幸せな空

ベル

文字の大きさ
上 下
30 / 33

しおりを挟む
「朱音が、転生するかもしれない。」


ある晩の事。
妻が突然、そう呟いた。

そして、その日を境に妻は部屋に篭ったまま、ほとんど部屋から出なくなった。


やっかいなことに、繁忙期と出張が重なり、なかなか家に帰ることが出来なくなってしまった。

妻の様子がとにかく心配だったが、仕事の関係でどうしようもなく、必死で仕事を早めに終わらせる事に集中した。


...嫌な予感がする。

ある日出張先から会社に帰る途中、頭の中に不安がよぎった。

それが何かはわからない。
ただ、自分の中で何かが妙に引っかかる。急がなければいけない。

職場には家で仕事を終わらせることを伝え、急いで家に帰った。そして、妻がいるであろう部屋に向かう。


「....っ、おい!!!!!」


そこには、絵に囲まれて幸せそうに微笑みながら倒れている妻の姿があった。




「あと、少し遅かったら危なかったかもしれません。しばらく入院が必要でしょう」


その言葉を聞いて、背筋がゾワっと震えた。

あと少し遅かったら.....



「朱音が、助けてくれたのか...?」


自分でも、どうしてその言葉を発したのかはわからない。

病室で妻の眠る姿を見た瞬間、そう呟いた自分に驚いた。

...そうか、朱音が。


「....っ、ありがとうな、朱音」


涙が溢れてくる。

あと少し遅かったら、朱音が俺に気付かせてくれなかったら...

大事な人を、2人も失うところだった。



その日を境に、仕事をしばらく休む事にした。かなり揉めたが、それも仕方がない。

優先すべきものがわかったからだ。



「わたし、絵本を出版しようと思うの」


無事退院した日の午後、妻が思い立ったようにそう言った。


「絵本...?」


「そう、絵本。朱音が書いた絵を、物語にするの。前からずっと、朱音の絵をみんなに見てもらいたいと思っていたけれど、どう公表すれば良いのか分からなくって、ずっと秘めていたんだど...」


妻の目は、きらきらと輝いていた。


「朱音が転生するかもしれないって思ったら、もうじっとはしていられない。わたし、出版社に話に行ってくる!」


こんなにも、輝いている妻を見たのはいつ以来だろう。
そう思うと、胸がじんわりと熱くなった。これもきっと、朱音のお陰だろう。


「あと...」


ふと、俺に目を向けたかと思うと、恥ずかしそうに俯きながら、ぼそっと言った言葉に、嬉しさと愛しさが込み上げてきて、思わず抱きしめた。



「あなたがずっと側で支えてくれたから、今もこうして生きてこられたの。今まで言葉にしなくてごめんなさい。...ありがとう」




***********



「あなたー!これ、プレゼント」



妻の体調もすっかり回復し、仕事に復帰し、再び仕事に追われるようになったある日の事。


仕事から帰り、息をついた俺に、妻が嬉しそうに駆け寄ってきた。


手には、とても高そうなカメラを抱えている。


「どうしたんだ、これは...」


「あなた、写真撮るのが昔から好きでしょう?無事に絵本も出版できて、今日初めてお給料をいただけたの。朱音とわたしから、あなたへの感謝の気持ち」


機械音痴な妻が、こんな良いカメラを買ってくれるなんて。きっと、家電量販店で一生懸命に探してくれたのだろう。


その気持ちが嬉しかった。


「...ありがとう、大事にするよ」


「え?あなた、泣いてるの...?!」


「....っ、はは、そんな訳ないだろう」



幸せだった。


出会った頃の君は、家族のことでとても傷つき、繊細で、今にも壊れてしまいそうなくらい儚かった。


最初は、旅館の一人娘とするはずだったお見合い。

将来は親同士が決めた相手と結婚するものだと、恋愛結婚は諦めていたし、興味がなかったはずなのに。


一瞬で心を奪われた。

結局、お見合い相手の娘にも相手がいたと知ったのだけれど。

君と結婚できて、俺は幸せ者だ。

最初は、俺の家族のことで色んなことを我慢させたと思う。それでも変わらず健気に支えてくれた。

朱音が生まれた時は本当に幸せだったし、朱音が亡くなってからはとてつもなく辛かった。

妻を支えていかなくては。

君が、俺を今まで支えてくれたのと同じくらいに...いや、それ以上に。


俺が、支えていくんだ。






妻が病気で亡くなったのは、その数年後のことだった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

処理中です...