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176 手負いの騎士
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「っ……」
矢傷にジクジクと疼く脇腹を抑えながら、レイゾンは身じろぎした。
身体は、地に横になったまま全く思い通りにならない。
携えていた薬や符で最低限の処置はしたはずだが、いまだに痛みは増すばかりだ。
薬で消せない毒が使われていたか、それとも妙な魔術でも込められていたか。
(魔術か……)
思いがけず魔獣や野盗と戦ったあの時から、一体どれほどの時が過ぎているのか。
あんな奴らと出会したことも驚きだったが、それに加えて、馬が言うことを聞かなくなったことが予想外だった。
子供の頃から馬に乗っていて、どんな馬でも乗りこなす自信はあったのに、不意にいうことを聞かなくなって……。
暴れて、首を振って、跳ねて反抗して、おかげで反撃することもままならず、挙句、矢傷を負うような失態を犯してしまった。
それでもなんとあの場から離れ、ここに潜んだ。
携帯食と、同じく携帯していた水の粒のおかげで生きてはいるが、意識や記憶は途切れ途切れだ。今がいつなのかもはっきりしない。
辺りが薄暗いから尚更だ。
それに加え、じめじめと湿気た空気は決して良いとはいえない環境だが、入り口の狭さの割に中が広い、この洞窟のような場所は身を隠すのには適している。
もう少し符の使い方に長けていたなら、もっと安全で過ごしやすいところを選べたかもしれないが仕方がない。
自分の力量ではこれぐらいが限界だ。
目立たぬよう、小さな発光石だけを灯しただけの中、レイゾンは痛みに顔を顰めつつ、入口に目を向けた。
そこに置いた幾つかの魔術石。岩肌に貼った何枚かの符。
魔獣を避けるための、結界。
なにもないよりはマシだろう。
街のあたりに魔獣らしきものが現れていると噂は聞いていたが、まさか本当に出くわすとは。
しかも——あれほどの難敵とは。
騎士になる過程で、魔獣に対抗する術は学んできたはずだった。
騎士学校での実技でも問題なく応戦できていた。
けれど、あれほど大きく魔術力が強く、荒ぶったものに出会うとは思っていなかった。
(あんな魔獣が……どうして……)
使い魔が凶暴化した魔獣は、本来、さほど大きくならないものだと学んだ。何らかの理由で主の魔術師を失ってしまい魔獣となったものは、魔術力を得る術を失い、生きてはいけなくなってしまうから、と。
なのに。
(あれほど大きかったということは……。誰かが育てていたということか?)
魔術力を失えば死ぬということは、逆に言えば与え続ければ魔獣を育てることはできる——ということだ。だが、害を為すとわかっている魔獣を故意に育てることは当然認められていない。
見つかれば処罰されるし、それも相当な罰を受けるはずだ。
にもかかわらず、そんな悪意を持った魔術師がいるというのだろうか。
国を混乱させたと——反乱の意思ありとも取られかねないようなことするような魔術師が。
(この国の魔術師に……? いや……もしかしたらどこからか潜り込んだ奴らがいるのかも……)
魔術師を抱えているのは、なにもこの成望国だけではない。
周辺にも、魔術を扱える者たちを擁している国は幾つでもあるのだ。もちろん、嫌っている国もあるけれど。
そんな状況でありながらこの国が大陸の大半を治められているのは、他でもない、騏驥の力だ。他の国には、魔術師はいても騏驥はいなかった。
——騏驥。
国の宝である聖なる異形。
無二の兵器。
だから騏驥は「輪」によって厳しく管理され、結界を超えられない。
(騏驥、か……)
その言葉を思ったときに浮かぶのは、ただ一頭だ。
幻のように白く、夢のように美しい一頭。——一人。
刹那、閉じた目の奥で白い髪が舞った気がして、レイゾンは微かに笑んだ。その笑みは次第に苦笑に代わる。
おかしなものだ。
傷は痛いし息は苦しいし身体は熱くてなのになぜかとても寒いのに、心のどこかで「よかった」と思っている自分もいる。
決して「良い」状態ではないのに。
彼が傷を負うようなことがなくてよかった、と。
馬ではなく騏驥に騎乗していれば、魔獣も野盗たちも退けられたかもしれない。けれど彼を無傷でいさせることができたかはわからない。
もしかしたら、今自分が感じているような痛みを、苦しみを、熱さと寒さを感じさせてしまうことになっていたかもしれない。
それを想像すると——。
「よかった」と思ってしまうのだ。
自分が怪我をするだけでよかった、と。
(怪我では済まないかもしれないが……)
ユゥ達も逃げおおせたなら、それで騎士としての自分の仕事はまっとうできたというわけだ。護るべきものを護った。
あとは——その代償がどんなものになるかは運命のみが知る——だ。
一層激しくなる痛みに、レイゾンは顔を顰める。
「……は……」
身体が重い。
息がうまくできない。
目が霞む。
意識が薄らぐ中、レイゾンは、せめて白羽のことを考えていようと試みる。
あの美しい騏驥のことを。その姿を。表情を。交わした言葉の数々を。触れた温もりのことを。
そうすればこの身にどんな代償が降りかかろうとも、きっと安らかな気持ちでいられるだろう。
こんなときに——命すら危ういときに、もう手放すつもりだった騏驥を想うとは……。
(こんなにも、俺は諦めが悪かったのか……?)
レイゾンは痛みに顔を顰める。頬の傷跡が、自嘲するかのように歪む。
やがて、途切れる意識の中で想う。
もし——もし生きてあの騏驥に会えたなら俺は——。
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