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婚約破棄

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「公爵令嬢セレナーデ、私はお前との婚約を破棄する!」

「え!? なんですって!?」



 王立学園の卒業パーティで、私は一緒にダンスを踊っていた王太子のラント様にこんなことを言われてしまいました。

 それが原因で音楽はストップ。

 周りには人が集まってきて、なにやらガヤガヤしだしています。



 が、私は了承することも跳ね除けることもできず、ただただモジモジするだけ。



 そんな私にやきもきしたのか、王太子様が言葉を重ねます。



「お前、私の宝石を盗んだり…… 恋人に、俺を襲わせたりしただろう?」



 聞いた罪状に、さっと背筋が凍りました。勿論"私"には身に覚えのないことです。

 しかし、彼が本当に言いたかった人物のことはよく知っています。

 そして思う。"あの方"は婚約者である彼にも、こんな残虐なことをしていたのか、と。

 しかし疑問に覚えることがひとつだけ。



 ――――どうして彼は、私に言ってくるのでしょう?



 ―――――――――――――――――



 ことの起こりは2ヶ月前。



 貧乏男爵家の7女として生まれた私、キャノンは金銭的事情から学園に通うことが出来ませんでした。

 でも小さい頃から憧れてきた学園生活を簡単には諦められず、私は学園に使用人として就職することにします。



 割り振られた仕事は、公爵令嬢セレナーデ様の身の回りのお世話。

 もうすぐ彼女は卒業だったので、とりあえず2ヶ月間のお試し契約でした。



「あんたが新しい使用人? せいぜいしっかり働きなさい!」



 そう言って私をジロっと見た彼女はとても美しくって……

 私はこれから始まる新生活に、ドキドキが止まらなかったのを鮮烈に覚えています。



 ……でも、それは長くは続きませんでした。



 セレナーデ様は、控え目に言ってクソ野郎だったのです。

 私が歪な短期契約が出来たのも、前任の使用人がイジメによって精神を犯したことが原因。

 そして前任者の次のターゲットは勿論……



「ブス! 貧乏! それは超高級なワインなのよ! 有難く舐めて掃除しなさい!」

「は、はい……」



 私でした。



 最初に申し付けられたのは地面に這い蹲り、零れたワインを絨毯から吸い取るお仕事。



「ほらっ、ガードしないの!」

「うっ…… もう限界です…… 痛いです……」

「きゃっ、吐いたりしないでよ! この服お気に入りなんだから!」



 次に護身用の体術の練習相手に、お腹を殴られるお仕事。



「あんっ、カッコイイわぁ……」

「君も可愛いよ。セレナーデ」

「……ちょっと、聞き耳は良いからしっかり見張ってるのよ!」

「……はい」



 そして男子禁制のはずの女子寮で伯爵家の子息との情事をする間、外を見張るお仕事。

 彼女は未来の国母ではなかったでしょうか?



 2ヶ月間という期間が決まっていて、憧れの学園で、お給料もいい。

 そうじゃないと、到底耐えられないような仕事の数々。



 そして今日、卒業式の日。

 ようやく解放される私に、最後の│お仕事《めいれい》が下されました。



「ねぇ、あなた」

「はい!」

「今日卒業パーティがあるのは知ってるわよね?」

「えぇ、セレナーデ様は婚約者のラント王太子とダンスをされ、その後ご結婚を発表なさる予定でしたよね……?」

「あんたが代わりに行きなさい!」

「……え??」



 命じられたのは意味不明なこと。

 今日は国にとって最も大事な日であるのに。

 きっと聞き間違いに違いありません。



「えっと…… 今なんて?」

「……お前は主人に2回も同じことを言わせるの!? パーティに、代わりに行けって言ってるの!!」

「え??」



 理解できない。理解できる筈もない。

 それでも迫り来る平手打ちから逃げるため、私は彼女のドレスを着てパーティに参加することとなりました。



 ……部屋にセレナーデ様と、この間とは違う男を置いて。



 ――――――――――――――――――



 複雑な心境でやってきたパーティ会場だったけど、やはり一流貴族が集う学園のものなだけはあります。

 出ている料理全てが最高級品で、周りの参加者たちも全員が華やか。

 私も普通に入学できていれば、いずれここにも来れたのかな? なんて思いながら、ちょっと寂しくなってみたり。



 兎にも角にも、この恐ろしいセレナーデ様の方針転換を王太子様に伝えなければなりません。



 私はパーティを尻目に、王太子様が控えている大広間の奥の部屋へと向かいました。



「すみませーん……」



 部屋の前に到着した私は、扉をノックして王太子様の使用人が来るのを待ちます。



「なんだ? おぉ、お前はセレナーデ様の……」



 やってこられたのは、王太子様の付き人をされている公爵令息のワットアープ様。

 慌ててお辞儀をしつつ、早速本題を話させて頂きます。



「ワットアープ様、申し訳ございません……」

「うん? お前今日は一段と綺麗だがどうした?」

「それが、セレナーデ様が風邪をおひきなさって…… 代わりに行ってこい、と。」

「なんだと!?」



 嘘を付くのは心苦しいですが、主人を悪く言うのは使用人道に反します。

 仕方がないので急いで作った事情を説明し、王太子様に伝えて頂けるようお頼みをしました。



「あいわかった。伝えておく故、ダンスの用意だけはしておいてくれ」

「……え? 私はもうこれで失礼しようかと」

「王太子様にダンスの相手が居ないのは見栄えが悪い。そして他の女性と踊らせるのは体裁が悪い。そこで使用人のお前だ。悪いが、頼まれてくれぬか?」



 公爵家の方に頭まで下げられたら、嫌はありません。了承し、その場を退きました。



 その足で向かったのは化粧室。

 鏡に映るのは、自分では無いかのような美しく着飾った私。

 それに向かって私は……



「ばっきゃろーー!! なんで断れなかったんだおい!?」



 罵詈雑言を浴びせかけます。

 それもそのはず。私は生まれてこの方ずっと貧乏でした。それは貴族としての嗜み、習い事をできないほどに。

 つまり……



「踊れ、ない……!」



 どうしましょうどうしましょう。

 もう一度戻って言うべきでしょうか?

 しかし公爵家の方に口答えなどできません。



「……なんかそれっぽくやろう」



 たまに見るパーティの光景では、なんかふよふよやってるだけに見えます。あれなら私でもやれる、ハズ。



 そう決意して、顔を2回パンパンと叩きパーティ会場に向かいます。

 気合いが入った私は無敵。きっとどうにかなる!

 ……といいなぁ。



 大広間では、貴族の方々が楽しげに談笑しておられます。

 が、そんなことは私にはどうでもいいこと。

 今は……



「ただ、食うのみ」



 ひと皿ひと皿が男爵である父の月収くらいするであろう食事たち。

 緊張して喉は狭まっていますが、食わないという選択肢はありません。

 大皿から手元の皿に取り分けて、ガツガツ行きます。



 ガツガツ……

 ガツガツ……



 夢中で腹15分目を突破しようという頃、音楽が鳴り始めました。生オーケストラです。

 2秒くらいの静止、そして再び皿に顔を顔を戻そうとした時……

 思い出しました。

 私の出番では無いだろうか、と。



「えーっと、音楽が始まったら王太子様とダンス…… 始まっとる!?」



 やばいヤバいヤバイ。不敬罪とかで死なんかな?

 スカートの端を掴み、軽いダッシュで登場なされた王太子様の横へと行きます。



 初めて見る王太子様でしたが……



 ヤバイくらいカッコイイですね。あんなおクソ令嬢になんて勿体ないくらいに。

 輝かんばかりの金髪はシャンデリアの光を浴びて直視できない程にピッカピカで、紫の瞳はまるで水晶のよう!



 どうしてあのおクソはこの方を置いて浮気などしてしまうのでしょうか。

 代理とはいえ、今からこの方と踊れるのかと思うとキュンキュンしてきました。

 ……お腹もギュンギュンなんですが。



 王太子様の隣におられるワットアープ様に目礼をして、そっと手を王子に向かって差し出します。



 それを優しく取ってくれる王子様。ドキドキが止まりません。

 そして始まる2曲目。



 私の夢の時間が始まって……

 リードして下さる王太子様。

 曲に合わせて手を引き、手を離し、ステップを踏み……

 近づくお顔、がっしりとした体に抱きしめられます。

 お上手なダンスは、完璧なリードで私の不安を吹き飛ばしてくれました。

 心音が聞こえたりしないでしょうか?



 ドキドキが止まらなくって、なんか私まで彼を好きになってしまいそうで。



 ぼーっと夢の時間が続く中……



 曲が終わりました。すぐに3曲目が入り、この夢はまだ続く筈。

 ほら、始まった!

 そんな時でした。



「公爵令嬢セレナーデ、私はお前との婚約を破棄する!」

「え、なんですって!?」



 夢は終わりを告げました。



 サッと遠くなったワットアープ様の方を見遣ります。

 王太子様も、私が婚約者では無いと知っている筈なのに。



 勿論この宣言に分かりましたも、待ってくださいも言える訳がなく。



 続く彼の言葉をただ聞くしかありません。



「お前、私の宝石を盗んだり…… 恋人に、俺を襲わせたりしただろう?」



 罪状は酷いもの。婚約破棄されても仕方ない程に。

 そもそも国母が浮気していたら、王族の血統が保証されません。恋人がいるということ自体がおかしな話。



 しかし疑問はずっと私の中でぐるぐると周ります。このままなすがままでは終われない。

 ビクビクしながら一応声をかけてみます。



「あのー、でも私……」

「む、お前は!?」



 ギョッとする王子。そして……



「オッホホホホホ! ラント様も醜いこと!」

「ガッハハハ! 本当に滑稽だ。なぁセレナーデ?」



 醜く響く高笑いが2つ。



「なぁ、お前たち! あの王太子様のお姿を見たか!?」

「はい! 見ました!」



 周りに下品な目で同意を求めるのは、先程まで優しかった筈のワットアープ様。

 それにそっと寄り添うのは、ここには居ない筈のおクソ。

 うっとりした目をワットアープ様に向けておられる。きしょっ。



「その声…… ワットアープ、セレナーデ…… 謀ったな!!」



 絶叫する王太子様。そして理解する私。



 ……アイツら、グルだった!!



「婚約? そんなものこっちから願い下げよ! この盲目王子!」

「お前、言ったなセレナーデ!!」



 おクソの言葉で、漸く私にもあの2人の計画が分かりました。そして王太子様への違和感の正体も。

 ―――――彼は、目が見えないのです。



 王子と私を踊らせることによって、彼を笑いものにする。

 そのためにセレナーデ様は私を遣わし、ワットアープ様は私の報告を握り潰した。



「許せない……」



 思わず冷たい声が出てしまいます。

 使用人だと思って私を利用しつくして、そして笑いものにした!!



 ギョッとする王太子様とまだ繋いでいた手を振り払います。



 私だって、創建200年の由緒正しい貴族、ボンバー男爵家の血が流れているというのに!!!



「おいセレナーデ!!!」



 遠くで高笑いを続けるクソ女に指を突き付け怒鳴りつけます。勿論呼び捨てで。



「あーん!? あんた使用人の癖になに馴れ馴れしく怒鳴ってるのよ!!」



 それにピキリピキリと怒る馬鹿。しかしこちらだって貴族。名誉のために生き、名誉のために死ぬ家系です。



「お前なぁ、私を使うなよ! 杜撰すぎるだろ!」

「は、何を言ってるの? どうせ終わったらお払い箱よ! ……死よ?」



 直接的に脅してくる"ご主人様"

 ですがもう、私の腹は決まりました。



「殺すなら殺しなさいよ! ここで言っちゃった以上、私が死んだら確定で犯人は貴女ですよ!!」

「なによ! 平民の1人や2人……」



 この言葉にニヤりとしてしまいます。

 確かに貴族は切り捨て御免。

 しかし、貴族同士ならそこにどんな爵位の差があろうとも、王の臣下を殺した臣下になってしまい罪は変わりません。



「残念だけどこちらには証拠があります。貴女が…… 男爵令嬢である私にした暴行の証拠が。」

「なんだと! おいセレナーデ、言ったじゃないか! あいつなら大丈夫だって!!」

「そんな、そんな……」



 焦るワットアープと、セレナーデ。

 そしてじっと黙っていた王太子様が口を開きました。



「ワットアープ、お前のことは信頼していたのに残念だ。」

「はっ、お前など出世の道具でしかない! 王も既に……」

「あぁ、廃嫡されるらしいな。確かに私には国を運営する能力が足りない」

「あぁ、そうだ! それにお前にセレナーデは勿体ない!!」

「……そいつ王太子より勿体ない度高い伯爵の息子とかとも付き合ってますが」



 ボソッと言う私の声は誰にも届きませんが、ワットアープ様も愚かなものです。色香に迷って、主人を裏切るなんて。



「確かにこの後私は廃嫡されるだろう。しかし、しかしだ…… この身に流れる王家の血、私が所持する王家の宝石はそんな安いものでは無いぞ!! それを傷つけ、盗み、そして主君の女を取った罪は消えるものでは無い!」



 そう言うとサッと手を振る王子。それに頷く警備の兵が2人を取り囲みます。



「セレナーデ……」



 次に彼が呼び掛けるのは、私をじっと睨みつけていたクソ女。



「なによ! 王太子じゃない貴方に価値がある訳無いじゃない!! 私の行為は正当よ!!」

「……残念だ」

「それはこっちの台詞よ!」



 キーキー喚くセレナーデに対して、王太子は静かに応対します。



「男を漁っていたらしいな?」

「……そうだけど?」

「男爵子息に伯爵子息、ワットアープに庭師の見習い…… と、あと5人ほど」

「はっ、なんで知ってるのよ!?」



 私が聞いた事ある人も、ない人も。思わず頭を抱えたくなる程に多い人数の話でした。



「これは、損得で動いた結果か? 私に価値がないからなのか?」

「そ、そうよ!?」

「……庭師の見習いより、私が劣ると? 愚か者!! お前はただ単に、自分の欲を満たしたかっただけだろう!!」

「ひっ」



 怯えるセレナーデに容赦なく王太子は続ける。



「なんだ? 子供が生まれればその子は王族になるのか? 国母としての責任を忘れたお前に、私に対してあれこれ言う資格があるのか!?」

「そ、それは……」



 タジタジになるセレナーデ。なんて浅い計画だったのだろうか。

 王太子様の輝く紫の目は、より深い所まで見ていたみたい。



「ひっ捕らえろ! 反逆罪だ。あとは…… 貴族への暴行罪だな、キャノン?」

「えっ、名前……」

「ぎゃっ、やめなさいよ! 平民兵士の癖に失礼よ!! やめて、やーめーてー!!!」



  兵士に引きずられていくセレナーデとワットアープを見る。

 こちらを振り向き、ウィンクしてくれる彼の目に、きっと私は見えていない。

 それでもずっと綺麗で、見蕩れてしまうようで。

 名前を呼ばれただけで心臓が飛び跳ねた。



「今日はすまなかった。俺はお前に勘違いで怒鳴り声をあげてしまった……」

「いえっ、私も王太子様の事情を知らずに狼狽えてしまって……」

「それでもお前を傷付けた。悪かったな」



 猛烈に頷く私に鷹揚に笑顔を見せ、彼は広間に集った貴族や子息たちに声をかけます。



「事の次第は以上だ。私は去年から目が見えず、廃嫡されることになる。次期王太子は未定だが、恐らく弟のアトリーになるだろう。私とセレナーデの婚約は破棄だ。これからも王国の為に尽くしてくれ。卒業おめでとう!」



 一礼する王太子様に対して、慌てて深々と頭を下げる私たちを満足そうに見回した王太子様は、後ろの部屋に引っ込んで行かれました。



 ……私を連れて。



「え、いやなんで……」

「ほら、私目が見えないから…… 扉を開けてくれないか?」



 そう言われれば仕方ありません。先程は扉の前で帰ってしまった部屋に、先導して入ります。



 中はとても綺麗で、さすが王太子様の控え室!といった感じ。



「褒美を取らせよう。何が望みだ?」



 椅子にどっかり座り込んだ王太子は、指輪が2つ付いた手を伸ばして、そう問いかけて来られました。



「いえ、でも私は私がしたいことをしただけですし……」

「それで助かった私がいる。ここで出さなければ王家の名折れだ。受け取ってくれ」



 固辞する私に、報酬を出す理由を教えて下さる王太子様。

 ……これは受け取らないと怒られますかね?



 仕方がないので、受け取ることを決意!



 ……でも何を貰えば。



「ってあ!」

「なんだ?」



 あれがありました!

 てか今日から私は無職。危急の用事です。



「あのー……」

「早く言え。私が出せる範囲をならなんだってやろう。お前の功は大きい」



 そう言ってもらえれば安心。しっかり望みを言うことができそうです。



「……お仕事を下さい!」

「仕事? あぁ、いいぞ」



 彼はそう言って頷いて……



 ――――――――――――――



「やっばいですね! 虫がいっぱいいますよ!」

「まぁ古い書庫だからな。仕方ない…… ほら、これを読むから、今日も頼む」

「分かりました!」



 本を取って城の一室に戻れば、私は朗々と歌うように本の内容を一言一句違わずに諳んじます。

 そしてそれを安楽椅子に座って目を閉じて聞く王太子…… じゃなかった。王子ラント様。


「お前の柔らかい声は本当に美しいな」

「いやー、普通ですけどね?」

「ふっ、私が美しいと言えばそれは美しいのだ」



 私は彼の"目"としての、お仕事を頂きました。

 そして……



「そして唇も柔らかく美しい……」

「ちょっと、セクハラですよ!?」

「えっ、私たち付き合ってるよね?」

「はい! でも今は勤務中なので上司と部下でーす!」



 そう言うと、彼はふふっとその目をすぼめる。

 その仕草が愛おしくって……



「おい! 今なんか柔らかかったぞ!? セクハラでは? セクハラでは???」

「うっさい、相手が上司ならいいんですよー!!」



  ――――私は婚約者ではないけれど。でもきっと、この関係は破棄されない。
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