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1巻
1-3
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「質問?」
「ここ最近、ダニエル君がエドワルドを避けているようだったからね。アイツが何かしたんだろうと思って問いただしたら、案の定だった訳だ」
なんでもないことのように言って、優雅に紅茶に口を付ける殿下に僅かに目を見開く。そもそもエドワルドを露骨に避けていたつもりはない。あからさまに避けなければいけないほどの接点すらなかったからだ。
それにも関わらず気づいた殿下の観察眼の高さに驚かされる。その上で、わざわざこうして声を掛けてくださったのは、殿下なりの償いであり、自分とエドワルド、双方に対する思い遣りだろう。
「……ヴァシュフォード様の家のご事情について、私が聞いてもよろしかったのでしょうか?」
「構わないよ。公言している訳ではないけれど、公爵家としても隠していることではないからね」
「そう、ですか……」
各家庭には、大なり小なり問題があるものだ。それが貴族の跡継ぎ問題ともなれば尚更だ。
エドワルドの生い立ちや課せられた使命に対し、自分が同情するなど烏滸がましいことだろうし、あえてどうと思うことはない。
ただ、波立っていた感情は凪ぎ、エドワルドに対する頑なな気持ちは和らいでいた。
「お心を配っていただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、聞いてくれてありがとう」
殿下からの謝罪を受け取り、互いに相好を崩すと、この一件については静かに終息を迎えた。
これ以降も、エドワルドとの関係は良くも悪くも変化が起きることはなく、緩やかに彼を意識する前の状態へと戻っていった。
そうして季節は巡り、授業や課題に必死に取り組みながら毎日を過ごしている内に、気づけば最終学年に進級するまで残り三ヶ月を切っていた。
(あっという間だったな)
スカラー制度を申し込んでから成績は常に五位以内を維持し、今期ではようやく四位になった。三位以内にはやはりあと一歩届かないが、それでも最終目標であるプレジデントに選ばれるには十分な成績を残せたと思う。生活態度も模範的に過ごしてきたつもりだ。
両親が亡くなってから二年。ようやく迎える最終学年と、ずっと目標として掲げてきた未来がすぐ目の前まで迫っていることに、不安と緊張は日毎募っていった。
「なんでそんな思い詰めた顔してるんだよ」
「なんだか落ち着かなくて……」
「そんな心配すんなって。ダニエルなら間違いなくプレジデントに選ばれるよ」
「……うん。ありがとう」
家の事情や、自身の目標を知っているカリオの明るい声に、ほわりと不安が和らぐ。彼の前向きで明るい性格には、これまでもずっと励まされ、助けられてきた。
プレジデントは教師陣からの総評で選出されるが、今年は王族である殿下と、その側近である侯爵家のジルド、公爵家のエドワルドで四枠ある内の三枠は実質埋まっている状態だ。残りの一枠に誰が収まるか、期待と緊張、羨望を混ぜたような浮ついた空気が、学園のそこかしこに漂っていた。
カリオはああ言ってくれたが、そもそもこの学園に入学できている時点で、皆優秀なのだ。その中で更に優秀であることを証明しなければいけないというのは、並大抵のことではない。
重い気持ちを振り払うように、胸元に飾られたエンブレムをそっと撫でる。各課題、科目において、成績優秀と認められた者に与えられるエンブレム。今ではいくつものエンブレムが、ダニエルの黒い制服の胸元を鮮やかに飾っていた。
(……大丈夫)
今まで努力してきた証が、ここにある──そう思うのに、胸の内は中々晴れなかった。
「ダニエル君、ちょっといいかな?」
放課後、寮に戻る途中の廊下で背後から声を掛けられ、足を止めた。
「殿下、いかがなさいましたか?」
「急に呼び止めてごめんよ。今、時間はあるかい? 少しだけ付き合ってもらえないかな」
唐突な誘いに首を傾げつつ、殿下に連れられて向かった先は、なんと殿下の寮の自室だった。
王族である殿下の部屋は、他の生徒達とは異なる区画にあり、一般生徒がおいそれと近づける場所ではない。思ってもみなかった空間に通されただけでも狼狽えるというのに、人払いがされたことで更に緊張が上乗せされた。
予想外の事態と豪華な室内の雰囲気に呑まれ、身構えていると、立ったままの殿下がくるりとこちらを振り返った。
「おめでとう、ダニエル君。今期のプレジデントに、共に選ばれたよ」
「……え?」
微笑みと共に告げられた殿下の言葉に、すぐに反応することができなかった。
「え……あの……発表は、明後日では……」
「他の生徒の皆にはね。プレジデントに選ばれた者は、それより先に通達されているものだよ。でなければ、当日の打ち合わせもできないだろう?」
至極当然とでも言うような口調に唖然とするも、よくよく考えてみればその通りだった。
プレジデントに選ばれると、次代の生徒代表として、当日の内に全生徒の前に立つことになる。その時が来て、突然その場で発表されても、心の準備も何もできていないようでは、まともに反応することもできないだろう。改めて考えれば当然のことに、まったく考えが及んでいなかった。
「殿下からのご報告というのも、何かの決まりがあってのことでしょうか?」
「いいや。本来は選ばれた者が一堂に会した場で、学園長から通達されるはずだよ」
「では、なぜ今……」
「それより、目標だったプレジデントに選ばれたのに、ダニエル君は喜ばないんだね?」
「ッ……」
核心を突くような一言に、息を呑む。言葉に詰まってしまったのがなによりの証拠で、思わず目が泳いだ。
「僕からプレジデントに選ばれたことを伝えたのは、君の本心を聞いておきたかったからだ。最近のダニエル君は、あんまり元気がないようだったからね。何か気になることがあるなら、教えてくれないかな? 恐らく、今しか聞けないことだ」
「……」
ああ、本当によく見ていらっしゃる。ただの同級生という立場でしかない自分を、王族である殿下が気に掛けてくださっているだけでも名誉なことだ。
そう思えばこそ、きっとここで黙ったままでいるのも失礼に当たる。妙に張り付く喉を潤すように、コクリと喉を鳴らすと、意を決して口を開いた。
「……プレジデントに選ばれた方の中に、ヴァシュフォード様もいらっしゃいますよね?」
「そうだね。僕とジルドとエドワルド、それと君の四人だ。……まさか、エドワルドがいるから嫌だと?」
「いえっ! ……いいえ、違います。ですが、私がいることでメンバー内の空気が悪くなる可能性があります。生徒の代表であるプレジデント同士の仲が悪いのは、他の生徒達を不安にさせます。余計な不穏を生むのは、望ましくないのではと……」
ずっと悩んでいたのはこの点だった。
『プレジデントになりたい』
それは両親にとって誇れる息子でありたい、妹にとって自慢の兄でありたいという、自分のための目標だった。その目標を叶えるために、これまでずっと努力してきた。だがいざ選ばれるか否かの瀬戸際になった時、ふとエドワルドの存在が気になってしまった。
彼との関係は、恐らく不仲と言われる類のものだろう。生徒の代表であるプレジデントがギスギスとした雰囲気でいるのは、決して誉められたものではない。ましてや今代には殿下もいるのだ。王族と共にプレジデントに選ばれるということは名誉なことでもあるが、同時にそれ相応のプレッシャーも負うことになる。
エドワルドと自分の不和によって、プレジデントという存在の評価を下げるようなことがあってはならないのだ。プレジデントになることが目標だったのに、いざその願いが叶った時、心の底から喜べないのでは……そんな不安から、ここ最近は気持ちが沈んでいた。
万が一、エドワルドから邪険にされた場合、学園内では身分は関係ないとはいえ、他のメンバーを考えれば、自分が辞退するのが適切な判断だろうと考えていた。
だが、冷静な思考に反し、本心は諦めたくないと抵抗していて、自分自身の気持ちもグラグラと揺れていた。
「君は本当に真面目さんだね。……確認だが、エドワルドが嫌いかい?」
「……いいえ。ですが、ヴァシュフォード様は、私をお嫌いかと思います」
「そんなことはないよ。君がアイツを嫌いでないなら、些細なことは気にせず、胸を張っているんだ。それに学園を卒業したら、どんなに嫌な相手でも笑顔で接しなければいけない場面が嫌というほど溢れているんだよ? 予行練習にはちょうどいいじゃないか」
「殿下……」
「妹君も、応援してくれたのだろう? こんな小さなことで諦めたら、今まで頑張ってきた君自身と、妹君に対して失礼だよ」
こちらを見据える力強い眼差しと、それに反して柔らかな声音が、励ますように背中を押した。
「……ありがとうございます。殿下と共にプレジデントとして選ばれた光栄に感謝し、より一層励みたいと思います」
「うん。君は頑張りすぎるから、ほどほどの励みでいいけど、よろしくね」
ポンポンと肩を叩く殿下の手は温かく、それだけで大丈夫だと思わせてくれる安心感に、今更ながらにこの方は未来の国王なのだと実感した。
翌々日、改めてプレジデントルームに呼び出され、学園長や統括教諭、理事長などが勢揃いした中で、今代のプレジデントとして選ばれたことが告げられた。
「生徒代表として、これからは今まで以上に人の目を集めることになるだろう。君達は皆の手本であり、目標だ。プレジデントとして過ごす一年が、君達にとって実りある日々と、誇りとなる未来へと繋がることを祈っているよ」
目尻に皺を刻みながら贈られた学園長の言葉に、四人揃って礼を返すと、その場でプレジデントの証である制服と同色の黒いケープを渡された。
手にしたケープは思いのほか重く、その重みを感じた時、初めてプレジデントに選ばれたのだという感動と喜びが湧き、不覚にも泣いてしまいそうになった。
「さて、互いに名前も顔も知ってる仲だが、こういう時は場の雰囲気に則って自己紹介からするべきだろう」
学園長達が部屋をあとにすると、殿下の唐突な一言により、自己紹介が始まった。
「ではまずは僕から。フィルベルテ=グラン・ディ・シュヴェリアだ。まずは共にプレジデントに選ばれたことを嬉しく思う。王子という立場上、僕が代表として前に立つことが多くなると思うけど、皆の手助けがあってこその代表だ。大変なことも多いだろうけれど、共に頑張っていこうね。ああ、ダニエル君も、これを機に僕のことは名前で呼んでおくれ」
「はい?」
「これからは生徒代表として共に支え合う仲間だ。エドワルドもジルドも名前呼びなのに、君だけ殿下呼びなのもおかしいだろう? フィルでもグランでも、好きに呼んでいいからね」
「え、いえ、あの……」
形ばかりの自己紹介からとんでもないことを言われて狼狽するも、返事をする前に自己紹介は次の人物へと移った。
「次、エドワルドだぞ」
「……エドワルド・ヴァシュフォードだ」
「おい、それで終わりか?」
「名前だけ言えば十分だろう」
嫌々という感情を隠しもしない、いっそ清々しいほどの短い自己紹介に殿下は眉を顰めた。一方でダニエルは、こちらを見向きもしないエドワルドに少しだけホッとしていた。
(睨まれたり、嫌味を言われなかっただけでも十分だ)
もっと居心地の悪いことになるかと思ったが、ある意味いつも通りの彼の態度に、幾分安心した。
「仕方ないな。次、ジルド」
「ジルド・メロディウスです。リンベルト様とは、こうしてきちんとお話するのは初めてですね」
「は、はい。あの、メロディウス様、恐れながら私に敬称は不要でございます」
ジルド・メロディウス。殿下の側近であり、メロディウス侯爵家の次男だ。彼の祖父はまだ宰相として現役で、厳格かつ切れ者として有名な方なのだが、目の前で翠色の瞳を細めて微笑むジルドは、とても穏やかな雰囲気だ。殿下の従者らしいきっちりとした態度に慌てれば、彼の視線が一瞬だけ殿下のほうに逸れた。
「あの……?」
「いえ、失礼しました。ではお言葉に甘えて、ダニエルと呼ばせていただいても?」
「は、はい」
「ありがとうございます。私のことはジルドとお呼びください。敬称も不要ですよ」
「あ、ありがとうございます」
なんだかいきなり距離が縮んだような気がしないでもないが、有無を言わさぬジルドの微笑みに素直に頷くことしかできなかった。
「ジルド、お前……まぁいいや。最後、ダニエル君、どうぞ」
「はい。……ダニエル・リンベルトです。皆様と共にプレジデントとして選ばれたこと、大変嬉しく思います。これからよろしくお願い致します」
「うん、よろしくね」
「よろしくお願いします」
殿下とジルドからは返事があったが、エドワルドからはなんの反応もなかった。ただ、今の態度が彼にとっての普通なのだと思えば特に気になるほどでもなく、プレジデントとしての顔合わせは何事もなく終わった。
その後、全生徒の前で殿下達と共に、正式にプレジデントとして発表された。不安と緊張で心臓がどうにかなりそうだったが、カリオが我がことのように喜んでくれたり、多くの同級生達からも快く受け入れてもらえたことで、ようやく自信を持ってプレジデントの証であるケープを纏えるようになった。
先代からの引き継ぎ業務から始まった生徒代表としての務めも、日を追うごとに慣れていき、慌ただしく過ごす内に、いつしかそれらも日常の一部へと溶け込んでいった。
◇◇◇◇◇
「すごいわ、お兄様! 本当にプレジデントに選ばれるなんて!」
三年生を修了し、長期休暇で屋敷の離れに帰ると、真っ先にプレジデントに選ばれたことを報告した。
喜びを全身で表すように飛び跳ねるフローラは、最近では帰るたびに背が伸びていて、子供っぽい仕草とは裏腹に少女らしさが少しずつ薄れてきていた。一層美しくなった面立ちは、きっと父が生きていたら縁談を片っ端から断っていただろうと安易に想像することができて、浮かんだ光景にクスリとする。
最近では、父や母のことを思い出しても、懐かしいと思うことはあっても、悲しいと思うことはなくなった。喪ってしまった寂しさは残っているが、フローラも、そして自分も、二人が安心して安らかに眠っていられるように、前向きに生きていこうという気持ちが強くなり、両親との思い出も笑って語れるようになっていた。
「あと一年、一年頑張れば、爵位を継げる」
あと一年。短くも長い時間に拳を握れば、フローラの手がその上からそっと重なった。
「たくさん頑張ってくださって、ありがとう、お兄様。お兄様の優秀さは、私達が知っているし、学園の方達だって証明してくださるわ。伯父だって、文句の付けようがないはずよ。本当に、本当に自慢のお兄様よ」
「ありがとう、フローラ。フローラも、こんなに手が荒れるまで頑張ってくれてありがとう。もうこれ以上、頑張らなくていいんだよ」
「ううん。お兄様が卒業するまでは、私も頑張る。また、クリームを塗ってくださるでしょう?」
「……お安い御用ですよ、レディ」
荒れたままのフローラの手が心配だったが、本人が頑張ると言っていることを無理に止めることもできない。せめて少しでも良くなるように、と小さなその手に念入りにクリームを塗り込んだ。
長期休暇中はこれまでと変わらず、勉強やダンスの練習をしながら、のんびりと過ごした。そんな中、ダニエルはフローラの着ている服が小さくなっていることに気づき、遠慮する彼女を引きずるようにして街へと向かった。
乗合馬車に乗り、平民向けのブティックに入ると、フローラの服を何着か購入した。ドレスが買えないことを詫びれば、フローラは鮮やかな真紅の髪を揺らして首を横に振った。
「このお洋服も可愛くて好きよ。それに、離れでドレスで生活するのは窮屈だから、あっても困っちゃうわ。それよりお金が……」
「フローラの服を買うのは無駄遣いじゃないよ」
「じゃあ、お兄様のお洋服も買いましょう? お父様の服じゃ、ぶかぶかだもの」
「私はいいよ。学園に戻れば制服以外は着ないし。帰ってきた時は、父様の服を借りれば十分だから」
ダニエルの身長は二年の内に十五センチほど伸び、騎士科の鍛錬のせいか、体付きもだいぶ逞しくなっていた。恐らく父の遺伝だろうと思いつつ、フローラは母似で良かった、と内心ホッとしていた。
「お兄様のかっこいいお姿が見たいわ」
「一年後に見せてあげるよ」
可愛らしくむくれるフローラを宥めながら、街で他の買い物も済ませると、帰路についた。夕飯は何を食べようか、そんな会話をしながら乗合馬車を降り、裏門から離れへ向かう途中、聞きたくもない声が聞こえてきた。
「乗合馬車に乗ってわざわざ買い出しとか、惨めだな~」
「本当。その足で敷地まで入ってくるなんて、恥ずかしいからやめてほしいわ」
耳障りな声に顔を顰めて振り返れば、背後に従兄妹のファブリチオとジェイミーの姿があった。ゴテゴテと着飾った服は見るに耐えないほど悪趣味で、それ一着のために両親が堅実に積み上げてきた資産をどれほど食い潰されたのかと思うと、腹立たしくて仕方なかった。
「やだ、見てよあの服! だっさい平民の服なんて、私絶対に着れないわ~」
「うわっ、なんだその古臭い服! よくそれで外を歩けたな!」
ギャハハという下品な笑い声に不快感が膨れ上がる。姿を見かけることがなかったおかげで、これまでは目を背けてこられた怒りが、フツフツと再熱した。
伯父一家のせいで余儀なくされた苦しい生活。自分を馬鹿にされるのはまだいい。だが年頃の少女であるフローラにまで我慢を強いながら嘲る醜さに、怒りが込み上げた。
言い返したくて堪らなかったが、ここで言い返して彼らの反感を買い、辛い思いをするのは離れに残すことになるフローラだ。煮え立つような憤りを無理やり押し殺すと、二人に背を向けた。
「行こう、フローラ。早く戻らないと、シンディが心配するよ」
「おいおい、逃げるのかよ軟弱野郎。それとも、また殿下に泣きついて王家の力に縋るか?」
(……軟弱なのは、そっちだと思うけど)
ファブリチオのヒョロヒョロの体躯にチラリと視線を流すと、無視を決め込み、フローラの肩に手を置いた。瞬間、華奢な肩が震えていることに気づいたが、咄嗟のことに反応が遅れた。
「お兄様を馬鹿にしないでっ!!」
「っ……!」
初めて聞くフローラの大きな声に、驚きから肩が跳ねた。それは二人も同じだったようで、ビクリと後退ったのが分かった。
「恥ずかしい人達……! お兄様がどれだけすごいかも知らないクセに! あなた達に何を言われようが、お兄様の素晴らしさは周りの方達が認めてくださっているわ! あなた達こそ、何も知らずにそうやって馬鹿にしている姿を皆に笑われてなさいよ!!」
「なんだと!?」
「フローラ!!」
フーッ、フーッと子猫が毛を逆立てて威嚇するようなフローラを慌てて引き寄せ、包み込むように抱き締める。ダニエルは顔を真っ赤にする従兄妹達の視線からフローラを隠すと、睨み付けるように二人を見据えた。
「ファブリチオ殿、あなたの言うように、殿下に泣きついてもいいんだぞ」
「ふ、ふんっ! たかが同じ学園に通っているというだけで、何を……」
「殿下とは個人的に親しくさせていただいている。愛称で呼ぶことを許されるくらいにはな」
「は……?」
半分本当で半分嘘だが、従兄妹達を牽制するためだ。殿下の名を借りてしまったことを心の中で詫びつつ、ファブリチオを睨み返した。
「王宮の監査が入ったのは、伯父が義務を果たさなかったことへの王家からの警告だと殿下からも聞いている。離れに住むことは受け入れるが、だからと言って馬鹿にされる筋合いはない。リンベルト家の正当な後継者は私だ。それは国が証明している。これ以上何か言うようなら、今すぐに伯父の持つ当主代行の権利を剥奪してもらうよう、殿下に願い出てもいいんだぞ」
勿論、その場合はダニエルもフローラも、最悪爵位を手放すことになるが、この二人はそんなことは知らないだろう。ハッタリで告げれば、顔色を悪くした二人が更に後退った。
「くっ……!」
「もうっ、なんなのよ! お兄様があの学園に編入できてたら、私も殿下とお近づきになれてたのに! 馬鹿にされて恥ずかしくないの!?」
「うるさいっ! お前だって女学院に入学するには品位が足りないって、茶会で馬鹿にされてたクセに!」
「なんですって!?」
ぎゃあぎゃあと互いに罵り合いながら去っていく二人の後ろ姿を見つめながら、張り詰めていた気を緩めた。あの様子で茶会に参加していれば、周囲の者からはさぞ白い目で見られていることだろう。いつか殿下に言われた「いい噂は聞かないよ」という言葉が、非常に優しい表現であったことを痛感していると、腕の中から啜り泣く声が聞こえてきて、慌てて下を向いた。
「ああ、フローラ、そんなに泣かないで」
「だって……っ、悔しい……! あんな人達に、お兄様を馬鹿にされて……っ」
顔を真っ赤に染め、ポロポロと涙を流す姿は痛々しくて、同時に堪らなく愛しくて、小さな体をもう一度抱き締めた。
「私のために怒ってくれてありがとう。でも、あんな風に言い返したら、フローラが酷い目に遭うかもしれない。ああいう連中には、言わせたいように言わせておけばいいんだ」
サラサラの髪を撫でながら、ぎゅうっと抱き締めれば、背中にフローラの手が回った。
「ありがとう、フローラ。フローラが頑張ってくれるから、私も頑張れるんだ。兄様はこれ以上、フローラが辛い思いをしないか、そっちのほうが心配だよ」
「ふふ……、ありがとう。私なら平気よ、お兄様。それにしても、軟弱野郎って、自己紹介かと思ったわ」
「はは、確かに」
涙が残る瞳で笑うフローラにホッとしながら、服の袖で頬を濡らす雫を拭った。
「さぁ、帰ろう」
「うん」
互いに自然と手を伸ばし、幼い頃のように手を繋ぐと、離れまで続く道を二人並んで歩いた。
(あと一年か……)
たった一年という時間の重さに、細い手を握る指先に、力が籠った。
◇◇◇◇◇
不安を残したままの長期休暇が明け、慌ただしく新入生の入学準備に追われている内に、気づけば最終学年へと進級していた。
プレジデントの主な役目は学園内の平穏と調和を調整することだ。そのため、学園側との話し合いや、生徒同士の諍いの仲裁等、日々細々とした業務が発生した。他にも各行事の準備や当日の進行確認もあったり等、とにかく忙しい。とはいえ今代は殿下がプレジデントとして在籍しているためか、生徒達も行儀が良く、比較的負担が少ないのが救いだった。
充実した日々を過ごす一方で、エドワルドとの関係は相変わらずだった。事務的なことであれば多少は言葉を交わすこともあったが、それ以外での会話は一切なく、エドワルドから家名で名を呼ばれることすらなかった。
一方で、殿下やジルドとは談笑する機会が増えた。他の生徒達のいない所では殿下のことは『フィル様』、ジルドのことは『ジルド』と呼ぶようになり、プレジデント専用サロンで寛いでいる時だけは、少しだけ肩の力を抜いて二人とも付き合えるようになった。
「別に皆の前でフィル様って呼んでもいいんだよ?」
「そういう訳にはいきません。ジルドも、皆の前では殿下とお呼びしているのですから」
「ダニエルの言う通りですよ。何事も公私の区別というのは大切です」
「……お前はダニエル君の前では猫を被ったままなんだな」
「教育衛生上、よろしくないことは控えているのですよ」
今日も今日とて、束の間のティータイムを三人で楽しんでいた。庭園に面したサロンの窓際は暖かな陽の光が燦々と差し込み、柔らかなソファーの座り心地は、気を抜くと居眠りをしてしまいそうなほど心地良い。
エドワルドと同じく幼馴染みらしいジルドと殿下の会話は気兼ねのないもので、最初こそ戸惑いもしたが、今では午後のこの一時が、ダニエルにとって癒しの時間でもあった。
「お、エドワルドだ」
和やかに会話をしていたその時、殿下が口にしたその名に僅かに体が強張った。殿下の視線の先を辿れば、エドワルドがサロンに入ってくる姿が見えた。そのまま殿下が手招きするのを無視して、離れた席に腰を下ろした彼に、ついソワソワとしてしまう。
「あの、私はこれで失礼を……」
「ダニエル君が気にすることじゃないよ。君がいてもいなくても、アイツの行動は変わらないよ」
「そうですよ。あなたは気を遣いすぎです。堂々としていなさい」
「あ……」
そう言って、ジルドがカップになみなみと紅茶を注いだ。恐らくこれは、飲み終わるまでは席を立つなということだろう。彼らの優しさと心遣いに苦笑しつつ、ダニエルは中身が零れ落ちそうなカップを慎重に持ち上げると、その縁にそっと口を付けた。
それから暫く経ち、学生として過ごす日々も残り半年に差し掛かった頃、担当教師から呼び出された。
「リンベルト、よく頑張ったな」
「ありがとうございます。先生方のご指導のおかげです」
にこやかな笑みを浮かべる教師につられ、ダニエルの頬も緩んだ。スカラー制度の適用において、最終学年の後期も試験順位四位を維持したことで、無事卒業までの諸経費を免除されることが約束された。
両親が亡くなってからの二年半、必死で勉強した。プレジデントになってからは特に他の生徒達の手本となるよう、行動すべてに気を配った。努力してきた日々が報われ、繋がった今に、安堵と同時に湧いた喜びが全身を満たした。
にやけてしまいそうになるのを堪えながら、教員室をあとにすると、軽い足取りで廊下を進んだ。
(父様と母様が残してくれたお金は、半分は残すことができた。これなら、フローラの入学も問題ないはずだ)
多少金額的にギリギリなところはあるが、それでも学園を卒業すれば、正式に当主として爵位を継げる。そうすれば、フローラが在学中には、ドレスを揃えてやれるくらいの余裕はできるはずだ。
(本当に良かった……!)
頑張り屋の妹に随分と多くの我慢をさせてしまったが、それもあと半年の辛抱だ。達成感から、ふわふわとした気持ちで一日を過ごしながら迎えた放課後、ダニエルは殿下から呼び出された。
プレジデント専用サロンではなく、久しぶりとなる殿下のプライベートサロンへと向かえば、椅子に腰掛けた殿下と、その背後に立つジルドが待っていた。
いつもは共にテーブルを囲むジルドが、『従者』という立場で殿下の後ろに控えている姿に戸惑うも、促されるまま席に着いた。ジルドの淹れてくれた紅茶を目の前に置かれ、彼が殿下の背後に戻ると、一呼吸置いて殿下が口を開いた。
「急に呼び出してごめんよ。実は、改めてダニエル君にお願いしたいことがあってね。ああ、悪い話じゃないから、そんなに緊張しないで」
「は、はい」
微笑む殿下になんとか返事をすれば、向かい合った青色の瞳が真っ直ぐにダニエルを見つめた。
「ダニエル君、もし卒業後の予定が空いているなら、このまま僕の元で働かないか?」
「…………え?」
あまりにも突然の申し出に、間の抜けた声が口から漏れた。
(このままって……だって、殿下は……)
思考が追いつかず、至極当然の考えが浮かんでは消える。そのまま固まっていると、殿下の朗らかな声が聞こえてきた。
「そんなに驚かなくてもいいだろう? これでもただの同級生と呼ぶには足りないくらい、仲良くしてきたつもりだったんだけどな」
「そ、それは勿論です! 殿下には、たくさんご心配をしていただき、本当に感謝しております。ですがその、これからも……ということは……」
「そうだね。私の側近として、王城に上がってほしい」
「……!」
サラリと告げられた言葉に、息を呑む。
王宮仕え、それも王族の側近となれば、就ける役職としてこれ以上のものはないだろう。ましてや殿下は王国の第一王子であり、学園を卒業すれば王太子に即位することが決まっている。その先は国王陛下──ダニエルは今、未来の君主の側近として誘われていることになるのだ。
だがいくら共に学び、プレジデントとして共に活動した時間があったとはいえ、自分はただの伯爵家の長男に過ぎない。殿下からの申し出が、果たして自分に対する正しい評価なのか、判断ができなかった。
返す言葉に迷い、答えあぐねていると、殿下が言葉を続けた。
「本来、私の側近になる子はもっと幼少の頃に選んでおくべきなんだけどね。どうにもしっくりくる子がいなくて。ジルド以外を側に置けなかったんだ。優秀という点では相応しい子も何人かいたけれど、側近として常に行動を共にすることを考えると、どの子もイマイチでね」
「……その上で、私にお声を掛けてくださったのは、家のことがあるからでしょうか?」
「まさか。同情で側近に誘うほど、私は優しくないよ。君がこれまで努力してきた姿を知っているからこそだ。誠実で、頑張り屋さんで、いつも一生懸命で、とても好ましい人格だと思っている。側近として引き立てる上での能力に申し分がないことは、プレジデントに選ばれたことで君自身が証明してくれた。できることなら、僕は僕の気に入った子に、これからも側にいてほしいし、支えてほしいと思うんだ。そう考えるのは、おかしいことかな?」
まるで愛を告げるような発言に、澄んだ青い瞳を見ていられず目を泳がせれば、殿下の背後に立つジルドが小さく溜め息を零した。
「フィル、それでは告白のようですよ」
「一応告白のつもりだったんだけどね」
「間違いではないのでしょうけれど……ダニエル」
「は、はい!」
「私もフィルと同じ気持ちですよ。あなたと共に仕事をするのはとても気持ちが良く、楽しかったです。少しばかり素直すぎる点は、王城では苦労をすることもあるかもしれませんが、叶うならば、今後は同僚として、共に殿下を支えていける友となれれば嬉しく思います」
「ここ最近、ダニエル君がエドワルドを避けているようだったからね。アイツが何かしたんだろうと思って問いただしたら、案の定だった訳だ」
なんでもないことのように言って、優雅に紅茶に口を付ける殿下に僅かに目を見開く。そもそもエドワルドを露骨に避けていたつもりはない。あからさまに避けなければいけないほどの接点すらなかったからだ。
それにも関わらず気づいた殿下の観察眼の高さに驚かされる。その上で、わざわざこうして声を掛けてくださったのは、殿下なりの償いであり、自分とエドワルド、双方に対する思い遣りだろう。
「……ヴァシュフォード様の家のご事情について、私が聞いてもよろしかったのでしょうか?」
「構わないよ。公言している訳ではないけれど、公爵家としても隠していることではないからね」
「そう、ですか……」
各家庭には、大なり小なり問題があるものだ。それが貴族の跡継ぎ問題ともなれば尚更だ。
エドワルドの生い立ちや課せられた使命に対し、自分が同情するなど烏滸がましいことだろうし、あえてどうと思うことはない。
ただ、波立っていた感情は凪ぎ、エドワルドに対する頑なな気持ちは和らいでいた。
「お心を配っていただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、聞いてくれてありがとう」
殿下からの謝罪を受け取り、互いに相好を崩すと、この一件については静かに終息を迎えた。
これ以降も、エドワルドとの関係は良くも悪くも変化が起きることはなく、緩やかに彼を意識する前の状態へと戻っていった。
そうして季節は巡り、授業や課題に必死に取り組みながら毎日を過ごしている内に、気づけば最終学年に進級するまで残り三ヶ月を切っていた。
(あっという間だったな)
スカラー制度を申し込んでから成績は常に五位以内を維持し、今期ではようやく四位になった。三位以内にはやはりあと一歩届かないが、それでも最終目標であるプレジデントに選ばれるには十分な成績を残せたと思う。生活態度も模範的に過ごしてきたつもりだ。
両親が亡くなってから二年。ようやく迎える最終学年と、ずっと目標として掲げてきた未来がすぐ目の前まで迫っていることに、不安と緊張は日毎募っていった。
「なんでそんな思い詰めた顔してるんだよ」
「なんだか落ち着かなくて……」
「そんな心配すんなって。ダニエルなら間違いなくプレジデントに選ばれるよ」
「……うん。ありがとう」
家の事情や、自身の目標を知っているカリオの明るい声に、ほわりと不安が和らぐ。彼の前向きで明るい性格には、これまでもずっと励まされ、助けられてきた。
プレジデントは教師陣からの総評で選出されるが、今年は王族である殿下と、その側近である侯爵家のジルド、公爵家のエドワルドで四枠ある内の三枠は実質埋まっている状態だ。残りの一枠に誰が収まるか、期待と緊張、羨望を混ぜたような浮ついた空気が、学園のそこかしこに漂っていた。
カリオはああ言ってくれたが、そもそもこの学園に入学できている時点で、皆優秀なのだ。その中で更に優秀であることを証明しなければいけないというのは、並大抵のことではない。
重い気持ちを振り払うように、胸元に飾られたエンブレムをそっと撫でる。各課題、科目において、成績優秀と認められた者に与えられるエンブレム。今ではいくつものエンブレムが、ダニエルの黒い制服の胸元を鮮やかに飾っていた。
(……大丈夫)
今まで努力してきた証が、ここにある──そう思うのに、胸の内は中々晴れなかった。
「ダニエル君、ちょっといいかな?」
放課後、寮に戻る途中の廊下で背後から声を掛けられ、足を止めた。
「殿下、いかがなさいましたか?」
「急に呼び止めてごめんよ。今、時間はあるかい? 少しだけ付き合ってもらえないかな」
唐突な誘いに首を傾げつつ、殿下に連れられて向かった先は、なんと殿下の寮の自室だった。
王族である殿下の部屋は、他の生徒達とは異なる区画にあり、一般生徒がおいそれと近づける場所ではない。思ってもみなかった空間に通されただけでも狼狽えるというのに、人払いがされたことで更に緊張が上乗せされた。
予想外の事態と豪華な室内の雰囲気に呑まれ、身構えていると、立ったままの殿下がくるりとこちらを振り返った。
「おめでとう、ダニエル君。今期のプレジデントに、共に選ばれたよ」
「……え?」
微笑みと共に告げられた殿下の言葉に、すぐに反応することができなかった。
「え……あの……発表は、明後日では……」
「他の生徒の皆にはね。プレジデントに選ばれた者は、それより先に通達されているものだよ。でなければ、当日の打ち合わせもできないだろう?」
至極当然とでも言うような口調に唖然とするも、よくよく考えてみればその通りだった。
プレジデントに選ばれると、次代の生徒代表として、当日の内に全生徒の前に立つことになる。その時が来て、突然その場で発表されても、心の準備も何もできていないようでは、まともに反応することもできないだろう。改めて考えれば当然のことに、まったく考えが及んでいなかった。
「殿下からのご報告というのも、何かの決まりがあってのことでしょうか?」
「いいや。本来は選ばれた者が一堂に会した場で、学園長から通達されるはずだよ」
「では、なぜ今……」
「それより、目標だったプレジデントに選ばれたのに、ダニエル君は喜ばないんだね?」
「ッ……」
核心を突くような一言に、息を呑む。言葉に詰まってしまったのがなによりの証拠で、思わず目が泳いだ。
「僕からプレジデントに選ばれたことを伝えたのは、君の本心を聞いておきたかったからだ。最近のダニエル君は、あんまり元気がないようだったからね。何か気になることがあるなら、教えてくれないかな? 恐らく、今しか聞けないことだ」
「……」
ああ、本当によく見ていらっしゃる。ただの同級生という立場でしかない自分を、王族である殿下が気に掛けてくださっているだけでも名誉なことだ。
そう思えばこそ、きっとここで黙ったままでいるのも失礼に当たる。妙に張り付く喉を潤すように、コクリと喉を鳴らすと、意を決して口を開いた。
「……プレジデントに選ばれた方の中に、ヴァシュフォード様もいらっしゃいますよね?」
「そうだね。僕とジルドとエドワルド、それと君の四人だ。……まさか、エドワルドがいるから嫌だと?」
「いえっ! ……いいえ、違います。ですが、私がいることでメンバー内の空気が悪くなる可能性があります。生徒の代表であるプレジデント同士の仲が悪いのは、他の生徒達を不安にさせます。余計な不穏を生むのは、望ましくないのではと……」
ずっと悩んでいたのはこの点だった。
『プレジデントになりたい』
それは両親にとって誇れる息子でありたい、妹にとって自慢の兄でありたいという、自分のための目標だった。その目標を叶えるために、これまでずっと努力してきた。だがいざ選ばれるか否かの瀬戸際になった時、ふとエドワルドの存在が気になってしまった。
彼との関係は、恐らく不仲と言われる類のものだろう。生徒の代表であるプレジデントがギスギスとした雰囲気でいるのは、決して誉められたものではない。ましてや今代には殿下もいるのだ。王族と共にプレジデントに選ばれるということは名誉なことでもあるが、同時にそれ相応のプレッシャーも負うことになる。
エドワルドと自分の不和によって、プレジデントという存在の評価を下げるようなことがあってはならないのだ。プレジデントになることが目標だったのに、いざその願いが叶った時、心の底から喜べないのでは……そんな不安から、ここ最近は気持ちが沈んでいた。
万が一、エドワルドから邪険にされた場合、学園内では身分は関係ないとはいえ、他のメンバーを考えれば、自分が辞退するのが適切な判断だろうと考えていた。
だが、冷静な思考に反し、本心は諦めたくないと抵抗していて、自分自身の気持ちもグラグラと揺れていた。
「君は本当に真面目さんだね。……確認だが、エドワルドが嫌いかい?」
「……いいえ。ですが、ヴァシュフォード様は、私をお嫌いかと思います」
「そんなことはないよ。君がアイツを嫌いでないなら、些細なことは気にせず、胸を張っているんだ。それに学園を卒業したら、どんなに嫌な相手でも笑顔で接しなければいけない場面が嫌というほど溢れているんだよ? 予行練習にはちょうどいいじゃないか」
「殿下……」
「妹君も、応援してくれたのだろう? こんな小さなことで諦めたら、今まで頑張ってきた君自身と、妹君に対して失礼だよ」
こちらを見据える力強い眼差しと、それに反して柔らかな声音が、励ますように背中を押した。
「……ありがとうございます。殿下と共にプレジデントとして選ばれた光栄に感謝し、より一層励みたいと思います」
「うん。君は頑張りすぎるから、ほどほどの励みでいいけど、よろしくね」
ポンポンと肩を叩く殿下の手は温かく、それだけで大丈夫だと思わせてくれる安心感に、今更ながらにこの方は未来の国王なのだと実感した。
翌々日、改めてプレジデントルームに呼び出され、学園長や統括教諭、理事長などが勢揃いした中で、今代のプレジデントとして選ばれたことが告げられた。
「生徒代表として、これからは今まで以上に人の目を集めることになるだろう。君達は皆の手本であり、目標だ。プレジデントとして過ごす一年が、君達にとって実りある日々と、誇りとなる未来へと繋がることを祈っているよ」
目尻に皺を刻みながら贈られた学園長の言葉に、四人揃って礼を返すと、その場でプレジデントの証である制服と同色の黒いケープを渡された。
手にしたケープは思いのほか重く、その重みを感じた時、初めてプレジデントに選ばれたのだという感動と喜びが湧き、不覚にも泣いてしまいそうになった。
「さて、互いに名前も顔も知ってる仲だが、こういう時は場の雰囲気に則って自己紹介からするべきだろう」
学園長達が部屋をあとにすると、殿下の唐突な一言により、自己紹介が始まった。
「ではまずは僕から。フィルベルテ=グラン・ディ・シュヴェリアだ。まずは共にプレジデントに選ばれたことを嬉しく思う。王子という立場上、僕が代表として前に立つことが多くなると思うけど、皆の手助けがあってこその代表だ。大変なことも多いだろうけれど、共に頑張っていこうね。ああ、ダニエル君も、これを機に僕のことは名前で呼んでおくれ」
「はい?」
「これからは生徒代表として共に支え合う仲間だ。エドワルドもジルドも名前呼びなのに、君だけ殿下呼びなのもおかしいだろう? フィルでもグランでも、好きに呼んでいいからね」
「え、いえ、あの……」
形ばかりの自己紹介からとんでもないことを言われて狼狽するも、返事をする前に自己紹介は次の人物へと移った。
「次、エドワルドだぞ」
「……エドワルド・ヴァシュフォードだ」
「おい、それで終わりか?」
「名前だけ言えば十分だろう」
嫌々という感情を隠しもしない、いっそ清々しいほどの短い自己紹介に殿下は眉を顰めた。一方でダニエルは、こちらを見向きもしないエドワルドに少しだけホッとしていた。
(睨まれたり、嫌味を言われなかっただけでも十分だ)
もっと居心地の悪いことになるかと思ったが、ある意味いつも通りの彼の態度に、幾分安心した。
「仕方ないな。次、ジルド」
「ジルド・メロディウスです。リンベルト様とは、こうしてきちんとお話するのは初めてですね」
「は、はい。あの、メロディウス様、恐れながら私に敬称は不要でございます」
ジルド・メロディウス。殿下の側近であり、メロディウス侯爵家の次男だ。彼の祖父はまだ宰相として現役で、厳格かつ切れ者として有名な方なのだが、目の前で翠色の瞳を細めて微笑むジルドは、とても穏やかな雰囲気だ。殿下の従者らしいきっちりとした態度に慌てれば、彼の視線が一瞬だけ殿下のほうに逸れた。
「あの……?」
「いえ、失礼しました。ではお言葉に甘えて、ダニエルと呼ばせていただいても?」
「は、はい」
「ありがとうございます。私のことはジルドとお呼びください。敬称も不要ですよ」
「あ、ありがとうございます」
なんだかいきなり距離が縮んだような気がしないでもないが、有無を言わさぬジルドの微笑みに素直に頷くことしかできなかった。
「ジルド、お前……まぁいいや。最後、ダニエル君、どうぞ」
「はい。……ダニエル・リンベルトです。皆様と共にプレジデントとして選ばれたこと、大変嬉しく思います。これからよろしくお願い致します」
「うん、よろしくね」
「よろしくお願いします」
殿下とジルドからは返事があったが、エドワルドからはなんの反応もなかった。ただ、今の態度が彼にとっての普通なのだと思えば特に気になるほどでもなく、プレジデントとしての顔合わせは何事もなく終わった。
その後、全生徒の前で殿下達と共に、正式にプレジデントとして発表された。不安と緊張で心臓がどうにかなりそうだったが、カリオが我がことのように喜んでくれたり、多くの同級生達からも快く受け入れてもらえたことで、ようやく自信を持ってプレジデントの証であるケープを纏えるようになった。
先代からの引き継ぎ業務から始まった生徒代表としての務めも、日を追うごとに慣れていき、慌ただしく過ごす内に、いつしかそれらも日常の一部へと溶け込んでいった。
◇◇◇◇◇
「すごいわ、お兄様! 本当にプレジデントに選ばれるなんて!」
三年生を修了し、長期休暇で屋敷の離れに帰ると、真っ先にプレジデントに選ばれたことを報告した。
喜びを全身で表すように飛び跳ねるフローラは、最近では帰るたびに背が伸びていて、子供っぽい仕草とは裏腹に少女らしさが少しずつ薄れてきていた。一層美しくなった面立ちは、きっと父が生きていたら縁談を片っ端から断っていただろうと安易に想像することができて、浮かんだ光景にクスリとする。
最近では、父や母のことを思い出しても、懐かしいと思うことはあっても、悲しいと思うことはなくなった。喪ってしまった寂しさは残っているが、フローラも、そして自分も、二人が安心して安らかに眠っていられるように、前向きに生きていこうという気持ちが強くなり、両親との思い出も笑って語れるようになっていた。
「あと一年、一年頑張れば、爵位を継げる」
あと一年。短くも長い時間に拳を握れば、フローラの手がその上からそっと重なった。
「たくさん頑張ってくださって、ありがとう、お兄様。お兄様の優秀さは、私達が知っているし、学園の方達だって証明してくださるわ。伯父だって、文句の付けようがないはずよ。本当に、本当に自慢のお兄様よ」
「ありがとう、フローラ。フローラも、こんなに手が荒れるまで頑張ってくれてありがとう。もうこれ以上、頑張らなくていいんだよ」
「ううん。お兄様が卒業するまでは、私も頑張る。また、クリームを塗ってくださるでしょう?」
「……お安い御用ですよ、レディ」
荒れたままのフローラの手が心配だったが、本人が頑張ると言っていることを無理に止めることもできない。せめて少しでも良くなるように、と小さなその手に念入りにクリームを塗り込んだ。
長期休暇中はこれまでと変わらず、勉強やダンスの練習をしながら、のんびりと過ごした。そんな中、ダニエルはフローラの着ている服が小さくなっていることに気づき、遠慮する彼女を引きずるようにして街へと向かった。
乗合馬車に乗り、平民向けのブティックに入ると、フローラの服を何着か購入した。ドレスが買えないことを詫びれば、フローラは鮮やかな真紅の髪を揺らして首を横に振った。
「このお洋服も可愛くて好きよ。それに、離れでドレスで生活するのは窮屈だから、あっても困っちゃうわ。それよりお金が……」
「フローラの服を買うのは無駄遣いじゃないよ」
「じゃあ、お兄様のお洋服も買いましょう? お父様の服じゃ、ぶかぶかだもの」
「私はいいよ。学園に戻れば制服以外は着ないし。帰ってきた時は、父様の服を借りれば十分だから」
ダニエルの身長は二年の内に十五センチほど伸び、騎士科の鍛錬のせいか、体付きもだいぶ逞しくなっていた。恐らく父の遺伝だろうと思いつつ、フローラは母似で良かった、と内心ホッとしていた。
「お兄様のかっこいいお姿が見たいわ」
「一年後に見せてあげるよ」
可愛らしくむくれるフローラを宥めながら、街で他の買い物も済ませると、帰路についた。夕飯は何を食べようか、そんな会話をしながら乗合馬車を降り、裏門から離れへ向かう途中、聞きたくもない声が聞こえてきた。
「乗合馬車に乗ってわざわざ買い出しとか、惨めだな~」
「本当。その足で敷地まで入ってくるなんて、恥ずかしいからやめてほしいわ」
耳障りな声に顔を顰めて振り返れば、背後に従兄妹のファブリチオとジェイミーの姿があった。ゴテゴテと着飾った服は見るに耐えないほど悪趣味で、それ一着のために両親が堅実に積み上げてきた資産をどれほど食い潰されたのかと思うと、腹立たしくて仕方なかった。
「やだ、見てよあの服! だっさい平民の服なんて、私絶対に着れないわ~」
「うわっ、なんだその古臭い服! よくそれで外を歩けたな!」
ギャハハという下品な笑い声に不快感が膨れ上がる。姿を見かけることがなかったおかげで、これまでは目を背けてこられた怒りが、フツフツと再熱した。
伯父一家のせいで余儀なくされた苦しい生活。自分を馬鹿にされるのはまだいい。だが年頃の少女であるフローラにまで我慢を強いながら嘲る醜さに、怒りが込み上げた。
言い返したくて堪らなかったが、ここで言い返して彼らの反感を買い、辛い思いをするのは離れに残すことになるフローラだ。煮え立つような憤りを無理やり押し殺すと、二人に背を向けた。
「行こう、フローラ。早く戻らないと、シンディが心配するよ」
「おいおい、逃げるのかよ軟弱野郎。それとも、また殿下に泣きついて王家の力に縋るか?」
(……軟弱なのは、そっちだと思うけど)
ファブリチオのヒョロヒョロの体躯にチラリと視線を流すと、無視を決め込み、フローラの肩に手を置いた。瞬間、華奢な肩が震えていることに気づいたが、咄嗟のことに反応が遅れた。
「お兄様を馬鹿にしないでっ!!」
「っ……!」
初めて聞くフローラの大きな声に、驚きから肩が跳ねた。それは二人も同じだったようで、ビクリと後退ったのが分かった。
「恥ずかしい人達……! お兄様がどれだけすごいかも知らないクセに! あなた達に何を言われようが、お兄様の素晴らしさは周りの方達が認めてくださっているわ! あなた達こそ、何も知らずにそうやって馬鹿にしている姿を皆に笑われてなさいよ!!」
「なんだと!?」
「フローラ!!」
フーッ、フーッと子猫が毛を逆立てて威嚇するようなフローラを慌てて引き寄せ、包み込むように抱き締める。ダニエルは顔を真っ赤にする従兄妹達の視線からフローラを隠すと、睨み付けるように二人を見据えた。
「ファブリチオ殿、あなたの言うように、殿下に泣きついてもいいんだぞ」
「ふ、ふんっ! たかが同じ学園に通っているというだけで、何を……」
「殿下とは個人的に親しくさせていただいている。愛称で呼ぶことを許されるくらいにはな」
「は……?」
半分本当で半分嘘だが、従兄妹達を牽制するためだ。殿下の名を借りてしまったことを心の中で詫びつつ、ファブリチオを睨み返した。
「王宮の監査が入ったのは、伯父が義務を果たさなかったことへの王家からの警告だと殿下からも聞いている。離れに住むことは受け入れるが、だからと言って馬鹿にされる筋合いはない。リンベルト家の正当な後継者は私だ。それは国が証明している。これ以上何か言うようなら、今すぐに伯父の持つ当主代行の権利を剥奪してもらうよう、殿下に願い出てもいいんだぞ」
勿論、その場合はダニエルもフローラも、最悪爵位を手放すことになるが、この二人はそんなことは知らないだろう。ハッタリで告げれば、顔色を悪くした二人が更に後退った。
「くっ……!」
「もうっ、なんなのよ! お兄様があの学園に編入できてたら、私も殿下とお近づきになれてたのに! 馬鹿にされて恥ずかしくないの!?」
「うるさいっ! お前だって女学院に入学するには品位が足りないって、茶会で馬鹿にされてたクセに!」
「なんですって!?」
ぎゃあぎゃあと互いに罵り合いながら去っていく二人の後ろ姿を見つめながら、張り詰めていた気を緩めた。あの様子で茶会に参加していれば、周囲の者からはさぞ白い目で見られていることだろう。いつか殿下に言われた「いい噂は聞かないよ」という言葉が、非常に優しい表現であったことを痛感していると、腕の中から啜り泣く声が聞こえてきて、慌てて下を向いた。
「ああ、フローラ、そんなに泣かないで」
「だって……っ、悔しい……! あんな人達に、お兄様を馬鹿にされて……っ」
顔を真っ赤に染め、ポロポロと涙を流す姿は痛々しくて、同時に堪らなく愛しくて、小さな体をもう一度抱き締めた。
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「ありがとう、フローラ。フローラが頑張ってくれるから、私も頑張れるんだ。兄様はこれ以上、フローラが辛い思いをしないか、そっちのほうが心配だよ」
「ふふ……、ありがとう。私なら平気よ、お兄様。それにしても、軟弱野郎って、自己紹介かと思ったわ」
「はは、確かに」
涙が残る瞳で笑うフローラにホッとしながら、服の袖で頬を濡らす雫を拭った。
「さぁ、帰ろう」
「うん」
互いに自然と手を伸ばし、幼い頃のように手を繋ぐと、離れまで続く道を二人並んで歩いた。
(あと一年か……)
たった一年という時間の重さに、細い手を握る指先に、力が籠った。
◇◇◇◇◇
不安を残したままの長期休暇が明け、慌ただしく新入生の入学準備に追われている内に、気づけば最終学年へと進級していた。
プレジデントの主な役目は学園内の平穏と調和を調整することだ。そのため、学園側との話し合いや、生徒同士の諍いの仲裁等、日々細々とした業務が発生した。他にも各行事の準備や当日の進行確認もあったり等、とにかく忙しい。とはいえ今代は殿下がプレジデントとして在籍しているためか、生徒達も行儀が良く、比較的負担が少ないのが救いだった。
充実した日々を過ごす一方で、エドワルドとの関係は相変わらずだった。事務的なことであれば多少は言葉を交わすこともあったが、それ以外での会話は一切なく、エドワルドから家名で名を呼ばれることすらなかった。
一方で、殿下やジルドとは談笑する機会が増えた。他の生徒達のいない所では殿下のことは『フィル様』、ジルドのことは『ジルド』と呼ぶようになり、プレジデント専用サロンで寛いでいる時だけは、少しだけ肩の力を抜いて二人とも付き合えるようになった。
「別に皆の前でフィル様って呼んでもいいんだよ?」
「そういう訳にはいきません。ジルドも、皆の前では殿下とお呼びしているのですから」
「ダニエルの言う通りですよ。何事も公私の区別というのは大切です」
「……お前はダニエル君の前では猫を被ったままなんだな」
「教育衛生上、よろしくないことは控えているのですよ」
今日も今日とて、束の間のティータイムを三人で楽しんでいた。庭園に面したサロンの窓際は暖かな陽の光が燦々と差し込み、柔らかなソファーの座り心地は、気を抜くと居眠りをしてしまいそうなほど心地良い。
エドワルドと同じく幼馴染みらしいジルドと殿下の会話は気兼ねのないもので、最初こそ戸惑いもしたが、今では午後のこの一時が、ダニエルにとって癒しの時間でもあった。
「お、エドワルドだ」
和やかに会話をしていたその時、殿下が口にしたその名に僅かに体が強張った。殿下の視線の先を辿れば、エドワルドがサロンに入ってくる姿が見えた。そのまま殿下が手招きするのを無視して、離れた席に腰を下ろした彼に、ついソワソワとしてしまう。
「あの、私はこれで失礼を……」
「ダニエル君が気にすることじゃないよ。君がいてもいなくても、アイツの行動は変わらないよ」
「そうですよ。あなたは気を遣いすぎです。堂々としていなさい」
「あ……」
そう言って、ジルドがカップになみなみと紅茶を注いだ。恐らくこれは、飲み終わるまでは席を立つなということだろう。彼らの優しさと心遣いに苦笑しつつ、ダニエルは中身が零れ落ちそうなカップを慎重に持ち上げると、その縁にそっと口を付けた。
それから暫く経ち、学生として過ごす日々も残り半年に差し掛かった頃、担当教師から呼び出された。
「リンベルト、よく頑張ったな」
「ありがとうございます。先生方のご指導のおかげです」
にこやかな笑みを浮かべる教師につられ、ダニエルの頬も緩んだ。スカラー制度の適用において、最終学年の後期も試験順位四位を維持したことで、無事卒業までの諸経費を免除されることが約束された。
両親が亡くなってからの二年半、必死で勉強した。プレジデントになってからは特に他の生徒達の手本となるよう、行動すべてに気を配った。努力してきた日々が報われ、繋がった今に、安堵と同時に湧いた喜びが全身を満たした。
にやけてしまいそうになるのを堪えながら、教員室をあとにすると、軽い足取りで廊下を進んだ。
(父様と母様が残してくれたお金は、半分は残すことができた。これなら、フローラの入学も問題ないはずだ)
多少金額的にギリギリなところはあるが、それでも学園を卒業すれば、正式に当主として爵位を継げる。そうすれば、フローラが在学中には、ドレスを揃えてやれるくらいの余裕はできるはずだ。
(本当に良かった……!)
頑張り屋の妹に随分と多くの我慢をさせてしまったが、それもあと半年の辛抱だ。達成感から、ふわふわとした気持ちで一日を過ごしながら迎えた放課後、ダニエルは殿下から呼び出された。
プレジデント専用サロンではなく、久しぶりとなる殿下のプライベートサロンへと向かえば、椅子に腰掛けた殿下と、その背後に立つジルドが待っていた。
いつもは共にテーブルを囲むジルドが、『従者』という立場で殿下の後ろに控えている姿に戸惑うも、促されるまま席に着いた。ジルドの淹れてくれた紅茶を目の前に置かれ、彼が殿下の背後に戻ると、一呼吸置いて殿下が口を開いた。
「急に呼び出してごめんよ。実は、改めてダニエル君にお願いしたいことがあってね。ああ、悪い話じゃないから、そんなに緊張しないで」
「は、はい」
微笑む殿下になんとか返事をすれば、向かい合った青色の瞳が真っ直ぐにダニエルを見つめた。
「ダニエル君、もし卒業後の予定が空いているなら、このまま僕の元で働かないか?」
「…………え?」
あまりにも突然の申し出に、間の抜けた声が口から漏れた。
(このままって……だって、殿下は……)
思考が追いつかず、至極当然の考えが浮かんでは消える。そのまま固まっていると、殿下の朗らかな声が聞こえてきた。
「そんなに驚かなくてもいいだろう? これでもただの同級生と呼ぶには足りないくらい、仲良くしてきたつもりだったんだけどな」
「そ、それは勿論です! 殿下には、たくさんご心配をしていただき、本当に感謝しております。ですがその、これからも……ということは……」
「そうだね。私の側近として、王城に上がってほしい」
「……!」
サラリと告げられた言葉に、息を呑む。
王宮仕え、それも王族の側近となれば、就ける役職としてこれ以上のものはないだろう。ましてや殿下は王国の第一王子であり、学園を卒業すれば王太子に即位することが決まっている。その先は国王陛下──ダニエルは今、未来の君主の側近として誘われていることになるのだ。
だがいくら共に学び、プレジデントとして共に活動した時間があったとはいえ、自分はただの伯爵家の長男に過ぎない。殿下からの申し出が、果たして自分に対する正しい評価なのか、判断ができなかった。
返す言葉に迷い、答えあぐねていると、殿下が言葉を続けた。
「本来、私の側近になる子はもっと幼少の頃に選んでおくべきなんだけどね。どうにもしっくりくる子がいなくて。ジルド以外を側に置けなかったんだ。優秀という点では相応しい子も何人かいたけれど、側近として常に行動を共にすることを考えると、どの子もイマイチでね」
「……その上で、私にお声を掛けてくださったのは、家のことがあるからでしょうか?」
「まさか。同情で側近に誘うほど、私は優しくないよ。君がこれまで努力してきた姿を知っているからこそだ。誠実で、頑張り屋さんで、いつも一生懸命で、とても好ましい人格だと思っている。側近として引き立てる上での能力に申し分がないことは、プレジデントに選ばれたことで君自身が証明してくれた。できることなら、僕は僕の気に入った子に、これからも側にいてほしいし、支えてほしいと思うんだ。そう考えるのは、おかしいことかな?」
まるで愛を告げるような発言に、澄んだ青い瞳を見ていられず目を泳がせれば、殿下の背後に立つジルドが小さく溜め息を零した。
「フィル、それでは告白のようですよ」
「一応告白のつもりだったんだけどね」
「間違いではないのでしょうけれど……ダニエル」
「は、はい!」
「私もフィルと同じ気持ちですよ。あなたと共に仕事をするのはとても気持ちが良く、楽しかったです。少しばかり素直すぎる点は、王城では苦労をすることもあるかもしれませんが、叶うならば、今後は同僚として、共に殿下を支えていける友となれれば嬉しく思います」
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