前王の白き未亡人【本編完結】

有泉

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177 夜の恐怖

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 陽が落ちた。
 落ちてしまった。
 降り始めた雨の中、白羽は長く息を吐くと、丘の途中で脚を止めた。

 丘を上り、また下り、足場の悪い岩だらけの道を、食事を摂る間も惜しんで歩き続け、走り続けて二日が過ぎた。 
 人の姿の時とは比べ物にならないスタミナと速さ、動きやすさとはいえ、魔獣や賊に遭遇しないよう警戒しながらの探索だ。疲れないわけじゃない。 
 人とは違い夜目がきくとはいえ、人よりも視界が広いとはいえ、レイゾンを見つけられずに焦りが募るのは人と同じだ。

(どうしよう……)

 今日もまた見つからなかった。
 見つけられなかった。

 間違えていたのだろうか。探す方向が違っていたのだろうか。
 自分の判断が誤っていて……そのせいで……。

 探し始めた頃は、まだ希望がたくさんあった。
 あと少し行けば、もう少し探せば、と思えていた。
 夜を徹して探しても見つからなかった時でさえ、まだ大丈夫だと思っていた。今日こそはきっと見つけられる、と。
 絶対に再会できるのだ、と。

 しかし——。

 姿どころか声も気配も感じられず、白羽は押さえ込んでいた恐怖が胸の中で再び頭をもたげ始めてるのを感じていた。
 このまま見つけられなければ……レイゾンは……。

 ジウジ領を出て、どこか別の街に逃れているのではないかという希望は、探し始めてすぐなくなった。レイゾンが乗っていたと思しき馬が、瀕死の状態で見つかったからだ。
 白羽が自分用に持っていた餌を与え、水を与えたことで馬はなんとか持ち直したが、近くにレイゾンの姿はなかった。
 乗っている体力がなくて降りたのか、もしくは馬だけでも助けようとして放したのかはわからないが、いずれにせよ、傷を負った身で歩いて別の街まで行くのは無理だろう。リーシァンヘ戻ることも。

 だとすれば、彼はまだ一人でどこかにいることになる。傷を負った身のままで。

(魔獣や賊に見つからぬように隠れているのだろうけれど……)

 そのせいで見つけられないのが歯痒くてたまらない。
 白羽が項垂れてしまったからか、今は背の上の子猫も寂しそうな気配だ。
 この子も昼夜を問わず周囲を駆け回ってくれていた。
 白羽が見られないような小さな隙間にも首を突っ込んでは、レイゾンの痕跡を見つけようとしてくれていた。
 けれど……。

(っ!)

 気を抜くと、がくりと崩れそうになる脚をなんとか堪える。
 まだ希望はある。
 明日も探せば、きっと見つけられるはずだ。
 レイゾンは騎士だ。体力もあるだろう。今は身を潜めているだけでそのうち、きっと……。

 しかしそうして自分に言い聞かせていた途中、

<!?>
  
 不意に周囲に人の気配を感じ、慌てて顔を跳ね上げる。
 と、いつの間にか白羽を囲むように男たちがいた。四人……五人。身なりから一目でわかる。賊だ。レイゾンを追っていたのだろうか?
 それとも、全く別の奴らだろうか。なにも知らずに近くを通りがかる旅人たちを襲おうという魂胆の……。

(いつの間に——)

 こんなに近くまで男たちが来ていたことに気づかなかったことに戸惑いつつ、白羽は逃れようと地を蹴る。

 しかし——。

(!?)

 動かない。
 脚が動かないのだ。四肢が。身体が。

<ど……>

 どうして。

 かつてないほどの焦燥感を覚え、白羽は混乱した。
 もう一度試みる。だがやはり——動かない。

 男たちは、雨の中でも灯り続ける松明のようなものを手に、嗤いながら近づいてくる。
 騏驥を恐れずに。恐れる必要などないのだというように。その確信があるのだという態度で。

 白羽は経験したことのない不快さを覚えながら思った。

(この男たちだ)

 レイゾンが遭遇したのは。
 もしくはこの男たちの仲間。

 いくら疲れていたとはいえ、自分は騏驥だ。人に比べれば遥かに耳がいい。鼻だって。視界だって真後ろ以外は全て見える。しかも今はレイゾンを探していた途中だ。雨中でも、辺りの気配にはいつも以上に敏感になっていたはずなのだ。背に乗っている猫だって。

 なのに、これほど近づかれるまで気づかなかった。
 しかも身体も思うように動かなくなるなんて、”何か”があるに決まっている。その上、男たちのこの態度だ。
 こちらが動けないことを確認している態度。

 何か——。
 魔術の影響が。

 だが。

(騏驥にさえ影響するほどの魔術……?)

 そんな強力な——特殊な魔術を使える魔術師がいるというのか。こんな賊たちの中に。もしくはその近くに。背後に。
 魔獣の出現もその魔術師が関わって……?
 
 白羽はなんとか逃げる術を考えるが、相変わらず身体はぴくりとも動かない。脚が根になってしまったかのようだ。
 何度繰り返してもそれは同じで、白羽は恐怖に目の前が暗くなる。
 落ち着いて、この状況を打破できる方法を考えなければと思うのに、どうすれば……と気ばかり焦って考えがまとまらない。
 騏驥になって以来一人になったことも初めての上、敵らしい敵に遭遇したのも初めてなのだ。対処方法がまるでわからない。戦い方も。逃げるしか方法はないのに身体は動かなくて……。
   
 近づいてくる男たちが歪んだ笑みを浮かべる。
 声は聞こえないが、目配せしあっては口々に何か言い合っているのが見える。捕縛の方法の確認でもしているのだろうか。それとも捕まえた後の話か……。

 男たちが次々に刃物を取り出したのが見える。
 焦っても焦っても身体は動かず、恐怖に涙が滲みかけた刹那——。

「ニァ——!!」

 それまで白羽の背の上で気配を消していた子猫が、一人の男に飛びかかった。
 不意を突かれ、男はのけぞるようにして子猫を避けようとしたが、僅かに遅かった。爪が男の衣にかかり、それを裂く。そこから石が転がり落ちた瞬間、

<動ける!!>

 白羽は思い切り地を蹴ると、一瞬で周囲の男たちを吹き飛ばす。
 そのまま、後ろも見ずに走った。

 早く早く早く。逃げなくては。逃げるのだ。逃げ——大丈夫。大丈夫。大丈夫。もうあいつらはいない。いない。いない。動ける。走れる。大丈夫。大丈夫。もう大丈夫——。
 心臓が早鐘を打っている。どこをどう走っているのかもわからない。
 ただ逃げたかった。
 怖い。
 怖い怖い。怖い——。


 走って走って走って——。


 疲れ果て、白羽は崩れ落ち膝をつく。
 泣きながら。
 ——人の姿で。 

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