天使様の愛し子

東雲

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フォルセの果実

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「おはようございます、アドニス様」
「おはよう…みんなも、おはよう」

赤ん坊の天使達と再び会えるようになって一月ひとつき。あれからの日々は驚くほど穏やかに過ぎていた。

彼の声で目が覚めるのは今まで通り、それに加え、朝の挨拶をする相手が増えたのだ。
起き上がって見れば、広いベッドの上にコロコロと転がる数人の赤子達。ニコニコと笑っている彼らに挨拶をするのも、朝の日課となっていた。

朝、彼が部屋を訪れるのと同時に、バルコニーへと続く大きな窓とは別の小さな窓が開かれ、そこから赤子の天使達が部屋の中へと入ってくるのだ。
そのまま寝室に入り、自分が起きるまでベッドの上に寝転がって待っているのだと、彼が教えてくれた。
初めて赤子達がいた時はびっくりして、同時に、本当に彼らと気兼ねなく会えるようになったのだとようやく実感して、嬉しくて朝から泣いてしまった。
ふくふくとした赤ん坊達の頬を撫で、彼が羽織らせてくれたローブに身を包んでから寝室を出るのが、毎日のルーティーンになっていた。


あの日から、少しずつだが色んなことが変化した。
まず部屋の中が少しだけ変わった。
彼から部屋の中を少し整えたいと言われ、そのまま任せたところ、翌日には一度も使ったことがなかった大きなテーブルと一脚だけあった椅子が無くなっていた。
代わりに、陽の当たる窓辺にはふかふかとした手触りの絨毯が敷かれ、その上にはベッドのような柔らかなソファーが置かれた。
壁の一角には綺麗な装飾が施された白いキャビネットが置かれ、飾り棚の上には赤子達が摘んできてくれた花や花輪が飾られた。
部屋全体が淡い色合いで纏められ、それだけで重苦しかった室内の雰囲気はガラリと変わった。
そんな部屋の中、小さな窓から訪れる赤子の天使達と、ゆっくりと流れる時間を過ごす。
特別何かする訳でもなく、きゃらきゃらと笑う赤子達に話しかけ、暖かな陽射しの中で微睡む時間は、とても心が満たされた。

そうして過ごす日々の中で、失われた知識を彼から教えてもらう時間も増えた。



「では、今日も少しだけお勉強をしましょう。プティ達は外で遊んでおいで」
「はい。…みんな、また後でね」

勉強の間は、赤子達には部屋から出てもらう。
最初の頃は一緒に彼の話しを聞いていたのだが、途中で飽きて遊び始めてしまう為、いつからか勉強中は外に遊びに出てもらうようになったのだ。…たぶん、自分が彼の話しに集中できなくなってしまうせいだろう。
勉強する時は場所を長椅子へと変え、その横に置かれたスツールに腰掛けた彼とたくさん話しをして、少しずつ知らないことを覚えていった。

「今日は、私達の扱う粛法の種類について、お話ししましょうか」
「はい」
「粛法は人間達の扱う魔法や魔術とは異なり───…」


彼からは色々なことを教わった。
まずは天界についての基本的なこと。
天界は神様と天使達が住む世界であり、人間達が住む人間界とは別の軸に存在する世界だ。
人間界に生きる全ての生命を見守り、見届けるのが神の役目であり、それを支えるのが天使達の役目なのだそうだ。
見守ると言っても、なんらかの形で神が介入することは、よほどのことがない限り無い。
あくまで、そこに生きる者達に任せた世界を見届けるだけなのだそうだ。
人間には手の届かない存在が下手に介入すれば、長い時間をかけて創り上げた秩序や法則が崩れてしまう。
触れず、乱さず、ただあるがままを見届けるのが、創造神であり絶対神であるバルドル神のお役目なのだという。因みに、神様の名前が『バルドル』だということも、改めて教えてもらった。

介入しないと言っても完全に放置する訳ではなく、稀にだが加護を与える人間を置くことで、世界の均衡を保ったり、崩壊しそうになる世界の一部を助けることもあるそうだ。
とは言っても、必ずしも救える訳ではない。あくまで見込みのある人間に加護を与えるだけだ。
その力をどのように扱うか、どのように未来が動くかはその人間や、周囲の環境次第だと言う。
天啓を与えることも、無理やりその者の在り方を決め付けることもしない。
ただ力を与えるだけ。その後はその者がどのように生きるか、より良い未来に繋がることを願うことしかしないのだそうだ。
人間に与えられる加護や天使達の役目については多岐に渡るので、少しずつ覚えていきましょうと言われ、これ以上詳しくは聞けていない。

天界に四季は無く、ずっと春のような気候だが、場所によっては雪が降っているような処もあるそうだ。
日の数え方は人間界に合わせており、一日が七回で一週間、一週間が四回で一ヶ月、一ヶ月が十三回で一年だ。
人間界にはいくつもの国があり、その国独自の文化や言語があるが、その中にある多くの国で新年と呼ばれる新しい一年の始まりの月を『一の月』として、そこから『二の月』『三の月』…と数えていく。
一週間の七日間は火の日イグニ風の日アイレ水の日ロー土の日スエラ星の日 シュティ月の日 モネ太陽の日ヘリオと呼び、人間の世界で言う安息日を太陽の日ヘリオに合わせ、この七日間を繰り返すのだそうだ。
この辺りのことは自分の知っていた知識と擦り合わせることが出来たので、比較的すんなり覚えることが出来た。

とはいえ、やはり人間と天使とでは生活も異なる為、色々と違いも多い。
一日の時間の流れも人間界に合わせているとのことだが、人間界は一日を二十四時間としているが、天界では同じ時間を一日十二時間として数えている。
人間界での朝六時を零時として、そこから一日を十二時間で割って数えるのだそうだ。
この辺りは頭が混乱してしまって良く分からなかったが、彼曰く「私達はあまり時間を気にしておりませんし、あくまで人間界に合わせているだけです。今すぐ覚えなくとも大丈夫ですよ」と言われたので、なんとなくでしか覚えていない。
宮廷内の広場や、多くの天使達が暮らし、街のようになっている区画には、時計のような物が置かれているらしいが、自分には必要がない物なので見たことはない。

天使達の暮らしは人間達と大きくは変わらないが、通貨は無く、皆好き好きに暮らしている。その中で欲しい物があれば物々交換をしたり等、互いに納得する形で自由に過ごしているらしい。
但し、好きに遊んでいられるのは純天使達だけで、天使以上になればなんらかの役目を担うようになる。
労働という概念とは少々異なり、役目を務めることは彼らの成長にも繋がる為、皆与えられた役目を真面目にこなすのだそうだ。
天使という立場上、個々の性格の違いはあれど、元々が誠実を好む彼らは、多くは真面目な者が多い。…絶対という訳ではなく、あくまで『多くは』と念を押された。

役目と言っても、基本はその天使が好きなこと、得意な作業をこなすことで、役目を果たしているということになるらしい。要は、天界という世界を回す為、維持する為に、自分に出来ることをすれば良いのだそうだ。
神様や大天使にお仕えして世話をする者、糸を紡ぎ布を織る者、織った布を衣服として仕立てる者、石を削り宝飾を作る者、食物を育てる者、それを食事として調理する者…やることは人間と大して変わらない。
その中で、大天使達はバルドル神の補佐のような役割を担っている為、そういったこととはまた別の役目があるらしい。
これもそれぞれで担っている役目が異なるので今すぐ覚えなくてもいいと言われたので、細かくは聞いていない。大変なお役目なんだろうな、とだけ考えておくことにした。

「ああ、お一人だけ作物を育てることがお好きな大天使様がいらっしゃいますね。その方は離宮に大きな果樹園と畑と温室、あとは森をお待ちですね」
「…はぇ」

これを『良いこと』として判断していいのか分からず、返答に困ってしまったが、彼の口振りから察するに、大天使としては少し変わっている方のようだ。
大天使の離宮は其々が宮廷から離れた場所にあり、そこに従者となる者や、日々の生活に必要な物を作る者が全て揃っている為、そこだけで小さな街のようになっているとのことだった。…正直、話が大き過ぎてちょっと理解できなかったが、そういうものだと覚えた。

後は純天使のことについても色々聞いた。
人間の赤ん坊と違い、生まれてすぐ独り立ちをする彼らは、生まれた時には人間界についての知識を有していて、言語についても最初から理解できているのだそうだ。そうして他者とふれあい、色々な話を聞く中で天界のことを少しずつ学んでいく。
赤ん坊が一人で危なくないのかと聞いてみたが、「天界に危険な場所はありせんし、万が一にでもプティを害そうとする者がいれば、プティは近づくこともございませんので、ご安心下さい」とのことだった。

赤ん坊である純天使達は天界における役目もなく、自由に遊んで過ごしているだけの存在だが、だからこそ制限もある。
まず、こちらの言っていることは理解できても、喋ることは出来ない。これは赤ん坊なので仕方ない。
次いで、粛法も『物を浮かせる』か『小さな傷を癒す』という二つしか扱えない。
物を浮かせるにしても、自分の体と同等程度の大きさの物しか浮かせず、それ以上の大きさの物になると、数人がかりでないと浮かせないとのことだった。

(だから外に出る時は、いつも三人いたんだ…)

随分と遠い記憶となった赤子達との夜の散歩を思い出し、納得する。あの頃、外に出る時はいつも三人以上の赤ん坊達が傍にいたが、そういうことだったのか、とこの時初めて知った。
ついでに聞いたのは、純天使達は自身の羽で飛んでる訳ではないらしい。
小さく薄い羽では自分の体を持ち上げることも出来ない為、自身の体を浮かせて、羽は助力程度で動かしているだけなのだそうだ。
翼を見えないようにするのも粛法の一種なので、プティ達は羽も出しっぱなしだが、柔らかな羽は寝る時も邪魔にならず、自身の体重が軽いこともあって気にならないらしい。言われてみれば、そのままの姿でベッドの上をコロコロと転がっていたな…と彼の話しを聞きながら様々な記憶を掘り起こすのも、勉強中の定番となっていた。


他にもたくさん、恐らく基礎の基礎であろう、当たり前と思われていることを、彼は端から全部、根気よく教えてくれた。
聞いていて分からないことがあれば質問して下さいと言われ、聞けばその都度丁寧に教えてくれた。

「粛法は呪文…んっと…魔法みたいに…おま、じない? みたいな言葉は、言わないの…?」
「そうですね、基本的には特に言葉にする必要はございませんが───」

そうして会話を重ねていく中で、少しずつだが話すという行為にも慣れ、前に比べればまともに話せるようになってきた。
ちゃんと喋れるようになりたいと思っていたので、これはとても嬉しかった。

話し方といえば、彼の話し方も少し変わった気がする。
丁寧な言葉遣いは変わらないし、どこがどう変わったのか説明するのは難しいのだが…以前も優しかった言葉がもっと優しくなった…と思う。
自分の話し方についても「お話しし易いように喋って頂きたいです」と彼から言われ、あまり色々考えないで話すようになった。

ただ普通に会話ができる───気兼ねなく話すことができる誰かがいるということが嬉しく、なにより知らない事を学べるのは楽しかった。
彼と話しをする勉強の時間も、赤ん坊達と過ごす穏やかな時間もとても楽しく、幸せな日々に感謝の気持ちは尽きなかった。




そんな日々が幾日か過ぎた日の夜、ふと煌めく星空が恋しくなり、ベッドの中で眠れぬまま悶々と悩んでいた。
外に出たいとは思うのだが、あまり夜更かしをすると明日の朝起きれないのではないか…それが心配だった。

(…少しだけなら、いいかな…)

夜なので彼はいない。
目が冴えたまま、眠れそうもないことに観念し、もそりと布団から起き上がった。
ベッドから抜け出し、暗闇の中、寝室を出ようとして、ふと照明の存在を思い出した。

(そういえば、壁のところに…)

真っ暗なままでも暗さに目が慣れれば移動することは可能だ。
ただなんとなく、普段は見ることがない灯りが見たくなって、壁に設置された照明を点ける器具へと手を伸ばした、が───…


「…あれ?」


「手が触れれば灯りが点きますよ」と彼から聞いていた照明が、灯りを点すことはなかった。

「あれ…? なんで…?」

何度もぺたぺたと触れるが、一向に部屋が明るくなる気配はない。
いくら疑問符を頭の中に浮かべても、原因が分かるはずもなく、少しだけ落ち込みつつ、暗いままの部屋の中を歩いた。

(明日、あの子に聞いてみよう)

もし壊れてたらどうしよう…そんなことを考えながら、バルコニーへと向かった。
そうして久方ぶりの夜空をひとしきり眺めて満足すると、部屋の中へと戻った。


翌日、彼に昨夜の出来事を話した。
器具に触れても照明が点かないことを伝えながら、実際に触れてみて、そして───…



「アドニス様、ご飯を食べましょう」



とても真剣な顔をした彼が、唐突にそう言った。
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