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フォルセの果実
74.夜明けの雨
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部屋から消えたアドニスの後を追い、ルカーシュカと共に命の湖に向かう間、ずっと生きた心地がしなかった。
長い眠りから目覚めてから、異様なほどに落ち着いていたのも、頑なにエルダを遠ざけていたのも、命の湖に還ろうと決めていたからなのだろうか───それを思うと、悔しくて、悲しくて堪らなかった。
側にいたのに、何も分かってやれなかった己が恥ずかしくて、苦しくて、奥歯が軋むほど強く噛み締めた。
(間に合ってくれ…!)
アドニスがいなくなってから、既にかなりの時間が経っていた。焦る気持ちは止められず、羽ばたく速度は上がり、周囲の景色は溶けるように過ぎていった。
そうして辿り着いた命の湖の畔、ポツンと佇むアドニスの姿を目にした瞬間、泣きたくなるほどの安堵に襲われた。
速度を落とせず、降り立った大地が抉れたが、構ってなどいられなかった。
早く、早く、一刻も早く───!
一直線に駆け寄り、本能のまま伸ばした腕でアドニスの体を抱き寄せると、力一杯その身を抱き締めた。
「良かった…っ、間に合った…!」
「ああ…っ、アドニス…! 本当に良かった…っ」
全速力で飛んだせいか、胸が裂けてしまいそうなほどの不安からか、激しく鼓動する心臓と、苦しくなるほど乱れた呼吸に初めて気がついた。
共にアドニスを抱き締めるルカーシュカの上がった息と、珍しく紅潮した頬に、彼もまた自分と同じ気持ちなのだということが手に取るように分かった。
「ごめ…、なさい…っ」
崩れるように膝を折り、泣き出したアドニスの震える声が、触れた肌から伝わり、涙と共に流れ出した感情に愛しさが募る。
「ごめんなさい」という言葉に混じる、喜びと安堵は、アドニスの抱えていた孤独と不安を推し量るには充分で、抱き締めた腕に更に力を籠めた。
頼むから、お願いだから、これからずっと側にいるから、もう独りで泣かないで…!
何も告げず、黙っていなくなるだなんて悲しい選択は、もう二度とさせたくない。
湧き上がる後悔を飲み込み、アドニスの頬に自身の頬を寄せた。
もしも本当に、アドニスが命の湖に還ることを望んでいるのであれば、きっと引き留めてはいけない…そう分かっていても、離れたくない、離したくないという気持ちは膨れ上がり、いけないと分かっていても、口からは欲望が漏れていた。
「私達は……私は、まだあなたと一緒にいたいです」
言葉にすれば呆気ないほどの欲望は、それでも心の底から望む願いだった。
「もっと一緒にいたいです。叶うならばずっと、この先もずっと、共に在りたい。……ねぇ、アドニス」
「好きですよ」
ようやく伝えられた自分の気持ちが、言葉の形を成して、アドニスへと届く。
濡れた金色の瞳が大きく見開かれ、また一雫、ぽたりと涙が零れた。その一雫さえ愛しくて、叶うならば、赤く染まる目元に唇を寄せたいのをグッと我慢した。
理性と欲望の狭間で葛藤しながら、ルカーシュカの告白に瞳を揺らし、ポタポタと泣き出したアドニスの背を撫でた。
「アドニス……まだ、私達と一緒にいてくれますか?」
「…っ、う…、う…!」
コクコクと頷き、しゃくり上げていたアドニスが、ひくりと喉を鳴らしながら懸命に言葉を返してくれた。
「自分も…、…い、いっしょに…っ、ぃた…、…っ一緒に、いたい…です…っ」
「…ええ。一緒に…私達の傍に、いて下さい」
「ぅ…っ、あぁぁ…っ」
告白の返事はもらえなかった。それでも今は、共にいてくれることを望んでくれた。
それだけで嬉しくて、苦しくなるほど満たされた胸に、溢れた感情が口から零れた。
「好きですよ、アドニス」
大事にしたい、大切にしたい、愛しい子。
声を上げて泣き出したアドニスの体を、「大好きだよ」という気持ちを込め、強く強く、抱き締め続けた。
その後、バルドル神からの報せを受け取るまで、湖の畔でゆったりとした時間を過ごした。
アドニスを中心に、ルカーシュカと自分で挟むように腰を落ち着けると、互いに体を寄せ合った。
ポツリ、ポツリと語らいながら、目が合うたびにふにゃりと微笑んでくれるアドニス。その笑顔が愛しくて、その顔を見せてもらえる喜びに、きゅうっと胸が鳴った。
(……いけませんね)
腰を抱き寄せ、ぴったりと密着しているのに、それでも足りないと思ってしまう自分がいる。
「もっと、もっと」と溢れる気持ちに抗えず、ほんの少しの色情を混ぜ、アドニスの肩に頭を乗せた。
「…っ」
ピクリと揺れた体にはあえて口を噤み、瞳を伏せれば、アドニスの膝の上、その胸に抱きつくエルダとパチリと目が合った。
「…んむ」
恥ずかしがるように顔を伏せ、アドニスの胸元に顔を埋める仕草はプティそのもので、嫉妬よりも驚きが先に立つ。
目の前で姿を変える瞬間を見たので、このプティはエルダで間違いないが、それでも未だに信じられない気持ちが大きかった。
なにより、特異体質よりも気掛かりなことがあったが…今はそれを問い正すつもりはなく、寄り添う体温に集中するべく、瞳を閉じた。
とろりと溶けてしまいそうな心地良さの中、柔らかな風が草花を揺らし、湖面に波紋を描く音に混じり、トクリ、トクリとアドニスの心臓の音が聞こえる。
暖かな陽射しの下、香る陽だまりとミルクの匂いは甘やかで、息を吸い込むたび、愛しさが胸の内を埋め尽くしていった。
あっという間に時間が過ぎ、空が僅かに赤みを帯び始めた頃、バルドル神からの報せが届き、即座にアドニスを抱き上げた。
目を白黒させながらも、大人しく腕の中に収まり、こちらを見つめる幼い顔に思わず笑みが零れる。
(あんまりに無防備過ぎて、心配になりますね)
ほんのりと染まった頬に、少しでも気を抜けばキスをしてしまいそうな自分を抑える中、あっさりとその指先に唇を落としたルカーシュカに目を剥いた。
「!?」
「なっ…」
「落ちないように、ちゃんと掴まってるんだぞ」
いつか自分が触れることを躊躇った指先に、サラリと口づけたルカーシュカに、穏やかではない感情が湧く。と同時に、色事にほとんど興味のない彼が恋情を隠しもせず、そういった行為をしたことに驚いた。
驚愕と悋気を混ぜ、ルカーシュカを見つめれば、目の合った彼が、フッと瞳だけで笑った。
(…これからは、アドニスの取り合いになりそうですね)
複雑な心境の中、翼を広げれば、アドニスの手が肩口を掴んだ。必死にしがみついている姿が可愛らしくて、直前までのモヤモヤとした気持ちも吹き飛ぶ。
我ながら現金なものだと思いながら、両腕いっぱいに感じるアドニスの体温を閉じ込めると、命の湖を後にした。
命の湖を飛び立ち、アドニスの部屋まで帰ってくると、ルカーシュカと共に宮廷の中を見て回った。
皆、宮廷を去ったという報せを受けてはいたが、自分達の目でも確認しておきたかったのだ。
アドニスの部屋からバルドル神の待つ広間まで、広い回廊を飛んで回ったが、大天使はおろか、宮廷仕えの天使達の姿さえ見えなかった。
(徹底的に他の者達を排したのですね)
これならばアドニスが部屋を出ても大丈夫だろう。
ルカーシュカと落ち合い、互いに頷くと、待っているアドニスの元へと急いだ。
道中、ルカーシュカがアドニスを抱き抱えて向かうことになり、内心では非常に面白くなかったが、今はそれについて議論している時間も余裕もなかった。
これから向かうのはバルドル神の元───アドニスの記憶を辿り、アドニスの身に何が起こったのか、その在り方を、知る刻が来た。
逸る気持ちと、怖気付く気持ちが綯い交ぜになり、高まっていく緊張から心臓がドクリ、ドクリと鼓動する。
(…落ち着け。不安なのは…怖いのは、アドニスです)
逃げ出すほどの不安と恐怖に襲われ、それでも今、向き合おうと必死になっているのはアドニスだ。
側にいることしかできない己の無力さに歯噛みしながら、何度も深呼吸を繰り返し、長く続く回廊を無言で歩き続けた。
「わっ!?」
「バルドル様ッ!」
広間に辿り着き、アドニスは難なくバルドル神との対面を果たした。
恐る恐るといった様子ながら、それでも自分の足でバルドル神の元へと向かう姿にホッとしたのも束の間、そこからのバルドル神の行動に、思わず声を上げてしまった。
ふわりと浮かんだアドニスの体。重力を感じさせないほど、軽やかに浮いた体躯を膝の上に降ろすと、バルドル神がその腰を抱き寄せたのだ。
(なっ…!)
「……………え?」
「うん、これでお前の顔がよく見える」
「………え?」
にこやかに微笑むバルドル神と、キョトリとその顔を見つめるアドニス。
もっと慌ててもいいだろうに、大人しくその膝の上に収まっているアドニスにも、アドニスを抱き寄せるバルドル神にも焦りが湧いた。
アドニスは恐らく状況を飲み込めず、バルドル神も、特別な感情で動いている訳ではない…はずだ。ただ我が子を愛でる気持ちで膝の上に座らせたのだろうが…
(その距離は近過ぎる…!)
恋人が睦み合っているようにしか見えない距離に、もやもやとしたものが溢れ出す。
「大人しくしておいで」
「あ…ゃ……お、降り…」
「良い子にしてなさい」
「ぅ…」
我に返ったように身じろぎをするアドニスを、バルドル神がより強く引き寄せ、二人の密着度は更に増した。
「…!」
ぶわりと迫り上がった嫉妬の情に、顔が歪む。
そのタイミングで後ろを振り返ったアドニスと目が合い、怯えるように揺れた瞳に慌てて表情を取り繕おうとしたが間に合わなかった。
「ぁ…あの…」
「そんな泣きそうな顔をするな」
「ふゃっ…!」
続くバルドル神の行動に、眉根の皺が深くなる。大きな手がアドニスの頬を撫で、同時に耳に届いた仔猫の鳴き声のような声に、いよいよ黙っていられなくなった。
「…っ、バルドル様! それ以上は…!」
「バルドル様、お戯れも大概になさって下さいませ」
自身の声と重なった声にハッとすれば、バルドル神の傍らに音もなくオリヴィアが現れた。その姿と、諫めるような声に安堵の息を吐く。
バルドル神の筆頭側仕えであり、大天使達とは違った側面で神を支える彼は、調整と制御を担っている。
我々とは少々感覚の違うバルドル神に対し、ハッキリと物が言えるのは、長くその身に仕え、信頼を重ねた彼にしか出来ないことだろう。
(…彼がいてくれるなら、安心ですね)
大きく乱れていた感情が、緩やかに落ち着きを取り戻し始める。すぅっと大きく息を吸い込むのと同じく、オリヴィアに諫められたバルドル神が、アドニスに向かって語り出した。
(……いよいよですね)
緊張の波がじわじわと押し寄せる空気の中、自然と姿勢を正し、正面を見据えた。
長く待ち侘びていた瞬間が、すぐ目の前まで迫っていることに、期待と、少しの恐怖と、覚悟を抱く。
(…例え、どんな結果だとしても…)
アドニスを想う、この気持ちは変わらない。
相手がバルドル神であっても、胸を焼くような嫉妬を覚えるほど、アドニスという存在を愛し、欲してしまった。
もう一度深く息を吸い込むと、不安を押し流すようにゆっくりと吐き出し、バルドル神と向き合い、懸命に言葉を紡ぐ背中を真っ直ぐに見つめた。
「……この子は、アドニスじゃない」
絞り出すように発せられた低い声に、心臓がドクリと鼓動した。
耳に痛いほどの静寂が辺りを埋め尽くす中、吐き出す息の音すら響きそうで、知らず息が詰まった。
ドクン、ドクンと鳴る心臓の鼓動に合わせ、少しずつ高まっていくのは、なんとも言えない高揚感。
喜びにも似た安堵が湧き上がる反面、バルドル神の悲痛な表情が、ずっと目を背けてきた現実を物語っているようで、胸が締め付けられた。
「……アドニスとは違う魂───アドニスとは、別の子だ」
瞬間、ゾクリと背中を駆け上がり、肌を粟立たせた感情に、全身がふるりと震えた。
頭のどこかで、ずっと感じていた確信めいた感覚。
ずっと『別人のようだ』と感じていた違和感が、今この瞬間に、真実その通りであったことが証明された。
(……ああ、やはり…嬉しいと思ってしまう)
どんな現実が待っていても、愛しいと想う気持ちは変わらない、と覚悟していた。
それでも、今ここにいるアドニスが、『アドニス』とは別人であることを、どうしても喜んでしまう自分がいた。
(私が愛したのは……彼ではなく、この子だ)
例え同じ姿をしていても、心惹かれ、愛したのは今この場にいるアドニスだけ───それを嬉しいと思ってしまう気持ちは止められなかった。
同時に、あの凄惨な罰の痛みを、生まれたばかりの何も知らない子に背負わせ、泣き叫ぶほどの恐怖の縁に追いやってしまったことを思い出し、心臓が潰れそうなほどの後悔に襲われる。
(なんということだろう…)
既に遠くなった日の記憶は、色褪せずに今もまだ覚えている。
脳裏に浮かんだのは、良心の呵責に背中を押され、アドニスの元に向かったあの日。
あの時、あのまま放置していたら、今のアドニスは此処にいなかったのかもしれない…そう思えばこそ、あの時の自分を褒めてやりたい気持ちと、ただ突き放した愚かな自分への責が鬩ぎ合い、拳をキツく握り締めた。
(…もう一度、アドニスに謝罪を)
肉が抉れた傷もそのまま、冷たい床に座り込み、怯えたようにこちらを見つめ、声を発することすら躊躇っていたあの日のアドニスに、もう一度───人知れず決意しながら、腹の底から迫り上がる後悔と懺悔をなんとか飲み込むと前を向いた。
様々な感情が入り混じり、騒めく胸を押さえる中、バルドル神とアドニスが静かに語り合う声に耳を傾けた。
「愛しい私の子。生まれてきてくれて、ありがとう」
どこまでも優しく、どこまでも深く、どこまでも愛情に満ちた声。
ただ純粋に、アドニスという子どもを愛する父の声に、ジンと胸が滲む中、室内に響いた泣き声に、堪らず唇を噛んだ。
「あぁぁぁ…っ、っ…、あぁぁっ…!」
幼い子どものように、声を上げて泣きじゃくるアドニス。
その泣き声も姿も、痛々しくて、愛しくて…そっと閉じた瞼の隙間から、ぽたりと一粒、涙が零れた。
「愛してるよ」と、何度も何度も繰り返されるバルドル神の言葉は、ただただアドニスを想う気持ちで満ちていた。
…これからたくさん、彼に愛を伝えよう。
言葉で、行動で、生まれてからの数年間、孤独に追いやり、傷つけてしまった分も含めて、たくさん、たくさん、溢れるほどの愛情を。
静かな部屋の中、アドニスの泣き声が響くほど募る感情を胸に、泣き続ける背中を見つめ続けた。
ひくりとしゃくり上げる声が聞こえ始めて暫く、バルドル神の肩に身を預け、掠れた声で返事をするアドニスの姿に、ふっと体から力が抜けた。
長く時間が掛かってしまったが、ようやく孤独の中で生まれた子を父の元へと連れて来れた。愛しいと思う気持ちと同じくらい、その存在を認識してもらえたことに安堵していた。
その間、バルドル神からの問い掛けに、ふにゃふにゃと返事をしていたアドニスが、突如ハッキリとした口調で告げた言葉に、心が震えた。
「…っ、わ、私は…みんなと、もっと…もっと、ずっと…一緒にいたいです…!」
───ああ、なんて愛しいのだろう…!
その『みんな』の中に、自分が含まれていることはとうに知っている。それが堪らなく嬉しくて、恋しくて、勝手に上がる口角を押さえるように片手で口を覆った。
「…気持ちは分かるが、ニヤけるな」
「すみません。無理です」
ルカーシュカに小声で窘められるが、そう言う彼も目元が笑っていた。
気持ちを落ち着けるべく、二度、三度と深呼吸をしている視界の端で、オリヴィアが取り出した物に目が釘付けになった。
(授花…?)
フォルセの果実を選ぶ、特別な結晶───それをオリヴィアが腕に抱き、アドニスに差し出す光景に唖然とした。
自分の隣ではルカーシュカも目を見開いていたが、驚愕したのは一瞬で、動揺に揺れた気持ちもすぐに落ち着いた。
純天使を唯一、成長させることができる特別な果実。
それを実らせることができるのは、母提樹に選ばれた唯一人。
プティをこよなく愛し、愛され、常に共にいるアドニス。
もしも、彼がフォルセの果実に選ばれたのだとしても、そこに違和感はなく、むしろ選ばれて然りとすら思えた。
フォルセの果実が実るフレールの庭で、プティ達と睦まじく過ごすアドニスの姿を思い浮かべるのは容易く、その隣に自分も居られたなら…と、つい想像を広げてしまうほどだった。
そんな淡い妄想を広げた直後、思わず顔を背けてしまうほどの眩い光を放った授花に、言葉を失った。
(まさか…こんな…)
フォルセの果実が選ばれる瞬間を、今まで何度も見てきた。だが一度として、こんなにも授花が光り輝いたことなどなかった。
まるでその輝きこそが『本物だ』とでも言いたげな、アドニスが『特別な存在』であるということを証明するような光に、喜ばしく思うのと同時に、少しばかりの不安が胸に湧いた。
(…他の者達も、いずれこの子に会うことになる)
フォルセの果実に選ばれただけでも、皆の興味を引くだろう。その中で、一体どれだけの者がアドニスの愛らしさに惹かれるだろうか───湧いた考えに、スゥッと胸が冷えた。
(……誰にも会わせたくないですね)
いっそ誰の目にも触れぬ様、どこかに閉じ込めておければ───渦巻く感情を押し込み、前を見据える。
突然のことに困惑するアドニスと、その様子を楽しげに眺めるバルドル神を見つめながら、まだ見ぬ誰かに向け、嫉妬の炎がチリリと鳴いた。
それからアドニスとバルドル神の会話が続き、今この場で決めておくべきことについて、いくつかの話し合いが成された。
穏やかに進む会話に安心する反面、目に映る光景に、徐々に表情が険しくなった。
蓄積された疲労か、長い憂いからの解放か、返事をする声に眠そうな音の混じるアドニスと、そんなアドニスの頬や頭を延々と撫で続けているバルドル神に、燻り始めた悋気がじわりと広がった。
(いくらなんでも、撫で過ぎでは…)
元々、バルドル神は他者とのふれあいが多い。特に、プティに対しては今のアドニスと同じような可愛がり方をする御方だ。
それを考えれば、尚且つ、アドニスに対し負い目を感じているのであれば、猫可愛がりするのも分からなくはないのだが…見ていればいるほど、腹の底に良くない感情が溜まっていくのが分かった。
(……そろそろ離してもらいたいですね)
膝の上に抱いたアドニスの腰を抱き、「良い子だ」と楽しげに告げ、愛しげに頬を撫でるバルドル神の姿は、精神衛生上、非常によろしくない。
このまま奥の宮に連れ帰ってしまいそうな愛で方に、嫉妬に焦りが混じり始めた頃、アドニスの体からゆるりと力が抜けたのが見えた。
「アドニス、私の愛しい子。これから先の未来は、お前のものだ。お前らしく、健やかに過ごせる様、父はいつでも見守っているよ」
幼な子を寝かしつけるような優しい声音が響き、大きな手がアドニスの頭を撫でた。
「さぁ、もう寝る時間だ。おやすみ、愛しい子」
その言葉を待っていたかのように、カクリとアドニスの頭が下がった。
ずっと耐えていた様だが、相当眠かったのだろう。眠りに落ちた体は、バルドル神の体にくったりと寄り掛かった。
「……眠ったな」
ひとまず一段落だ…と、ホッと息を吐き出した時、低く響いた声に籠った悲しみにハッとした。
「……この子にも、あの子にも、残酷なことをしてしまった」
(ああ、そうだ……アドニスは…)
悲痛なバルドル神の声に、過ぎ去った現実を思い出す。
その先は聞かずとも、『アドニスとは、別の子だ』と告げられた時に、恐らくそうなのだろうという予測はできていた。
それでも、問わずにはいられない。
もういないであろうアドニスに対して、自分達が行った罪と罰は、知っていなければいけないことだった。
「バルドル様、アドニス……その、もう一人のアドニスは…」
腕の中で眠るアドニスを一撫でしたバルドル神が、憂いに満ちた瞳で、ゆっくりと呟いた。
「アドニスは、死んだよ」
分かりきっていた事実の、なんと重いことだろう。
ズシリと重くなった腹の底は苦しく、アドニスを心底厭い、避けていたルカーシュカでさえ、動揺を隠せずにいた。
言い訳になってしまうのは百も承知だが、誰もアドニスの死を望んでいた訳ではなかった。
いなくなってほしいとは思っていても、それは『死』ではなく『再生』…命の湖に還ってくれればと、そう思っていたはずだ。
命の湖に還れば、巡り巡って、また新たな命として生まれてくる。決して命の消滅を、死を、望んだ訳ではなかった。
(……重い)
犯した罪の重さに目が眩みそうになりながら、嘆くバルドル神を前に、自分達が崩れる訳にはいかなかった。
「バルドル様…どうか、そのようにご自身ばかりを責めないで下さいませ」
「我々も、同じ罪を犯しました」
ルカーシュカと共に声を揃えるが、バルドル神の表情は暗く、塞ぎ込んだまま頭を振った。
「お前達がアドニスへの罰として望んだのは、大天使としての地位の剥奪だ。……翼の剥奪は、私があの子に与えた罰だ。……あの子を殺したのは、私だよ」
───瞬間、ドッと重くなった体に、息を呑んだ。
(こ、れは…っ)
空気全体が重くなったような息苦しさが全身を襲うのと同時に、サァッと降り出した雨音に、バッと顔を上げた。
まずい───!そう思うのと重なるように、オリヴィアがバルドル神に近づくのが見えた。
「バルドル様、いなくなられてしまったアドニス様のことを想い、憂うことをお止めはしません。悔やまれるお気持ちは、私とて同じです。ですが今はどうか、お側にいらっしゃるアドニス様の未来を、想って下さい。…アドニス様の前で、そのように嘆かれてはなりません」
平静に、冷静に、感情を殺した声は酷く平坦で、それでいて深い慈愛に満ちていた。
「それ以上の嘆きは、アドニス様のお体にも障ります。どうか…」
「……ああ、それはいけないな」
続くオリヴィアの声に、バルドル神が顔を上げる。同時にふっと軽くなった体に、詰めていた息を吐き出した。
(良かった…)
思わずそう思ってしまったが、バルドル神に抱かれたままのアドニスを思えばこそ、気が気ではなかった。
バルドル神は、天地における絶対神だ。唯一無二の存在であり、及ぶ力は壮大だ。
故に、感情の揺らぎ一つでさえ、広範囲に影響を及ぼし、近くにいればいるほど、受ける影響も大きくなる。
深い悲しみと後悔に、心を痛め、憂い嘆くほど、周囲にもその感情が降り注ぎ、空は神の心情を写し取ったかのように、悲しみの雨を降らす───泣くことすら出来ない神の代わりに、空が泣くのだ。
「ありがとう、オリヴィア。…お前達も、心配させたね」
「…御身の嘆きの幾許かでも、共に有することが出来ましたなら、我らは嬉しく思います」
「…ありがとう。その優しさに、甘えさせておくれ」
淡く微笑むバルドル神だが、止む気配のない雨が、その御心内を表していた。
(……願わくば、どうか)
きっと、我が子を喪ったバルドル神の憂いは、永遠に晴れることはないだろう。
それでもいつか、父を象る一部となって、還ることのない魂も融けて共になれたなら…そんな気持ちで、今はただ祈りを捧げた。
平静を取り戻したバルドル神から、アドニスの状態、魂の在り方を聞き、驚きながらもどこかで納得している自分がいた。
成長することがなく、プティと変わらぬ清らかな魂であり続けることに、多少驚きこそすれ、その片鱗に触れてきたことを思えば、それほど意外なことには思えなかった。
それよりも、話を聞きながら気になったのは、やはり周囲の者がアドニスに向ける感情についてだった。
プティと変わらぬ魂ということは、今まで同様、悪意や害意に対して傷つきやすいということだ。
勿論、そのような感情の前に晒すつもりはないし、もう1人のアドニスとは別人なのだということが分かれば、そのような感情を向ける者はいなくなるだろう。
だがそうなると、次に不安なのはやはり別の感情…アドニスに惹かれ、恋慕の情を抱く者が出てこないとも限らないことだ。
勝手に好意を寄せるだけなら、まだ我慢できる。しかし万が一にも、感情のまま、アドニスに近づこうとする者が出てきたら───…
(……絶対に許せませんね)
下手にアドニスに意識させることすら許せそうにない己の狭量さに、自嘲も零れない。
「今度こそ、怖い思いをしない様、父が守ってあげよう」
…そう、今この時でさえ、アドニスを抱き締めるバルドル神に、ジリジリと気持ちが燻り始めているのだ。
つい先ほどまでは、話の内容に意識も逸れていたが、徐々に纏まり始めた会話に、どうしてもバルドル神に抱かれたままのアドニスが気になった。
こちらの気持ちを知ってか知らずか、いよいよ頬にキスでもしそうなほど縮まった距離に、眉間に深い皺が寄った。
「んに…」
「ふふ、本当に可愛らしい子だな」
「……バルドル様、そろそろアドニスを部屋で休ませてやりたいのですが」
正確に言えば『返してほしい』だ。
ギリギリ本音は隠したが、ルカーシュカとエルダも微妙な顔でバルドル神を見つめているところを見れば、気持ちは一緒だろう。
オリヴィアの助けもあり、ようやくバルドル神とアドニスを離せたことに、少なからずホッとした。
このままエルダにはアドニスを連れて、先に部屋に戻ってもらおう───そう思い発した声は、バルドル神によって遮られた。
「…バルドル様? いかがなさいましたか?」
「なに、エルダに話しがあるんだ」
「…っ」
その言葉に、僅かな緊張が走った。
バルドル神はいつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべていたが、少なからず透けて見えた思考に、眉を下げた。
(……やはり、隠せませんでしたか)
チラリと視線を横にずらせば、目の合ったルカーシュカが小さく首を振った。その仕草に、隠し事がバレてしまったような気まずさを感じ、そっと視線を逸らした。
奇妙な静寂の中、三日月型のベッドに恭しくアドニスを寝かせたエルダが、バルドル神に向き合う姿を静かに見守る。
「単刀直入に聞こう。エルダ、その姿は、お前の新しい能力のおかげかな?」
瞬間、エルダの表情が苦いものへと変わり、同時に「ああ、やはり」と、心の中で呟く自分がいた。
「『器』の大きさが、変わっているね」
にこやかに語る声からは、エルダを責めるような響きはない。ただ、それを言われている本人は、酷く不服そうな顔をしているのがなんとも言えなかった。
器の変化───それは、天使から大天使へと成長したことを確信している言葉だった。
(本人が黙っているのならと、秘密にしておくつもりでしたが…)
どうやらそうはいかない様だ。諦めにも似た気持ちで薄く息を吐くと、数刻前の出来事を思い返した。
命の湖でアドニスを保護した時、純天使の姿をしたエルダに、自分もルカーシュカも驚いた。
特異体質による身体の変化だろうが、それにしてもどうしてその姿になったのか…疑問を抱きながらも目で追った先、エルダだというプティの背にある翼が大きく広がった瞬間、目を疑った。
大きく広がり、赤子の体を包んだ羽根は二対四枚───大天使のみが有している、四枚の翼だったからだ。
正直、言葉を失うほど驚いた。
エルダが、いつの間に、どうして───そんな考えが一瞬で脳内を駆け巡ったが、花が開花するように開いた翼の中から現れたのは、いつもと変わらぬ、少年の姿をしたエルダで更に驚いた。
明らかに大天使の象徴たる翼だった。それなのに、現れたエルダの背にあるのは、見慣れた天使のそれで…その時点で、自分もルカーシュカも、ある可能性について考えた。
もしや、プティの姿も、この姿も、エルダの特異体質によるものでは───と。
本当は既に違う姿で、それを目覚めた能力によって変えているのでは…そんな疑念を持ちながらも、アドニスがいる手前、それ以上言及することも出来ず、その場では口を噤んだ。
だがエルダの態度は今までと変わらず、アドニスの従者であろうとする姿に、自分もルカーシュカも、それとなくその本心に気づいていた。
出来ることなら、その願いを叶えてあげたかったのだが…
(バレてしまっては、仕方ありませんね…)
溜め息が零れるとの被って、エルダがゆっくりと口を開いた。
「………なぜ、私の特異体質のことをご存知なのですか?」
「そんなに怖い顔をしないでおくれ。私が、オリヴィアに頼んだんだよ」
そういえば、何故エルダの特異体質のことを…そんな考えが過った時、視界の端でキラリと何かが光った。
硝子天井から溶け出すように現れたのは、水の体を持った色とりどりの魚達。照明の光を反射し、キラキラと輝く鱗をくねらせながら、空を泳ぐ魚の群れは、ゆるりゆるりと室内を旋回し、ある人物の元へと向かっていった。
差し出されたオリヴィアの左手───その手の平の中に、パシャンッと水音を上げ、魚の群れが次々と飛び込んでいく。
手の平に吸い込まれるように、次々と消えていく魚達。最後の一匹が、ピチャンと水飛沫を上げて収まると、オリヴィアがそっと左手を握り締めた。
「すみません。覗き見をするつもりはなかったのですが、アドニス様がどちらにいらっしゃるのか心配で…少しばかり、動向を観察しておりました」
オリヴィアの言葉に、一層顔を顰めるエルダを横目に納得する。
(…なるほど。彼に一部始終、見られていたのですね)
オリヴィアも、特異体質を得た天使だ。
その能力は、特異体質の中でも更に珍しい『望む性能と性質を持った生き物を生み出す』というものだ。
喋る青い小鳥も、空を泳ぐ魚も、人間界からの帰還を報せる蝶も、オリヴィアの聖気から生まれたものだ。
恐らく先ほどの魚は、彼の目として、命の湖の周囲を泳いでいたのだろう。そして魚の目を通して見た光景は、オリヴィアを通じ、バルドル神にも伝わっていたということだ。
「ごめんよ。万が一、アドニスの姿を見失ったら大変だと思ってね」
困ったように笑うバルドル神に、エルダも何も言えないのだろう。下げたままの視線と引き結ばれた唇は、少しだけ拗ねているように見えた。
「エルダ」
「……はい」
「お前の願いは分かっているつもりだよ。だがその願いを聞く前に、父に大きく育った我が子の姿を見せてくれないかい?」
「………はい」
拗ねる子を優しくあやすような声に、エルダもとうとう観念したのか、小さな返事を返すのと共に、その背に翼を広げた。
バサリと大きく広がった翼は四枚。その羽根が、赤子の時と同じようにその身を包み、花の蕾のように閉じた。
一瞬の間の後、蕾が花開くように膨らみ、ぶわりと広がる───その中から現れたのは、予想していた通り、青年の姿となったエルダだった。
淡い色合いはそのまま、儚げだった面差しは、ガラリと印象を変えた。
身長は自分とルカーシュカのちょうど中間ほどの背丈だろうか。華奢な体付きは、手足も長く、細いながらもしなやかな筋肉を帯びた肉体へと変わった。
少女のようだった顔立ちは、僅かな面影を残しつつ青年らしい骨格へと成長し、大きく可憐だったエメラルド色の瞳は、涼やかなものへと変貌した。
(これは、また…)
一目でエルダだとは分かる。が、それでも受ける印象は随分と変わる。まず間違いなく、アドニスが可愛がっていたエルダとは、まったくの別人になるだろう。
翼を畳み、ゆっくりを姿勢を正すエルダだが、そこには大天使になれたことへの喜びは一切無かった。
「ああ、大きく育ったね」
「……恐れ入ります」
聞き慣れない低い声は、成長し、声変わりしたからだけではないだろう。明らかに不承不承と言った風の返事に、バルドル神が苦笑を漏らした。
「そんなに嫌か?」
「………」
答えが無いことに、見守っているこちらが焦る。
だがバルドル神は特に気にした風もなく、淡い笑みを浮かべたまま、エルダを見つめていた。
「……大天使まで成長できましたことは、とても光栄なことと思っております。…ですが、ここまで成長できたのは、アドニス様のお力添えがあったからこそです。私一人で成し得たことではございません」
「アドニスの?」
小首を傾げるバルドル神に、エルダの言葉が続く。
「アドニス様は、粛法こそ扱えませんが、聖気が無い訳ではございません。触れたものに聖気を流すお力はございます。…私が成長できたのは、アドニス様が無自覚のまま、私に聖気を注いで下さったからです」
「聖気を注いで…? 他者の聖気で成長など……ああ、いや…そうか。エルダは成長途中で、アドニスの聖気はプティ達と同じ色…混じってしまうんだな」
「…はい」
断片的な単語での会話だが、話の内容は理解できた。
本来、聖気を譲渡することで相手の聖気を増やし、成長を促すことはない。
それは互いの聖気の性質が違うからであり、混じることがないからだ。
一時的な蘇生による譲渡であっても、活動する為の栄養素として取り入れるだけであって、自身のものになる訳ではない。
だがそれは、本人の性質が確定した、天使以上の話であり、プティは別だ。
プティの聖気は、何者にもなれる可能性の色。性質に関係なく、誰でも受け入れ、誰とでも混じることが可能だ。
とはいえ、それは理論上の話だ。
プティはそもそも、他者に譲渡できるほどの聖気が無い。その能力も無い。更に言えば、常に天界内にいて、日々遊び過ごしているプティ達は聖気を減らすことも無く、他者から聖気の譲渡を受けることも無いのだ。
そういう風に出来ている───その枠組みから、アドニスが逸脱してるが故に起こったことなのだろう。
「アドニス様は、聖気の扱い方をご存知でありません。基本的には、体内に留めているだけです。…ですが無意識の内に、恐らくは感情の揺らぎによって、体外に漏れてしまうのだと思います」
「そう思った理由を聞かせてくれるかな?」
「…プティの姿になっている間、アドニス様からずっと、他のプティ達が受けるのと同様の情を頂いておりました。…アドニス様からの情を受けるたび、少しずつ、聖気が流れてくるのが分かりました」
「…なるほど。アドニスは愛情と一緒に、聖気も他者に渡してしまうのか」
「…はい」
「お前がそうして成長したのが、なによりの証だろう。なかなか困った子だが、フォルセの果実を担うのであれば、これ以上の適任者はいないだろうね。……エルダは、それを分かっていて、アドニスから離れなかったのかい?」
「っいいえ! ……いいえ、アドニス様から聖気を頂くつもりはありませんでした。…ただ、お側にいたかっただけです」
「責めている訳ではないよ。アドニスの後押しがあったにせよ、そこまで成長できたのは、元からエルダに素質があったからだ。イヴァニエに仕えて、どのくらいだったかな?」
「……百三十年ほどです」
「それだけの積み重ねがあった。アドニスのことがあったとしても、こうして成長できたこともまた、エルダに与えられた幸運だろう」
(…そんなに長く、仕えてくれていたのですね)
静かに進む応答を聞きながら、思考を逸らす。
天使から大天使になれる者は極僅か。その中で、最も大天使となる器に近しい者は、大天使やバルドル神に直属で仕える側仕えや従者達だ。
大天使や神の近くで、その姿や担うべき役目を見て学ぶ者…そうした者達が、次代の大天使候補となる。
つまりエルダも、大天使となる可能性や素質は充分に有していた。今の状況は、特別おかしいことではないのだ。
それでも俯き、唇を柔く喰むエルダは納得できない様子だった。
「…ですが、この姿では、アドニス様のお側にいられません」
ポツリと呟かれた悲壮感の漂う声に、その横顔を見つめれば、くっと顔を上げたエルダが、真っ直ぐバルドル神を見つめた。
「私は、大天使にはなりません。アドニス様の従者として、この先もお仕えするつもりです」
ハッキリと言い切った声に迷いはなく、見据える翠色の瞳には、強い光が宿っていた。
(大天使になることを、こんなにもハッキリと拒絶したのは、恐らく彼が初めてでしょうね)
エルダが大天使になることを望んでいないのは気づいていた。
本来の姿を隠し、頑なにアドニスの従者であろうとする姿勢にもそれは如実に現れていたが、なにより顕著だったのは、バルドル神がアドニスに新たな従者を勧めた時の発言だ。
『アドニス様の従者ですが、現状、私一人でも問題ございません。恐らくですが、今後も今以上必要にはなることは無いでしょう』
事実、アドニスの世話ならエルダ一人で充分だろう。だがその本質は、『アドニスの側にいるのは自分だけでいい』『他の者はいらない』という、“アドニスの従者”という立場を他の者に渡したくないという、独占欲と執着だ。
大天使が、大天使に仕えることはできない。
大天使とは、バルドル神に仕える者であり、従者となる天使達を従える者である。
大天使となれば、必然的にアドニスの元を離れることになってしまう。
エルダにとっては、従者という役目を誰かに明け渡すことも、アドニスの元を離れることも、耐え難い苦痛なのだろう。
「お前は、アドニスの側にいたいのだね」
「はい」
一瞬の躊躇いもなく答えるエルダに、バルドル神が数度頷く。
「分かった。ならばお前には、大天使の役目として、天使としてアドニスの従者となってもらおう」
「………え?」
聞き返すエルダと同様、自分もルカーシュカも言葉の意味を理解できず、目を瞬いた。
「……大天使の…役目、として…ですか?」
「そうだ。大天使となり、その上で与える役目として、天使の姿でアドニスの従者になってもらおう」
「……恐れながら、大天使として務める必要がございますでしょうか?」
「勿論。アドニスを守る為にも、必要だろう」
「アドニス様を、守る…」
その言葉に、エルダの声に僅かな高揚が混じったのが分かった。
「大天使の器と体を有していても、アドニスはまだ幼い。お前達と多くの言葉を交わし、急激に成長した分、精神的には早熟だが、幼さと成熟した思考が妙に混じり合った、未熟で危うい子だ。とてもではないが、一人で行動させることは出来ないだろう。だからこそ、アドニスの手足となり、翼となる子守り役が必要だが、普通の従者では少しばかり荷が重い」
そこで言葉を区切ると、バルドル神はふっと息を吐き出した。
「アドニスが自分で自分の身を守る術を持たない、未熟な大天使である分、仕える者はアドニスを守れるだけの…例え相手が大天使であっても守れるような、同格の者でなければ…と、思わないかな?」
「…!」
そう言われ、密かに「なるほど」と納得する。
『大天使として』というのは、アドニスの不足分を補い、かつ外部からの刺激に対し壁となる為。
そうしながら、名目上では与えれた役目として、アドニスの元で仕えるのだから、今までと大きな違いは無いだろう。
…だがそうすると、エルダばかりがアドニスを守ることになるのではないかと、ついそんなことを思ってしまった。
「…バルドル様、私共ではアドニスを守るに不足でしょうか?」
「まさか。私がただ心配症なだけだよ。それに、エルダに与える役目はあくまで『アドニスに仕えること』だ。本人の望みでもあり、私が与えた役目でもある。エルダが遵守すべきは『アドニスの従者』であり、それ以上のことはイヴァニエ、ルカーシュカ、お前達に任せるつもりだ。頼りにしているよ」
「…勿体ないお言葉でございます」
瞳を細めて微笑むバルドル神には、自身の悋気も透けて見えている様で、気まずさからそっと視線を下げた。
「エルダ。大天使となり、アドニスの従者となれば、出来ることも増えるだろう。但し、それなりの義務も発生する。今まで通りの形を望むのであれば、私はそれでも構わないよ。お前が望む方を選びなさい」
どちらを選んでも、アドニスの従者として側にいるという願いは叶う───となれば、エルダが選ぶのは一択だ。
「…大天使として、我らが父を支え、アドニス様にお仕えする任、謹んで賜りたく存じます」
その場で膝をつき、エルダが首を垂れた。
アドニスを守れる力が、彼の為になるのなら、エルダは迷わずそれに手を伸ばすだろう。
(…ああ、エルダの能力は、全てアドニスの為だけに生まれたのですね)
ふと気づいた、エルダの特異体質の本質。
赤ん坊の姿は、アドニスに愛される為。
少年の姿は、アドニスに仕え、側にいる為。
そうして今、大天使となることを願ったのは、アドニスを守る為───彼が彼たる中心は、全てアドニスなのだろう。
実直に、直向きに、あまりにも極端な情は、その姿形を変えるほどの特別な力となった。
「ありがとう。嬉しいよ」
にこやかに笑むバルドル神は、純粋に新たな大天使の誕生を喜んでいた。
「名はどうする? 新しい───」
「『エルダ』と、今の名をそのまま頂きたいです」
「…うん。では名は『エルダ』と。そうだな…葬斂の儀の後、アドニスのお披露目の代わりに、エルダのお披露目をしよう。名はその時に授けようか」
「ありがとうございます」
(三日後には、エルダも大天使ですか…)
実感の湧かないやりとりを眺めている横で、アドニスが寝返りを打ち、視線はそちらに吸い寄せられた。
「ん…」
丸まろうとしたのだろうが、小さなベッドの中では上手く動けなかったのか、もぞもぞと動く手足が、窮屈そうに身じろぎした。
「アドニスも、そろそろきちんと休ませないといけないな。お前達も疲れただろう。今日はここまでにしよう」
「はい」
「葬斂の儀の前に、改めて話す場を設けよう。……イヴァニエ、ルカーシュカ、エルダ。改めて感謝するよ。愛しい我が子を、今日まで守ってくれて、ありがとう。私はお前達を誇りに思うよ」
「勿体ないお言葉でございます」
三人揃ってその場に膝をつき、首を垂れた。
椅子から立ち上がり、「よくお休み」と言って立ち去るバルドル神の背を見送ると、ゆるりと立ち上がった。
「皆様、本日はよくお休み下さいませ」
「オリヴィアも、色々と気を揉ませて悪かったな。…バルドル様は、大丈夫だろうか?」
「…葬斂の儀までは、塞ぎ込むことでしょう。ですがそれを過ぎれば、お気持ちにも区切りがつくはずです」
「雨が降ったことで、他の者達も騒ぐでしょうが…」
「そちらについては私から報せを送りましょう。アドニス様のお部屋にも近づかれることがない様、含めてお伝え致します」
「ありがとう。助かります」
オリヴィアにほとんどを任せることになってしまうが、それが一番、波風を立たせずに済むだろう。
二言三言、オリヴィアと言葉を交わすと、三日月型のベッドへと近づき、起きる気配のないアドニスを抱き上げた。
「…おい」
「先ほどはあなたに譲ったのですから、いいでしょう?」
「そっちじゃない。…エルダに譲れ」
溜め息を零すルカーシュカの隣、いつの間にか少年の姿に戻っていたエルダが、ゆるりと首を振った。
「ありがとうございます、ルカーシュカ様。ですが私のことは、お気になさらないで下さい。私はあくまで、アドニス様の側仕えですから」
「…それでいいのか?」
「……少なくとも、この姿の時は、それ以上は望みません。それに、私はこれからも毎日お側にいられますから」
ニコリと笑んだ顔には、純粋な喜びと、ほんの少しの優越感が滲んでいて、思わず目を細めた。
「……なかなか、良い性格をしていたのですね。知りませんでした」
「恐れ入ります」
「主従は似るというからな。元主のお前に似たんだろう」
「…似てますか?」
「わりとな」
眠る子が目覚めぬ様、小声で軽口を交わしながら、ゆっくりと広間の中を歩き出す。
腕に抱いた体は温かく、心地良い体温と、鼻先を擽る甘く柔らかな香りに、自然と頬が緩んだ。
(…好きですよ)
胸の内で愛を呟けば、込み上げる感情が全身を巡り、「もっと、もっと」と愛しい存在を欲した。
きっとこの先、どれだけ共に過ごしても、自分は彼を求め続けるのだろう。
(愛しています、アドニス)
今はまだ、眠る愛し子に口づけることもできないことがもどかしく、愛らしい寝顔に募る情を抑えながら、柔らかな髪の先に、そっと唇を寄せた。
今この時から、アドニスが、『アドニス』として生きていく日々が始まる。
どうかその未来が、幸福と優しさで満ちた、明るいものでありますように。
そして願わくば、その隣で共に笑い合える日々が、いつまでも続きますように───込み上げる愛しさを噛み締めながら、アドニスが生まれた場所を、静かに後にした。
長い眠りから目覚めてから、異様なほどに落ち着いていたのも、頑なにエルダを遠ざけていたのも、命の湖に還ろうと決めていたからなのだろうか───それを思うと、悔しくて、悲しくて堪らなかった。
側にいたのに、何も分かってやれなかった己が恥ずかしくて、苦しくて、奥歯が軋むほど強く噛み締めた。
(間に合ってくれ…!)
アドニスがいなくなってから、既にかなりの時間が経っていた。焦る気持ちは止められず、羽ばたく速度は上がり、周囲の景色は溶けるように過ぎていった。
そうして辿り着いた命の湖の畔、ポツンと佇むアドニスの姿を目にした瞬間、泣きたくなるほどの安堵に襲われた。
速度を落とせず、降り立った大地が抉れたが、構ってなどいられなかった。
早く、早く、一刻も早く───!
一直線に駆け寄り、本能のまま伸ばした腕でアドニスの体を抱き寄せると、力一杯その身を抱き締めた。
「良かった…っ、間に合った…!」
「ああ…っ、アドニス…! 本当に良かった…っ」
全速力で飛んだせいか、胸が裂けてしまいそうなほどの不安からか、激しく鼓動する心臓と、苦しくなるほど乱れた呼吸に初めて気がついた。
共にアドニスを抱き締めるルカーシュカの上がった息と、珍しく紅潮した頬に、彼もまた自分と同じ気持ちなのだということが手に取るように分かった。
「ごめ…、なさい…っ」
崩れるように膝を折り、泣き出したアドニスの震える声が、触れた肌から伝わり、涙と共に流れ出した感情に愛しさが募る。
「ごめんなさい」という言葉に混じる、喜びと安堵は、アドニスの抱えていた孤独と不安を推し量るには充分で、抱き締めた腕に更に力を籠めた。
頼むから、お願いだから、これからずっと側にいるから、もう独りで泣かないで…!
何も告げず、黙っていなくなるだなんて悲しい選択は、もう二度とさせたくない。
湧き上がる後悔を飲み込み、アドニスの頬に自身の頬を寄せた。
もしも本当に、アドニスが命の湖に還ることを望んでいるのであれば、きっと引き留めてはいけない…そう分かっていても、離れたくない、離したくないという気持ちは膨れ上がり、いけないと分かっていても、口からは欲望が漏れていた。
「私達は……私は、まだあなたと一緒にいたいです」
言葉にすれば呆気ないほどの欲望は、それでも心の底から望む願いだった。
「もっと一緒にいたいです。叶うならばずっと、この先もずっと、共に在りたい。……ねぇ、アドニス」
「好きですよ」
ようやく伝えられた自分の気持ちが、言葉の形を成して、アドニスへと届く。
濡れた金色の瞳が大きく見開かれ、また一雫、ぽたりと涙が零れた。その一雫さえ愛しくて、叶うならば、赤く染まる目元に唇を寄せたいのをグッと我慢した。
理性と欲望の狭間で葛藤しながら、ルカーシュカの告白に瞳を揺らし、ポタポタと泣き出したアドニスの背を撫でた。
「アドニス……まだ、私達と一緒にいてくれますか?」
「…っ、う…、う…!」
コクコクと頷き、しゃくり上げていたアドニスが、ひくりと喉を鳴らしながら懸命に言葉を返してくれた。
「自分も…、…い、いっしょに…っ、ぃた…、…っ一緒に、いたい…です…っ」
「…ええ。一緒に…私達の傍に、いて下さい」
「ぅ…っ、あぁぁ…っ」
告白の返事はもらえなかった。それでも今は、共にいてくれることを望んでくれた。
それだけで嬉しくて、苦しくなるほど満たされた胸に、溢れた感情が口から零れた。
「好きですよ、アドニス」
大事にしたい、大切にしたい、愛しい子。
声を上げて泣き出したアドニスの体を、「大好きだよ」という気持ちを込め、強く強く、抱き締め続けた。
その後、バルドル神からの報せを受け取るまで、湖の畔でゆったりとした時間を過ごした。
アドニスを中心に、ルカーシュカと自分で挟むように腰を落ち着けると、互いに体を寄せ合った。
ポツリ、ポツリと語らいながら、目が合うたびにふにゃりと微笑んでくれるアドニス。その笑顔が愛しくて、その顔を見せてもらえる喜びに、きゅうっと胸が鳴った。
(……いけませんね)
腰を抱き寄せ、ぴったりと密着しているのに、それでも足りないと思ってしまう自分がいる。
「もっと、もっと」と溢れる気持ちに抗えず、ほんの少しの色情を混ぜ、アドニスの肩に頭を乗せた。
「…っ」
ピクリと揺れた体にはあえて口を噤み、瞳を伏せれば、アドニスの膝の上、その胸に抱きつくエルダとパチリと目が合った。
「…んむ」
恥ずかしがるように顔を伏せ、アドニスの胸元に顔を埋める仕草はプティそのもので、嫉妬よりも驚きが先に立つ。
目の前で姿を変える瞬間を見たので、このプティはエルダで間違いないが、それでも未だに信じられない気持ちが大きかった。
なにより、特異体質よりも気掛かりなことがあったが…今はそれを問い正すつもりはなく、寄り添う体温に集中するべく、瞳を閉じた。
とろりと溶けてしまいそうな心地良さの中、柔らかな風が草花を揺らし、湖面に波紋を描く音に混じり、トクリ、トクリとアドニスの心臓の音が聞こえる。
暖かな陽射しの下、香る陽だまりとミルクの匂いは甘やかで、息を吸い込むたび、愛しさが胸の内を埋め尽くしていった。
あっという間に時間が過ぎ、空が僅かに赤みを帯び始めた頃、バルドル神からの報せが届き、即座にアドニスを抱き上げた。
目を白黒させながらも、大人しく腕の中に収まり、こちらを見つめる幼い顔に思わず笑みが零れる。
(あんまりに無防備過ぎて、心配になりますね)
ほんのりと染まった頬に、少しでも気を抜けばキスをしてしまいそうな自分を抑える中、あっさりとその指先に唇を落としたルカーシュカに目を剥いた。
「!?」
「なっ…」
「落ちないように、ちゃんと掴まってるんだぞ」
いつか自分が触れることを躊躇った指先に、サラリと口づけたルカーシュカに、穏やかではない感情が湧く。と同時に、色事にほとんど興味のない彼が恋情を隠しもせず、そういった行為をしたことに驚いた。
驚愕と悋気を混ぜ、ルカーシュカを見つめれば、目の合った彼が、フッと瞳だけで笑った。
(…これからは、アドニスの取り合いになりそうですね)
複雑な心境の中、翼を広げれば、アドニスの手が肩口を掴んだ。必死にしがみついている姿が可愛らしくて、直前までのモヤモヤとした気持ちも吹き飛ぶ。
我ながら現金なものだと思いながら、両腕いっぱいに感じるアドニスの体温を閉じ込めると、命の湖を後にした。
命の湖を飛び立ち、アドニスの部屋まで帰ってくると、ルカーシュカと共に宮廷の中を見て回った。
皆、宮廷を去ったという報せを受けてはいたが、自分達の目でも確認しておきたかったのだ。
アドニスの部屋からバルドル神の待つ広間まで、広い回廊を飛んで回ったが、大天使はおろか、宮廷仕えの天使達の姿さえ見えなかった。
(徹底的に他の者達を排したのですね)
これならばアドニスが部屋を出ても大丈夫だろう。
ルカーシュカと落ち合い、互いに頷くと、待っているアドニスの元へと急いだ。
道中、ルカーシュカがアドニスを抱き抱えて向かうことになり、内心では非常に面白くなかったが、今はそれについて議論している時間も余裕もなかった。
これから向かうのはバルドル神の元───アドニスの記憶を辿り、アドニスの身に何が起こったのか、その在り方を、知る刻が来た。
逸る気持ちと、怖気付く気持ちが綯い交ぜになり、高まっていく緊張から心臓がドクリ、ドクリと鼓動する。
(…落ち着け。不安なのは…怖いのは、アドニスです)
逃げ出すほどの不安と恐怖に襲われ、それでも今、向き合おうと必死になっているのはアドニスだ。
側にいることしかできない己の無力さに歯噛みしながら、何度も深呼吸を繰り返し、長く続く回廊を無言で歩き続けた。
「わっ!?」
「バルドル様ッ!」
広間に辿り着き、アドニスは難なくバルドル神との対面を果たした。
恐る恐るといった様子ながら、それでも自分の足でバルドル神の元へと向かう姿にホッとしたのも束の間、そこからのバルドル神の行動に、思わず声を上げてしまった。
ふわりと浮かんだアドニスの体。重力を感じさせないほど、軽やかに浮いた体躯を膝の上に降ろすと、バルドル神がその腰を抱き寄せたのだ。
(なっ…!)
「……………え?」
「うん、これでお前の顔がよく見える」
「………え?」
にこやかに微笑むバルドル神と、キョトリとその顔を見つめるアドニス。
もっと慌ててもいいだろうに、大人しくその膝の上に収まっているアドニスにも、アドニスを抱き寄せるバルドル神にも焦りが湧いた。
アドニスは恐らく状況を飲み込めず、バルドル神も、特別な感情で動いている訳ではない…はずだ。ただ我が子を愛でる気持ちで膝の上に座らせたのだろうが…
(その距離は近過ぎる…!)
恋人が睦み合っているようにしか見えない距離に、もやもやとしたものが溢れ出す。
「大人しくしておいで」
「あ…ゃ……お、降り…」
「良い子にしてなさい」
「ぅ…」
我に返ったように身じろぎをするアドニスを、バルドル神がより強く引き寄せ、二人の密着度は更に増した。
「…!」
ぶわりと迫り上がった嫉妬の情に、顔が歪む。
そのタイミングで後ろを振り返ったアドニスと目が合い、怯えるように揺れた瞳に慌てて表情を取り繕おうとしたが間に合わなかった。
「ぁ…あの…」
「そんな泣きそうな顔をするな」
「ふゃっ…!」
続くバルドル神の行動に、眉根の皺が深くなる。大きな手がアドニスの頬を撫で、同時に耳に届いた仔猫の鳴き声のような声に、いよいよ黙っていられなくなった。
「…っ、バルドル様! それ以上は…!」
「バルドル様、お戯れも大概になさって下さいませ」
自身の声と重なった声にハッとすれば、バルドル神の傍らに音もなくオリヴィアが現れた。その姿と、諫めるような声に安堵の息を吐く。
バルドル神の筆頭側仕えであり、大天使達とは違った側面で神を支える彼は、調整と制御を担っている。
我々とは少々感覚の違うバルドル神に対し、ハッキリと物が言えるのは、長くその身に仕え、信頼を重ねた彼にしか出来ないことだろう。
(…彼がいてくれるなら、安心ですね)
大きく乱れていた感情が、緩やかに落ち着きを取り戻し始める。すぅっと大きく息を吸い込むのと同じく、オリヴィアに諫められたバルドル神が、アドニスに向かって語り出した。
(……いよいよですね)
緊張の波がじわじわと押し寄せる空気の中、自然と姿勢を正し、正面を見据えた。
長く待ち侘びていた瞬間が、すぐ目の前まで迫っていることに、期待と、少しの恐怖と、覚悟を抱く。
(…例え、どんな結果だとしても…)
アドニスを想う、この気持ちは変わらない。
相手がバルドル神であっても、胸を焼くような嫉妬を覚えるほど、アドニスという存在を愛し、欲してしまった。
もう一度深く息を吸い込むと、不安を押し流すようにゆっくりと吐き出し、バルドル神と向き合い、懸命に言葉を紡ぐ背中を真っ直ぐに見つめた。
「……この子は、アドニスじゃない」
絞り出すように発せられた低い声に、心臓がドクリと鼓動した。
耳に痛いほどの静寂が辺りを埋め尽くす中、吐き出す息の音すら響きそうで、知らず息が詰まった。
ドクン、ドクンと鳴る心臓の鼓動に合わせ、少しずつ高まっていくのは、なんとも言えない高揚感。
喜びにも似た安堵が湧き上がる反面、バルドル神の悲痛な表情が、ずっと目を背けてきた現実を物語っているようで、胸が締め付けられた。
「……アドニスとは違う魂───アドニスとは、別の子だ」
瞬間、ゾクリと背中を駆け上がり、肌を粟立たせた感情に、全身がふるりと震えた。
頭のどこかで、ずっと感じていた確信めいた感覚。
ずっと『別人のようだ』と感じていた違和感が、今この瞬間に、真実その通りであったことが証明された。
(……ああ、やはり…嬉しいと思ってしまう)
どんな現実が待っていても、愛しいと想う気持ちは変わらない、と覚悟していた。
それでも、今ここにいるアドニスが、『アドニス』とは別人であることを、どうしても喜んでしまう自分がいた。
(私が愛したのは……彼ではなく、この子だ)
例え同じ姿をしていても、心惹かれ、愛したのは今この場にいるアドニスだけ───それを嬉しいと思ってしまう気持ちは止められなかった。
同時に、あの凄惨な罰の痛みを、生まれたばかりの何も知らない子に背負わせ、泣き叫ぶほどの恐怖の縁に追いやってしまったことを思い出し、心臓が潰れそうなほどの後悔に襲われる。
(なんということだろう…)
既に遠くなった日の記憶は、色褪せずに今もまだ覚えている。
脳裏に浮かんだのは、良心の呵責に背中を押され、アドニスの元に向かったあの日。
あの時、あのまま放置していたら、今のアドニスは此処にいなかったのかもしれない…そう思えばこそ、あの時の自分を褒めてやりたい気持ちと、ただ突き放した愚かな自分への責が鬩ぎ合い、拳をキツく握り締めた。
(…もう一度、アドニスに謝罪を)
肉が抉れた傷もそのまま、冷たい床に座り込み、怯えたようにこちらを見つめ、声を発することすら躊躇っていたあの日のアドニスに、もう一度───人知れず決意しながら、腹の底から迫り上がる後悔と懺悔をなんとか飲み込むと前を向いた。
様々な感情が入り混じり、騒めく胸を押さえる中、バルドル神とアドニスが静かに語り合う声に耳を傾けた。
「愛しい私の子。生まれてきてくれて、ありがとう」
どこまでも優しく、どこまでも深く、どこまでも愛情に満ちた声。
ただ純粋に、アドニスという子どもを愛する父の声に、ジンと胸が滲む中、室内に響いた泣き声に、堪らず唇を噛んだ。
「あぁぁぁ…っ、っ…、あぁぁっ…!」
幼い子どものように、声を上げて泣きじゃくるアドニス。
その泣き声も姿も、痛々しくて、愛しくて…そっと閉じた瞼の隙間から、ぽたりと一粒、涙が零れた。
「愛してるよ」と、何度も何度も繰り返されるバルドル神の言葉は、ただただアドニスを想う気持ちで満ちていた。
…これからたくさん、彼に愛を伝えよう。
言葉で、行動で、生まれてからの数年間、孤独に追いやり、傷つけてしまった分も含めて、たくさん、たくさん、溢れるほどの愛情を。
静かな部屋の中、アドニスの泣き声が響くほど募る感情を胸に、泣き続ける背中を見つめ続けた。
ひくりとしゃくり上げる声が聞こえ始めて暫く、バルドル神の肩に身を預け、掠れた声で返事をするアドニスの姿に、ふっと体から力が抜けた。
長く時間が掛かってしまったが、ようやく孤独の中で生まれた子を父の元へと連れて来れた。愛しいと思う気持ちと同じくらい、その存在を認識してもらえたことに安堵していた。
その間、バルドル神からの問い掛けに、ふにゃふにゃと返事をしていたアドニスが、突如ハッキリとした口調で告げた言葉に、心が震えた。
「…っ、わ、私は…みんなと、もっと…もっと、ずっと…一緒にいたいです…!」
───ああ、なんて愛しいのだろう…!
その『みんな』の中に、自分が含まれていることはとうに知っている。それが堪らなく嬉しくて、恋しくて、勝手に上がる口角を押さえるように片手で口を覆った。
「…気持ちは分かるが、ニヤけるな」
「すみません。無理です」
ルカーシュカに小声で窘められるが、そう言う彼も目元が笑っていた。
気持ちを落ち着けるべく、二度、三度と深呼吸をしている視界の端で、オリヴィアが取り出した物に目が釘付けになった。
(授花…?)
フォルセの果実を選ぶ、特別な結晶───それをオリヴィアが腕に抱き、アドニスに差し出す光景に唖然とした。
自分の隣ではルカーシュカも目を見開いていたが、驚愕したのは一瞬で、動揺に揺れた気持ちもすぐに落ち着いた。
純天使を唯一、成長させることができる特別な果実。
それを実らせることができるのは、母提樹に選ばれた唯一人。
プティをこよなく愛し、愛され、常に共にいるアドニス。
もしも、彼がフォルセの果実に選ばれたのだとしても、そこに違和感はなく、むしろ選ばれて然りとすら思えた。
フォルセの果実が実るフレールの庭で、プティ達と睦まじく過ごすアドニスの姿を思い浮かべるのは容易く、その隣に自分も居られたなら…と、つい想像を広げてしまうほどだった。
そんな淡い妄想を広げた直後、思わず顔を背けてしまうほどの眩い光を放った授花に、言葉を失った。
(まさか…こんな…)
フォルセの果実が選ばれる瞬間を、今まで何度も見てきた。だが一度として、こんなにも授花が光り輝いたことなどなかった。
まるでその輝きこそが『本物だ』とでも言いたげな、アドニスが『特別な存在』であるということを証明するような光に、喜ばしく思うのと同時に、少しばかりの不安が胸に湧いた。
(…他の者達も、いずれこの子に会うことになる)
フォルセの果実に選ばれただけでも、皆の興味を引くだろう。その中で、一体どれだけの者がアドニスの愛らしさに惹かれるだろうか───湧いた考えに、スゥッと胸が冷えた。
(……誰にも会わせたくないですね)
いっそ誰の目にも触れぬ様、どこかに閉じ込めておければ───渦巻く感情を押し込み、前を見据える。
突然のことに困惑するアドニスと、その様子を楽しげに眺めるバルドル神を見つめながら、まだ見ぬ誰かに向け、嫉妬の炎がチリリと鳴いた。
それからアドニスとバルドル神の会話が続き、今この場で決めておくべきことについて、いくつかの話し合いが成された。
穏やかに進む会話に安心する反面、目に映る光景に、徐々に表情が険しくなった。
蓄積された疲労か、長い憂いからの解放か、返事をする声に眠そうな音の混じるアドニスと、そんなアドニスの頬や頭を延々と撫で続けているバルドル神に、燻り始めた悋気がじわりと広がった。
(いくらなんでも、撫で過ぎでは…)
元々、バルドル神は他者とのふれあいが多い。特に、プティに対しては今のアドニスと同じような可愛がり方をする御方だ。
それを考えれば、尚且つ、アドニスに対し負い目を感じているのであれば、猫可愛がりするのも分からなくはないのだが…見ていればいるほど、腹の底に良くない感情が溜まっていくのが分かった。
(……そろそろ離してもらいたいですね)
膝の上に抱いたアドニスの腰を抱き、「良い子だ」と楽しげに告げ、愛しげに頬を撫でるバルドル神の姿は、精神衛生上、非常によろしくない。
このまま奥の宮に連れ帰ってしまいそうな愛で方に、嫉妬に焦りが混じり始めた頃、アドニスの体からゆるりと力が抜けたのが見えた。
「アドニス、私の愛しい子。これから先の未来は、お前のものだ。お前らしく、健やかに過ごせる様、父はいつでも見守っているよ」
幼な子を寝かしつけるような優しい声音が響き、大きな手がアドニスの頭を撫でた。
「さぁ、もう寝る時間だ。おやすみ、愛しい子」
その言葉を待っていたかのように、カクリとアドニスの頭が下がった。
ずっと耐えていた様だが、相当眠かったのだろう。眠りに落ちた体は、バルドル神の体にくったりと寄り掛かった。
「……眠ったな」
ひとまず一段落だ…と、ホッと息を吐き出した時、低く響いた声に籠った悲しみにハッとした。
「……この子にも、あの子にも、残酷なことをしてしまった」
(ああ、そうだ……アドニスは…)
悲痛なバルドル神の声に、過ぎ去った現実を思い出す。
その先は聞かずとも、『アドニスとは、別の子だ』と告げられた時に、恐らくそうなのだろうという予測はできていた。
それでも、問わずにはいられない。
もういないであろうアドニスに対して、自分達が行った罪と罰は、知っていなければいけないことだった。
「バルドル様、アドニス……その、もう一人のアドニスは…」
腕の中で眠るアドニスを一撫でしたバルドル神が、憂いに満ちた瞳で、ゆっくりと呟いた。
「アドニスは、死んだよ」
分かりきっていた事実の、なんと重いことだろう。
ズシリと重くなった腹の底は苦しく、アドニスを心底厭い、避けていたルカーシュカでさえ、動揺を隠せずにいた。
言い訳になってしまうのは百も承知だが、誰もアドニスの死を望んでいた訳ではなかった。
いなくなってほしいとは思っていても、それは『死』ではなく『再生』…命の湖に還ってくれればと、そう思っていたはずだ。
命の湖に還れば、巡り巡って、また新たな命として生まれてくる。決して命の消滅を、死を、望んだ訳ではなかった。
(……重い)
犯した罪の重さに目が眩みそうになりながら、嘆くバルドル神を前に、自分達が崩れる訳にはいかなかった。
「バルドル様…どうか、そのようにご自身ばかりを責めないで下さいませ」
「我々も、同じ罪を犯しました」
ルカーシュカと共に声を揃えるが、バルドル神の表情は暗く、塞ぎ込んだまま頭を振った。
「お前達がアドニスへの罰として望んだのは、大天使としての地位の剥奪だ。……翼の剥奪は、私があの子に与えた罰だ。……あの子を殺したのは、私だよ」
───瞬間、ドッと重くなった体に、息を呑んだ。
(こ、れは…っ)
空気全体が重くなったような息苦しさが全身を襲うのと同時に、サァッと降り出した雨音に、バッと顔を上げた。
まずい───!そう思うのと重なるように、オリヴィアがバルドル神に近づくのが見えた。
「バルドル様、いなくなられてしまったアドニス様のことを想い、憂うことをお止めはしません。悔やまれるお気持ちは、私とて同じです。ですが今はどうか、お側にいらっしゃるアドニス様の未来を、想って下さい。…アドニス様の前で、そのように嘆かれてはなりません」
平静に、冷静に、感情を殺した声は酷く平坦で、それでいて深い慈愛に満ちていた。
「それ以上の嘆きは、アドニス様のお体にも障ります。どうか…」
「……ああ、それはいけないな」
続くオリヴィアの声に、バルドル神が顔を上げる。同時にふっと軽くなった体に、詰めていた息を吐き出した。
(良かった…)
思わずそう思ってしまったが、バルドル神に抱かれたままのアドニスを思えばこそ、気が気ではなかった。
バルドル神は、天地における絶対神だ。唯一無二の存在であり、及ぶ力は壮大だ。
故に、感情の揺らぎ一つでさえ、広範囲に影響を及ぼし、近くにいればいるほど、受ける影響も大きくなる。
深い悲しみと後悔に、心を痛め、憂い嘆くほど、周囲にもその感情が降り注ぎ、空は神の心情を写し取ったかのように、悲しみの雨を降らす───泣くことすら出来ない神の代わりに、空が泣くのだ。
「ありがとう、オリヴィア。…お前達も、心配させたね」
「…御身の嘆きの幾許かでも、共に有することが出来ましたなら、我らは嬉しく思います」
「…ありがとう。その優しさに、甘えさせておくれ」
淡く微笑むバルドル神だが、止む気配のない雨が、その御心内を表していた。
(……願わくば、どうか)
きっと、我が子を喪ったバルドル神の憂いは、永遠に晴れることはないだろう。
それでもいつか、父を象る一部となって、還ることのない魂も融けて共になれたなら…そんな気持ちで、今はただ祈りを捧げた。
平静を取り戻したバルドル神から、アドニスの状態、魂の在り方を聞き、驚きながらもどこかで納得している自分がいた。
成長することがなく、プティと変わらぬ清らかな魂であり続けることに、多少驚きこそすれ、その片鱗に触れてきたことを思えば、それほど意外なことには思えなかった。
それよりも、話を聞きながら気になったのは、やはり周囲の者がアドニスに向ける感情についてだった。
プティと変わらぬ魂ということは、今まで同様、悪意や害意に対して傷つきやすいということだ。
勿論、そのような感情の前に晒すつもりはないし、もう1人のアドニスとは別人なのだということが分かれば、そのような感情を向ける者はいなくなるだろう。
だがそうなると、次に不安なのはやはり別の感情…アドニスに惹かれ、恋慕の情を抱く者が出てこないとも限らないことだ。
勝手に好意を寄せるだけなら、まだ我慢できる。しかし万が一にも、感情のまま、アドニスに近づこうとする者が出てきたら───…
(……絶対に許せませんね)
下手にアドニスに意識させることすら許せそうにない己の狭量さに、自嘲も零れない。
「今度こそ、怖い思いをしない様、父が守ってあげよう」
…そう、今この時でさえ、アドニスを抱き締めるバルドル神に、ジリジリと気持ちが燻り始めているのだ。
つい先ほどまでは、話の内容に意識も逸れていたが、徐々に纏まり始めた会話に、どうしてもバルドル神に抱かれたままのアドニスが気になった。
こちらの気持ちを知ってか知らずか、いよいよ頬にキスでもしそうなほど縮まった距離に、眉間に深い皺が寄った。
「んに…」
「ふふ、本当に可愛らしい子だな」
「……バルドル様、そろそろアドニスを部屋で休ませてやりたいのですが」
正確に言えば『返してほしい』だ。
ギリギリ本音は隠したが、ルカーシュカとエルダも微妙な顔でバルドル神を見つめているところを見れば、気持ちは一緒だろう。
オリヴィアの助けもあり、ようやくバルドル神とアドニスを離せたことに、少なからずホッとした。
このままエルダにはアドニスを連れて、先に部屋に戻ってもらおう───そう思い発した声は、バルドル神によって遮られた。
「…バルドル様? いかがなさいましたか?」
「なに、エルダに話しがあるんだ」
「…っ」
その言葉に、僅かな緊張が走った。
バルドル神はいつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべていたが、少なからず透けて見えた思考に、眉を下げた。
(……やはり、隠せませんでしたか)
チラリと視線を横にずらせば、目の合ったルカーシュカが小さく首を振った。その仕草に、隠し事がバレてしまったような気まずさを感じ、そっと視線を逸らした。
奇妙な静寂の中、三日月型のベッドに恭しくアドニスを寝かせたエルダが、バルドル神に向き合う姿を静かに見守る。
「単刀直入に聞こう。エルダ、その姿は、お前の新しい能力のおかげかな?」
瞬間、エルダの表情が苦いものへと変わり、同時に「ああ、やはり」と、心の中で呟く自分がいた。
「『器』の大きさが、変わっているね」
にこやかに語る声からは、エルダを責めるような響きはない。ただ、それを言われている本人は、酷く不服そうな顔をしているのがなんとも言えなかった。
器の変化───それは、天使から大天使へと成長したことを確信している言葉だった。
(本人が黙っているのならと、秘密にしておくつもりでしたが…)
どうやらそうはいかない様だ。諦めにも似た気持ちで薄く息を吐くと、数刻前の出来事を思い返した。
命の湖でアドニスを保護した時、純天使の姿をしたエルダに、自分もルカーシュカも驚いた。
特異体質による身体の変化だろうが、それにしてもどうしてその姿になったのか…疑問を抱きながらも目で追った先、エルダだというプティの背にある翼が大きく広がった瞬間、目を疑った。
大きく広がり、赤子の体を包んだ羽根は二対四枚───大天使のみが有している、四枚の翼だったからだ。
正直、言葉を失うほど驚いた。
エルダが、いつの間に、どうして───そんな考えが一瞬で脳内を駆け巡ったが、花が開花するように開いた翼の中から現れたのは、いつもと変わらぬ、少年の姿をしたエルダで更に驚いた。
明らかに大天使の象徴たる翼だった。それなのに、現れたエルダの背にあるのは、見慣れた天使のそれで…その時点で、自分もルカーシュカも、ある可能性について考えた。
もしや、プティの姿も、この姿も、エルダの特異体質によるものでは───と。
本当は既に違う姿で、それを目覚めた能力によって変えているのでは…そんな疑念を持ちながらも、アドニスがいる手前、それ以上言及することも出来ず、その場では口を噤んだ。
だがエルダの態度は今までと変わらず、アドニスの従者であろうとする姿に、自分もルカーシュカも、それとなくその本心に気づいていた。
出来ることなら、その願いを叶えてあげたかったのだが…
(バレてしまっては、仕方ありませんね…)
溜め息が零れるとの被って、エルダがゆっくりと口を開いた。
「………なぜ、私の特異体質のことをご存知なのですか?」
「そんなに怖い顔をしないでおくれ。私が、オリヴィアに頼んだんだよ」
そういえば、何故エルダの特異体質のことを…そんな考えが過った時、視界の端でキラリと何かが光った。
硝子天井から溶け出すように現れたのは、水の体を持った色とりどりの魚達。照明の光を反射し、キラキラと輝く鱗をくねらせながら、空を泳ぐ魚の群れは、ゆるりゆるりと室内を旋回し、ある人物の元へと向かっていった。
差し出されたオリヴィアの左手───その手の平の中に、パシャンッと水音を上げ、魚の群れが次々と飛び込んでいく。
手の平に吸い込まれるように、次々と消えていく魚達。最後の一匹が、ピチャンと水飛沫を上げて収まると、オリヴィアがそっと左手を握り締めた。
「すみません。覗き見をするつもりはなかったのですが、アドニス様がどちらにいらっしゃるのか心配で…少しばかり、動向を観察しておりました」
オリヴィアの言葉に、一層顔を顰めるエルダを横目に納得する。
(…なるほど。彼に一部始終、見られていたのですね)
オリヴィアも、特異体質を得た天使だ。
その能力は、特異体質の中でも更に珍しい『望む性能と性質を持った生き物を生み出す』というものだ。
喋る青い小鳥も、空を泳ぐ魚も、人間界からの帰還を報せる蝶も、オリヴィアの聖気から生まれたものだ。
恐らく先ほどの魚は、彼の目として、命の湖の周囲を泳いでいたのだろう。そして魚の目を通して見た光景は、オリヴィアを通じ、バルドル神にも伝わっていたということだ。
「ごめんよ。万が一、アドニスの姿を見失ったら大変だと思ってね」
困ったように笑うバルドル神に、エルダも何も言えないのだろう。下げたままの視線と引き結ばれた唇は、少しだけ拗ねているように見えた。
「エルダ」
「……はい」
「お前の願いは分かっているつもりだよ。だがその願いを聞く前に、父に大きく育った我が子の姿を見せてくれないかい?」
「………はい」
拗ねる子を優しくあやすような声に、エルダもとうとう観念したのか、小さな返事を返すのと共に、その背に翼を広げた。
バサリと大きく広がった翼は四枚。その羽根が、赤子の時と同じようにその身を包み、花の蕾のように閉じた。
一瞬の間の後、蕾が花開くように膨らみ、ぶわりと広がる───その中から現れたのは、予想していた通り、青年の姿となったエルダだった。
淡い色合いはそのまま、儚げだった面差しは、ガラリと印象を変えた。
身長は自分とルカーシュカのちょうど中間ほどの背丈だろうか。華奢な体付きは、手足も長く、細いながらもしなやかな筋肉を帯びた肉体へと変わった。
少女のようだった顔立ちは、僅かな面影を残しつつ青年らしい骨格へと成長し、大きく可憐だったエメラルド色の瞳は、涼やかなものへと変貌した。
(これは、また…)
一目でエルダだとは分かる。が、それでも受ける印象は随分と変わる。まず間違いなく、アドニスが可愛がっていたエルダとは、まったくの別人になるだろう。
翼を畳み、ゆっくりを姿勢を正すエルダだが、そこには大天使になれたことへの喜びは一切無かった。
「ああ、大きく育ったね」
「……恐れ入ります」
聞き慣れない低い声は、成長し、声変わりしたからだけではないだろう。明らかに不承不承と言った風の返事に、バルドル神が苦笑を漏らした。
「そんなに嫌か?」
「………」
答えが無いことに、見守っているこちらが焦る。
だがバルドル神は特に気にした風もなく、淡い笑みを浮かべたまま、エルダを見つめていた。
「……大天使まで成長できましたことは、とても光栄なことと思っております。…ですが、ここまで成長できたのは、アドニス様のお力添えがあったからこそです。私一人で成し得たことではございません」
「アドニスの?」
小首を傾げるバルドル神に、エルダの言葉が続く。
「アドニス様は、粛法こそ扱えませんが、聖気が無い訳ではございません。触れたものに聖気を流すお力はございます。…私が成長できたのは、アドニス様が無自覚のまま、私に聖気を注いで下さったからです」
「聖気を注いで…? 他者の聖気で成長など……ああ、いや…そうか。エルダは成長途中で、アドニスの聖気はプティ達と同じ色…混じってしまうんだな」
「…はい」
断片的な単語での会話だが、話の内容は理解できた。
本来、聖気を譲渡することで相手の聖気を増やし、成長を促すことはない。
それは互いの聖気の性質が違うからであり、混じることがないからだ。
一時的な蘇生による譲渡であっても、活動する為の栄養素として取り入れるだけであって、自身のものになる訳ではない。
だがそれは、本人の性質が確定した、天使以上の話であり、プティは別だ。
プティの聖気は、何者にもなれる可能性の色。性質に関係なく、誰でも受け入れ、誰とでも混じることが可能だ。
とはいえ、それは理論上の話だ。
プティはそもそも、他者に譲渡できるほどの聖気が無い。その能力も無い。更に言えば、常に天界内にいて、日々遊び過ごしているプティ達は聖気を減らすことも無く、他者から聖気の譲渡を受けることも無いのだ。
そういう風に出来ている───その枠組みから、アドニスが逸脱してるが故に起こったことなのだろう。
「アドニス様は、聖気の扱い方をご存知でありません。基本的には、体内に留めているだけです。…ですが無意識の内に、恐らくは感情の揺らぎによって、体外に漏れてしまうのだと思います」
「そう思った理由を聞かせてくれるかな?」
「…プティの姿になっている間、アドニス様からずっと、他のプティ達が受けるのと同様の情を頂いておりました。…アドニス様からの情を受けるたび、少しずつ、聖気が流れてくるのが分かりました」
「…なるほど。アドニスは愛情と一緒に、聖気も他者に渡してしまうのか」
「…はい」
「お前がそうして成長したのが、なによりの証だろう。なかなか困った子だが、フォルセの果実を担うのであれば、これ以上の適任者はいないだろうね。……エルダは、それを分かっていて、アドニスから離れなかったのかい?」
「っいいえ! ……いいえ、アドニス様から聖気を頂くつもりはありませんでした。…ただ、お側にいたかっただけです」
「責めている訳ではないよ。アドニスの後押しがあったにせよ、そこまで成長できたのは、元からエルダに素質があったからだ。イヴァニエに仕えて、どのくらいだったかな?」
「……百三十年ほどです」
「それだけの積み重ねがあった。アドニスのことがあったとしても、こうして成長できたこともまた、エルダに与えられた幸運だろう」
(…そんなに長く、仕えてくれていたのですね)
静かに進む応答を聞きながら、思考を逸らす。
天使から大天使になれる者は極僅か。その中で、最も大天使となる器に近しい者は、大天使やバルドル神に直属で仕える側仕えや従者達だ。
大天使や神の近くで、その姿や担うべき役目を見て学ぶ者…そうした者達が、次代の大天使候補となる。
つまりエルダも、大天使となる可能性や素質は充分に有していた。今の状況は、特別おかしいことではないのだ。
それでも俯き、唇を柔く喰むエルダは納得できない様子だった。
「…ですが、この姿では、アドニス様のお側にいられません」
ポツリと呟かれた悲壮感の漂う声に、その横顔を見つめれば、くっと顔を上げたエルダが、真っ直ぐバルドル神を見つめた。
「私は、大天使にはなりません。アドニス様の従者として、この先もお仕えするつもりです」
ハッキリと言い切った声に迷いはなく、見据える翠色の瞳には、強い光が宿っていた。
(大天使になることを、こんなにもハッキリと拒絶したのは、恐らく彼が初めてでしょうね)
エルダが大天使になることを望んでいないのは気づいていた。
本来の姿を隠し、頑なにアドニスの従者であろうとする姿勢にもそれは如実に現れていたが、なにより顕著だったのは、バルドル神がアドニスに新たな従者を勧めた時の発言だ。
『アドニス様の従者ですが、現状、私一人でも問題ございません。恐らくですが、今後も今以上必要にはなることは無いでしょう』
事実、アドニスの世話ならエルダ一人で充分だろう。だがその本質は、『アドニスの側にいるのは自分だけでいい』『他の者はいらない』という、“アドニスの従者”という立場を他の者に渡したくないという、独占欲と執着だ。
大天使が、大天使に仕えることはできない。
大天使とは、バルドル神に仕える者であり、従者となる天使達を従える者である。
大天使となれば、必然的にアドニスの元を離れることになってしまう。
エルダにとっては、従者という役目を誰かに明け渡すことも、アドニスの元を離れることも、耐え難い苦痛なのだろう。
「お前は、アドニスの側にいたいのだね」
「はい」
一瞬の躊躇いもなく答えるエルダに、バルドル神が数度頷く。
「分かった。ならばお前には、大天使の役目として、天使としてアドニスの従者となってもらおう」
「………え?」
聞き返すエルダと同様、自分もルカーシュカも言葉の意味を理解できず、目を瞬いた。
「……大天使の…役目、として…ですか?」
「そうだ。大天使となり、その上で与える役目として、天使の姿でアドニスの従者になってもらおう」
「……恐れながら、大天使として務める必要がございますでしょうか?」
「勿論。アドニスを守る為にも、必要だろう」
「アドニス様を、守る…」
その言葉に、エルダの声に僅かな高揚が混じったのが分かった。
「大天使の器と体を有していても、アドニスはまだ幼い。お前達と多くの言葉を交わし、急激に成長した分、精神的には早熟だが、幼さと成熟した思考が妙に混じり合った、未熟で危うい子だ。とてもではないが、一人で行動させることは出来ないだろう。だからこそ、アドニスの手足となり、翼となる子守り役が必要だが、普通の従者では少しばかり荷が重い」
そこで言葉を区切ると、バルドル神はふっと息を吐き出した。
「アドニスが自分で自分の身を守る術を持たない、未熟な大天使である分、仕える者はアドニスを守れるだけの…例え相手が大天使であっても守れるような、同格の者でなければ…と、思わないかな?」
「…!」
そう言われ、密かに「なるほど」と納得する。
『大天使として』というのは、アドニスの不足分を補い、かつ外部からの刺激に対し壁となる為。
そうしながら、名目上では与えれた役目として、アドニスの元で仕えるのだから、今までと大きな違いは無いだろう。
…だがそうすると、エルダばかりがアドニスを守ることになるのではないかと、ついそんなことを思ってしまった。
「…バルドル様、私共ではアドニスを守るに不足でしょうか?」
「まさか。私がただ心配症なだけだよ。それに、エルダに与える役目はあくまで『アドニスに仕えること』だ。本人の望みでもあり、私が与えた役目でもある。エルダが遵守すべきは『アドニスの従者』であり、それ以上のことはイヴァニエ、ルカーシュカ、お前達に任せるつもりだ。頼りにしているよ」
「…勿体ないお言葉でございます」
瞳を細めて微笑むバルドル神には、自身の悋気も透けて見えている様で、気まずさからそっと視線を下げた。
「エルダ。大天使となり、アドニスの従者となれば、出来ることも増えるだろう。但し、それなりの義務も発生する。今まで通りの形を望むのであれば、私はそれでも構わないよ。お前が望む方を選びなさい」
どちらを選んでも、アドニスの従者として側にいるという願いは叶う───となれば、エルダが選ぶのは一択だ。
「…大天使として、我らが父を支え、アドニス様にお仕えする任、謹んで賜りたく存じます」
その場で膝をつき、エルダが首を垂れた。
アドニスを守れる力が、彼の為になるのなら、エルダは迷わずそれに手を伸ばすだろう。
(…ああ、エルダの能力は、全てアドニスの為だけに生まれたのですね)
ふと気づいた、エルダの特異体質の本質。
赤ん坊の姿は、アドニスに愛される為。
少年の姿は、アドニスに仕え、側にいる為。
そうして今、大天使となることを願ったのは、アドニスを守る為───彼が彼たる中心は、全てアドニスなのだろう。
実直に、直向きに、あまりにも極端な情は、その姿形を変えるほどの特別な力となった。
「ありがとう。嬉しいよ」
にこやかに笑むバルドル神は、純粋に新たな大天使の誕生を喜んでいた。
「名はどうする? 新しい───」
「『エルダ』と、今の名をそのまま頂きたいです」
「…うん。では名は『エルダ』と。そうだな…葬斂の儀の後、アドニスのお披露目の代わりに、エルダのお披露目をしよう。名はその時に授けようか」
「ありがとうございます」
(三日後には、エルダも大天使ですか…)
実感の湧かないやりとりを眺めている横で、アドニスが寝返りを打ち、視線はそちらに吸い寄せられた。
「ん…」
丸まろうとしたのだろうが、小さなベッドの中では上手く動けなかったのか、もぞもぞと動く手足が、窮屈そうに身じろぎした。
「アドニスも、そろそろきちんと休ませないといけないな。お前達も疲れただろう。今日はここまでにしよう」
「はい」
「葬斂の儀の前に、改めて話す場を設けよう。……イヴァニエ、ルカーシュカ、エルダ。改めて感謝するよ。愛しい我が子を、今日まで守ってくれて、ありがとう。私はお前達を誇りに思うよ」
「勿体ないお言葉でございます」
三人揃ってその場に膝をつき、首を垂れた。
椅子から立ち上がり、「よくお休み」と言って立ち去るバルドル神の背を見送ると、ゆるりと立ち上がった。
「皆様、本日はよくお休み下さいませ」
「オリヴィアも、色々と気を揉ませて悪かったな。…バルドル様は、大丈夫だろうか?」
「…葬斂の儀までは、塞ぎ込むことでしょう。ですがそれを過ぎれば、お気持ちにも区切りがつくはずです」
「雨が降ったことで、他の者達も騒ぐでしょうが…」
「そちらについては私から報せを送りましょう。アドニス様のお部屋にも近づかれることがない様、含めてお伝え致します」
「ありがとう。助かります」
オリヴィアにほとんどを任せることになってしまうが、それが一番、波風を立たせずに済むだろう。
二言三言、オリヴィアと言葉を交わすと、三日月型のベッドへと近づき、起きる気配のないアドニスを抱き上げた。
「…おい」
「先ほどはあなたに譲ったのですから、いいでしょう?」
「そっちじゃない。…エルダに譲れ」
溜め息を零すルカーシュカの隣、いつの間にか少年の姿に戻っていたエルダが、ゆるりと首を振った。
「ありがとうございます、ルカーシュカ様。ですが私のことは、お気になさらないで下さい。私はあくまで、アドニス様の側仕えですから」
「…それでいいのか?」
「……少なくとも、この姿の時は、それ以上は望みません。それに、私はこれからも毎日お側にいられますから」
ニコリと笑んだ顔には、純粋な喜びと、ほんの少しの優越感が滲んでいて、思わず目を細めた。
「……なかなか、良い性格をしていたのですね。知りませんでした」
「恐れ入ります」
「主従は似るというからな。元主のお前に似たんだろう」
「…似てますか?」
「わりとな」
眠る子が目覚めぬ様、小声で軽口を交わしながら、ゆっくりと広間の中を歩き出す。
腕に抱いた体は温かく、心地良い体温と、鼻先を擽る甘く柔らかな香りに、自然と頬が緩んだ。
(…好きですよ)
胸の内で愛を呟けば、込み上げる感情が全身を巡り、「もっと、もっと」と愛しい存在を欲した。
きっとこの先、どれだけ共に過ごしても、自分は彼を求め続けるのだろう。
(愛しています、アドニス)
今はまだ、眠る愛し子に口づけることもできないことがもどかしく、愛らしい寝顔に募る情を抑えながら、柔らかな髪の先に、そっと唇を寄せた。
今この時から、アドニスが、『アドニス』として生きていく日々が始まる。
どうかその未来が、幸福と優しさで満ちた、明るいものでありますように。
そして願わくば、その隣で共に笑い合える日々が、いつまでも続きますように───込み上げる愛しさを噛み締めながら、アドニスが生まれた場所を、静かに後にした。
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