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読書パーティー編
その57 風と共に現れた救世主☆
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すっかり暗くなった、ゼルトル勇者学園の夜道。
図書館から寮までは、歩いて十分ほどの距離がある。
読書パーティーの相手役だったオスカーは一足先に寮に帰ったようだ。
エリザベスは夜道に独り、取り残された。
『さっきの男はお前の彼氏か?』
誰もいない。
エリザベスはそう思い込んでいた。それなのに、外灯の陰から姿を見せた、だらしない体型の男子生徒。
濁った群青色の眼光は鋭く、獲物を狙っているヘビを連想させる。
「五十嵐さん……」
「如月、お前も今日から俺の女だ。今から俺の部屋まで来い」
アイザックのエリザベスを見る目は、奴隷を扱っているかのような、相手を見下すものだった。
エリザベスは知っている。
五十嵐家に逆らうことはできない。逆らおうとしても、結局母のような目に遭わされるだけだ。
母の表情が濁り、笑顔が失われていく様子を何年も見ていた。エリザベスが無事だったのは、今まで母が必死に守ってくれたおかげである。五十嵐家から逃げるつもりでこの学園まで来たのに、ここでも五十嵐家に全てを台無しにされてしまうのか。
彼女の中に巻き起こった感情は怒りや憎しみだけではない。
激しい自己嫌悪も含まれている。
苦しむ母を救う方法はなかったのか。どうして見て見ぬふりをしてしまったのか。たとえ無謀に終わるとしても、どうして抵抗のひとつもしようとしなかったのか。
後悔、復讐心、この現実への絶望。
自分をみだりがましい目で舐め回すように見るアイザック――そんな彼を見て、激しい感情と共に拳を握り締める。
「あたしは、あなたの思い通りにはなりません!」
オスカーからもらった勇気。
目を大きく開き、堂々と言い放つ。思い通りにはならない、と。もう決意したのだ、と。
「いいのか? お前の母親がもっと苦しむことになるだろうな」
ここで出された母親という言葉。
エリザベスの勢いが衰える。
いくら自分に覚悟ができたからといっても、母親まで巻き込んでしまうわけにはいかない。そもそも、母親はずっと守ってくれていた。恩を仇で返すわけにはいかない。
瑠璃色の瞳の中に灯っていた光が、徐々に弱まっていく。
「それでも――」
自らを奮い立たせ、言葉を続けるエリザベス。
希望はまだ、失われたわけではない。決意し、覚悟を決めれば、必ず救われる。彼女は固く信じていた。
「――あたしは五十嵐家に使われるだけの奴隷じゃない!」
言い切った。
握った拳は小刻みに震え、首には汗が伝っている。
そんな彼女の向かいに立つアイザックは。
心底失望したような表情で、奴隷を見つめていた。
「素直じゃない奴には調教がいる。俺に反抗したこと、一生後悔させてやる」
大股でエリザベスに接近し、乱暴に肩を掴む。
無力な少女の叫び声が、無人の夜道に響き渡った。この悲鳴は寮や本館には届かない。教師も、知ることはない。
突き飛ばそうと腕に力を込めるが、アイザックは体が重く、びくともしない。殴ろうが、蹴ろうが、多くの脂肪と僅かな筋肉に守られているアイザックには通用しない。
「お前が俺に逆らうからだろ」
だらしなく頬を緩めるアイザックの手は、柔らかく豊満な胸に伸びていた。
「やめて! 離して!」
これまでの人生にないほど、声を張り上げるエリザベス。誰かが助けに来てくれるなんて、期待していない。
だが、あの人が助けに来てくれることは、確信している。
夜風が変わった。
少し前まで無風に近かったはずだが、エリザベスを避け、アイザックのみを狙うかのように、強風が吹きつける。
「――あ? んだよこの風!」
苛立ちが募るアイザックだが、その文句はほとんどが風に相殺された。
『今宵は風が強い』
どこからともなく、声が聞こえる。
風に乗り、東西南北、ありとあらゆる方角へ声が渡っていた。
ついさっき耳にしたばかりの声に、エリザベスが顔を輝かせる。不安が晴れ、強い意志が戻った。もう怖いものはない。だが、その根拠はない。
どうして西園寺オスカーが近くにいると安心するのだろうか。
その答えはわからずとも、エリザベスはオスカーに自分の未来を一時的に託した。決意を固めた彼女は、救世主によって救われる。
「エリザベスに手を出そうなど、愚かな男だ」
風が一瞬にして静まった。
無風。
先ほどと正反対の状況が訪れ、さらなる混乱を見せるアイザック。千切れそうになるほど首を左右させ、声の主を見つけようと必死になっている。
「俺はここだ」
刹那だった。
オスカーの存在に気づいたのは。
エリザベスを守るようにして、彼女の前に立っているオスカー。何時間も前からそこに存在していたかのような、平然とした表情。彼の登場に合わせ、風がふわっと舞う。
「どっ――どうやってそこに――!?」
「エリザベスが助けを求めていた。彼女が決意をしたのなら、俺は彼女がどこにいようと駆けつけ、どんな敵からも守る」
アイザックは歯を食いしばった。
これまで、何かが思い通りにいかず苦労したことはない。少し前に、男子生徒三人から邪魔された以来だ。
その男子生徒三人とは――生徒会の白竜アレクサンダーと九条ガブリエル。そして、西園寺オスカー。
あの時はただの脅しのつもりだったが、今回、絶対にオスカーのことを退学にさせようと決めた。邪魔をする者はこの学園に必要ない。
「何もできないくせに。生徒会に頼っても無駄だ。教師に告げ口しても相手にされない。俺に暴力を振ろうものなら、それこそ親父が黙ってない」
「いつまでも親の力に頼りきりか。無様だな」
オスカーが天を仰ぐ。
それはアイザックへの呆れを表現していた。
「オスカーくん……」
一方、救世主の背中を見つめるエリザベスの瞳はきらきらと輝いている。
彼とは図書館だけでの付き合いだ。
図書館以外の場所で顔を合わせることはない。
だが、本好きである自分以上に読書をするオスカーに、日々心を奪われていく。無論、少し前まで、その感情には気づかなかった。
オスカーを異性として意識したのはいつからだろうか。
クルリンをオスカーの彼女と誤解してしまった後からかもしれない。手を差し伸べてやる――そう言われた時からかもしれない。
それとも、もっと前からなのか。
恋というのは、単に胸の高鳴りから来るものではない。
自分にはこの人しかいない。この人なら、自分のことを優しく受け入れ、包み込んでくれる。絶対的な信頼と、安心感。
恋……愛……。
どちらも似ているようで、何かが違う。
「ヒーロー気取ってんじゃねーよ!」
アイザックの罵声は雑音だ。
オスカーの耳にも、エリザベスの耳にも入ってこない。
「仮に俺が今からお前を殴ったとしよう。そしたら、俺はどうなる?」
一歩。
アイザックの方に足を踏み出し、オスカーが問う。
「たっ、退学に決まってんだろ! わかりきったこと言うなよ!」
何かを恐れているのか、アイザックがオスカーとの距離を保つかのように後退りする。ビビっている姿は、エリザベスからすれば滑稽だった。
少し前まで調子づいていたのに、オスカーの実力に恐怖を感じて縮こまっている。そこに魅力などない。
「そうか。退学、か……殴っただけで退学になるとは、勇者学園も腐ったものだな」
オスカーの発言の余韻。
響きが完全に消えてしまう前に、事態が急変した。
常人には反応できない速度で腕を引いたかと思うと、正確にアイザックの丸い腹を拳で殴る。振動がアイザックの体全体に伝わり、吸収できなくなった。
その波動は周囲に広がる。
何の防御もなしに不意打ちを食らった五十嵐は、たった今何が起こっているのかさっぱり理解できていない。
気づけば、後ろに吹き飛び、地面に転がっていた。
大量の吐血と、骨の負傷による激痛。あまりの苦しみにもがく。
オスカーは神能〈魂の拳〉など使っていなかった。ただの、純粋な拳に、アイザックは屈したのだ。
「殺して……やる……」
憎しみは覚えていた。
その対象は西園寺オスカー。
(絶対に、殺す。親父の力で、あいつを潰してやる)
痛みを紛らわす目的で、憎しみというひとつの負の感情をひとりの少年に向ける。
「当然の報いだ。お前は多くの女性を穢した。一発殴っただけで済ませた俺に感謝して欲しい」
オスカーの瞳が瑠璃色の炎を燃やしている。
エリザベスはそんな彼の瞳を初めて見た。いつもは太陽のような黄金色なのに、今日は自分とまったく同じ瑠璃色。
激しい怒りで瞳の色が変わることなど、あるのだろうか。
「お前は、退学、確定だな」
アイザックが痛みを我慢しながら、勝ち誇った笑みを浮かべる。
だが、オスカーは次元が違う。感情に支配されるままに行動を起こすことなどない。
エリザベスはオスカーのことが心配にならなかった。
本当に退学になってしまうかもしれない危機的状況なのにも関わらず、当の本人は余裕の表情で微笑んでいたからだ。
「実はある客を呼んでいるんだ。少し話をしてみてくれ」
また風が吹く。
今度は別の男子生徒だ。オスカー達の方へ、落ち着いた足取りで近づいてくる。
アイザックが絶句した。
「紹介しよう。こちらは一ノ瀬グレイソンだ。確か、お前と同じく貴族出身、だったか」
ふっと、気が抜けたようにオスカーが笑う。
「貴族同士の位の違いが、お前とエリザベスのような上と下の関係を作っているということは、五十嵐家のお前と一ノ瀬家のグレイソンでも、同じようなことが起こるということだな」
オスカーの連れてきた客というのは、一ノ瀬グレイソンのことだった。
肩にかかりそうな長めの金髪に、灰色の瞳。純白の制服も相まって、王子のようにも見える。
五十嵐家も、一ノ瀬家には頭が上がらない。
毒をもって毒を制す。
今回の場合、貴族をもって貴族を制す。
単純な答えだった。上級貴族である一ノ瀬家のグレイソンが近い存在であったことは、偶然なのか、それとも必然なのか。それこそがエリザベスを救い、命運を分けたものだ。
「オスカーから話は聞いているよ」
グレイソンはただ、それだけ。
これ以上は話す価値もないと考えているかのように。
静かに呟き、アイザックに冷たい視線を送った。
「……親父……」
今の五十嵐アイザックに、抵抗できる力などない。
オスカーの攻撃を一度受ければ、全てを悟る。彼にはどうあがいても勝てない、と。もう二度とあの痛みを味わいたくない、と。
グレイソンには五十嵐の無様な姿が、かつての自分の姿に重なって見えた。
「権力に溺れること、肉欲に支配されることほど醜いことはない」
オスカーの言葉が、グレイソン、そしてエリザベスの頭の中に入り込んでいく。
「己を律し、常に崇高な目的を追い求め、闇に埋もれる友を救い出す――自分だけでなく、周囲も共に昇華させる者こそが、神の領域への挑戦権を得る」
彼は一体、何を見据えているのか。
遥か彼方であることは間違いない。
グレイソンはまだ残っている貴族の風習に疑問を感じた。そして、同時に可能性も感じた。自分なら、変えられるのではないか。オスカーならきっと――。
エリザベスは『勇者との決別』を思い出した。
主人公は強い女性だが、勇者と決別してからは、本気で信頼できる仲間を求めて旅をしていた。どんなに強い者にも、仲間が必要なのだ。
オスカーは憧憬の眼差しを向けてくる二人を見て、満足そうに小さく呟いた。
今回も決まった、と。
《オスカーの帰郷編の予告》
エリザベスを五十嵐アイザックから救い、彼女の英雄となったオスカー。夏休みの解放日に、実家への帰省を計画する。
五年も帰っていない実家へと帰省。
両親にまた受け入れてもらえるのか、不安を感じながらも、セレナと共に馬車で勇者学園を出るのだった。
新しい家族の存在に、いきなり襲ってきた強敵。
セレナとの関係にさらなる進展が!?
西園寺オスカーの里帰りから、目を離せない!
エール、感想、ハートよろしくお願いします!
図書館から寮までは、歩いて十分ほどの距離がある。
読書パーティーの相手役だったオスカーは一足先に寮に帰ったようだ。
エリザベスは夜道に独り、取り残された。
『さっきの男はお前の彼氏か?』
誰もいない。
エリザベスはそう思い込んでいた。それなのに、外灯の陰から姿を見せた、だらしない体型の男子生徒。
濁った群青色の眼光は鋭く、獲物を狙っているヘビを連想させる。
「五十嵐さん……」
「如月、お前も今日から俺の女だ。今から俺の部屋まで来い」
アイザックのエリザベスを見る目は、奴隷を扱っているかのような、相手を見下すものだった。
エリザベスは知っている。
五十嵐家に逆らうことはできない。逆らおうとしても、結局母のような目に遭わされるだけだ。
母の表情が濁り、笑顔が失われていく様子を何年も見ていた。エリザベスが無事だったのは、今まで母が必死に守ってくれたおかげである。五十嵐家から逃げるつもりでこの学園まで来たのに、ここでも五十嵐家に全てを台無しにされてしまうのか。
彼女の中に巻き起こった感情は怒りや憎しみだけではない。
激しい自己嫌悪も含まれている。
苦しむ母を救う方法はなかったのか。どうして見て見ぬふりをしてしまったのか。たとえ無謀に終わるとしても、どうして抵抗のひとつもしようとしなかったのか。
後悔、復讐心、この現実への絶望。
自分をみだりがましい目で舐め回すように見るアイザック――そんな彼を見て、激しい感情と共に拳を握り締める。
「あたしは、あなたの思い通りにはなりません!」
オスカーからもらった勇気。
目を大きく開き、堂々と言い放つ。思い通りにはならない、と。もう決意したのだ、と。
「いいのか? お前の母親がもっと苦しむことになるだろうな」
ここで出された母親という言葉。
エリザベスの勢いが衰える。
いくら自分に覚悟ができたからといっても、母親まで巻き込んでしまうわけにはいかない。そもそも、母親はずっと守ってくれていた。恩を仇で返すわけにはいかない。
瑠璃色の瞳の中に灯っていた光が、徐々に弱まっていく。
「それでも――」
自らを奮い立たせ、言葉を続けるエリザベス。
希望はまだ、失われたわけではない。決意し、覚悟を決めれば、必ず救われる。彼女は固く信じていた。
「――あたしは五十嵐家に使われるだけの奴隷じゃない!」
言い切った。
握った拳は小刻みに震え、首には汗が伝っている。
そんな彼女の向かいに立つアイザックは。
心底失望したような表情で、奴隷を見つめていた。
「素直じゃない奴には調教がいる。俺に反抗したこと、一生後悔させてやる」
大股でエリザベスに接近し、乱暴に肩を掴む。
無力な少女の叫び声が、無人の夜道に響き渡った。この悲鳴は寮や本館には届かない。教師も、知ることはない。
突き飛ばそうと腕に力を込めるが、アイザックは体が重く、びくともしない。殴ろうが、蹴ろうが、多くの脂肪と僅かな筋肉に守られているアイザックには通用しない。
「お前が俺に逆らうからだろ」
だらしなく頬を緩めるアイザックの手は、柔らかく豊満な胸に伸びていた。
「やめて! 離して!」
これまでの人生にないほど、声を張り上げるエリザベス。誰かが助けに来てくれるなんて、期待していない。
だが、あの人が助けに来てくれることは、確信している。
夜風が変わった。
少し前まで無風に近かったはずだが、エリザベスを避け、アイザックのみを狙うかのように、強風が吹きつける。
「――あ? んだよこの風!」
苛立ちが募るアイザックだが、その文句はほとんどが風に相殺された。
『今宵は風が強い』
どこからともなく、声が聞こえる。
風に乗り、東西南北、ありとあらゆる方角へ声が渡っていた。
ついさっき耳にしたばかりの声に、エリザベスが顔を輝かせる。不安が晴れ、強い意志が戻った。もう怖いものはない。だが、その根拠はない。
どうして西園寺オスカーが近くにいると安心するのだろうか。
その答えはわからずとも、エリザベスはオスカーに自分の未来を一時的に託した。決意を固めた彼女は、救世主によって救われる。
「エリザベスに手を出そうなど、愚かな男だ」
風が一瞬にして静まった。
無風。
先ほどと正反対の状況が訪れ、さらなる混乱を見せるアイザック。千切れそうになるほど首を左右させ、声の主を見つけようと必死になっている。
「俺はここだ」
刹那だった。
オスカーの存在に気づいたのは。
エリザベスを守るようにして、彼女の前に立っているオスカー。何時間も前からそこに存在していたかのような、平然とした表情。彼の登場に合わせ、風がふわっと舞う。
「どっ――どうやってそこに――!?」
「エリザベスが助けを求めていた。彼女が決意をしたのなら、俺は彼女がどこにいようと駆けつけ、どんな敵からも守る」
アイザックは歯を食いしばった。
これまで、何かが思い通りにいかず苦労したことはない。少し前に、男子生徒三人から邪魔された以来だ。
その男子生徒三人とは――生徒会の白竜アレクサンダーと九条ガブリエル。そして、西園寺オスカー。
あの時はただの脅しのつもりだったが、今回、絶対にオスカーのことを退学にさせようと決めた。邪魔をする者はこの学園に必要ない。
「何もできないくせに。生徒会に頼っても無駄だ。教師に告げ口しても相手にされない。俺に暴力を振ろうものなら、それこそ親父が黙ってない」
「いつまでも親の力に頼りきりか。無様だな」
オスカーが天を仰ぐ。
それはアイザックへの呆れを表現していた。
「オスカーくん……」
一方、救世主の背中を見つめるエリザベスの瞳はきらきらと輝いている。
彼とは図書館だけでの付き合いだ。
図書館以外の場所で顔を合わせることはない。
だが、本好きである自分以上に読書をするオスカーに、日々心を奪われていく。無論、少し前まで、その感情には気づかなかった。
オスカーを異性として意識したのはいつからだろうか。
クルリンをオスカーの彼女と誤解してしまった後からかもしれない。手を差し伸べてやる――そう言われた時からかもしれない。
それとも、もっと前からなのか。
恋というのは、単に胸の高鳴りから来るものではない。
自分にはこの人しかいない。この人なら、自分のことを優しく受け入れ、包み込んでくれる。絶対的な信頼と、安心感。
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どちらも似ているようで、何かが違う。
「ヒーロー気取ってんじゃねーよ!」
アイザックの罵声は雑音だ。
オスカーの耳にも、エリザベスの耳にも入ってこない。
「仮に俺が今からお前を殴ったとしよう。そしたら、俺はどうなる?」
一歩。
アイザックの方に足を踏み出し、オスカーが問う。
「たっ、退学に決まってんだろ! わかりきったこと言うなよ!」
何かを恐れているのか、アイザックがオスカーとの距離を保つかのように後退りする。ビビっている姿は、エリザベスからすれば滑稽だった。
少し前まで調子づいていたのに、オスカーの実力に恐怖を感じて縮こまっている。そこに魅力などない。
「そうか。退学、か……殴っただけで退学になるとは、勇者学園も腐ったものだな」
オスカーの発言の余韻。
響きが完全に消えてしまう前に、事態が急変した。
常人には反応できない速度で腕を引いたかと思うと、正確にアイザックの丸い腹を拳で殴る。振動がアイザックの体全体に伝わり、吸収できなくなった。
その波動は周囲に広がる。
何の防御もなしに不意打ちを食らった五十嵐は、たった今何が起こっているのかさっぱり理解できていない。
気づけば、後ろに吹き飛び、地面に転がっていた。
大量の吐血と、骨の負傷による激痛。あまりの苦しみにもがく。
オスカーは神能〈魂の拳〉など使っていなかった。ただの、純粋な拳に、アイザックは屈したのだ。
「殺して……やる……」
憎しみは覚えていた。
その対象は西園寺オスカー。
(絶対に、殺す。親父の力で、あいつを潰してやる)
痛みを紛らわす目的で、憎しみというひとつの負の感情をひとりの少年に向ける。
「当然の報いだ。お前は多くの女性を穢した。一発殴っただけで済ませた俺に感謝して欲しい」
オスカーの瞳が瑠璃色の炎を燃やしている。
エリザベスはそんな彼の瞳を初めて見た。いつもは太陽のような黄金色なのに、今日は自分とまったく同じ瑠璃色。
激しい怒りで瞳の色が変わることなど、あるのだろうか。
「お前は、退学、確定だな」
アイザックが痛みを我慢しながら、勝ち誇った笑みを浮かべる。
だが、オスカーは次元が違う。感情に支配されるままに行動を起こすことなどない。
エリザベスはオスカーのことが心配にならなかった。
本当に退学になってしまうかもしれない危機的状況なのにも関わらず、当の本人は余裕の表情で微笑んでいたからだ。
「実はある客を呼んでいるんだ。少し話をしてみてくれ」
また風が吹く。
今度は別の男子生徒だ。オスカー達の方へ、落ち着いた足取りで近づいてくる。
アイザックが絶句した。
「紹介しよう。こちらは一ノ瀬グレイソンだ。確か、お前と同じく貴族出身、だったか」
ふっと、気が抜けたようにオスカーが笑う。
「貴族同士の位の違いが、お前とエリザベスのような上と下の関係を作っているということは、五十嵐家のお前と一ノ瀬家のグレイソンでも、同じようなことが起こるということだな」
オスカーの連れてきた客というのは、一ノ瀬グレイソンのことだった。
肩にかかりそうな長めの金髪に、灰色の瞳。純白の制服も相まって、王子のようにも見える。
五十嵐家も、一ノ瀬家には頭が上がらない。
毒をもって毒を制す。
今回の場合、貴族をもって貴族を制す。
単純な答えだった。上級貴族である一ノ瀬家のグレイソンが近い存在であったことは、偶然なのか、それとも必然なのか。それこそがエリザベスを救い、命運を分けたものだ。
「オスカーから話は聞いているよ」
グレイソンはただ、それだけ。
これ以上は話す価値もないと考えているかのように。
静かに呟き、アイザックに冷たい視線を送った。
「……親父……」
今の五十嵐アイザックに、抵抗できる力などない。
オスカーの攻撃を一度受ければ、全てを悟る。彼にはどうあがいても勝てない、と。もう二度とあの痛みを味わいたくない、と。
グレイソンには五十嵐の無様な姿が、かつての自分の姿に重なって見えた。
「権力に溺れること、肉欲に支配されることほど醜いことはない」
オスカーの言葉が、グレイソン、そしてエリザベスの頭の中に入り込んでいく。
「己を律し、常に崇高な目的を追い求め、闇に埋もれる友を救い出す――自分だけでなく、周囲も共に昇華させる者こそが、神の領域への挑戦権を得る」
彼は一体、何を見据えているのか。
遥か彼方であることは間違いない。
グレイソンはまだ残っている貴族の風習に疑問を感じた。そして、同時に可能性も感じた。自分なら、変えられるのではないか。オスカーならきっと――。
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今回も決まった、と。
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両親にまた受け入れてもらえるのか、不安を感じながらも、セレナと共に馬車で勇者学園を出るのだった。
新しい家族の存在に、いきなり襲ってきた強敵。
セレナとの関係にさらなる進展が!?
西園寺オスカーの里帰りから、目を離せない!
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スキル間違いの『双剣士』~一族の恥だと追放されたが、追放先でスキルが覚醒。気が付いたら最強双剣士に~
きょろ
ファンタジー
この世界では5歳になる全ての者に『スキル』が与えられる――。
洗礼の儀によってスキル『片手剣』を手にしたグリム・レオハートは、王国で最も有名な名家の長男。
レオハート家は代々、女神様より剣の才能を与えられる事が多い剣聖一族であり、グリムの父は王国最強と謳われる程の剣聖であった。
しかし、そんなレオハート家の長男にも関わらずグリムは全く剣の才能が伸びなかった。
スキルを手にしてから早5年――。
「貴様は一族の恥だ。最早息子でも何でもない」
突如そう父に告げられたグリムは、家族からも王国からも追放され、人が寄り付かない辺境の森へと飛ばされてしまった。
森のモンスターに襲われ絶対絶命の危機に陥ったグリム。ふと辺りを見ると、そこには過去に辺境の森に飛ばされたであろう者達の骨が沢山散らばっていた。
それを見つけたグリムは全てを諦め、最後に潔く己の墓を建てたのだった。
「どうせならこの森で1番派手にしようか――」
そこから更に8年――。
18歳になったグリムは何故か辺境の森で最強の『双剣士』となっていた。
「やべ、また力込め過ぎた……。双剣じゃやっぱ強すぎるな。こりゃ1本は飾りで十分だ」
最強となったグリムの所へ、ある日1体の珍しいモンスターが現れた。
そして、このモンスターとの出会いがグレイの運命を大きく動かす事となる――。
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