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番外編
兄のような貴方、弟のような君
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※書籍版では改稿となったシーンをリメイクした小噺になります。
◇◇◇◇◇
エドワルドと婚約してから三ヶ月後。ダニエルはとある娼館──ビエル・ローザを訪れていた。
娼館の一階に併設しているバーのその奥、特別な上客向けの個室で一人ソワソワと椅子に座っていると、ノックの音と共に懐かしい声が聞こえた。
「失礼致します」
「! はい!」
返事をした直後、姿を見せたその人は、別れた時と変わらぬ笑顔を向けてくれて、堪らず立ち上がって近寄ると、その手を取った。
「久しぶりだな、ダニエル」
「ロイ……ッ、お久しぶりです!」
ビエル・ローザの一番人気の男娼、ロイ。今日は彼に会うために、ここまでやって来たのだ。
積もる話の前に、護衛騎士に部屋の外に出てもらうと、ロイと二人きりで室内に残った。
テーブルを挟み、向かい合って用意された椅子に腰掛けると、既にテーブルの上に並べられていた料理と共に、ワインをロイに勧める。
給仕もいない今、それぞれが自身の手元のグラスに好きな飲み物を注ぐ。ダニエルは果実水を、ロイは白ワインをグラスに注ぐと、軽く杯を合わせる動作をし、ゆっくりと一口目を味わった。
「元気そうで安心したよ」
「ロイも、お元気そうでなによりです」
「あ、違う、じゃない、違いますね。ダニエル様が私に敬語を使っていただく必要はございませ──」
「ロイ、できればこの場では、今まで通り話してほしいです」
「……分かった。ここだけな」
すぐに口調を元に戻してくれた彼に、淡く笑みを返す。
今の自分は、もう『奴隷』でも『男娼見習い』でもない。現伯爵家当主で、ヴァシュフォード公爵の婚約者だ。
貴族である自分と、平民であるロイ。それぞれの立場が変わった今、言葉遣いも態度も改めなければいけないのは理解しているが、それでも二人きりの今だけは、あの頃と変わらぬ関係でいたかった。
「しかし、この部屋で真っ昼間からこんな豪華な食事を食べるのは初めてだな。なんか変な感じだ」
「すみません。ご迷惑を……」
「なんで謝るんだよ。僕は美味い食事にありつけて嬉しいよ」
ニカリと笑い、早速マリネに手を伸ばすロイにホッと胸を撫で下ろす。
正午を過ぎたばかりの今、娼館は勿論、バーもまだ開店していない。そこを無理を言って──正確に言うと、エドワルドが金を積んで、一部屋だけ貸してもらったのだ。
「それにしても、よく一人で来れたな。ダニエルのことを知ってるヤツらだっているし、下手に見つかったらまずいんだろう? 公爵閣下がよくお許しになったな」
「……まぁ、はい。かなり揉めましたが……」
そっと視線を逸らしながら、今日に至るまでのエドワルドとの攻防を思い返し、つい乾いた笑いが漏れた。
とある事情から、どうしてもロイと会って話しがしたかったのだが、エドワルドがそう簡単に許してくれないだろうことは分かっていた。
ロイは娼館から出られない。となると、ダニエルが娼館に向かう必要があるのだが、案の定エドワルドは嫌がった。
エドワルドが嫌がるのも無理はないし、自分とてローザに調教された日々を思い返すと、できれば近寄りたくない。
ただ、ロイと話しをするにはどちらかが動く必要があり、身軽に動けるのはダニエルのほうだったのだ。
娼館の中には入らず、一階にあるバーで昼間会って話しをするだけ、ローザには会わない……それらを切々と伝え、その上で同席すると言って聞かないエドワルドに「エディがいたらロイが話せなくなってしまうでしょう?」とロイと二人だけで話がしたいのだと必死に願った。
『二人で』というところが気に食わないらしいエドワルドからは何十回と「ダメだ」と言われたし、拗ねてむくれてそっぽを向かれた。かと思えば泣き落としのように甘えて「嫌だ」と言われ、何度か気持ちが折れそうになりながら、一ヶ月掛けてようやくロイと会う許可をもぎ取ったのだ。
(まぁ、許可をもらったあとも大変だったけど……)
護衛騎士に囲まれ、変装しての来訪。従業員の立ち入りを禁じ、公爵家の騎士だけが中も外も守る中、公爵家のシェフが作った料理を持ち込んだ。
自分はエドワルドが権力に物を言わせて借りた一室でロイと食事をする以外の行動は禁止され、許された時間は二時間のみ。更には裏でエドワルドが何やら色々と手を回していたようだが、考えるのはやめた。
エドワルドの過保護っぷりにはもう慣れたし、窮屈だとは思わないが、今日もわざわざ仕事を休んで屋敷で待っているのはどうかと思う。
「愛されてるな」
「……おかげさまで」
口角を上げるロイに照れ混じりで肯定する。事実、愛されている自覚はあるのだ。
ロイにはエドワルドと婚約した頃に、こっそりと手紙を送っていた。その中で、中継ぎの当主になったこと、エドワルドと婚約したことを伝えていたので、おおよその現状についてはロイも知っている。その上で、今日はロイに“頼み事”があって来たのだ。
「それで? そんなに苦労してまで会って話したいことってのはなんだ?」
断面が美しいテリーヌを口に運びながら、ロイが話題を切り出す。ダニエルは手にしていたカトラリーを置くと、ゆっくりと口を開いた。
「その、これはお願いじゃありません。勿論、命令でもありません。ただ、話を聞いて、もしロイがいいと思ってくれたなら──」
「ダニエル、分かってるから大丈夫だよ。安心して話しな」
「……はい」
パタパタと手を振るロイの雰囲気は軽く、気取らない年上らしいその口ぶりに、今はなにより安心した。
「実は、私の従者になってくれる人を探していまして……」
ポツポツと語る内容は、エドワルドの婚約者になったことで浮上した問題だった。
公爵家当主の婚約者、というより、既に公爵家の中ではエドワルドの伴侶として扱われているのだが、エミールから公爵夫人になるのであれば、従者は必須だと言われてしまったのだ。
確かに、高位貴族であればあるほど、必ず身の回りの世話をする侍女や従僕がいるものだ。だが両親が亡くなって以降は、自分のことは自分でやってきたし、奴隷になってからはむしろ従僕側の立場だった。
エドワルドの奴隷として側にいた時もそれは変わらず、これまでの生活を考えると従者など必要ないのだが、『公爵夫人』という立場ではそうも言っていられないらしい。
必要ないんだけどな……と思いつつ、エミールの話を聞いていたのだが、まさかの自分に従者を付けることにエドワルドが反対したのだ。
『ニーノの側に従者を付けるつもりはない。私がニーノの世話をするからいい』
この発言には流石にエミールと一緒になって「それはいけません」と言わざるを得なかった。
公爵家の当主が何を言い出すのか。愛されている自覚はあるが、立場を考えてほしい。
従者を付けないままだと、本当にエドワルドに世話をされることになってしまう──そんな危機感から、適任者を探したのだが……
(いないんだよなぁ)
現在、公爵邸にいる者は、エドワルドの嫉妬深さと過保護ぶりを知っているので、基本的に自分と二人きりになることを恐れている。なにより、エドワルドが嫌だと言うのでそもそも採用が難しい。
その上、自分の胸には赤い花の奴隷紋が咲いている。一目には奴隷紋とは分からないのだが、特殊な術式が組まれたそれには、微かに元の紋の名残りがあり、見る者が見れば奴隷紋だとバレてしまうのだ。
エドワルドは『二人の秘密』が第三者にバレることをなにより嫌がっていて、ずっと「嫌だ」と言って駄々を捏ねている。
湯浴みや着替えの手伝いを拒めば済む話だが、万が一が無いとも言い切れない。自分の身が元奴隷であったことも、未だに奴隷契約を結んだままなことも、皆には内緒なのだ。
さて、どうしたものか……そう頭を悩ませた時、ふとロイのことが頭を過った。
ロイは自分が奴隷であったことも、娼館にいたことも知っている。その上で、客と話したことは徹底的に胸に秘め、知らぬ存ぜぬという素振りをするのが上手い。
ロイなら、自身の過去を隠す必要もないし、隠し事についてもある程度は察してくれるはずだ。
もしも万が一、胸の奴隷紋を知られたとしても、彼なら素知らぬフリをしてくれるのでは──そんな願望にも似た考えが膨らんでしまったのだ。
「ビエル・ローザでのロイの人気は知っています。給金に関しても、十分な額を支払ってはいますが、お客様からの贈り物が無い分、少し下がるかもしれません。それに、私が奴隷であったことに関しても、黙秘するという誓約を結んでいただくことになりますし……」
好条件とは言い難い内容に、ついしどろもどろになってしまう。
甘えて、勝手を言っている自覚はある。だが、ふと頭に浮かんだのがロイだったのだ。
奴隷だったという事実も、ローザに毎晩調教されていた恥ずかしい過去も、堪らず吐いた弱音も、全部知っている。その上で、明るく笑い、慰めるように優しく労ってくれた、頼れる兄のような存在。
そんな彼が側にいてくれたなら──そう思ってしまったのだ。
「難しいことだと分かっています。ただ、もしも考えてもらえるなら──」
「いいよ」
「そう、ですよね。い……え?」
「ダニエルの従者になればいいんだろう? いいよ」
「え……い、え、い、い……んですか?」
「そこまで驚くか?」
「だ、だって……その、色々、面倒だってありますし……」
「あのなぁ、僕だっていつまでも男娼でいられないんだぞ? いつかは辞めなきゃいけないし、次の職に就く間の蓄えだって心配しなきゃいけない。ダニエルのお世話っていう安定した職と収入が約束された仕事なら、多少の面倒くらいどうってことないさ。むしろ万々歳だよ」
実にあっけらかんと語るロイには、男娼を辞めることに対する未練は感じない。その様子が少し意外で、ポカンとする。
「ダニエル、言っておくけど、僕だって別に好きで男娼をやってる訳じゃないからね」
「……そうでしたか」
正直、意外だった。ロイの仕事に対する態度に、嫌悪のようなものは感じなかったからだ。だからこそ、てっきり好んで今の職に就いているのだと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
「えっと、従者になると、その、言葉遣いとかも……」
「承知しております、ダニエル様」
「……うん。そう、だよね」
流れるように自然に言葉遣いを変えたロイ。見つめた顔は、表情すら違って見えて、彼に合わせるように、ダニエルも言葉遣いを変えた。
ただそれが妙に寂しくて、視線を下げる。自分から従者になってほしいと願ったのに、いざ彼が態度を改めたら寂しくなるだなんて、本当にどれだけ身勝手なのだろう。
「はぁ」
沸いた寂しさを胸の奥に押し込めるように黙っていると、不意に向かいの席から溜め息が聞こえた。
「そんなに寂しそうな顔をしないでくれよ。僕まで寂しくなるだろ」
「う……」
縮こまりながら、ロイも寂しく感じてくれていたことを嬉しく思っていると、表情を柔らかくしたロイがふっと瞳を細めた。
「君は本当に素直だなぁ」
「……すみません」
「良い子だなって意味だよ。素直で真面目で、だからこそ危なっかしくて……心配ばっかりさせる、可愛い弟みたいだ」
「!」
その言葉に、僅かに目を見開く。
兄のようだと思っていたロイが、弟のようだと思ってくれていた。それが無性に嬉しくて、堪らず頬が緩んだ。
「私も、ロイのことを頼れる兄様のようだと思っていました」
「……! ……そう。それは……嬉しいな」
本心から告げた言葉。
それに返ってきた呟きは小さく──瞳を細めた彼は、どこか泣きそうな顔で、微笑んでくれた。
その後、迎えに来たエドワルドにロイのことを話し、そこからまた長い長い説得が始まった。
ロイへの信頼を説けば説くほどエドワルドは頑なになったが、「エディを愛していることと、ロイに対する親しみは別です!」と半ば怒り気味に伝えることでようやく折れてくれた。
その後は、エドワルドがロイと一対一で面談をしたり、エミールからの厳しいチェックが入ったり等、ロイには申し訳ないくらい負担を掛けてしまったが、彼は「可愛い弟のためだからな」と、冗談混じりに笑って許してくれた。
その間も、男娼を辞めるロイを愛人にしようとする者からの横槍があったり、実はロイが貴族の出自だったことが判明して驚いたり等、なかなかに慌ただしい日々が続いた。
それでも約二ヶ月後には、ロイは公爵邸の使用人として雇われ、正式にダニエルの専属従者として仕えることになった。
「これからよろしくね、ロイ」
「はい。よろしくお願い致します、ダニエル様」
元奴隷の公爵夫人と、元男娼の従者。
奇妙な縁で繋がった二人は、人前では決して主従の顔を崩さなかったが、人目が無くなると途端に表情を和らげ、無邪気に笑い合うのが常となった。
ほんの少しも似ていない二人だが、仲睦まじく戯れ合う様子は、まるで仲の良い兄弟のようだった──と、目にした誰かが、こそりと胸の内で呟いた。
--------------------
書籍版では頁数の関係+あの場面でエドワルドさんがダニエルくんとロイさんの接触を許すかな?という疑問により削ってしまった二人のほっこりシーンですが、個人的に好きなシーンだったので、番外編として書く予定だった小噺に例のやりとりを混ぜ合わせて、リメイクの気持ちで書きました。
元々ダニエルくんの従者になってもらう予定だったロイさんですが、実は彼にも暗い過去があります。ただそこまで書くとどんどこ話が広がりそうなので、ご想像にお任せで…(いつか時間にゆとりができたら書くかもしれません)
ダニエルくんは完全にお兄ちゃん属性なのですが、お兄ちゃんだからこそ、弟として甘えたい時もあるのかな~という妄想が炸裂しました。
弟属性なダニエルくんも可愛くて大好きです!(*´◒`*)
◇◇◇◇◇
エドワルドと婚約してから三ヶ月後。ダニエルはとある娼館──ビエル・ローザを訪れていた。
娼館の一階に併設しているバーのその奥、特別な上客向けの個室で一人ソワソワと椅子に座っていると、ノックの音と共に懐かしい声が聞こえた。
「失礼致します」
「! はい!」
返事をした直後、姿を見せたその人は、別れた時と変わらぬ笑顔を向けてくれて、堪らず立ち上がって近寄ると、その手を取った。
「久しぶりだな、ダニエル」
「ロイ……ッ、お久しぶりです!」
ビエル・ローザの一番人気の男娼、ロイ。今日は彼に会うために、ここまでやって来たのだ。
積もる話の前に、護衛騎士に部屋の外に出てもらうと、ロイと二人きりで室内に残った。
テーブルを挟み、向かい合って用意された椅子に腰掛けると、既にテーブルの上に並べられていた料理と共に、ワインをロイに勧める。
給仕もいない今、それぞれが自身の手元のグラスに好きな飲み物を注ぐ。ダニエルは果実水を、ロイは白ワインをグラスに注ぐと、軽く杯を合わせる動作をし、ゆっくりと一口目を味わった。
「元気そうで安心したよ」
「ロイも、お元気そうでなによりです」
「あ、違う、じゃない、違いますね。ダニエル様が私に敬語を使っていただく必要はございませ──」
「ロイ、できればこの場では、今まで通り話してほしいです」
「……分かった。ここだけな」
すぐに口調を元に戻してくれた彼に、淡く笑みを返す。
今の自分は、もう『奴隷』でも『男娼見習い』でもない。現伯爵家当主で、ヴァシュフォード公爵の婚約者だ。
貴族である自分と、平民であるロイ。それぞれの立場が変わった今、言葉遣いも態度も改めなければいけないのは理解しているが、それでも二人きりの今だけは、あの頃と変わらぬ関係でいたかった。
「しかし、この部屋で真っ昼間からこんな豪華な食事を食べるのは初めてだな。なんか変な感じだ」
「すみません。ご迷惑を……」
「なんで謝るんだよ。僕は美味い食事にありつけて嬉しいよ」
ニカリと笑い、早速マリネに手を伸ばすロイにホッと胸を撫で下ろす。
正午を過ぎたばかりの今、娼館は勿論、バーもまだ開店していない。そこを無理を言って──正確に言うと、エドワルドが金を積んで、一部屋だけ貸してもらったのだ。
「それにしても、よく一人で来れたな。ダニエルのことを知ってるヤツらだっているし、下手に見つかったらまずいんだろう? 公爵閣下がよくお許しになったな」
「……まぁ、はい。かなり揉めましたが……」
そっと視線を逸らしながら、今日に至るまでのエドワルドとの攻防を思い返し、つい乾いた笑いが漏れた。
とある事情から、どうしてもロイと会って話しがしたかったのだが、エドワルドがそう簡単に許してくれないだろうことは分かっていた。
ロイは娼館から出られない。となると、ダニエルが娼館に向かう必要があるのだが、案の定エドワルドは嫌がった。
エドワルドが嫌がるのも無理はないし、自分とてローザに調教された日々を思い返すと、できれば近寄りたくない。
ただ、ロイと話しをするにはどちらかが動く必要があり、身軽に動けるのはダニエルのほうだったのだ。
娼館の中には入らず、一階にあるバーで昼間会って話しをするだけ、ローザには会わない……それらを切々と伝え、その上で同席すると言って聞かないエドワルドに「エディがいたらロイが話せなくなってしまうでしょう?」とロイと二人だけで話がしたいのだと必死に願った。
『二人で』というところが気に食わないらしいエドワルドからは何十回と「ダメだ」と言われたし、拗ねてむくれてそっぽを向かれた。かと思えば泣き落としのように甘えて「嫌だ」と言われ、何度か気持ちが折れそうになりながら、一ヶ月掛けてようやくロイと会う許可をもぎ取ったのだ。
(まぁ、許可をもらったあとも大変だったけど……)
護衛騎士に囲まれ、変装しての来訪。従業員の立ち入りを禁じ、公爵家の騎士だけが中も外も守る中、公爵家のシェフが作った料理を持ち込んだ。
自分はエドワルドが権力に物を言わせて借りた一室でロイと食事をする以外の行動は禁止され、許された時間は二時間のみ。更には裏でエドワルドが何やら色々と手を回していたようだが、考えるのはやめた。
エドワルドの過保護っぷりにはもう慣れたし、窮屈だとは思わないが、今日もわざわざ仕事を休んで屋敷で待っているのはどうかと思う。
「愛されてるな」
「……おかげさまで」
口角を上げるロイに照れ混じりで肯定する。事実、愛されている自覚はあるのだ。
ロイにはエドワルドと婚約した頃に、こっそりと手紙を送っていた。その中で、中継ぎの当主になったこと、エドワルドと婚約したことを伝えていたので、おおよその現状についてはロイも知っている。その上で、今日はロイに“頼み事”があって来たのだ。
「それで? そんなに苦労してまで会って話したいことってのはなんだ?」
断面が美しいテリーヌを口に運びながら、ロイが話題を切り出す。ダニエルは手にしていたカトラリーを置くと、ゆっくりと口を開いた。
「その、これはお願いじゃありません。勿論、命令でもありません。ただ、話を聞いて、もしロイがいいと思ってくれたなら──」
「ダニエル、分かってるから大丈夫だよ。安心して話しな」
「……はい」
パタパタと手を振るロイの雰囲気は軽く、気取らない年上らしいその口ぶりに、今はなにより安心した。
「実は、私の従者になってくれる人を探していまして……」
ポツポツと語る内容は、エドワルドの婚約者になったことで浮上した問題だった。
公爵家当主の婚約者、というより、既に公爵家の中ではエドワルドの伴侶として扱われているのだが、エミールから公爵夫人になるのであれば、従者は必須だと言われてしまったのだ。
確かに、高位貴族であればあるほど、必ず身の回りの世話をする侍女や従僕がいるものだ。だが両親が亡くなって以降は、自分のことは自分でやってきたし、奴隷になってからはむしろ従僕側の立場だった。
エドワルドの奴隷として側にいた時もそれは変わらず、これまでの生活を考えると従者など必要ないのだが、『公爵夫人』という立場ではそうも言っていられないらしい。
必要ないんだけどな……と思いつつ、エミールの話を聞いていたのだが、まさかの自分に従者を付けることにエドワルドが反対したのだ。
『ニーノの側に従者を付けるつもりはない。私がニーノの世話をするからいい』
この発言には流石にエミールと一緒になって「それはいけません」と言わざるを得なかった。
公爵家の当主が何を言い出すのか。愛されている自覚はあるが、立場を考えてほしい。
従者を付けないままだと、本当にエドワルドに世話をされることになってしまう──そんな危機感から、適任者を探したのだが……
(いないんだよなぁ)
現在、公爵邸にいる者は、エドワルドの嫉妬深さと過保護ぶりを知っているので、基本的に自分と二人きりになることを恐れている。なにより、エドワルドが嫌だと言うのでそもそも採用が難しい。
その上、自分の胸には赤い花の奴隷紋が咲いている。一目には奴隷紋とは分からないのだが、特殊な術式が組まれたそれには、微かに元の紋の名残りがあり、見る者が見れば奴隷紋だとバレてしまうのだ。
エドワルドは『二人の秘密』が第三者にバレることをなにより嫌がっていて、ずっと「嫌だ」と言って駄々を捏ねている。
湯浴みや着替えの手伝いを拒めば済む話だが、万が一が無いとも言い切れない。自分の身が元奴隷であったことも、未だに奴隷契約を結んだままなことも、皆には内緒なのだ。
さて、どうしたものか……そう頭を悩ませた時、ふとロイのことが頭を過った。
ロイは自分が奴隷であったことも、娼館にいたことも知っている。その上で、客と話したことは徹底的に胸に秘め、知らぬ存ぜぬという素振りをするのが上手い。
ロイなら、自身の過去を隠す必要もないし、隠し事についてもある程度は察してくれるはずだ。
もしも万が一、胸の奴隷紋を知られたとしても、彼なら素知らぬフリをしてくれるのでは──そんな願望にも似た考えが膨らんでしまったのだ。
「ビエル・ローザでのロイの人気は知っています。給金に関しても、十分な額を支払ってはいますが、お客様からの贈り物が無い分、少し下がるかもしれません。それに、私が奴隷であったことに関しても、黙秘するという誓約を結んでいただくことになりますし……」
好条件とは言い難い内容に、ついしどろもどろになってしまう。
甘えて、勝手を言っている自覚はある。だが、ふと頭に浮かんだのがロイだったのだ。
奴隷だったという事実も、ローザに毎晩調教されていた恥ずかしい過去も、堪らず吐いた弱音も、全部知っている。その上で、明るく笑い、慰めるように優しく労ってくれた、頼れる兄のような存在。
そんな彼が側にいてくれたなら──そう思ってしまったのだ。
「難しいことだと分かっています。ただ、もしも考えてもらえるなら──」
「いいよ」
「そう、ですよね。い……え?」
「ダニエルの従者になればいいんだろう? いいよ」
「え……い、え、い、い……んですか?」
「そこまで驚くか?」
「だ、だって……その、色々、面倒だってありますし……」
「あのなぁ、僕だっていつまでも男娼でいられないんだぞ? いつかは辞めなきゃいけないし、次の職に就く間の蓄えだって心配しなきゃいけない。ダニエルのお世話っていう安定した職と収入が約束された仕事なら、多少の面倒くらいどうってことないさ。むしろ万々歳だよ」
実にあっけらかんと語るロイには、男娼を辞めることに対する未練は感じない。その様子が少し意外で、ポカンとする。
「ダニエル、言っておくけど、僕だって別に好きで男娼をやってる訳じゃないからね」
「……そうでしたか」
正直、意外だった。ロイの仕事に対する態度に、嫌悪のようなものは感じなかったからだ。だからこそ、てっきり好んで今の職に就いているのだと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
「えっと、従者になると、その、言葉遣いとかも……」
「承知しております、ダニエル様」
「……うん。そう、だよね」
流れるように自然に言葉遣いを変えたロイ。見つめた顔は、表情すら違って見えて、彼に合わせるように、ダニエルも言葉遣いを変えた。
ただそれが妙に寂しくて、視線を下げる。自分から従者になってほしいと願ったのに、いざ彼が態度を改めたら寂しくなるだなんて、本当にどれだけ身勝手なのだろう。
「はぁ」
沸いた寂しさを胸の奥に押し込めるように黙っていると、不意に向かいの席から溜め息が聞こえた。
「そんなに寂しそうな顔をしないでくれよ。僕まで寂しくなるだろ」
「う……」
縮こまりながら、ロイも寂しく感じてくれていたことを嬉しく思っていると、表情を柔らかくしたロイがふっと瞳を細めた。
「君は本当に素直だなぁ」
「……すみません」
「良い子だなって意味だよ。素直で真面目で、だからこそ危なっかしくて……心配ばっかりさせる、可愛い弟みたいだ」
「!」
その言葉に、僅かに目を見開く。
兄のようだと思っていたロイが、弟のようだと思ってくれていた。それが無性に嬉しくて、堪らず頬が緩んだ。
「私も、ロイのことを頼れる兄様のようだと思っていました」
「……! ……そう。それは……嬉しいな」
本心から告げた言葉。
それに返ってきた呟きは小さく──瞳を細めた彼は、どこか泣きそうな顔で、微笑んでくれた。
その後、迎えに来たエドワルドにロイのことを話し、そこからまた長い長い説得が始まった。
ロイへの信頼を説けば説くほどエドワルドは頑なになったが、「エディを愛していることと、ロイに対する親しみは別です!」と半ば怒り気味に伝えることでようやく折れてくれた。
その後は、エドワルドがロイと一対一で面談をしたり、エミールからの厳しいチェックが入ったり等、ロイには申し訳ないくらい負担を掛けてしまったが、彼は「可愛い弟のためだからな」と、冗談混じりに笑って許してくれた。
その間も、男娼を辞めるロイを愛人にしようとする者からの横槍があったり、実はロイが貴族の出自だったことが判明して驚いたり等、なかなかに慌ただしい日々が続いた。
それでも約二ヶ月後には、ロイは公爵邸の使用人として雇われ、正式にダニエルの専属従者として仕えることになった。
「これからよろしくね、ロイ」
「はい。よろしくお願い致します、ダニエル様」
元奴隷の公爵夫人と、元男娼の従者。
奇妙な縁で繋がった二人は、人前では決して主従の顔を崩さなかったが、人目が無くなると途端に表情を和らげ、無邪気に笑い合うのが常となった。
ほんの少しも似ていない二人だが、仲睦まじく戯れ合う様子は、まるで仲の良い兄弟のようだった──と、目にした誰かが、こそりと胸の内で呟いた。
--------------------
書籍版では頁数の関係+あの場面でエドワルドさんがダニエルくんとロイさんの接触を許すかな?という疑問により削ってしまった二人のほっこりシーンですが、個人的に好きなシーンだったので、番外編として書く予定だった小噺に例のやりとりを混ぜ合わせて、リメイクの気持ちで書きました。
元々ダニエルくんの従者になってもらう予定だったロイさんですが、実は彼にも暗い過去があります。ただそこまで書くとどんどこ話が広がりそうなので、ご想像にお任せで…(いつか時間にゆとりができたら書くかもしれません)
ダニエルくんは完全にお兄ちゃん属性なのですが、お兄ちゃんだからこそ、弟として甘えたい時もあるのかな~という妄想が炸裂しました。
弟属性なダニエルくんも可愛くて大好きです!(*´◒`*)
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