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196 語らい
しおりを挟むそんな必要もないのに、やけに緊張する数秒が過ぎたのち。
「……無事だったのだな」
先に口を切ったのはレイゾンだった。
温かな瞳で見つめられ、確かめるように尋ねられ、白羽は小さく——けれどはっきりと頷く。と、レイゾンは「よかった」噛み締めるように言った。
「魔獣からの攻撃でかなりの怪我を負ったところまでは覚えているのだが……そこからは正直、記憶も曖昧だ。お前が必死になって俺を助けてくれようとしているのは感じたのだが、あれは夢ではなかったのだな」
続くレイゾンの声に再び頷くと、白羽はそっと彼の手に触れる。
温かいことはわかっていても、やはりホッとする。
<わたくしを助けようとして下さって、レイゾンさまが魔獣の爪に傷つけられたのが見えました。それで……なんとか命だけはお助けしなければと……夢中で……>
「……そのときに魔術を……?」
<分かりません>
白羽は首を振った。
<本当に、よくわからないのです。わたしはただ夢中だっただけで……その後のことは覚えていません>
「白く光っていた」
ぽつり、とレイゾンは言った。
その時を思い出すような貌でレイゾンは続ける。
「お前は魔獣が迫っていることにも気付かない様子で俺の手当てをしてくれていて……気付けば、白く眩しい光に包まれていた。魔獣は一瞬で消え失せて……。全てが終わると羽が舞っていた」
覚えていないか、と尋ねられ、白羽は首を振った。
覚えていない。なにも。
と、レイゾンは「そうか……」と大きく息をついた。
そして、柔らかな面差しで白羽を見つめて続ける。
「だがそのおかげで俺たちは今こうして生きてここにいる。確かに騏驥は魔術を使えないはずだが、お前にはなにか少し特殊な特徴があるのかもしれないな。お前の侍女は、以前の主の影響を受けたのかもしれないと言っていた」
<…………>
以前の、主。
息を呑む白羽を労わるように見つめると、レイゾンは続ける。
「俺が、お前とこうして触れ合うことでなぜか気持ちが伝わってくると話した時だ。『魔術力の強い者の側にいたためにその影響を受けたのでは』と話していた。前王陛下は、魔術力の強いお方だったのだろう?」
優しく尋ねられ、白羽は小さく頷く。レイゾンが納得するように頷いた。
「ならば、今回のこともその可能性があるだろう。あの魔術師が言っていたように、まだ不明な点も多く『こう』と決めることはできぬだろうが……。いずれにせよ、俺はその後暫くして目覚めて、傍らにお前が倒れているのに気が付いた。気力を使い果たしたようにぐったりしていて……そんなお前を背負って街まで戻ろうとしていたところであの魔術師らに見つけられた——というのが俺から見た、ここに至るまでのことのあらましだ」
話し終えると、レイゾンは白羽がいつしか握っていた手に目を向けてくる。
あの、返してもらった石の欠片を握っている手だ。
そっと開くと、元の半分ほどになった欠片が顔を出す。
それを見たレイゾンが目元を緩めた。
「ずっと、持ってくれていたのだな」
<ずっと持っていました。レイゾンさまこそ……>
当然です、というように応えた白羽が今度はレイゾンに水を向けると、
「俺は……まあ……」
彼は照れたように口元を隠す。
そのまま髪をかき上げると、白羽を見つめ、そしてどこか遠くを見るような顔で続けた。
「今だから言えるが、この街にやってくるまでのお前と二人で過ごした二日ほどは、お前を諦めるための時間だった。この街から王都に旅立つときは一人だと決めて……だからせめて一度くらいは——数日だけはお前と二人だけになりたいと思っていた。俺の騏驥を思い切り自由に走らせてみたいと思っていた。だが、いざそうしてみればお前は実に素晴らしくて……踏ん切りをつけるはずが、手放したくないと思うほどだった……」
あの数日のことを思い出しているのだろうか。
レイゾンの貌はとても幸せそうだ。
白羽だって同じ思いだった。だからレイゾンに置いて行かれた時は悲しくて堪らなくて……。
「——白羽」
と。
レイゾンは、ひた、と白羽を見つめてくる。
空気が変わる。白羽もじっと見つめ返すと、
「あの洞窟で、俺がお前に伝えたことは覚えているか」
静かな、しかし真っ直ぐに白羽に向けられる声が届く。
<はい>
白羽は即座に頷いた。
<全て、大切に覚えております。……レイゾンさまは、わたくしが申し上げたことを覚えていらっしゃいますか>
「もちろんだ」
レイゾンもすぐにそう応じると、白羽をじっと見つめたまま続ける。
「王都へ戻ってから、もうひと勝負残っている。難しい勝負だがこれに勝たなければ意味がない。生きて戻ったのは、このためだと思っている。早く身体を治し王都へ戻り……策を巡らせるのは不得手なたちだが、必ず勝ってみせる。勝って、お前をずっと俺の騏驥にする」
騎士であり続け、さらには王命によってヨウファンのものとなる白羽を再び自らの騏驥とすることを言っているのだろう。
白羽は深く頷く。
レイゾンは微笑むと、
「お前は、俺にとっての天からの恵みだ」
愛しげにそう言い、大切なものに触れるように白羽の髪を撫で、頬に触れる。
温かく優しい手に、白羽もうっとりと息を零す。
(ずっとレイゾンさまのものに……)
しかし胸の中でそう呟いた瞬間。
白羽の脳裏を一つの影が過ぎった。
懐かしく、大切で、今もなお特別な——ただ一人。
刹那、白羽はびくりと身を震わせる。
すぐ側まで顔を近づけてきていたレイゾンが、驚いたように目を丸くした。
「白羽……?」
<……も、申し訳ございません。その……外で物音がした気が……して……>
「物音? そうか? 俺には聞こえなかったが……まあお前は騏驥だから気になるのだろう。魔獣に遭遇したために敏感になっているのかもしれないな」
<ちょっと見てまいります>
「白羽!? ここはヨウファンどのの屋敷なのだし、危険なことは……」
<レイゾンさまはお休みになっていてください。あまり起きていらしては身体の回復も遅くなりましょう>
そう言い置くと、白羽はレイゾンを置いてそそくさと部屋を出る。
頬が熱い。レイゾンに触れられていたところが。
胸が熱い。彼から伝えられた言葉のせいだ。
(でも……)
思い出した。
あの夜。
今はもう思い出の中にしかいない人と出会えた、あの夜の夢。
(あれは……)
どこからどこまでが夢だったのだろう……?
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