探偵たちに未来はない

探偵とホットケーキ

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Prologue 探偵に依頼はない

Prologue 探偵に依頼はない 第二話

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一週間前に黒谷柚子が被害者に会う約束をしていたと聞いたとき、理人は何か引っかかった。なので、其処から柚子に詳細を問いただした。彼女が言うのは、被害者の名前は、宮藤英嗣みやふじえいし。柚子とは、彼が勤める会社の社長の紹介で知り合ったという。そして柚子は、彼に会いに行く直前、彼の会社を訪ねていた。そのとき、社長から、彼は柚子には隠し事をしているようだったと聞かされた。
柚子によると、柚子の仕事は、アパレル関係である。だから、柚子自身もファッションが好きで、よくファッション雑誌を読むし、服も買うそうだ。柚子は、最近までとあるブランドの専属モデルを務めていた。柚子は元々、モデルではなく、ファッションデザイナーになりたかった。けれど親は猛反対していて、それならばいっそ他の道を選ぶことにしたのだという。しかし、ファッデザイナーの夢は、まだ諦めきれていないのだそうだ。彼女は、自分の作った服を着ている人をもっと見たいと社長に熱弁。その後、柚子は、英嗣に会う時間だと気づき、社長と別れて待ち合わせ場所に向かったが、英嗣が来なかったため、彼の家へ向かった。
「そして、其処は全て施錠されており、窓が閉まっているにもかかわらず、英嗣さんは亡くなっていた――と」
「ええ、私が大家さんに頼んでドアを開けるまで、其処は密室でした。英嗣さんは毒ガスで亡くなったそうですが、窓も閉まっていたし、どこから発生したのか分かりません」
「失礼ですが、黒谷さんと被害者の関係は、どのようなものでしたか?」
「英嗣さんは、私の上司です」
「職場恋愛ということですか?」
「まさか! 違います」
理人は、柚子が激しく首を左右に振る理由を頭の中で整理するため、わずかな沈黙を置いた。この反応は、職場恋愛だったと見ていいだろう。
「黒谷さん、貴女は、この密室殺人のトリックを解き、真犯人を検挙することを望んでいますか?」
「はい」
「では、私たちは、私たちなりにこの事件の解決に全力を尽くします」

***

「――以上です」
理人は、三人目の探偵に報告を終える。二〇二四年一月二十六日、雪は止んだ。つまり二十五日は事務所に来ることすらなかった怠惰な三人目の探偵は、今、ソファにだらしなく横になり、マーマレードジャムの色の髪に寝癖を携えてスマートフォンを操作しながら、その報告を受けたのだった。彼の名前は、光岡陽希みつおかはるき。右耳に三つのピアスを着けた、シャムネコのような青年。ここにいる三人とも同じ二十五歳の探偵である。
「理人ちゃん、お疲れぇ。報告サンキュー」
理人は、はい、と小さく返事をして苦笑した。すると理人の向かいに座っている水樹が口を開いた。
「それで、どうする? これから」
テーブルに手を着き、両方の手の指を組んで、其処に顎を乗せる水樹を見もせず、陽希が答える。
「ああ……そうだねぇ、まあ、一応、現場に行ってみる? あー、でも雪積もってるし、面倒くせぇからやめとくか」
「そう言う訳にもいかない。あんまりふざけるなよ、陽希。折角の依頼なんだ、これを逃したらまた閑古鳥だ」
「だって水樹ちゃん行けねぇじゃん」
水樹は、少々足が悪く、杖がないと歩くことは難しい。雪道は危険だ。そこで、理人は溜息をついて二人の間に割って入った。
「私が行きます」
「えっ」
理人は、グレーのジャケットを着て立ち上がり、戸棚からチェスターフィールドコートを出して羽織った。
「ちょっと行ってきますね」
「待てって、俺も行く」
「ふふ。夜には戻りますから、陽希さんは残っていてください。私は大丈夫です。そんなに心配なさらなくても」
「だって……」
「陽希は、やたらと理人には甘いんですね」
水樹の尖った声が飛ぶ。
「理人ちゃんはいい子だから。理人ちゃんの方が優秀だし。水樹ちゃん、僻み?」
「そういうことを言ってるんじゃない!」
理人は二人のやり取りを眺めて微笑んでいたが、いよいよ背を向けて外に出ようとした。
「ちょい待ち」
「はい?」
理人は振り向いた。陽希はソファから立ち上がり、自分のバッグの中から財布を取り出して、中から札束を一つ出した。
「これでタクシー呼んで、行っておいで。気を付けてね、理人ちゃん」
陽希はいつものようにへらりと笑った。
「本当、優しいんですね」
「じゃ、よろしく。行ってらっしゃーい」
陽希がひらひらと手を振るのを横目に見て、理人は事務所を出た。

***

宮藤英嗣のマンション、つまり、彼が死んだ自室があるところだ。理人はその部屋を、先ずマンションの入り口から見あげた。三階とのことである。マンションの周りは昨日の雪で濡れ、そうでない部分は凍り、白っぽい外装を余計に寒々しく見せている。
理人は入り口の自動ドアを通って、エントランスホールに入った。比較的高級なマンションと事前に聞いていたが、想像していたより、やや古びていて質素だ。理人は誰ともすれ違うことなくエレベーターに乗って三階に上がり、英嗣の部屋の前まで来た。チャイムを鳴らすと、インターホン越しに柚子の声が聞こえてきた。
「『探偵社アネモネ』です」
理人が声を投げると、柚子はドアを開けてくれた。今日も、かなりくたびれて見える。恋人を亡くした焦燥か、はたまた。
事件が発覚したのは、もう一か月も前だと言う。ほとんどのものは、警察が調べた後だろう。それでも柚子には、捜査情報をくれるかもしれないという望みもあった。そしてそれは叶ったようだ。理人は柚子に勧められるままソファに座った。
お茶を出してくれるというので、それを待つ間、マンションの室内を見渡してみる。内装は、全体的に落ち着いた色合いだ。白や木目調を基調とした家具が多く、清潔感のある印象を与える。
此処で、英嗣は毒ガスで亡くなった。密室だったにも関わらず。
暫くすると、湯気の立つ白いマグカップを持って柚子が戻ってきた。柚子の目の下の隈は濃かった。昨日も眠れなかったのだろうか。理人は実に丁寧に礼を言って、出された温かい緑茶を一口飲んだ。
余りの焦燥ぶりに心が痛むが、理人がここにやって来た理由は一つだ。この事件を解決すること。それが柚子のためにもなる。
「突然の依頼にも関わらず、請けてくださってありがとうございます。他では断られてしまって……そんなに、報酬も支払えませんし。こんなに優しく請けていただけるなんて」
理人は、まず柚子の心を解すべきと考えた。女性と話すのは得意だ。顔を上げて、質問を投げる。
「あなたは、水樹を見て、どのように感じますか? 彼は、事件の背後には、必ず依頼人が抱えている悩みや問題がいくつも存在しているため、それらに焦点を当てることで事件解決に繋がると信じている」
 柚子は白いマグカップで手を温めながら、俯いて、黙って話を聞いてくれている。
「水樹は、単に犯人を捕まえるだけではなく、事件のアウトラインを示すことに情熱を注ぎます。また、依頼人の気持も置き去りにはしません。人情味のある対応で信頼関係を築くことで、依頼人にとって最善の解決策を提案します。また、彼は自分の推理が正しいと妄信せず、関係者や他の探偵の考えも必ず聞いて、尊重します。真実に辿り着くことは一人では不可能であり、仲間の情報と連携が必要だと確信しているからです。口に出して信念を押し付けはしませんが、依頼にしっかりと向き合うことで問題解決に向けて尽力しますから、それが伝わるはずです」
そこで、理人は「ちょっぴりツンデレかもしれませんがね、其処も愛らしいでしょう?」とユーモアを付け加えて、言葉を続ける。
「実は依頼された調査に全力で取り組み、自分のやり方や信念を曲げることない、誠実な探偵です。私は水樹を尊敬しています。ですから、御安心ください。私たちが必ず事件を解決します」
「ありがとうございます、ありがとう……」
 理人は柚子が落ち着くまで背中を撫でてから、こう告げた。
「英嗣さんの亡くなっていた場所を見せていただけますか」
「勿論」
柚子は二つ返事で承諾してくれた。
其処は、キッチンであった。いたって普通の、システムキッチンだ。流し台もコンロも換気扇も綺麗なまま。食器棚も中身はそのままだ。理人は辺りを見回しながら、柚子に訊いた。
そういえば英嗣さんって料理はお上手だったのですか? と理人が首を傾げると、どうなんでしょうね。私は食べたことがないから分からない、というようなことを、柚子は答えた。彼が死してなお、職場恋愛を隠すあたり、彼の立場を考えられる奥ゆかしい女性である。
此処の床に、彼は仰向けになって亡くなっていたらしい。理人がほかにも見て回ろうとした時、チャイムが鳴った。インターフォンに、水樹と陽希が映っている。
「おや、二人とも……」
「やっぱり、来ちゃいました。理人が真面目に働いているか、監督したくて。だって、僕たち、三人で『アネモネ』なんですから。ね?」
水樹はまだ問うてもいないのに、べらべら喋る。心配だったくせに、素直ではない。
「はい、お茶とお菓子」
遊びに来たというわけでもないのに、陽希は茶葉の缶と菓子を持っている。依頼人の柚子が引いているくらいだった。

***

「よく、此方へ来られましたね」
 理人は水樹に声をかけた。何だかんだ言いながら、陽希が親切に介助したのだろう。
「雪が少し融けましたし。一度は自分の目で現場を見ておきたかったですから」
「嬉しかったですよ。心細かったので。私のことが気がかりで来てくださったのでしょう?」
 理人が素直に言うと、水樹は目を逸らす。全く、照れ屋さんだなぁ、と思わず笑みを零してしまった。
「へえ、ここが事件現場かぁ」
 陽希はピーコートのポケットに手を突っ込んだ状態で首を伸ばし、室内を観察した。水樹が、換気扇に目をやる。
「このマンションは変わった作りですよね。換気扇が、隣の部屋のベランダを向いているんですよ。隣室の住人が蛍族なら、たまったものじゃない」
 水樹は煙草を嫌う。そのため何となく、理人も陽希も吸わない。陽希にいたっては、恐らく、そんな苦いものより、甘いお菓子の方が好きだ。
 水樹は換気扇に近寄って行って、顔を寄せた。背伸びをしたり、下から覗き込んだりを繰り返し、その後、スイッチの部分を指さした。
「何か、取り付けられています」
 理人も近づき、後ろ手を組んだまま其方を見やる。
「これは……タイマー、でしょうか」
 水樹はスイッチとタイマーの間に再び顔を近づけてから、理人と視線を合わせた。
「タイマーで間違いなさそうです。このスイッチと連動して、換気扇が作動するようになっています。毒ガスを供給する機械を、この換気扇に着けて、タイマーを動かせば、換気扇が自動的に、被害者のところへ毒ガスを運んでくれるというわけか。考えましたね」
「と、なると、犯人は、このマンションの住人……でしょうか」
「早速、聞き込みに行ってみよー!」
陽希が元気いっぱいに宣言したのに合わせて、水樹と理人も頷き、三人でひと先ず英嗣の部屋を後にした。
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