識の内に握り締めていた拳が震えた。
部屋の中から聞こえてくるのは一人分のみ。反論する声も、泣き声も聞こえないまま、耳障りな男の声が延々と続いた後、「さっさと出ていけ!!」という怒声と共に静かに扉が開いた。
「……」
部屋から出てきたのは、自分の腰丈ほどの身長の細身の少年。
俯いたままの顔は見えず、どんな表情をしているかも分からなかったが、その細い肩が震えている様は、酷く痛々しかった。
「ひっ……、ひぅ……っ」
大きな屋敷が建つ敷地の外れ。美しい庭園を抜けた先の木々が生い茂る小さな林の中、啜り泣く声が聞こえ、足を止めた。
(こちらにいらっしゃったのか……)
人気のない庭園の端。見回り途中で聞こえたか細い泣き声に眉を顰めると、テオドールはそちらに向かって歩き出した。
気配を消し、なるべく足音を立てないように、そろり、そろりと近づけば、太い木の後ろに隠れるようにして蹲る小さな体が見えた。
「……アルバート様」
「っ!?」
なるべく穏やかに話し掛けたつもりだったが、声を掛けた瞬間、飛び跳ねんばかりの勢いで体をビクつかせた少年に、慌てて謝罪した。
「申し訳ございません! 驚かせるつもりはなかったのですが……」
そう言いながら、蹲ったまま体を震わせる幼な子の小ささにハッとする。
百九十センチ近い長身の自分から見下ろされたら、それだけで恐ろしいだろう。自身が意図せず与えてしまう威圧感を即座に理解すると、片膝をつき、手に何も持っていないことを証明するように、両手を膝の上に置いた。
「突然お声を掛けてしまい、失礼しました」
「……あなた、誰?」
「申し遅れました。騎士団に所属しております、テオドールと申します」
意外にも、その場から逃げることも、無視することもなく、言葉を返してくれた幼な子──アルバートにホッとしつつ、長い前髪の隙間から覗く紅い瞳を見つめ返した。
「……何か、僕に用?」
「用と言いますか……泣いていらっしゃったので、気になって……」
「……僕のことは、気にしなくていいよ」
ボソボソと呟く声は、今にも消えてしまいそうなほど小さい。
突き放すでもなく、不機嫌になるでもなく、ただすべてを諦めたような声音は、この子がこれまでどんな扱いを受けてきたかを物語っているようで、胸が痛くなった。
「……そんな風に、仰らないでくださいませ」
「!」
顔を隠すように伸ばされた黒髪を除けると、赤く腫れた頬にそっと触れた。途端に触れた肌がビクリと跳ねたが、その反応はあえて無視した。
一介の騎士に過ぎない自分が、断りもなく触れていい相手ではないことは百も承知だが、それでも今は、この孤独な幼な子を放っておきたくなかった。
「腫れていますね。冷やされましたか?」
「こっ、このくらい、なんともないよ……!」
「なんともなくありません。痛いでしょう?」
「……痛くない」
「……冷やす物をお持ちします。暫しお待ちを──」
「いらない! ……僕のことは、放っておいていいよ」
「放っておいてよ」とは言わないところに、彼の本心が透けて見えた。なにより、頬に触れたままの手を振り払われない。そこに、この子の寂しさが詰まっているようで、切なくなった。
「これくらい、すぐ治るから……」
「それは、アルバート様が人間ではないからですか?」
「……うん」
「でも、血を飲まれていないのですよね?」
「っ……」
「血を飲まれないと、アルバート様のお体は弱くなる一方ですよ?」
責めるつもりなどなかった。純粋にその身が心配で問い掛けたつもりだったが、直後にアルバートの顔が泣きそうな表情に歪んだことに息を呑んだ。
「申し訳ございません! 決してアルバート様を非難した訳では……っ」
「……分かってる。ただ……僕のことを心配してくれる人が、まだいたんだなって、思っただけ……」
「アルバート様……」
最後は泣き声に変わった震える声に、自分まで泣きそうになり、唇を噛み締めた。
吸血鬼の一族に生まれながら、吸血が行えない出来損ない──そう罵られ、両親や弟妹、一族から疎まれ、蔑まれながら生きている幼な子が、アルバートだった。
アルバートを含む吸血鬼一族である彼らは、誰もが見目麗しく、それでいて有する魔力や腕力は人間よりも高く、すべての能力において優れている種族だった。
人間にエルフ、獣人等、多くの種族が混在し、共存しているこの世界において、吸血鬼も一つの種として存在しているが、その人口は少なく、稀な存在として認識されていた。
存在自体が希少な吸血鬼。その中で最も有名なのが、ツェペラ侯爵家だった。
建国の頃より存在する名家であり、医学や政務、軍事等、あらゆる部門で優秀な人材を輩出してきた彼らは、貴重な人財として、長年に渡り国に貢献してきた。
広く豊かな領地を有し、王城内でも地位の高い役職に就くことが多い彼らは、その美貌も相まって、多くの羨望や熱い眼差しを受けることが常だった。
アルバートは、そんなツェペラ侯爵家の長男として生を受けた。
次期侯爵としての期待を背負った第一子。アルバートの両親や祖父母、多くの者がその誕生に歓喜した──が、それもアルバートが九歳になるまでのことだった。
吸血鬼といっても、彼らの食事は“血”ではない。日々の食事は人間のそれと変わらず、陽の光の下も普通に歩ける。ただその成長において、“血”が必要不可欠なのだ。
他者の血液を取り込むことで肉体的に成長する彼らは、乳歯が永久歯に生え変わり、吸血のための犬歯が固く頑丈なものに変わったところで、初めての吸血を行う。
華麗な吸血鬼一族に血を提供することを志願する者は、一定数存在する。その中から、より質の良い血液を有している者を見繕い、我が子達の成長の糧にするのだ。
そんな儀式めいた吸血行為を代々受け継いできたことで、その血脈を絶やすことなく繁栄してきた侯爵家だが、アルバートはその初めての吸血行為で、血の提供者に噛みつくことができず、血を飲むができなかった。
吸血鬼という種において、血液を欲することは自然なことであり、当然のことだ。
それを拒み、歯を立てることを恐れたアルバートを、彼の両親や一族は異端児だと罵り、『出来損ない』と蔑んだ。
それまで嫡男として、大事に大事に育てられてきたアルバートを取り巻く環境は、その日から一変した。
現侯爵である父親からは罵声を浴びせられ、時に暴力を振るわれた。
多くの女性達の羨望を浴び、侯爵夫人となった母親からは「お前のような欠陥品のせいで私まで恥をかいた!」と罵られた。
一歳違いの弟が、翌年初めての吸血行為を恙無く終えると、その立場は更に悪化の一途を辿った。
吸血を行えない出来損ないの長男ではなく、次男を跡継ぎにすることがその場で決まり、両親に嫌われるアルバートを弟も見下すようになった。
それに倣うように、三歳年下の妹までアルバートを毛嫌いし、母親の口癖を真似るように『欠陥品』と呼び始めた。
いつしかアルバートは、本邸の隅の部屋に居場所を追いやられ、社交の場はおろか、家族の食事の席にすら呼ばれない、『いない者』として扱われるようになった。
そのくせ、少しでもアルバートが家族の前に姿を見れば、誰も彼もが彼を傷つける言葉を投げつけ、手を上げ、精神的にも肉体的にもその身を傷つけた。
立派な虐待であるにも関わらず、まるでそうすることが当然とでも言いたげな侯爵一家。
テオドールはそんな現状が許せなくて、ずっとアルバートのことが気掛かりだった。
それでも、雇われ騎士でしかない自分が意見を言える立場でもなく、下手にアルバートを庇って怒りを買えば、余計に彼を追い込んでしまう結果に繋がってしまうかもしれないという葛藤から、これまで必死に己の感情を押し殺してきた。
だがそれも、今日、初めて間近で耳にした聞くに耐えない罵声と暴力に、ついに我慢の限界を超えた。
(もっと早く、こうしていれば良かった)
湧き上がる後悔の念に、キツく拳を握り締める。
これまでも、アルバートを不憫に思い、手を差し伸べた者達がいた。だがそういった者は皆、侯爵に睨まれ、屋敷を追い出されるか、不当な降格処分を受け、重労働を押し付けられた。
そうして次第に、誰も彼もがアルバートを避けるようになり、その存在を無視するようになった。
アルバートに近づくことで、侯爵の不興を買うことは分かっている。
けれど、広い屋敷の中で助けを求めることもできず、虐げられる独りぼっちの少年から、これ以上目を逸らしたくなかった。
アルバートが七歳の頃から侯爵家に仕え、彼が両親に愛されていた頃も知っているだけに、彼の胸中を思うと、あまりにも悲しくて、悔しくて、堪らない気持ちになるのだ。
(……余計なお節介だと、思われてもいい)
この感情が、一方的なものだと知っている。
自分にできることなど、何も無いかもしれない。
それでも、もう放っておくことなどできなかった。
「アルバート様、すぐに戻ってきますので、こちらでお待ちくださいね」
「どこ行くの……?」
「頬を冷やす物を持って参ります。すぐ戻りますので……」
「こ、これくらい大丈夫だよ」
「ですが……」
「本当に、大丈夫だから……ここにいて……」
「……畏まりました」
孤独な少年のささやかな願い。それを叶えるため、浮かせた腰を下げると、アルバートに向き合うように、その場に座り込んだ。
沈黙が流れ、小鳥の囀りがやけに大きく聞こえた数秒後、アルバートがおずおずと口を開いた。
「……あなたは、ここにいても、いいの?」
「ええ、大丈夫です」
「……お父様に、怒られない?」
「……ええ。大丈夫ですから、ご心配なく」
ああ、この子は、己に近づく者は皆罰せられると知っているのだ。
それを案ずる優しさと、それでも「ここにいて」と願わずにいられなかったのだろう寂しさに、切なさがより一層募った。
成人を迎えても少年と変わらぬ体躯と、あどけない面立ち、幼さを残す言動。
その見た目に囚われ、目の前にいる彼が十八歳の青年であるということをすっかり忘れていた。
「僕が好きなのはテオドールだよ……!!」
だからだろうか。突然の告白に対して照れもなく──それが例え、押し倒されている状況であっても、子犬が戯れついてきたような驚きばかりが、先立ってしまうのは。
◇◇◇◇◇
「この恥晒しがっ!!」
バシンッという殴打音と共に、何かが倒れる音が聞こえる。扉の前、音だけとはいえ、室内の出来事がほぼ筒抜けであることに、テオドールは顔を顰めた。
「暇な奴らがいない者の話をダラダラといつまでも……! お前のような出来損ないの話など聞きたくもないというのに、腹立たしい!!」
人を貶す言葉ほど、聞いていて不快なものはない。
自分が言われている訳ではないのに、延々と続く罵声に怒りと悲しみが込み上げ、無意識の内に握り締めていた拳が震えた。
部屋の中から聞こえてくるのは一人分のみ。反論する声も、泣き声も聞こえないまま、耳障りな男の声が延々と続いた後、「さっさと出ていけ!!」という怒声と共に静かに扉が開いた。
「……」
部屋から出てきたのは、自分の腰丈ほどの身長の細身の少年。
俯いたままの顔は見えず、どんな表情をしているかも分からなかったが、その細い肩が震えている様は、酷く痛々しかった。
「ひっ……、ひぅ……っ」
大きな屋敷が建つ敷地の外れ。美しい庭園を抜けた先の木々が生い茂る小さな林の中、啜り泣く声が聞こえ、足を止めた。
(こちらにいらっしゃったのか……)
人気のない庭園の端。見回り途中で聞こえたか細い泣き声に眉を顰めると、テオドールはそちらに向かって歩き出した。
気配を消し、なるべく足音を立てないように、そろり、そろりと近づけば、太い木の後ろに隠れるようにして蹲る小さな体が見えた。
「……アルバート様」
「っ!?」
なるべく穏やかに話し掛けたつもりだったが、声を掛けた瞬間、飛び跳ねんばかりの勢いで体をビクつかせた少年に、慌てて謝罪した。
「申し訳ございません! 驚かせるつもりはなかったのですが……」
そう言いながら、蹲ったまま体を震わせる幼な子の小ささにハッとする。
百九十センチ近い長身の自分から見下ろされたら、それだけで恐ろしいだろう。自身が意図せず与えてしまう威圧感を即座に理解すると、片膝をつき、手に何も持っていないことを証明するように、両手を膝の上に置いた。
「突然お声を掛けてしまい、失礼しました」
「……あなた、誰?」
「申し遅れました。騎士団に所属しております、テオドールと申します」
意外にも、その場から逃げることも、無視することもなく、言葉を返してくれた幼な子──アルバートにホッとしつつ、長い前髪の隙間から覗く紅い瞳を見つめ返した。
「……何か、僕に用?」
「用と言いますか……泣いていらっしゃったので、気になって……」
「……僕のことは、気にしなくていいよ」
ボソボソと呟く声は、今にも消えてしまいそうなほど小さい。
突き放すでもなく、不機嫌になるでもなく、ただすべてを諦めたような声音は、この子がこれまでどんな扱いを受けてきたかを物語っているようで、胸が痛くなった。
「……そんな風に、仰らないでくださいませ」
「!」
顔を隠すように伸ばされた黒髪を除けると、赤く腫れた頬にそっと触れた。途端に触れた肌がビクリと跳ねたが、その反応はあえて無視した。
一介の騎士に過ぎない自分が、断りもなく触れていい相手ではないことは百も承知だが、それでも今は、この孤独な幼な子を放っておきたくなかった。
「腫れていますね。冷やされましたか?」
「こっ、このくらい、なんともないよ……!」
「なんともなくありません。痛いでしょう?」
「……痛くない」
「……冷やす物をお持ちします。暫しお待ちを──」
「いらない! ……僕のことは、放っておいていいよ」
「放っておいてよ」とは言わないところに、彼の本心が透けて見えた。なにより、頬に触れたままの手を振り払われない。そこに、この子の寂しさが詰まっているようで、切なくなった。
「これくらい、すぐ治るから……」
「それは、アルバート様が人間ではないからですか?」
「……うん」
「でも、血を飲まれていないのですよね?」
「っ……」
「血を飲まれないと、アルバート様のお体は弱くなる一方ですよ?」
責めるつもりなどなかった。純粋にその身が心配で問い掛けたつもりだったが、直後にアルバートの顔が泣きそうな表情に歪んだことに息を呑んだ。
「申し訳ございません! 決してアルバート様を非難した訳では……っ」
「……分かってる。ただ……僕のことを心配してくれる人が、まだいたんだなって、思っただけ……」
「アルバート様……」
最後は泣き声に変わった震える声に、自分まで泣きそうになり、唇を噛み締めた。
吸血鬼の一族に生まれながら、吸血が行えない出来損ない──そう罵られ、両親や弟妹、一族から疎まれ、蔑まれながら生きている幼な子が、アルバートだった。
アルバートを含む吸血鬼一族である彼らは、誰もが見目麗しく、それでいて有する魔力や腕力は人間よりも高く、すべての能力において優れている種族だった。
人間にエルフ、獣人等、多くの種族が混在し、共存しているこの世界において、吸血鬼も一つの種として存在しているが、その人口は少なく、稀な存在として認識されていた。
存在自体が希少な吸血鬼。その中で最も有名なのが、ツェペラ侯爵家だった。
建国の頃より存在する名家であり、医学や政務、軍事等、あらゆる部門で優秀な人材を輩出してきた彼らは、貴重な人財として、長年に渡り国に貢献してきた。
広く豊かな領地を有し、王城内でも地位の高い役職に就くことが多い彼らは、その美貌も相まって、多くの羨望や熱い眼差しを受けることが常だった。
アルバートは、そんなツェペラ侯爵家の長男として生を受けた。
次期侯爵としての期待を背負った第一子。アルバートの両親や祖父母、多くの者がその誕生に歓喜した──が、それもアルバートが九歳になるまでのことだった。
吸血鬼といっても、彼らの食事は“血”ではない。日々の食事は人間のそれと変わらず、陽の光の下も普通に歩ける。ただその成長において、“血”が必要不可欠なのだ。
他者の血液を取り込むことで肉体的に成長する彼らは、乳歯が永久歯に生え変わり、吸血のための犬歯が固く頑丈なものに変わったところで、初めての吸血を行う。
華麗な吸血鬼一族に血を提供することを志願する者は、一定数存在する。その中から、より質の良い血液を有している者を見繕い、我が子達の成長の糧にするのだ。
そんな儀式めいた吸血行為を代々受け継いできたことで、その血脈を絶やすことなく繁栄してきた侯爵家だが、アルバートはその初めての吸血行為で、血の提供者に噛みつくことができず、血を飲むができなかった。
吸血鬼という種において、血液を欲することは自然なことであり、当然のことだ。
それを拒み、歯を立てることを恐れたアルバートを、彼の両親や一族は異端児だと罵り、『出来損ない』と蔑んだ。
それまで嫡男として、大事に大事に育てられてきたアルバートを取り巻く環境は、その日から一変した。
現侯爵である父親からは罵声を浴びせられ、時に暴力を振るわれた。
多くの女性達の羨望を浴び、侯爵夫人となった母親からは「お前のような欠陥品のせいで私まで恥をかいた!」と罵られた。
一歳違いの弟が、翌年初めての吸血行為を恙無く終えると、その立場は更に悪化の一途を辿った。
吸血を行えない出来損ないの長男ではなく、次男を跡継ぎにすることがその場で決まり、両親に嫌われるアルバートを弟も見下すようになった。
それに倣うように、三歳年下の妹までアルバートを毛嫌いし、母親の口癖を真似るように『欠陥品』と呼び始めた。
いつしかアルバートは、本邸の隅の部屋に居場所を追いやられ、社交の場はおろか、家族の食事の席にすら呼ばれない、『いない者』として扱われるようになった。
そのくせ、少しでもアルバートが家族の前に姿を見れば、誰も彼もが彼を傷つける言葉を投げつけ、手を上げ、精神的にも肉体的にもその身を傷つけた。
立派な虐待であるにも関わらず、まるでそうすることが当然とでも言いたげな侯爵一家。
テオドールはそんな現状が許せなくて、ずっとアルバートのことが気掛かりだった。
それでも、雇われ騎士でしかない自分が意見を言える立場でもなく、下手にアルバートを庇って怒りを買えば、余計に彼を追い込んでしまう結果に繋がってしまうかもしれないという葛藤から、これまで必死に己の感情を押し殺してきた。
だがそれも、今日、初めて間近で耳にした聞くに耐えない罵声と暴力に、ついに我慢の限界を超えた。
(もっと早く、こうしていれば良かった)
湧き上がる後悔の念に、キツく拳を握り締める。
これまでも、アルバートを不憫に思い、手を差し伸べた者達がいた。だがそういった者は皆、侯爵に睨まれ、屋敷を追い出されるか、不当な降格処分を受け、重労働を押し付けられた。
そうして次第に、誰も彼もがアルバートを避けるようになり、その存在を無視するようになった。
アルバートに近づくことで、侯爵の不興を買うことは分かっている。
けれど、広い屋敷の中で助けを求めることもできず、虐げられる独りぼっちの少年から、これ以上目を逸らしたくなかった。
アルバートが七歳の頃から侯爵家に仕え、彼が両親に愛されていた頃も知っているだけに、彼の胸中を思うと、あまりにも悲しくて、悔しくて、堪らない気持ちになるのだ。
(……余計なお節介だと、思われてもいい)
この感情が、一方的なものだと知っている。
自分にできることなど、何も無いかもしれない。
それでも、もう放っておくことなどできなかった。
「アルバート様、すぐに戻ってきますので、こちらでお待ちくださいね」
「どこ行くの……?」
「頬を冷やす物を持って参ります。すぐ戻りますので……」
「こ、これくらい大丈夫だよ」
「ですが……」
「本当に、大丈夫だから……ここにいて……」
「……畏まりました」
孤独な少年のささやかな願い。それを叶えるため、浮かせた腰を下げると、アルバートに向き合うように、その場に座り込んだ。
沈黙が流れ、小鳥の囀りがやけに大きく聞こえた数秒後、アルバートがおずおずと口を開いた。
「……あなたは、ここにいても、いいの?」
「ええ、大丈夫です」
「……お父様に、怒られない?」
「……ええ。大丈夫ですから、ご心配なく」
ああ、この子は、己に近づく者は皆罰せられると知っているのだ。
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