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そんな変化を、手綱を通して感じ取ったのだろう。
「どうした、何か見えるのか?」
レイゾンが手綱を引いて白羽を止め、訝しそうに尋ねてくる。
白羽は警戒を強めつつ、<はい……>と慎重に答えた。
<前方に……靄のようなものが……>
「! 魔獣か!?」
<分かりません……。まだはっきりと”何か”が見えるわけではありませんが……向こうの方に淀んでいるような気配を感じます……>
「俺が奴に遭遇した時と同じだ。辺りに人は? 賊のような奴らはいないか」
<人らしき姿は見当たりません>
「そうか……ならば手間は省けるな。あの魔獣を討伐し——」
興奮した声と共に、レイゾンがさらに白羽の腹を蹴ろうとし——直前、それを止めた気配があった。
彼は浮かせかけていた腰を戻すと、しばし何事かを考えているかのように黙る。
ややあって、彼がしっかりと手綱を持ち直す気配があった。次いで、軽く白羽の口向きを変える。
<!? レイゾンさま!?>
「迂回する。どの程度の遠回りになるかわからぬが、得体の知れぬ相手と戦う気にはなれぬ。——行くぞ」
<…………>
しかし、白羽は動けなかった。
逃げるようなその言葉がレイゾンの本心とはとても思えなかったからだ。
(だって……一度は……)
「どうした白羽。行くぞ」
<お待ちください。あれを、そのままにしていてよろしいのですか?>
「……今はえむを得ぬ。俺たちが戦わずとも、いずれ魔術師たちがなんとかするだろう」
<ですが……!>
しきりに手綱を引っ張り、白羽に急きたてて方向を変えさせようとするレイゾンに、白羽は暴れるようにして抵抗した。
直前のレイゾンの様子では、あの魔獣を討伐するつもりのようだった。戦うつもりのようだった。
なのになぜ。
(わたしのせい……?)
白羽は思い至って顔を顰めた。
もしかして、わたしが実戦の経験のない騏驥だからなのだろうか。
だからレイゾンさまは戦うことをやめるような判断を……?
するといつまでも動こうとしない白羽に焦れたのだろう。レイゾンが少し強めに白羽の腹を蹴り、「動け」と合図を送ってくる。
「——おい、白羽」
<こ、このまま道を変えて、我々は無事街に辿り着いたとしても、あれがもし本当に魔獣なら周囲にどんな害を与えるかわかりません。見てしまった以上、なんとかすべきでは——>
「無理だ」
<先に魔獣に遭遇した時、レイゾンさまは勇敢に立ち向かっていったと聞き及んでいます。なのにどうして>
「あの時は襲われている者たちを実際に目にしていたためだ。だから咄嗟に……。今はそんな危険を犯すときではないだろう」
<馬に騎乗していたにも関わらず魔獣に向かっていきながら、今は馬に勝る騏驥に騎乗していながら逃げ出すと?>
「っ……お前は戦いに向かぬだろう!」
と——。ついにレイゾンが叫ぶように言った。
「自分の力量も計れぬ騏驥が、騎士の判断に口出しするな! お前は一度として実戦の経験がない騏驥だ。そんな騏驥を、どうして危ないとわかっているところへ連れて行ける!」
「俺はお前と共に街へ戻る。街へ戻って、これから先も共にいられるように——」
<“共に”とはどのようにお考えの”共に”でございましょうか!?>
怒鳴るような声音で口早に言うレイゾンに、堪らず白羽も声を上げる。
声を呑んだレイゾンに、白羽は続けた。
<騎士と騏驥が共にいるということは、ただ一緒にいるだけのことではないと存じます。騎士は誇りを胸に騏驥に乗り功をあげ、騏驥はそのために騎士に尽くす……。聖獣と崇められ兵器と恐れられし我々が——人の姿と馬の姿を行き来するこの身が唯一心からの喜びを得る時があるとすれば、それは主である騎士のお役に立てた時でございます>
<それこそが我ら騏驥の存在の理由——。それこそが騎士と騏驥とが”共に”あることと思っております>
<それともレイゾンさまは、わたくしをただ側に留め置き、飾り置くことをお望みでいらっしゃいますか? 危ないことはさせず、”共に”戦いに赴くこともなく——?>
<確かにそれであればわたくしの身は護られましょう。ですが同時にそれは、レイゾンさまの騎士としての栄誉をも失わせてしまいましょう。わたくしは、そんなことは望んでおりません!>
<わたくしは……至らぬ身ながら少しでもレイゾンさまのお役に立ちたいと思っております。それでこそ、レイゾンさまの騏驥として胸を張ってお側にいられるのだ、と。それでこそ、いつまでも”共に”いられるのだ、と……。ですから……>
思いの丈を一気に話し、話しているうちに興奮してしまった白羽は、そこではたと気づく。
レイゾンからの声がまるでない。相槌どころか咎める声も止める声も。
<あ、あの……つまり……>
自分の失態に、白羽はしどろもどろになる。
そもそも騏驥は騎士に反論することが許されていない。レイゾンは大目に見てくれているだけなのだ。
しかも彼には考えあっての撤退で、それも白羽のことを思ってくれてのこと。
(こんなに言い返すことでは……)
なかったかもしれない。
だがどうしても嫌だったのだ。
自分のために——自分のせいでレイゾンが本当にやりたいことがやれないのは。
彼が本心から逃げたいのなら白羽だって全力で逃げる。けれどきっとそれは違う。
人々にとって危険な魔獣の存在に気付いていながら逃げるなんて、それはきっと彼のやりたいことじゃない。
彼がどれほど騎士になりたかったか——そのためにどれほど努力してきたかを白羽は知っているつもりだ。だからこそ。
「どうした、何か見えるのか?」
レイゾンが手綱を引いて白羽を止め、訝しそうに尋ねてくる。
白羽は警戒を強めつつ、<はい……>と慎重に答えた。
<前方に……靄のようなものが……>
「! 魔獣か!?」
<分かりません……。まだはっきりと”何か”が見えるわけではありませんが……向こうの方に淀んでいるような気配を感じます……>
「俺が奴に遭遇した時と同じだ。辺りに人は? 賊のような奴らはいないか」
<人らしき姿は見当たりません>
「そうか……ならば手間は省けるな。あの魔獣を討伐し——」
興奮した声と共に、レイゾンがさらに白羽の腹を蹴ろうとし——直前、それを止めた気配があった。
彼は浮かせかけていた腰を戻すと、しばし何事かを考えているかのように黙る。
ややあって、彼がしっかりと手綱を持ち直す気配があった。次いで、軽く白羽の口向きを変える。
<!? レイゾンさま!?>
「迂回する。どの程度の遠回りになるかわからぬが、得体の知れぬ相手と戦う気にはなれぬ。——行くぞ」
<…………>
しかし、白羽は動けなかった。
逃げるようなその言葉がレイゾンの本心とはとても思えなかったからだ。
(だって……一度は……)
「どうした白羽。行くぞ」
<お待ちください。あれを、そのままにしていてよろしいのですか?>
「……今はえむを得ぬ。俺たちが戦わずとも、いずれ魔術師たちがなんとかするだろう」
<ですが……!>
しきりに手綱を引っ張り、白羽に急きたてて方向を変えさせようとするレイゾンに、白羽は暴れるようにして抵抗した。
直前のレイゾンの様子では、あの魔獣を討伐するつもりのようだった。戦うつもりのようだった。
なのになぜ。
(わたしのせい……?)
白羽は思い至って顔を顰めた。
もしかして、わたしが実戦の経験のない騏驥だからなのだろうか。
だからレイゾンさまは戦うことをやめるような判断を……?
するといつまでも動こうとしない白羽に焦れたのだろう。レイゾンが少し強めに白羽の腹を蹴り、「動け」と合図を送ってくる。
「——おい、白羽」
<こ、このまま道を変えて、我々は無事街に辿り着いたとしても、あれがもし本当に魔獣なら周囲にどんな害を与えるかわかりません。見てしまった以上、なんとかすべきでは——>
「無理だ」
<先に魔獣に遭遇した時、レイゾンさまは勇敢に立ち向かっていったと聞き及んでいます。なのにどうして>
「あの時は襲われている者たちを実際に目にしていたためだ。だから咄嗟に……。今はそんな危険を犯すときではないだろう」
<馬に騎乗していたにも関わらず魔獣に向かっていきながら、今は馬に勝る騏驥に騎乗していながら逃げ出すと?>
「っ……お前は戦いに向かぬだろう!」
と——。ついにレイゾンが叫ぶように言った。
「自分の力量も計れぬ騏驥が、騎士の判断に口出しするな! お前は一度として実戦の経験がない騏驥だ。そんな騏驥を、どうして危ないとわかっているところへ連れて行ける!」
「俺はお前と共に街へ戻る。街へ戻って、これから先も共にいられるように——」
<“共に”とはどのようにお考えの”共に”でございましょうか!?>
怒鳴るような声音で口早に言うレイゾンに、堪らず白羽も声を上げる。
声を呑んだレイゾンに、白羽は続けた。
<騎士と騏驥が共にいるということは、ただ一緒にいるだけのことではないと存じます。騎士は誇りを胸に騏驥に乗り功をあげ、騏驥はそのために騎士に尽くす……。聖獣と崇められ兵器と恐れられし我々が——人の姿と馬の姿を行き来するこの身が唯一心からの喜びを得る時があるとすれば、それは主である騎士のお役に立てた時でございます>
<それこそが我ら騏驥の存在の理由——。それこそが騎士と騏驥とが”共に”あることと思っております>
<それともレイゾンさまは、わたくしをただ側に留め置き、飾り置くことをお望みでいらっしゃいますか? 危ないことはさせず、”共に”戦いに赴くこともなく——?>
<確かにそれであればわたくしの身は護られましょう。ですが同時にそれは、レイゾンさまの騎士としての栄誉をも失わせてしまいましょう。わたくしは、そんなことは望んでおりません!>
<わたくしは……至らぬ身ながら少しでもレイゾンさまのお役に立ちたいと思っております。それでこそ、レイゾンさまの騏驥として胸を張ってお側にいられるのだ、と。それでこそ、いつまでも”共に”いられるのだ、と……。ですから……>
思いの丈を一気に話し、話しているうちに興奮してしまった白羽は、そこではたと気づく。
レイゾンからの声がまるでない。相槌どころか咎める声も止める声も。
<あ、あの……つまり……>
自分の失態に、白羽はしどろもどろになる。
そもそも騏驥は騎士に反論することが許されていない。レイゾンは大目に見てくれているだけなのだ。
しかも彼には考えあっての撤退で、それも白羽のことを思ってくれてのこと。
(こんなに言い返すことでは……)
なかったかもしれない。
だがどうしても嫌だったのだ。
自分のために——自分のせいでレイゾンが本当にやりたいことがやれないのは。
彼が本心から逃げたいのなら白羽だって全力で逃げる。けれどきっとそれは違う。
人々にとって危険な魔獣の存在に気付いていながら逃げるなんて、それはきっと彼のやりたいことじゃない。
彼がどれほど騎士になりたかったか——そのためにどれほど努力してきたかを白羽は知っているつもりだ。だからこそ。
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