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探偵に趣味はない
探偵に趣味はない 第十四話
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美夜古との接触を終えた後、理人と合流した。理人はもう、黒髪をしっかりと整え、グレーのトレンチコートに身を包んでいた。靴も磨かれている。
「体調は万全のようですね。ただ、病み上がりですから無理だけはしないように」
「ご心配をおかけしました。もう万全に働けますよ」
入院する前よりも、心なしかすっきりしているようにも見えるのは、過去を受け入れられるか気掛かりで、ずっと水樹に言えずにいたのを、トラブルがあったからとはいえ知られたからだろう。そして、それを水樹が、突っぱねることも、深刻過ぎる受け止め方もしていないのが、分かるからだ。と、水樹は推察する。
「ルイ・ナカムラの調査について、歩きながら簡単にお伝えしますね」
水樹と理人が並んで歩き、陽希がポケットに手を入れて、少し後ろを歩く。靴を通して、床の硬いカーペットの感触が伝わってくる。伝えようか迷ったけれど、ついさっき会った、美夜古の話も聞かせた。
「理人に訊くのも酷かもしれませんが……美夜古さんの気持ちとしてはどうでしょう」
「そんなに気を遣わずとも。私ほど彼女の気持ちに漸近できるのは、この探偵事務所では私しかいない」
理人の磨かれた足が、ぴたりと止まる。また苦しみだしてしまうかと、一瞬だけ身構えたが、それもほんの一瞬だった。理人の表情は凛としたままだった。ただ、言葉を選んでいるだけのようだ。
陽希もはらはらした様子で見詰めていたが、理人はそれに気づいて、ふわっと花が綻ぶような笑みを見せた。
「平気ですよ。ただ、言葉をまとめていただけ」
それからすっと天井を見上げ、静かに長く息を吐いた後、理人は言葉を続けた。
「――症状は千差万別なので、一概には言えませんが、私自身は、『あの』過去については、様々な思いが去来するのです。『私が誘ったのではないのか?』『あの時に誰かが助けてくれてさえいれば』『私に話を聞いてくれてさえいれば』『私が自ら隠したんじゃないか、気づかれるわけがない』『他人に察してくれというのも無理な話じゃないか』『あんなこと、他人に言えたものじゃない』『子供のお遊びだった』『あの程度のことでいつまでも立ち直れないのはおかしい』など。だから、苦しくなってしまう、思い出したくない。でも……」
胸に手を当て、理人は瞼を閉じた。
「誰かに聞いていただきたい。そういう矛盾した思いです」
「なるほど……僕が知ってしまったのは不可抗力というか、仕方ないことですが……僕は探偵です。他言しませんから安心してください」
「勿論、私は水樹のことは信じていますよ」
当然のことを言っただけの水樹にも、理人は口元を隠し、肩を揺らして笑ってくれた。
「慌てなくて良いです。僕は理人の傍にいます。また話したいことがあったらいつでも言ってくださいね」
「ありがとうございます」
***
水樹たちは、勝彦の別荘を目指した。元気になった理人が進んで車を出してくれた。
だいたい、病院から二時間は走っただろうか。途中、サービスエリアに寄って、マルゲリータを三人で食べ、ルイ・ナカムラに何も関係のない話をした。
そうして辿り着いた勝彦の別荘だが、まず大きな門があった。しかし、其処は陽希がピッキングで、とっとと開けてしまった。続いて大きな庭があり、塀に囲まれていて、そしてやはり灰色のベンチがあった。車は、その傍に停車した。
山奥だからか木々は多いが、三月の庭には、まだ花などはない。ただ枝先に蕾らしきものはあった。
庭の奥にあるのが、別荘の建物である。色は灰色で、屋根には大きな煙突が二つあり、窓は四角く小さくて、正面に玄関があって、その扉も灰色だった。陽希がシャムネコのように背中を丸め、他の二人より前に出る。そのまま小さく扉の前に屈んで、その扉の鍵をピッキングで開けて、中に入った。
ドアを開けた瞬間に、蜘蛛の巣だらけになっていることも想定した。しかし、そうはなっていなかった。建物の中には、勿論多少の黴臭さはあったものの、充分にすぐ泊まれそうな雰囲気すらあった。
「此処の管理人は、もう長いこと開けていないと仰っていたのですがね」
水樹は含みのある言い方で、自分の考えを表現した。靴を脱がないまま三人で中に入っていく。
部屋はいくつもあった。最初に開けた扉の向こうでは、まず埃っぽい臭いが鼻についた。出入り口や、廊下の、少しさっぱりしていた感じとは違う。ここは管理人の言う通り、放置されたままだったようだ。窓を開けると、カーテンが風で揺らめいた。部屋の中を見回してみたが、特に変わったところはないようだ。机の上に置かれた本だけが異彩を放っている。どうやら日記らしい。開いてみると、中には細かい文字がびっしりと書かれていた。日付はなく、ただひたすらに書き連ねられた文章が続いている。
裏表紙に、やはり小さな字で、「みやこ」と書かれていた。
「やっぱり、美夜古ちゃんは此処に来てたんだねぇ」
陽希は、そのノートを両手で持ち、眉間に皺を寄せて、じっと眺めた。理人はそれを更に後ろからじっと見て、そして目を伏せ、瞼を閉じた。
「体調は万全のようですね。ただ、病み上がりですから無理だけはしないように」
「ご心配をおかけしました。もう万全に働けますよ」
入院する前よりも、心なしかすっきりしているようにも見えるのは、過去を受け入れられるか気掛かりで、ずっと水樹に言えずにいたのを、トラブルがあったからとはいえ知られたからだろう。そして、それを水樹が、突っぱねることも、深刻過ぎる受け止め方もしていないのが、分かるからだ。と、水樹は推察する。
「ルイ・ナカムラの調査について、歩きながら簡単にお伝えしますね」
水樹と理人が並んで歩き、陽希がポケットに手を入れて、少し後ろを歩く。靴を通して、床の硬いカーペットの感触が伝わってくる。伝えようか迷ったけれど、ついさっき会った、美夜古の話も聞かせた。
「理人に訊くのも酷かもしれませんが……美夜古さんの気持ちとしてはどうでしょう」
「そんなに気を遣わずとも。私ほど彼女の気持ちに漸近できるのは、この探偵事務所では私しかいない」
理人の磨かれた足が、ぴたりと止まる。また苦しみだしてしまうかと、一瞬だけ身構えたが、それもほんの一瞬だった。理人の表情は凛としたままだった。ただ、言葉を選んでいるだけのようだ。
陽希もはらはらした様子で見詰めていたが、理人はそれに気づいて、ふわっと花が綻ぶような笑みを見せた。
「平気ですよ。ただ、言葉をまとめていただけ」
それからすっと天井を見上げ、静かに長く息を吐いた後、理人は言葉を続けた。
「――症状は千差万別なので、一概には言えませんが、私自身は、『あの』過去については、様々な思いが去来するのです。『私が誘ったのではないのか?』『あの時に誰かが助けてくれてさえいれば』『私に話を聞いてくれてさえいれば』『私が自ら隠したんじゃないか、気づかれるわけがない』『他人に察してくれというのも無理な話じゃないか』『あんなこと、他人に言えたものじゃない』『子供のお遊びだった』『あの程度のことでいつまでも立ち直れないのはおかしい』など。だから、苦しくなってしまう、思い出したくない。でも……」
胸に手を当て、理人は瞼を閉じた。
「誰かに聞いていただきたい。そういう矛盾した思いです」
「なるほど……僕が知ってしまったのは不可抗力というか、仕方ないことですが……僕は探偵です。他言しませんから安心してください」
「勿論、私は水樹のことは信じていますよ」
当然のことを言っただけの水樹にも、理人は口元を隠し、肩を揺らして笑ってくれた。
「慌てなくて良いです。僕は理人の傍にいます。また話したいことがあったらいつでも言ってくださいね」
「ありがとうございます」
***
水樹たちは、勝彦の別荘を目指した。元気になった理人が進んで車を出してくれた。
だいたい、病院から二時間は走っただろうか。途中、サービスエリアに寄って、マルゲリータを三人で食べ、ルイ・ナカムラに何も関係のない話をした。
そうして辿り着いた勝彦の別荘だが、まず大きな門があった。しかし、其処は陽希がピッキングで、とっとと開けてしまった。続いて大きな庭があり、塀に囲まれていて、そしてやはり灰色のベンチがあった。車は、その傍に停車した。
山奥だからか木々は多いが、三月の庭には、まだ花などはない。ただ枝先に蕾らしきものはあった。
庭の奥にあるのが、別荘の建物である。色は灰色で、屋根には大きな煙突が二つあり、窓は四角く小さくて、正面に玄関があって、その扉も灰色だった。陽希がシャムネコのように背中を丸め、他の二人より前に出る。そのまま小さく扉の前に屈んで、その扉の鍵をピッキングで開けて、中に入った。
ドアを開けた瞬間に、蜘蛛の巣だらけになっていることも想定した。しかし、そうはなっていなかった。建物の中には、勿論多少の黴臭さはあったものの、充分にすぐ泊まれそうな雰囲気すらあった。
「此処の管理人は、もう長いこと開けていないと仰っていたのですがね」
水樹は含みのある言い方で、自分の考えを表現した。靴を脱がないまま三人で中に入っていく。
部屋はいくつもあった。最初に開けた扉の向こうでは、まず埃っぽい臭いが鼻についた。出入り口や、廊下の、少しさっぱりしていた感じとは違う。ここは管理人の言う通り、放置されたままだったようだ。窓を開けると、カーテンが風で揺らめいた。部屋の中を見回してみたが、特に変わったところはないようだ。机の上に置かれた本だけが異彩を放っている。どうやら日記らしい。開いてみると、中には細かい文字がびっしりと書かれていた。日付はなく、ただひたすらに書き連ねられた文章が続いている。
裏表紙に、やはり小さな字で、「みやこ」と書かれていた。
「やっぱり、美夜古ちゃんは此処に来てたんだねぇ」
陽希は、そのノートを両手で持ち、眉間に皺を寄せて、じっと眺めた。理人はそれを更に後ろからじっと見て、そして目を伏せ、瞼を閉じた。
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