幸せな空

ベル

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「朱音が、転生するかもしれない。」


ある晩の事。
妻が突然、そう呟いた。

そして、その日を境に妻は部屋に篭ったまま、ほとんど部屋から出なくなった。


やっかいなことに、繁忙期と出張が重なり、なかなか家に帰ることが出来なくなってしまった。

妻の様子がとにかく心配だったが、仕事の関係でどうしようもなく、必死で仕事を早めに終わらせる事に集中した。


...嫌な予感がする。

ある日出張先から会社に帰る途中、頭の中に不安がよぎった。

それが何かはわからない。
ただ、自分の中で何かが妙に引っかかる。急がなければいけない。

職場には家で仕事を終わらせることを伝え、急いで家に帰った。そして、妻がいるであろう部屋に向かう。


「....っ、おい!!!!!」


そこには、絵に囲まれて幸せそうに微笑みながら倒れている妻の姿があった。




「あと、少し遅かったら危なかったかもしれません。しばらく入院が必要でしょう」


その言葉を聞いて、背筋がゾワっと震えた。

あと少し遅かったら.....



「朱音が、助けてくれたのか...?」


自分でも、どうしてその言葉を発したのかはわからない。

病室で妻の眠る姿を見た瞬間、そう呟いた自分に驚いた。

...そうか、朱音が。


「....っ、ありがとうな、朱音」


涙が溢れてくる。

あと少し遅かったら、朱音が俺に気付かせてくれなかったら...

大事な人を、2人も失うところだった。



その日を境に、仕事をしばらく休む事にした。かなり揉めたが、それも仕方がない。

優先すべきものがわかったからだ。



「わたし、絵本を出版しようと思うの」


無事退院した日の午後、妻が思い立ったようにそう言った。


「絵本...?」


「そう、絵本。朱音が書いた絵を、物語にするの。前からずっと、朱音の絵をみんなに見てもらいたいと思っていたけれど、どう公表すれば良いのか分からなくって、ずっと秘めていたんだど...」


妻の目は、きらきらと輝いていた。


「朱音が転生するかもしれないって思ったら、もうじっとはしていられない。わたし、出版社に話に行ってくる!」


こんなにも、輝いている妻を見たのはいつ以来だろう。
そう思うと、胸がじんわりと熱くなった。これもきっと、朱音のお陰だろう。


「あと...」


ふと、俺に目を向けたかと思うと、恥ずかしそうに俯きながら、ぼそっと言った言葉に、嬉しさと愛しさが込み上げてきて、思わず抱きしめた。



「あなたがずっと側で支えてくれたから、今もこうして生きてこられたの。今まで言葉にしなくてごめんなさい。...ありがとう」




***********



「あなたー!これ、プレゼント」



妻の体調もすっかり回復し、仕事に復帰し、再び仕事に追われるようになったある日の事。


仕事から帰り、息をついた俺に、妻が嬉しそうに駆け寄ってきた。


手には、とても高そうなカメラを抱えている。


「どうしたんだ、これは...」


「あなた、写真撮るのが昔から好きでしょう?無事に絵本も出版できて、今日初めてお給料をいただけたの。朱音とわたしから、あなたへの感謝の気持ち」


機械音痴な妻が、こんな良いカメラを買ってくれるなんて。きっと、家電量販店で一生懸命に探してくれたのだろう。


その気持ちが嬉しかった。


「...ありがとう、大事にするよ」


「え?あなた、泣いてるの...?!」


「....っ、はは、そんな訳ないだろう」



幸せだった。


出会った頃の君は、家族のことでとても傷つき、繊細で、今にも壊れてしまいそうなくらい儚かった。


最初は、旅館の一人娘とするはずだったお見合い。

将来は親同士が決めた相手と結婚するものだと、恋愛結婚は諦めていたし、興味がなかったはずなのに。


一瞬で心を奪われた。

結局、お見合い相手の娘にも相手がいたと知ったのだけれど。

君と結婚できて、俺は幸せ者だ。

最初は、俺の家族のことで色んなことを我慢させたと思う。それでも変わらず健気に支えてくれた。

朱音が生まれた時は本当に幸せだったし、朱音が亡くなってからはとてつもなく辛かった。

妻を支えていかなくては。

君が、俺を今まで支えてくれたのと同じくらいに...いや、それ以上に。


俺が、支えていくんだ。






妻が病気で亡くなったのは、その数年後のことだった。


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