前王の白き未亡人【本編完結】

有泉

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 と——。気を揉む白羽の耳に、微かな笑い声が届く。
 
「まさか騏驥から騎士の心構えを諭されるとはな……」

<! い、いえ、わたしは……>

「良いのだ。お前の言う通りだ」

 レイゾンは白羽の首を優しく叩くと、ふうっと息をついて言った。

「お前の芯の強さを忘れていた。初めて会った時からそうだったのにな。今でも覚えているぞ。お前を連れて城を出る時——前王陛下とのことを揶揄した時のお前は、実に強く美しかった。大人しくしおらしいだけの騏驥かと思えば、毅然と顔を上げて、こちらが気圧されるほどの迫力で俺に言い返して……。正直、驚いた。目を見張った。……その時のお前を、何より美しいと思った」

 そして再び、レイゾンは白羽の首を叩く。心地よい強さで。

「今もそうだ。お前の言葉を聞きながら、その声の凛々しさに聞き惚れたぞ。五変騎の一頭に、いらぬ気遣いだったな」

<そ、そんなことは……!レイゾンさまがわたしを心配してああ仰ってくださったことは本当に嬉しくありがたく思っています>

 心からの気持ちを込めて言うと、レイゾンが頷いた気配がある。
 そして体重移動だけで前進を促され、白羽は再び動き出す。
 ゆっくりと——得体の知れない靄へと向けて。

「これからなにが起こるかわからないというのに、怖くはないのか」

 それまでよりも一層注意深く身構えながら——しかし白羽が過度に緊張しないよう気遣ってかレイゾンが静かに話しかけてくる。
 その心遣いを嬉しく思いつつ、白羽は周囲への警戒を続けながら応える。

<以前は……怖かったです。レイゾンさまを探していた時も、見つけられず一人でいた時は、とても心細くて……。子猫が仲間だったんですけど、やっぱり怖くて。魔獣どころか、野盗に囲まれただけで混乱して逃げ出して泣いてしまうほどでした>

「!? 野盗? おい、なんだそれは。聞いてないぞ。そいつらはどこだ。見つけたら俺が血祭りに——」

<! いいのです。今は怖くありません。レイゾンさまがいれば、なにも怖くありません>

 白羽の打ち明け話に思っていた以上に怒りを露わにしたレイゾンに驚きつつ——苦笑しつつ、白羽は<今は怖くありません>と続ける。

 レイゾンは「そうか」と安心したように言うと、「そういえば」と懐から子猫を取り出した。

「この子はどうする。危険な目に遭わせたくはないが……」

 レイゾンの声に重なるように、猫は「ニァ」と鳴く。

<訊いてみます>

 白羽が言うと、レイゾンは「わかるのか??」と驚いたようだったが、白羽が頼んだように猫を背の上に置いてくれる。

<どうしようか……>

 白羽が胸の中で呟くと、猫は、ニァ。ニァーァ。ニャ~ァ。と立て続けに鳴く。
 すごいな……と呟くレイゾンに苦笑しつつ、白羽は猫との話を続ける。
 向こうの言葉はわからないが、こちらの思っていることは伝わるようだし、なんとなく返事の鳴き方で猫の思いもわかるのだ。

<……放してあげましょう>

 やがて、白羽はレイゾンにそう言った。

「大丈夫か?」

 心配している声に、<はい>と応える。

<安全な場所まで辿り着く自信があるようです。この子は、どうやら魔術の気配を感じられるようなので、思うところがあるのでしょう>

「……そうか。わかった」

 街で会おう、とレイゾンが頭を撫でてやると、子猫は挨拶するように「ニァ~」と大きく鳴き、ぴょんと白羽の背から飛び降りる。
 白羽が顔を寄せると、甘えるように身体を擦り寄せ、しばらくそこに留まっていたが、ほどなく、どこへともなく姿を消した。

「……驚いたな……あの子猫といいお前といい……。まだ何か秘めたものがあるのではないか?」

 改めてしっかりと手綱を持ちながら、唸るようにいうレイゾンに、白羽は苦笑するしかない。
 どうしてあの子に気持ちが通じるのか、自分でもわからないのだ。
 それを言えば、どうしてレイゾンとは触れ合うことで気持ちが通じ合うのかもわからない。馬の時ならまだしも、人の時までなんて。

(そういう魔術があるらしい話は聞いたことがあるけれど……)
 
 騏驥は魔術が使えないはずだ。魔術の込められた符や石を介している場合は別だが……。

(不思議だな……)

 役に立っているからいいけれど、改めて考えてみると不思議だ。
 そう思いながら、慎重に一歩一歩歩み続けていた——その時。
 
<!>

 不意に全身に寒気を覚えた。

「白羽!?」

 レイゾンが驚いたような声を上げた次の瞬間、

<————!!>
「っ——!!」

 白羽は気力を振り絞るようにして大きく横に飛び退る。予兆を察していたのか、咄嗟の動きにもレイゾンは落ちることはなかったが、手綱を掴む手に緊張が走る。

 最大警戒でさっきまで居た場所を見やれば——。
 そこには、まだしかと見えないほどの遠くにあったはずの——騏驥の目でやっと見えていたほどの遠方にあったはずの靄が、揺らめきながら近づいてきていた。
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