探偵たちに時間はない

探偵とホットケーキ

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第3章

第1話

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水樹が困っている一つは、階段を走って上れないことだ。こういう時は、顔だけではなく、体もシャムネコのように俊敏な陽希が、真っ先に飛び出して行ってくれる。理人は、水樹の傍に常について、万が一の危険に備えるという流れが出来ている。
水樹が追いかけて、ようやく明美子の泊まっている部屋に辿り着いたところで、陽希の姿は既になく、綺羽が尻もちをついて口元を押さえていた。陽希が、その背を摩って励ましている。
部屋に飛び込んでみると、其処に、明美子がいた。明美子は両手、両足を開いた状態で、縄で天井と壁に縛り付けられていた。真っ赤に口紅を塗った口と目は開いたまま、床の辺りをじっと見ており、胸から血が流れている。そして、丁度その視線がある方向の床に海を作り、今もぽたぽたと補充している。
水樹は杖を構えた。咄嗟に、まだこの部屋の中に、明美子をこんなにした犯人が潜んでいる可能性について思い至ったからだ。耳を澄まし、水音が聴こえることに気づく。
「水樹ちゃん。危ないから下がってて」
陽希が水樹の前に立ってファイティングポーズを取る。綺羽の傍には、理人がいる。彼は過去のことがあり、女性の背中を撫でたりはしないが、近くに屈んで話を聞いているようだ。
水樹は小さくため息を吐いた。
「お前こそ危険ですから無理しないでください。水が流れる音がしますね」
「キッチン……はないみたいだから、お風呂かなぁ」
陽希がまさにネコのように足音を忍ばせて歩いて、客室の奥へ進むのに歩幅を合わせて、水樹もついていく。
浴室が見えた瞬間、陽希の足が突然、びくっと止まった。水樹も、彼の腕の間から、浴室を覗き込む。そしてすぐ、陽希が足を止めた理由を理解した。
浴室は、血だらけになっていた。壁、床、天井、シャワーヘッド、鏡と血が飛び、こびりついている。浴槽に、全裸の男が一人、倒れている。縁から両手と両足が出て、すっぽり嵌ったような体勢だ。
廣二だ。俯いて動かないが、明らかにこと切れている。
更に目を眇めて見ると、電気のコードが、洗面台から浴室、浴槽の中まで繋がっているのが分かる。何らかの電化製品が、たっぷりのお湯が張られた浴槽に放り込まれて、其処に入っていた廣二が感電死したのだろう。下手に近づかないで正解だ、と水樹は腕組みしながら思った。
しかし、不思議なことがいくつかあった。
「この血液は誰のものでしょうか? 見たところ、廣二さんの体には傷がないようです。それに、此処は明美子さんが泊まるはずの部屋の浴室です。何故、その風呂に廣二さんが入っているのか?」
 水樹が、ぽつぽつと述べた疑問に、陽希も重ねる。
「それに、見て。湯気が立っていない……」
屈んだ彼が、そう呟いた時、後から追いかけて来た一条と三千が、小さく悲鳴を上げる。
「こ、こ、これは一体……」
元から常に怯えたような態度である三千は、体を縮こまらせて真っ青になり、言葉を失っているが、一条はすぐにショックから回復したらしく、太い腕を組んで浴室を覗き込んだ。
「これは、この隆廣二って男が、あの女探偵を殺して磔にした後に血を洗い流そうとして、焦ってドライヤーを浴槽に落としちまった。そう言うことだろうな」
「流石は元警察官、落ち着いていらっしゃる」
水樹が彼の腕の横から顔を出すと、一条はあからさまに舌打ちして離れた。
「アンタは元犯罪者だろうが」
そう言うだけ言って、浴室を出てしまう。やっと少し落ち着きを取り戻した三千が、言葉の続きを引き取った。
「……あ、で、でも、確かに……そ、その可能性は高いでしょうね。廣二さんの、明美子さんへの情熱は、相当なものでしたから……や、いや、ということは、わ……私が明美子さんの経済事情を教えたせいで……失望して、殺してしまった……?」
「いいえ」
瞬きすら忘れて自分を責め始めた三千の言葉と、恐らくは思考そのものも、オーボエのような優しい声が包んで遮る。理人が、いつもと何ら変わらない笑顔で立っていた。
「田園さんは、あくまで事実を伝えただけです。事実は、いずれ、別のことから隆さんのお耳に入ったかもしれませんし。最終的には、どんな状況であれ、人を殺める人が一番悪いのですよ」
理人の穏やかな指摘に、三千も落ち着いたように見える。こうやって、空気を読むのが上手い理人に任せておくと、交渉などもスムーズに進んで良いと、所長である水樹は思う。
「……あの。すみません」
かなり遅れて浴室にやって来た旭が、小さく右手を挙げて口を開いた。
「……もうそろそろ時間です。現在時刻、十六時四十分。明美子さんが生前に仰った推理……確かめに行きませんか」
「未だミステリー会なんて続けるつもりだったのか」
 尖った声を出したのは一条だ。目も三角になっている。
「人が二人も死んでるんだぞ。時計職人が遺した遺産なんてどうでも良いだろうが、どれだけ金に目がくらんでるんだ」
水樹は思わず間に入り、まぁまぁ、と手を上下にやって制した。
いつの間にか、水樹の傍に来て胸の前で手を組んだままじっとしていた綺羽が、それでもまだ声は震わせながら、言葉を絞り出した。
「……それで、どうなさるのですか? 日時計のところへ行かれるのならば、同行いたします」
「何か、殺人犯に繋がるヒントがあるかもしれないしなぁ。俺は行くよ」
陽希の明るい声が救いとなって、皆も目を見合わせ、頷いた。
***
そうして、全員、件の日時計の前に集まった。
明美子から提案のあった時刻まで、あと三秒――二秒、一秒。水樹の背から、今まさに、暮れていく大きな、橙と紫を合わせたような日が、やがて、巨大な白い文字盤に、その時を照らし出した。
「っ、これって……」
その場に集まった皆が、同時に、ハッと息を呑むのが分かった。
絶妙に光が重なり合い、文字盤に表示されたのは、葉っぱとシダの絵であった。
「この模様は……? 植物……でしょうか」
水樹が眼鏡を中指で持ち上げながら呟くと、理人が更に小さく「あっ」と声を上げて、文字盤を指さした。
「新しい文字が出てきました」

Head to the botanical garden and look for the "correct scale"

文字盤には確かに、そう表示されていた。そして、その下に何故か、いくつかの音譜が描かれている。

「明美子さんは、未だ影が出る前の段階でこの文字盤を見ただけで、頭の中でどのような文字が表示されるか、組み立てて推測したということですか……その才能、認めざるを得ないですね」
余りにレベルの高い推理力に、水樹は思わず肩を竦めて、ため息を吐いた。綺羽が、胸元に手をやった状態のまま、静かに頷いた。
「植物園ならば確かに、当屋敷内にございます。御案内します」
「お願いします」
水樹がはっきりと言葉を返すと、綺羽を先頭に、皆がぞろぞろとそれについて歩き出す。水樹は、歩きながら理人の肩を掴んだ。そして、彼の耳に口を寄せる。
「ただ、一つだけ分かったことがあります」
「分かったこと、とは?」
理人が首を傾げる。事情を何も聞く前から声を潜める辺り、流石、勘所を理解している。理人とは長く仕事を一緒にやってきて、信頼できる仲だ。
「明美子さんを殺害した犯人は、遺産である時計を目当てにはしていない」
水樹が耳元で囁くと、理人は根拠を聞きたそうに目を向けてくる。なので、更に理人の耳元に口元をくっつけるレベルで、続きを話した。
「この屋敷に残された時計が狙いで、素晴らしい推理力の持ち主である明美子さんを消したのであれば、参加者のうちの全員を殺害しなければ意味がない。既に、この日時計の答えまでは全員が聞いてしまっています。殺害の対象が多いのは事実ですが、人一人が突然、全力で暴れれば殺せない人数ではありませんからね。そうしないということは……矢張り犯人は、廣二さんとしか考えられない」
「それは確かにそうだけどさぁ、水樹ちゃん」
水樹と理人の間に、陽希が急ににゅっと顔を出して来たので、水樹は「ギャッ」と気勢を上げてしまった。
「いきなり顔と口を出して来ないでください」
「まあまあ、落ち着けって。良いか? 明美子ちゃんを殺した犯人は、あんな風に明美子ちゃんを磔にしてるんだ。酷いなぁと思うけど、それ以上に、あんなことをするだけの余裕があったとも考えられる。時間的にも、精神的にも」
理人が、「なるほど」と、相変わらず潜めたままの声で同意と補足を始める。
「つまり、拷問を掛ける余裕もあった……明美子さんを殺害する前に、拷問をかけて、今後の推理に有利な情報を引き出した可能性もありますね」
「あくまで『有利な情報を手に入れた』というだけだから、もしも犯人が時計を目当てにライバルを消しているなら真相にはたどり着けない。未だ事件は続くかもね」
「気を付けてくださいね、水樹」
「……理人と陽希も。今日は念のため、全員同室に集まって眠ることにしましょう」
此処で一旦、植物園に向かうため、三人とも口を鎖した。
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