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第二章 小さくなるストライド
小さくなるストライド (14)
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雨は強さを増し、二人で一本の傘では防ぎようのないほどであった。真相手に気を遣う必要はない。俺はいつものように傘を差す。
「ちょ、ちょっと。僕も入れてくれよ」
「入りたければ入ってこい」
真はそそと肩を寄せてくる。なんとなく俺は体だけ少し横にずれる。結局半身は濡れてしまうことになりそうだ。
大通りで信号待ちをしているとき、はたと気付いた。
「そういえば、なんで俺と小沢さんが一緒にゴミゼロを周ったと知っていた」
真は涼しい顔で答える。
「なんでって、言ってたじゃないか。『今日のゴミゼロもこんなに濡れてまでやるようなことだったのかしら』的なことを。あれは一緒に周った者しか分からない共有情報だろ。まあ、蓋然的であるのは確かだけど。違うのかい?」
「いや、そうだが」
本当に記憶力が良いのだな。それだけではない。帰納的推理力と言うのか、こいつは本当に変わっている。
「でも良く分からないよ。なんで彼女は山田島に相談を持ちかけたんだい」
「俺にも分からんさ」
信号が青に変わり、俺たちは歩き出す。
「しかもなかなかヘビーな話のように思えたけれど」
「話に重力は働かない」
あまりさきほどの話をしたくなかった。あれは俺の話ではなく、小沢さんの話だからだ。しかしこいつを煙に巻くのは難しい。
真はへえ、と物珍しそうに俺を見ると、
「妙な言い回しをするじゃないか。ドク・ブラウン。よほどこの話をしたくないように見えるよ」
このようになる。結局、核心に迫られてしまうのだ。余計なはぐらかしは逆効果だ。
しかし、ドク・ブラウンとは誰だ。無知を醸す結果になるかもしれないので訊かないでおく。
諦めて簡潔に言う。
「彼女は、周りに抱かれている誤解を解きたいんだ」
「みたいだね」
チラリと見えた真の笑顔に続ける言葉が見つからない。代わりに、ではないが明るい声が耳元で響く。
「それは難しいことだよ」
俺の心中を察してくれたわけでもないだろうが、
「さっきも言ったろ。山田島の答えは間違ってない」
慰めるような台詞に少し心が軽くなる。雨の音に混じって真の声はやや小さく聞こえたが、良く聞こえる。不思議だった。
「他人に本当の自分を理解してもらう。こんなに難しいことは無いよ。各々が自分は普通だと思っているんだ。その自己基準に照らし合わせて他人を評価する。当然だけどこの世に自分とまったく同じ人間なんていやしない。結果ズレが生じる。誰が相手だってね」
俺は黙って頷く。群盲象を評す、と言うくらいである。
「自分が当たり前に思っていることでも、他人からするとそうでもない。そんなこといくらでもあるよ」
話を締めるように真は雨空を仰いで、大きく息を吐く。灰色の空の下である。空気も沈んで、会話も沈みがちになる。
「限られた狭い範囲で、篩にかけられたものが常識となる。その常識からのズレが大きければ大きいほどその人は世間から特別扱いされる。ときには排除しようとされさえするんだ。でも当の本人は理解できない。だってその人にとっては普通なんだから」
一息で言い切る。そして最後にいつも通りの悪戯な笑顔を浮かべた。
「よってどうしようもない。残念だけれど、本人の力の埒外さ」
満足気な真の横顔を見やる。
「証明終了だな」
「だね。QEDだ」
ニッと笑った顔に安心する。その後しばらく無言が続いた。嫌な無言ではない。お互いの心中が知れた不言である。
歩道にはあちこちに水たまりができ始めている。上手く避けながら歩を進める。交差点に差し掛かったところで真が口を開いた。
「ここまででいいよ」
「そうか」
答えるより早く、真は横断歩道を小走りで渡って行く。肩越しに振り返り、右手を上げる。
「サンキュー。助かったよ」
張り上げた声に俺も大声で返す。
「真!」
交差点を渡りきってしまった真は足を止めた。雨に濡れながら不思議そうにこちらを見ている。
「待っていてくれてありがとな」
一転、ニヤッとした笑顔を浮かべたのが見えた。
「なあに。僕が勝手に待っていたのさ。じゃあまた明日!」
くるりと反転。勢いよく走り去っていった。途端雨音が劈くように耳に響いた。なぜだろうか。去来する虚無感に心当たりなどなかった。
不思議だった。
「ちょ、ちょっと。僕も入れてくれよ」
「入りたければ入ってこい」
真はそそと肩を寄せてくる。なんとなく俺は体だけ少し横にずれる。結局半身は濡れてしまうことになりそうだ。
大通りで信号待ちをしているとき、はたと気付いた。
「そういえば、なんで俺と小沢さんが一緒にゴミゼロを周ったと知っていた」
真は涼しい顔で答える。
「なんでって、言ってたじゃないか。『今日のゴミゼロもこんなに濡れてまでやるようなことだったのかしら』的なことを。あれは一緒に周った者しか分からない共有情報だろ。まあ、蓋然的であるのは確かだけど。違うのかい?」
「いや、そうだが」
本当に記憶力が良いのだな。それだけではない。帰納的推理力と言うのか、こいつは本当に変わっている。
「でも良く分からないよ。なんで彼女は山田島に相談を持ちかけたんだい」
「俺にも分からんさ」
信号が青に変わり、俺たちは歩き出す。
「しかもなかなかヘビーな話のように思えたけれど」
「話に重力は働かない」
あまりさきほどの話をしたくなかった。あれは俺の話ではなく、小沢さんの話だからだ。しかしこいつを煙に巻くのは難しい。
真はへえ、と物珍しそうに俺を見ると、
「妙な言い回しをするじゃないか。ドク・ブラウン。よほどこの話をしたくないように見えるよ」
このようになる。結局、核心に迫られてしまうのだ。余計なはぐらかしは逆効果だ。
しかし、ドク・ブラウンとは誰だ。無知を醸す結果になるかもしれないので訊かないでおく。
諦めて簡潔に言う。
「彼女は、周りに抱かれている誤解を解きたいんだ」
「みたいだね」
チラリと見えた真の笑顔に続ける言葉が見つからない。代わりに、ではないが明るい声が耳元で響く。
「それは難しいことだよ」
俺の心中を察してくれたわけでもないだろうが、
「さっきも言ったろ。山田島の答えは間違ってない」
慰めるような台詞に少し心が軽くなる。雨の音に混じって真の声はやや小さく聞こえたが、良く聞こえる。不思議だった。
「他人に本当の自分を理解してもらう。こんなに難しいことは無いよ。各々が自分は普通だと思っているんだ。その自己基準に照らし合わせて他人を評価する。当然だけどこの世に自分とまったく同じ人間なんていやしない。結果ズレが生じる。誰が相手だってね」
俺は黙って頷く。群盲象を評す、と言うくらいである。
「自分が当たり前に思っていることでも、他人からするとそうでもない。そんなこといくらでもあるよ」
話を締めるように真は雨空を仰いで、大きく息を吐く。灰色の空の下である。空気も沈んで、会話も沈みがちになる。
「限られた狭い範囲で、篩にかけられたものが常識となる。その常識からのズレが大きければ大きいほどその人は世間から特別扱いされる。ときには排除しようとされさえするんだ。でも当の本人は理解できない。だってその人にとっては普通なんだから」
一息で言い切る。そして最後にいつも通りの悪戯な笑顔を浮かべた。
「よってどうしようもない。残念だけれど、本人の力の埒外さ」
満足気な真の横顔を見やる。
「証明終了だな」
「だね。QEDだ」
ニッと笑った顔に安心する。その後しばらく無言が続いた。嫌な無言ではない。お互いの心中が知れた不言である。
歩道にはあちこちに水たまりができ始めている。上手く避けながら歩を進める。交差点に差し掛かったところで真が口を開いた。
「ここまででいいよ」
「そうか」
答えるより早く、真は横断歩道を小走りで渡って行く。肩越しに振り返り、右手を上げる。
「サンキュー。助かったよ」
張り上げた声に俺も大声で返す。
「真!」
交差点を渡りきってしまった真は足を止めた。雨に濡れながら不思議そうにこちらを見ている。
「待っていてくれてありがとな」
一転、ニヤッとした笑顔を浮かべたのが見えた。
「なあに。僕が勝手に待っていたのさ。じゃあまた明日!」
くるりと反転。勢いよく走り去っていった。途端雨音が劈くように耳に響いた。なぜだろうか。去来する虚無感に心当たりなどなかった。
不思議だった。
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