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プティ・フレールの愛し子
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「わっ!?」
踏み出した一歩が地に触れた瞬間、足の裏に感じた予想外の柔らかさに肩が跳ねた。
「……え?」
ふかふか、ふさふさとした柔らかな感触は、石畳みのバルコニーの床のそれではなく、驚きのあまりつい開いてしまいそうになった瞼を慌てて瞑り直した。
「…? ……草?」
足の裏を擽るそれを、爪先でちょん、と確かめれば、目に見えぬそれがしっとりとした柔らかな草であることが分かった。
「エルダ……ここ、本当にバルコニー…?」
「はい。アドニス様のお部屋のバルコニーですよ」
「…床…違うよ?」
「ふふ、そうですね」
「…ふあふあしてる」
「ええ、気持ち良いでしょう?」
「…うん」
予想外の感触に驚いてしまったが、確かに気持ち良い。
固い石畳とはまったく違う地面はほんのりと暖かく、エルダに手を引かれるまま、恐る恐る両足でその上に立てば、毛足の長い絨毯の上にいるような心地良さが全身に伝わった。
「わぁ…」
ただ地面が柔らかく暖かいだけ…たったそれだけのことなのに、こんなにも胸が弾む。
優しい感触が嬉しくて、ふかふかと足元を踏み締めていると、近づく足音と衣擦れの音が聞こえ、音のする方へと顔を上げた。それと同時にエルダの手がするりと解け、交代するように、別の手が空いた両手を埋めた。
「イヴ、ルカ」
手の平から伝わる温もりと感触で、右手をイヴァニエ、左手をルカーシュカに握られたのだと分かる。
目を瞑っていても彼らの手の違いが分かることに、少しばかり得意な気持ちになりながら、そこにいるのであろう二人に顔を向けた。
「目を瞑っていても、アニーは私とルカーシュカの違いが分かるのですね」
「うん」
クスリと笑うイヴァニエの声に、コクンと頷き返せば、目尻にふにりと唇が触れる感触がした。
「ふひ」
「アニー、もう少しこっちまでおいで」
「うん」
ルカーシュカに手を引かれ、柔らかな草の上を歩く。今までとはまったく違う足下の感触が不思議で、つい外の世界を歩いているかのように錯覚してしまうが、エルダがバルコニーと言っていたのだから、ここは間違いなくバルコニーなのだろう。
「…あ、エルダは…?」
「お側におりますよ、アドニス様」
目を瞑ったまま、キョロキョロと辺りを見回せば、斜め横、イヴァニエの隣辺りからエルダの声が聞こえた。
いつもは後ろに控えているエルダの珍しい立ち位置を不思議に思いながら、手を繋ぐ二人が歩みを止めた所で、共に足を止めた。
「アニー、もう目を開けていいよ」
「いいの?」
「ええ、いいですよ」
心なしか楽しそうな声に、目を開けたら何が待っているのか、ワクワクとした感情が高まる。
逸る気持ちを抑え、ゆっくりゆっくりと目を開き───閉じた瞼の隙間から、ぼんやりと映った光景に、パッと大きく目を見開いた。
「わぁ…っ!」
開いた瞼の向こう側、視界いっぱいに映ったのは、真っ白な芝生が一面を埋め尽くす地面と、陽の光でキラキラと輝く純白の大きな木だった。
「わ、わ、わ…! なに…っ、なんで…!?」
見せたいものがある、と言われた時点で、自分の知らない何かと対面するのだろうことは分かっていたが、目の前に広がる光景はあまりにも予想外だった。
「わ…わぁ…っ!」
足元を見下ろせば、短くも柔らかな草が足裏を擽り、バルコニーの奥では純白の樹木が、同じく白い葉を悠然と広げていた。
そこに咲く花は、淡い黄色や桃色、水色等、同じ形をしているのに色とりどりで、白い樹木を一際賑やかに彩っていた。
「すごい…っ、すごいね…!」
木の枝からぶら下がるように見えている小さな椅子は、毎日遊びに来る赤ん坊用の物だろう。伸びた枝からは照明と思しき金の装飾が施された硝子が共に吊るされ、風に揺れ、キラキラと煌めいていた。
夜、淡い光に照らされるのであろう真白い樹木は、想像しただけで幻想的で美しく、今目の前に広がっている光景も相まって、高揚感が最高潮まで高まっているのが自分でも分かった。
「すごい…! きれい…! これ、どうして…っ」
わぁわぁと感嘆の声を漏らしながら、「すごい」と「なんで」という言葉を何度も繰り返す。
二人と繋がったままの両手を上下に揺らし続けていることにも気づかぬまま、イヴァニエとルカーシュカ、エルダに視線を送れば、それぞれから満面の笑みが返ってきた。
「どうですか? アニー」
「すごい…っ、素敵だね…!」
「アニーは、こういう庭が好きだろう?」
「うん! 好き…!」
「お気に召して頂けて、私共も嬉しゅうございます、アドニス様」
「あの、嬉しい……けど、でも、これ…どうして?」
「俺達からアニーへの贈り物だよ」
「贈り物?」
ルカーシュカの言葉に首を傾げる。
贈り物をもらうようなことなど何もなかったはず…と、疑問符を浮かべていると、繋いだ手の甲にルカーシュカの唇がそっと触れた。
「何もなくても、好きな子が喜んでくれるものを贈りたくなるものなんだよ」
まるで自分の疑問を見透かしたような返事と、指先への優しい口づけに、キュウッと胸が鳴る。
「…う…でも…いつも、もらってばっかりだよ…?」
「おや、アニーはとても喜んでくれるではないですか。その喜ぶ可愛らしい姿が見れたことが、私達にとってはなによりのお返しですよ」
チュッというリップ音と共に、こめかみにイヴァニエからキスの雨が降る。
いつもより少しだけ多い口づけに、ほんのりと恥ずかしさが募るも、彼らが『自分のために』と想ってくれた気持ちは嬉しく、へにゃりと口元が緩んだ。
「…ありがとう。イヴも、ルカも、エルダも、本当にありがとう。すごく…すごく嬉しい。新しい庭も、みんなも、大好き…!」
バルコニーから庭へと生まれ変わった光景は、見ているだけで心が躍り、自然と笑みが零れてしまうほど嬉しい。
自分の『好き』を詰め込んだような空間は、三人の温かさと愛情で満ち溢れていて、湧き上がる喜びのまま、感謝の気持ちと『大好き』の気持ちを込めてイヴァニエとルカーシュカの頬に唇を寄せると、すべらかな肌にそっと口づけをした。
「…ッ、アニー…!」
「…初めて、アニーからキスしてくれたな」
「ずっと、自分からも、ちゅってできたらいいなって、思ってたよ…?」
感極まったようなイヴァニエと、穏やかに微笑むルカーシュカを前に、気恥ずかしさから視線を逸らしながらも、ずっと胸に抱いていた気持ちを伝える。
同時にパチリと目が合ったエルダに、目だけで「おいで」と伝えれば、一拍待った後、華奢な体がそろりと側に寄った。
「エルダも、ありがとう」
「っ…、恐れ、入ります」
身を屈め、エルダの頬にも口づければ、白い肌が淡く色づいた。
恥ずかしげに伏せられた睫毛が愛しくて、ふっと笑みを零している間に、イヴァニエの手が腰に回り、そっとルカーシュカに手を引かれた。
「アニー、木の下に行ってみよう」
「うん!」
ふわりとした芝主を楽しみながら、輝く樹木に一歩一歩近づく。
歩きながら周りを見渡せば、僅かに広くなったように感じる空間は、手摺りの形まで変わっていた。
元の石造りのバルコニーから一転した光景に、「わぁ…」と再び声が漏れる。
「すごいねぇ…」
「ふふ、すごいですね」
「…バルドル様のお城だけど、違う形に変えて大丈夫…?」
「バルコニーも、アニーがバルドル様から賜った部屋の一部だからな。手を加えても大丈夫だよ」
「…それなら、良かった」
『手を加える』の範疇を超えている気がするが、皆が平然としているということは、大丈夫なのだろう。
ゆっくりと歩きながら、大きく葉を広げる樹の下まで辿り着くと、木漏れ日が降り注ぐ樹木を見上げた。
「綺麗…」
キラキラと輝くその姿は、母提樹に少しだけ似ていた。
それほど背丈の高くない木は、美しくも愛らしい佇まいで、腕を伸ばせばその葉に手が届きそうだった。
(…どうやって、木とか草とか、生えてるんだろう…?)
彼らからの贈り物ということは、恐らく粛法か何かで作り上げられたものなのだろうが、それにしたってこんなにも様変わりするものだろうか…と、久方ぶりに彼らの持つ能力の凄さに圧倒された。
「…あれ? そういえば、さっき部屋の中にいた時は、この木…見えなかったよ?」
「アニーをびっくりさせたかったので、部屋の中からは見えないように、一工夫していたのですよ」
「今も、部屋の中からは見えない…?」
「いや、アニーが認識した時点で、その粛法は解けてるはずだ」
「はぇ…」
(……やっぱり、すごいなぁ)
なんでもできる彼らに感心しつつ、キョロキョロと辺りを見回し、可愛らしい形の椅子に目を留めた。
「…これは、あの子達の?」
「ああ、プティ達が遊ぶのにちょうどいいと思ってな」
「…ルカのお部屋にある椅子と、似てるね」
「あれとは少し違うが、似たような物かな。これはブランコだよ」
「ぶらんこ…」
「ここに座って、揺らして遊ぶんだ」
ルカーシュカがそっと丸い椅子を押せば、木の枝から垂れる繊細な鎖がシャラシャラと鳴り、繋がれた椅子がゆらりと揺れた。
なんだかその様子だけで可愛くて、ふっと頬を緩め───そこでふと、いつも周りにいる小さな子達がいないことに気づき、パッと顔を上げた。
「そういえば、あの子達は…?」
「ああ、ここを整えている間、少し離れてもらっていたのですよ。たぶんもうじき戻ってくるはずで───」
「あぁー!」
「…ほらね?」
イヴァニエの声に被さるように元気な声が響き、傍らから苦笑が聞こえた。
自分達が揃って外に出ていることに気づいたのだろう。少し離れた所からこちらを指差す姿は、「いたー!」と言っているようで微笑ましい。
こちらに向かって飛んでくる小さな天使を出迎えるため、そっと足を動かせば、腰を抱くイヴァニエと、繋いでいたルカーシュカの手がゆるりと解けた。
体の向きを変え、赤子に向けて一歩踏み出せば、小さな体が一直線にこちらに向かってきた。
「……ん?」
このまま腕の中に飛び込んでくる───そう思っていたのだが、なぜか赤ん坊は近くまで来るとピタリと止まり、薄い眉をキュッと寄せ、あらぬ方向を見つめた。
そうして何もない空間を小さな手で指差すと、ぷくりと頬を膨らませた。
「んぶぅ」
「…? どうしたんだろう?」
ふくふくとした腕を振り、ぷぅと鳴くように何かに対して怒っている様子の赤子に首を傾げる。
(…? なんだろう…?)
赤子の視線を辿り、その先を見るが、視界に映るのは晴れ渡った青空と、白い雲が浮かんでいるだけだ。他に何かあるのだろうか…と、周囲を見渡すも、どこにも何も無い。
「はて?」と首を傾げつつ、むぅむぅと何かを訴える赤子に対し、両腕を伸ばした。
「どうしたの? おいで?」
迎えに行くように、両手を伸ばしたまま二歩、三歩、と庭と化したバルコニーの端まで寄る───そうして手摺り付近まで近づいた時だった。
「おいで……っ!?」
伸ばした手の指先が、手摺りで囲われた空間の境界線を越える寸前、ルカーシュカに腰を引き寄せられ、イヴァニエの手が伸ばした指先を掴み、グイッと後ろへと引き戻された。
「へっ? え? なに…?」
突然の二人の行動に目を白黒させながら、腰を抱き、手を握るルカーシュカとイヴァニエを交互に見つめた。
「…あまり手摺りの側に近づくのは、危ないですからね」
「そうだな、落ちたら大変だ」
「…? 落ちないよ…?」
流石にそこまで注意力散漫ではない…はずだ。
二人の態度に違和感を感じるも、腰を押さえ、手を掴む力は存外強く、動かせそうになかった。
「プティ、アドニス様がお呼びだ。…周りは気にしなくていいから、こちらにおいで」
(……周り?)
赤ん坊達に呼び掛けるエルダの言葉に、引っ掛かりを覚え、もう一度周囲を見渡す。が、やはりそこには何も無く、自分には見えない何かが彼らに見えているのだろうか、という疑問が湧いた。
「…イヴ、ルカ。あの…周りに何か…」
「あぅあ~!」
「わっ」
尋ねようとする言葉を遮り、赤ん坊が突進してきた。
慌てて腕を広げようとすれば、イヴァニエとルカーシュカの手の力が緩み、小さな体がぽふりと腕の中に収まった。
「えぅ! あ! あ!」
「ふふ…うん。素敵なお庭になったね」
先ほどまでのぷこぷこと怒っていたような感情は消え、しきりに様変わりしたバルコニーを指差し、楽しそうに小さな口でお喋りをする。
新しい庭を見てはしゃぐ様子に、自分まで嬉しくなる…が、今はそれより気になることがあった。
「…さっきは、どうしたの? 何か、あそこにあった?」
『あそこ』と言いつつ、青空を見上げるも、赤子はブンブンと首を振り「や!」と言うだけだった。
「…ヤなの?」
「う!」
「そう…」
嫌と言われてしまっては、それ以上どうしようもない。不思議に思いつつ、赤子の体を抱き直すと、ふくふくとしたまろい頬を撫でた。
「…ここにいれば、ヤじゃない?」
「んむ」
コクン、と頷く赤子はもう庭の外に対する興味が失せてしまったのか、「あっち行く!」と言わんばかりに、木の根本を指差した。
(…ヤじゃないなら、いっか)
イヴァニエやルカーシュカ、エルダや赤子の行動に疑問を抱きつつ、それ以上追求することはしなかった。少しばかり引っ掛かる気持ちを残しつつ、踵を返すと、皆と共にその場を離れた。
そうしている内に、側を離れていた赤ん坊達が次から次へと戻ってきて、庭は一気に賑やかになった。
どの子も一瞬だけ、少し離れた所で一旦止まるのだが、その後は何事もなかったかのように、庭の中で遊び始めた。
「ぷあっ、あっ」
「うあ」
「順番で遊ぼうね」
ブランコが気になるのか、二つある遊具にわちゃわちゃと群がる赤ん坊達を宥めながら、一人ずつ丸っこい椅子に座らせる。
揺れる動きが楽しいのか、きゃあきゃあと楽しそうに笑う声が、波紋を描くように周囲に木霊した。
敷物が広げられた木の根本、イヴァニエとルカーシュカが両隣でゆるりと寛ぐ中、愛らしく遊ぶ赤子達を眺めて過ごす───穏やかな空気は、フレールの庭に満ちているそれとよく似ていて、喜びにも似た愛しさが無限に広がった。
「エルダも、ブランコで遊ぶ?」
「…んん」
「いいの?」
「う」
ホッと落ち着いたところで、エルダは少年から赤子の姿に変わり、膝の上にちょこんと座っていた。
イヴァニエとルカーシュカ、エルダに囲まれている安心感と、視界に広がるほのぼのとした光景に、気持ちは浮き立ち、胸が満ちるような幸福感に「はぁ」と息を吐いた。
真白く柔らかな芝生の上では、赤ん坊達がコロコロと転がり、空を見上げて笑う。
その姿が、ずっと前、夜中にこっそり部屋を抜け出し、赤ん坊達と一緒に外の世界を出歩いていた遠い日の記憶と重なった。
今となってはただ懐かしい日々と、あの頃はよく大地に寝転がって夜空を見上げていたことを思い出し、ポツリと呟いた。
「……夜に、ここに寝転んで空を眺めたら…きっと素敵だね」
思えば一面の芝生は、白い大地に生えている草とよく似ている。
きっとこの上に寝転び、満点の星空を見上げたら、初めて見た星が降り注ぐような空を思い出し、訳もなく泣いてしまうかも…そんなことを考えながら、膝の上に座るエルダを見つめた。
「ね?」
「……う」
全部を言わずとも、自分の考えていることはエルダに伝わったのだろう。一瞬だけ「むぅ」と難しい顔をしながらも、コクンと頷いてくれた。
きっと「夜更かしはいけませんよ」と言いたいのだろうな、と思いながらクスリと笑えば、体の両側からぎゅっと抱き寄せられた。
「アニー、私達は誘ってくれないのですか?」
「…夜だけど、遊びに来てくれる…?」
「勿論。たまには皆で夜更かしするのもいいだろう?」
「…! うん…!」
「む!」
「怒るなよ。アニーが眠くなるまでの夜更かしだ」
「エルダ、お昼寝するから大丈夫だよ」
「楽しみですね、アニー」
「うん」
ルカーシュカに向かい、ぷぅっと頬を膨らませるエルダの頭を撫でながら、ニコニコと微笑むイヴァニエにコクリと頷く。
(ああ…本当に本当に、素敵な贈り物だ)
こんなに嬉しくて、嬉しくて、感謝の言葉をいくら贈っても足りないくらい幸せで…体から零れ落ちてしまいそうなほどの喜びは、自然と笑みになって溢れ出した。
「イヴ、ルカ、エルダ。みんな、素敵な贈り物を、本当にありがとう。本当に、本当に、嬉しくて…いっぱい、いっぱい、大好きだよ」
目一杯の喜びと愛しさを込め、体を抱き寄せるイヴァニエとルカーシュカの頬に再び唇を寄せ、エルダの小さな体を抱き上げると、その額にキスをした。
「全部、いっぱい、大好きだよ」
心の籠った贈り物も、穏やかに流れる空気も、共にいてくれる彼らの温もりも、全部全部、大好きなのだ。
緩みっぱなしになっている頬を自覚しながら、ニコニコと笑えば、三人とも突然の口づけに驚いたのか、ポカンとしていた。
「ッ…、ああもうっ! こんなに可愛くて本当に拐われたらどうしましょう…!」
「あわっ」
「…不本意だが、今は少しだけお前の気持ちが分かるぞ」
「…んぅ」
なぜか突然イヴァニエに抱き締められ、ルカーシュカは深く溜め息を吐き、エルダはしっかりと腹部にしがみつく…予想外の反応に目を瞬いていると、側で遊んでいた赤ん坊達が、わらわらと集まってきた。
「だぅ、だ」
「んあっ」
「…うん。そうだね。みんなも一緒にね」
「ぼくたちも一緒だよ」「遊びに来るよ」と言うように、口々に声を上げ、手を上げる赤ん坊達。
彼らとの懐かしい思い出をなぞるように、新しい思い出を作るように、皆で過ごせたなら───思い描いた未来は楽しげで、でもほんの少しだけ胸が詰まって、細めた瞳は微かに滲んだ。
バルコニーから生まれ変わった庭で、皆でゆったりと過ごすこと暫く。ポカポカとした陽射しと、触れる体温で温まった体は、また少しだけウトウトとし始めた。
あまりに居心地が良く、このままここで寝てもいいかな…とイヴァニエの肩に凭れ掛かれば、彼の手がそっと頬を撫でた。
「アニー、眠いですか?」
「ん……」
「エルダ」
ルカーシュカの声に、エルダが膝の上から飛び立つと、ふわりと広がった翼の中で、赤ん坊から少年の姿に戻った。
「アドニス様、お部屋でお休みしましょう?」
「…ここで寝ちゃ、ダメ…?」
「ごめんな。もう少しだけこの庭を整えたいから、今は部屋に戻って休みな」
「…ん…」
もう充分すぎるほど整っていると思うのだが、ぽんやりとした頭では深く考えることができず、こっくりと頷き返す。
イヴァニエとルカーシュカの手を借り、ゆっくりと立ち上がると、そのままエルダと手を繋いだ。
「…イヴと、ルカは…?」
「ここを整えたら、中に入るよ」
「後でお部屋に戻りますから、アニーは先に休んでいて下さい」
「ん…」
目尻と指先にキスを受け、擽ったさにふるりと震えながら、庭に残る彼らに見送られて部屋の中へと戻る。
なんだか今日は、いつもより多くキスをされたなぁ、とどこか浮かれながら、エルダに手を引かれ、赤子達と共に寝室へと向かった。
「…ベッドで寝なくても、大丈夫だよ?」
普段の昼寝は、ソファーの上や絨毯の上で済ませてしまうのだが、なぜかエルダは一直線に寝室へ向かっていた。
「イヴァニエ様とルカーシュカ様が、お外で作業をされているお姿が気になってしまわれるでしょうから、今日はベッドでお休みになりましょう」
「…ん」
二人の姿が見えるなら、その方がいいのだが…と思いつつ、なぜか急激に眠くなってきた体は眠気に抗えず、フラフラと誘われるようにベッドに横になった。
「さっきも……寝たのに…」
「きっと、はしゃぎ疲れてしまわれたのですよ。イヴァニエ様達が戻ってこられましたら起こしますから、それまでゆっくりお休み下さい」
「ん……」
「にゃいにゃ」
「なんな」
「…ねんねだね…」
広いベッドの上、赤子達も思い思いの場所で寝転がると、布団に包まった。
「おやすみなさいませ、アドニス様」
ああ、皆とお昼寝だ───エルダの声が耳に届いた瞬間、幸せな気分のまま、意識はコトリと眠りの中に落ちていった。
踏み出した一歩が地に触れた瞬間、足の裏に感じた予想外の柔らかさに肩が跳ねた。
「……え?」
ふかふか、ふさふさとした柔らかな感触は、石畳みのバルコニーの床のそれではなく、驚きのあまりつい開いてしまいそうになった瞼を慌てて瞑り直した。
「…? ……草?」
足の裏を擽るそれを、爪先でちょん、と確かめれば、目に見えぬそれがしっとりとした柔らかな草であることが分かった。
「エルダ……ここ、本当にバルコニー…?」
「はい。アドニス様のお部屋のバルコニーですよ」
「…床…違うよ?」
「ふふ、そうですね」
「…ふあふあしてる」
「ええ、気持ち良いでしょう?」
「…うん」
予想外の感触に驚いてしまったが、確かに気持ち良い。
固い石畳とはまったく違う地面はほんのりと暖かく、エルダに手を引かれるまま、恐る恐る両足でその上に立てば、毛足の長い絨毯の上にいるような心地良さが全身に伝わった。
「わぁ…」
ただ地面が柔らかく暖かいだけ…たったそれだけのことなのに、こんなにも胸が弾む。
優しい感触が嬉しくて、ふかふかと足元を踏み締めていると、近づく足音と衣擦れの音が聞こえ、音のする方へと顔を上げた。それと同時にエルダの手がするりと解け、交代するように、別の手が空いた両手を埋めた。
「イヴ、ルカ」
手の平から伝わる温もりと感触で、右手をイヴァニエ、左手をルカーシュカに握られたのだと分かる。
目を瞑っていても彼らの手の違いが分かることに、少しばかり得意な気持ちになりながら、そこにいるのであろう二人に顔を向けた。
「目を瞑っていても、アニーは私とルカーシュカの違いが分かるのですね」
「うん」
クスリと笑うイヴァニエの声に、コクンと頷き返せば、目尻にふにりと唇が触れる感触がした。
「ふひ」
「アニー、もう少しこっちまでおいで」
「うん」
ルカーシュカに手を引かれ、柔らかな草の上を歩く。今までとはまったく違う足下の感触が不思議で、つい外の世界を歩いているかのように錯覚してしまうが、エルダがバルコニーと言っていたのだから、ここは間違いなくバルコニーなのだろう。
「…あ、エルダは…?」
「お側におりますよ、アドニス様」
目を瞑ったまま、キョロキョロと辺りを見回せば、斜め横、イヴァニエの隣辺りからエルダの声が聞こえた。
いつもは後ろに控えているエルダの珍しい立ち位置を不思議に思いながら、手を繋ぐ二人が歩みを止めた所で、共に足を止めた。
「アニー、もう目を開けていいよ」
「いいの?」
「ええ、いいですよ」
心なしか楽しそうな声に、目を開けたら何が待っているのか、ワクワクとした感情が高まる。
逸る気持ちを抑え、ゆっくりゆっくりと目を開き───閉じた瞼の隙間から、ぼんやりと映った光景に、パッと大きく目を見開いた。
「わぁ…っ!」
開いた瞼の向こう側、視界いっぱいに映ったのは、真っ白な芝生が一面を埋め尽くす地面と、陽の光でキラキラと輝く純白の大きな木だった。
「わ、わ、わ…! なに…っ、なんで…!?」
見せたいものがある、と言われた時点で、自分の知らない何かと対面するのだろうことは分かっていたが、目の前に広がる光景はあまりにも予想外だった。
「わ…わぁ…っ!」
足元を見下ろせば、短くも柔らかな草が足裏を擽り、バルコニーの奥では純白の樹木が、同じく白い葉を悠然と広げていた。
そこに咲く花は、淡い黄色や桃色、水色等、同じ形をしているのに色とりどりで、白い樹木を一際賑やかに彩っていた。
「すごい…っ、すごいね…!」
木の枝からぶら下がるように見えている小さな椅子は、毎日遊びに来る赤ん坊用の物だろう。伸びた枝からは照明と思しき金の装飾が施された硝子が共に吊るされ、風に揺れ、キラキラと煌めいていた。
夜、淡い光に照らされるのであろう真白い樹木は、想像しただけで幻想的で美しく、今目の前に広がっている光景も相まって、高揚感が最高潮まで高まっているのが自分でも分かった。
「すごい…! きれい…! これ、どうして…っ」
わぁわぁと感嘆の声を漏らしながら、「すごい」と「なんで」という言葉を何度も繰り返す。
二人と繋がったままの両手を上下に揺らし続けていることにも気づかぬまま、イヴァニエとルカーシュカ、エルダに視線を送れば、それぞれから満面の笑みが返ってきた。
「どうですか? アニー」
「すごい…っ、素敵だね…!」
「アニーは、こういう庭が好きだろう?」
「うん! 好き…!」
「お気に召して頂けて、私共も嬉しゅうございます、アドニス様」
「あの、嬉しい……けど、でも、これ…どうして?」
「俺達からアニーへの贈り物だよ」
「贈り物?」
ルカーシュカの言葉に首を傾げる。
贈り物をもらうようなことなど何もなかったはず…と、疑問符を浮かべていると、繋いだ手の甲にルカーシュカの唇がそっと触れた。
「何もなくても、好きな子が喜んでくれるものを贈りたくなるものなんだよ」
まるで自分の疑問を見透かしたような返事と、指先への優しい口づけに、キュウッと胸が鳴る。
「…う…でも…いつも、もらってばっかりだよ…?」
「おや、アニーはとても喜んでくれるではないですか。その喜ぶ可愛らしい姿が見れたことが、私達にとってはなによりのお返しですよ」
チュッというリップ音と共に、こめかみにイヴァニエからキスの雨が降る。
いつもより少しだけ多い口づけに、ほんのりと恥ずかしさが募るも、彼らが『自分のために』と想ってくれた気持ちは嬉しく、へにゃりと口元が緩んだ。
「…ありがとう。イヴも、ルカも、エルダも、本当にありがとう。すごく…すごく嬉しい。新しい庭も、みんなも、大好き…!」
バルコニーから庭へと生まれ変わった光景は、見ているだけで心が躍り、自然と笑みが零れてしまうほど嬉しい。
自分の『好き』を詰め込んだような空間は、三人の温かさと愛情で満ち溢れていて、湧き上がる喜びのまま、感謝の気持ちと『大好き』の気持ちを込めてイヴァニエとルカーシュカの頬に唇を寄せると、すべらかな肌にそっと口づけをした。
「…ッ、アニー…!」
「…初めて、アニーからキスしてくれたな」
「ずっと、自分からも、ちゅってできたらいいなって、思ってたよ…?」
感極まったようなイヴァニエと、穏やかに微笑むルカーシュカを前に、気恥ずかしさから視線を逸らしながらも、ずっと胸に抱いていた気持ちを伝える。
同時にパチリと目が合ったエルダに、目だけで「おいで」と伝えれば、一拍待った後、華奢な体がそろりと側に寄った。
「エルダも、ありがとう」
「っ…、恐れ、入ります」
身を屈め、エルダの頬にも口づければ、白い肌が淡く色づいた。
恥ずかしげに伏せられた睫毛が愛しくて、ふっと笑みを零している間に、イヴァニエの手が腰に回り、そっとルカーシュカに手を引かれた。
「アニー、木の下に行ってみよう」
「うん!」
ふわりとした芝主を楽しみながら、輝く樹木に一歩一歩近づく。
歩きながら周りを見渡せば、僅かに広くなったように感じる空間は、手摺りの形まで変わっていた。
元の石造りのバルコニーから一転した光景に、「わぁ…」と再び声が漏れる。
「すごいねぇ…」
「ふふ、すごいですね」
「…バルドル様のお城だけど、違う形に変えて大丈夫…?」
「バルコニーも、アニーがバルドル様から賜った部屋の一部だからな。手を加えても大丈夫だよ」
「…それなら、良かった」
『手を加える』の範疇を超えている気がするが、皆が平然としているということは、大丈夫なのだろう。
ゆっくりと歩きながら、大きく葉を広げる樹の下まで辿り着くと、木漏れ日が降り注ぐ樹木を見上げた。
「綺麗…」
キラキラと輝くその姿は、母提樹に少しだけ似ていた。
それほど背丈の高くない木は、美しくも愛らしい佇まいで、腕を伸ばせばその葉に手が届きそうだった。
(…どうやって、木とか草とか、生えてるんだろう…?)
彼らからの贈り物ということは、恐らく粛法か何かで作り上げられたものなのだろうが、それにしたってこんなにも様変わりするものだろうか…と、久方ぶりに彼らの持つ能力の凄さに圧倒された。
「…あれ? そういえば、さっき部屋の中にいた時は、この木…見えなかったよ?」
「アニーをびっくりさせたかったので、部屋の中からは見えないように、一工夫していたのですよ」
「今も、部屋の中からは見えない…?」
「いや、アニーが認識した時点で、その粛法は解けてるはずだ」
「はぇ…」
(……やっぱり、すごいなぁ)
なんでもできる彼らに感心しつつ、キョロキョロと辺りを見回し、可愛らしい形の椅子に目を留めた。
「…これは、あの子達の?」
「ああ、プティ達が遊ぶのにちょうどいいと思ってな」
「…ルカのお部屋にある椅子と、似てるね」
「あれとは少し違うが、似たような物かな。これはブランコだよ」
「ぶらんこ…」
「ここに座って、揺らして遊ぶんだ」
ルカーシュカがそっと丸い椅子を押せば、木の枝から垂れる繊細な鎖がシャラシャラと鳴り、繋がれた椅子がゆらりと揺れた。
なんだかその様子だけで可愛くて、ふっと頬を緩め───そこでふと、いつも周りにいる小さな子達がいないことに気づき、パッと顔を上げた。
「そういえば、あの子達は…?」
「ああ、ここを整えている間、少し離れてもらっていたのですよ。たぶんもうじき戻ってくるはずで───」
「あぁー!」
「…ほらね?」
イヴァニエの声に被さるように元気な声が響き、傍らから苦笑が聞こえた。
自分達が揃って外に出ていることに気づいたのだろう。少し離れた所からこちらを指差す姿は、「いたー!」と言っているようで微笑ましい。
こちらに向かって飛んでくる小さな天使を出迎えるため、そっと足を動かせば、腰を抱くイヴァニエと、繋いでいたルカーシュカの手がゆるりと解けた。
体の向きを変え、赤子に向けて一歩踏み出せば、小さな体が一直線にこちらに向かってきた。
「……ん?」
このまま腕の中に飛び込んでくる───そう思っていたのだが、なぜか赤ん坊は近くまで来るとピタリと止まり、薄い眉をキュッと寄せ、あらぬ方向を見つめた。
そうして何もない空間を小さな手で指差すと、ぷくりと頬を膨らませた。
「んぶぅ」
「…? どうしたんだろう?」
ふくふくとした腕を振り、ぷぅと鳴くように何かに対して怒っている様子の赤子に首を傾げる。
(…? なんだろう…?)
赤子の視線を辿り、その先を見るが、視界に映るのは晴れ渡った青空と、白い雲が浮かんでいるだけだ。他に何かあるのだろうか…と、周囲を見渡すも、どこにも何も無い。
「はて?」と首を傾げつつ、むぅむぅと何かを訴える赤子に対し、両腕を伸ばした。
「どうしたの? おいで?」
迎えに行くように、両手を伸ばしたまま二歩、三歩、と庭と化したバルコニーの端まで寄る───そうして手摺り付近まで近づいた時だった。
「おいで……っ!?」
伸ばした手の指先が、手摺りで囲われた空間の境界線を越える寸前、ルカーシュカに腰を引き寄せられ、イヴァニエの手が伸ばした指先を掴み、グイッと後ろへと引き戻された。
「へっ? え? なに…?」
突然の二人の行動に目を白黒させながら、腰を抱き、手を握るルカーシュカとイヴァニエを交互に見つめた。
「…あまり手摺りの側に近づくのは、危ないですからね」
「そうだな、落ちたら大変だ」
「…? 落ちないよ…?」
流石にそこまで注意力散漫ではない…はずだ。
二人の態度に違和感を感じるも、腰を押さえ、手を掴む力は存外強く、動かせそうになかった。
「プティ、アドニス様がお呼びだ。…周りは気にしなくていいから、こちらにおいで」
(……周り?)
赤ん坊達に呼び掛けるエルダの言葉に、引っ掛かりを覚え、もう一度周囲を見渡す。が、やはりそこには何も無く、自分には見えない何かが彼らに見えているのだろうか、という疑問が湧いた。
「…イヴ、ルカ。あの…周りに何か…」
「あぅあ~!」
「わっ」
尋ねようとする言葉を遮り、赤ん坊が突進してきた。
慌てて腕を広げようとすれば、イヴァニエとルカーシュカの手の力が緩み、小さな体がぽふりと腕の中に収まった。
「えぅ! あ! あ!」
「ふふ…うん。素敵なお庭になったね」
先ほどまでのぷこぷこと怒っていたような感情は消え、しきりに様変わりしたバルコニーを指差し、楽しそうに小さな口でお喋りをする。
新しい庭を見てはしゃぐ様子に、自分まで嬉しくなる…が、今はそれより気になることがあった。
「…さっきは、どうしたの? 何か、あそこにあった?」
『あそこ』と言いつつ、青空を見上げるも、赤子はブンブンと首を振り「や!」と言うだけだった。
「…ヤなの?」
「う!」
「そう…」
嫌と言われてしまっては、それ以上どうしようもない。不思議に思いつつ、赤子の体を抱き直すと、ふくふくとしたまろい頬を撫でた。
「…ここにいれば、ヤじゃない?」
「んむ」
コクン、と頷く赤子はもう庭の外に対する興味が失せてしまったのか、「あっち行く!」と言わんばかりに、木の根本を指差した。
(…ヤじゃないなら、いっか)
イヴァニエやルカーシュカ、エルダや赤子の行動に疑問を抱きつつ、それ以上追求することはしなかった。少しばかり引っ掛かる気持ちを残しつつ、踵を返すと、皆と共にその場を離れた。
そうしている内に、側を離れていた赤ん坊達が次から次へと戻ってきて、庭は一気に賑やかになった。
どの子も一瞬だけ、少し離れた所で一旦止まるのだが、その後は何事もなかったかのように、庭の中で遊び始めた。
「ぷあっ、あっ」
「うあ」
「順番で遊ぼうね」
ブランコが気になるのか、二つある遊具にわちゃわちゃと群がる赤ん坊達を宥めながら、一人ずつ丸っこい椅子に座らせる。
揺れる動きが楽しいのか、きゃあきゃあと楽しそうに笑う声が、波紋を描くように周囲に木霊した。
敷物が広げられた木の根本、イヴァニエとルカーシュカが両隣でゆるりと寛ぐ中、愛らしく遊ぶ赤子達を眺めて過ごす───穏やかな空気は、フレールの庭に満ちているそれとよく似ていて、喜びにも似た愛しさが無限に広がった。
「エルダも、ブランコで遊ぶ?」
「…んん」
「いいの?」
「う」
ホッと落ち着いたところで、エルダは少年から赤子の姿に変わり、膝の上にちょこんと座っていた。
イヴァニエとルカーシュカ、エルダに囲まれている安心感と、視界に広がるほのぼのとした光景に、気持ちは浮き立ち、胸が満ちるような幸福感に「はぁ」と息を吐いた。
真白く柔らかな芝生の上では、赤ん坊達がコロコロと転がり、空を見上げて笑う。
その姿が、ずっと前、夜中にこっそり部屋を抜け出し、赤ん坊達と一緒に外の世界を出歩いていた遠い日の記憶と重なった。
今となってはただ懐かしい日々と、あの頃はよく大地に寝転がって夜空を見上げていたことを思い出し、ポツリと呟いた。
「……夜に、ここに寝転んで空を眺めたら…きっと素敵だね」
思えば一面の芝生は、白い大地に生えている草とよく似ている。
きっとこの上に寝転び、満点の星空を見上げたら、初めて見た星が降り注ぐような空を思い出し、訳もなく泣いてしまうかも…そんなことを考えながら、膝の上に座るエルダを見つめた。
「ね?」
「……う」
全部を言わずとも、自分の考えていることはエルダに伝わったのだろう。一瞬だけ「むぅ」と難しい顔をしながらも、コクンと頷いてくれた。
きっと「夜更かしはいけませんよ」と言いたいのだろうな、と思いながらクスリと笑えば、体の両側からぎゅっと抱き寄せられた。
「アニー、私達は誘ってくれないのですか?」
「…夜だけど、遊びに来てくれる…?」
「勿論。たまには皆で夜更かしするのもいいだろう?」
「…! うん…!」
「む!」
「怒るなよ。アニーが眠くなるまでの夜更かしだ」
「エルダ、お昼寝するから大丈夫だよ」
「楽しみですね、アニー」
「うん」
ルカーシュカに向かい、ぷぅっと頬を膨らませるエルダの頭を撫でながら、ニコニコと微笑むイヴァニエにコクリと頷く。
(ああ…本当に本当に、素敵な贈り物だ)
こんなに嬉しくて、嬉しくて、感謝の言葉をいくら贈っても足りないくらい幸せで…体から零れ落ちてしまいそうなほどの喜びは、自然と笑みになって溢れ出した。
「イヴ、ルカ、エルダ。みんな、素敵な贈り物を、本当にありがとう。本当に、本当に、嬉しくて…いっぱい、いっぱい、大好きだよ」
目一杯の喜びと愛しさを込め、体を抱き寄せるイヴァニエとルカーシュカの頬に再び唇を寄せ、エルダの小さな体を抱き上げると、その額にキスをした。
「全部、いっぱい、大好きだよ」
心の籠った贈り物も、穏やかに流れる空気も、共にいてくれる彼らの温もりも、全部全部、大好きなのだ。
緩みっぱなしになっている頬を自覚しながら、ニコニコと笑えば、三人とも突然の口づけに驚いたのか、ポカンとしていた。
「ッ…、ああもうっ! こんなに可愛くて本当に拐われたらどうしましょう…!」
「あわっ」
「…不本意だが、今は少しだけお前の気持ちが分かるぞ」
「…んぅ」
なぜか突然イヴァニエに抱き締められ、ルカーシュカは深く溜め息を吐き、エルダはしっかりと腹部にしがみつく…予想外の反応に目を瞬いていると、側で遊んでいた赤ん坊達が、わらわらと集まってきた。
「だぅ、だ」
「んあっ」
「…うん。そうだね。みんなも一緒にね」
「ぼくたちも一緒だよ」「遊びに来るよ」と言うように、口々に声を上げ、手を上げる赤ん坊達。
彼らとの懐かしい思い出をなぞるように、新しい思い出を作るように、皆で過ごせたなら───思い描いた未来は楽しげで、でもほんの少しだけ胸が詰まって、細めた瞳は微かに滲んだ。
バルコニーから生まれ変わった庭で、皆でゆったりと過ごすこと暫く。ポカポカとした陽射しと、触れる体温で温まった体は、また少しだけウトウトとし始めた。
あまりに居心地が良く、このままここで寝てもいいかな…とイヴァニエの肩に凭れ掛かれば、彼の手がそっと頬を撫でた。
「アニー、眠いですか?」
「ん……」
「エルダ」
ルカーシュカの声に、エルダが膝の上から飛び立つと、ふわりと広がった翼の中で、赤ん坊から少年の姿に戻った。
「アドニス様、お部屋でお休みしましょう?」
「…ここで寝ちゃ、ダメ…?」
「ごめんな。もう少しだけこの庭を整えたいから、今は部屋に戻って休みな」
「…ん…」
もう充分すぎるほど整っていると思うのだが、ぽんやりとした頭では深く考えることができず、こっくりと頷き返す。
イヴァニエとルカーシュカの手を借り、ゆっくりと立ち上がると、そのままエルダと手を繋いだ。
「…イヴと、ルカは…?」
「ここを整えたら、中に入るよ」
「後でお部屋に戻りますから、アニーは先に休んでいて下さい」
「ん…」
目尻と指先にキスを受け、擽ったさにふるりと震えながら、庭に残る彼らに見送られて部屋の中へと戻る。
なんだか今日は、いつもより多くキスをされたなぁ、とどこか浮かれながら、エルダに手を引かれ、赤子達と共に寝室へと向かった。
「…ベッドで寝なくても、大丈夫だよ?」
普段の昼寝は、ソファーの上や絨毯の上で済ませてしまうのだが、なぜかエルダは一直線に寝室へ向かっていた。
「イヴァニエ様とルカーシュカ様が、お外で作業をされているお姿が気になってしまわれるでしょうから、今日はベッドでお休みになりましょう」
「…ん」
二人の姿が見えるなら、その方がいいのだが…と思いつつ、なぜか急激に眠くなってきた体は眠気に抗えず、フラフラと誘われるようにベッドに横になった。
「さっきも……寝たのに…」
「きっと、はしゃぎ疲れてしまわれたのですよ。イヴァニエ様達が戻ってこられましたら起こしますから、それまでゆっくりお休み下さい」
「ん……」
「にゃいにゃ」
「なんな」
「…ねんねだね…」
広いベッドの上、赤子達も思い思いの場所で寝転がると、布団に包まった。
「おやすみなさいませ、アドニス様」
ああ、皆とお昼寝だ───エルダの声が耳に届いた瞬間、幸せな気分のまま、意識はコトリと眠りの中に落ちていった。
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