174 / 239
169 街を発ってからの騎士と従者に起こったことは(3)
しおりを挟む潤んだ瞳に真っ直ぐに見つめられ、戸惑い、怯んでしまう。
まるで、こちらの心の中を見通されているかのようだ。
辞めたくはない。
辞めたいものか。
騎士になるために経てきた労苦を思えば辞めたくなどない。
けれど、仮に騎士の立場に縋り付いたとしても、白羽との繋がりは切れてしまうだろう。当然だ。自分がそれを申し出たことが始まりなのだから。
だが。
気づいてしまった。
自分は、他の騏驥ではもうだめなのだ。
ユゥがずっとレイゾンの従者でいたいと願ってくれたのと同じように——それ以上に、自分はずっと白羽の騎士でいたい。
騎士でいればいいというものではないのだ。
白羽の——あの騏驥の——あの美しい白い騏驥の騎士でいたい。
そして。
そして身勝手にも、白羽にもそうあって欲しいと思っている。
彼のために、彼を手放すつもりだった。
自分以外の誰かが——もっと相応しい騎士が主であった方が、きっと彼のためになるだろうと思って。
けれど今は、自分以外を乗せてほしくないと思っている。その背に、自分以外を乗せてほしくないと思っている。
だから、共に王都へ帰ることなく別れたのだ。
自分がもう白羽の騎士でいられない以上は、他の誰にも彼の主になってほしくなくて。
リーシァンの街のヨウファンに——騎士ではない彼に白羽を預けるように、との王命が降った時には、その意外さに驚いた。しかし同時に、思いがけないほどの幸運を感じたのも本当だ。
ヨウファンが騎士ではないなら、白羽を街に置いてきさえすれば、これでもう誰も白羽に乗ることはないと——そう思って。
白羽とともに王都に戻れば、自分は騎士でなくなるために誰か別の騎士が白羽に乗ってヨウファンの元に送り届けることになる。それがどうしても嫌だったのだ。
あの侍女には、白羽を街に置いておく理由として”それらしい”ことを言っておいたが、本音はこんなものだ。
白羽には、誰も乗ってほしくない。
街へ送り届ける数日間だけでも。それすらも嫌だったのだ。
(身勝手も過ぎるというものだ……)
だがこれが偽らざる本音だ。
そして叶うことなら、あの騏驥を離したくないが……。
(もう決めたことだ)
そして決まったことだ。
巡り合わせが悪かったと思うしかない。
もう少し早くいろいろなことに気づいていれば。
もう少し早く自分に正直になっていれば。
今となっては、せめてあの騏驥がこれから幸せでいることを願うばかりだが、ヨウファンの元なら安心だ。不自由な暮らしになることはないだろう。
元々彼とは知り合いだったようだし、互いにいい距離感で過ごせるはずだ。騎士と騏驥、という関係ではないにせよ。
いやむしろ騎士と騏驥でない方がいい。
誰にも乗られずに過ごせるなら、危険に晒されることもない。
自分の身勝手さを免罪符にするつもりはないが、あの騏驥は騏驥らしくないのだから、せめて平穏無事に暮らしていけるなら、それに越したことはない。
(走りは良い素質を持っていたが……)
争いごとには向いていないだろう。
……多分。
(いや……そうでもないか……?)
いつだったか、街中で三人の騎士を手玉に取っていた白羽を思い出す。
美しかった。あの時も。
騎士三人を向こうに回して、指一本触れさせずにいて。
そういえば、あの時の揉め事のきっかけは、レイゾンが馬鹿にされていたのを白羽が聞き咎めたため……だった。
諍いなど嫌いだろうに、レイゾンの名誉のために、その身が危険に晒されることにも構わずに三人に対峙したのだ、あの騏驥は。
つくづく、惹きつけられる騏驥だ。
類稀な美しさを持っているが、それだけではない。
騏驥としての経歴も変わっている上に、馬の姿になったことも騎士を乗せて全力で駆けたことなどほとんどなく。
それなのに、少し走らせてみれば、その素質の高さは目を見張るほどで、しかも嫋やかな容姿に似合わぬ頑固さと根性があって……。
「…………」
気づけば、白羽との思い出の数々が胸に込み上げてくる。
一緒にいた時間は決して長くはないのに、彼と過ごした時間は深く胸に刻まれている。
レイゾンは、胸のうずきに突き動かされるまま、今きた道を振り返る。
もうずいぶん街から離れた。影も形も見えないほどに。
けれど戻れば騏驥がいる。置いてきた騏驥がいる。白羽がいる。
もう一度だけでも見たいと、強くそう思う騏驥が。
だが見てしまえばもう手放せなくなる。
それがわかっているから、今朝は別れの挨拶もせずに街を離れたのだ。
昨夜の姿を最後の思い出にして。
レイゾンは未練を振り切るように頭を振ると、
「……行くぞ」
低く呟き、じっとこちらを見つめていたユゥから顔を逸らすようにして馬の首を巡らせる。
彼の問いに答える必要はない。
休憩する気もない。
こんなところで時間をとってしまうつもりもなかったのに。
自分の弱さに歯噛みしつつ、「もうユゥになにを言われようと夜まで止まるまい」と決める。
そんな決意が伝わったのだろう。
ユゥは顔を曇らせつつもなにも言わず、レイゾンの後をついてこようとする。
が、その時。
「? 」
視界の端に、不自然な翳りが窺えた。
周囲は砂地の、岩場しかないような場所だ。なのにその遠方に、空気の澱みのような……妙な靄のような土煙のような気配が感じられたのだ。
しかし街道からは少し逸れている辺りだ。
“なにもない”はずの場所に、なぜそんな気配が?
気のせいだろうか。
しかし……と、眉を寄せたレイゾンにユゥも気付いたのだろう。
レイゾンが見つめている方に目を向けると、
「? あれはなんでしょう? あの辺りだけどうして薄暗いのでしょうか」
驚いたように彼も言う。
やはり見間違いではないのだ。
そうしているうち、その靄の中から、悲鳴のような声が聞こえる。かと思うと、人らしき影が慌てふためくような様子でバラバラと飛び出してきた。
「! 行くぞ!」
異常を察し、レイゾンはそう声を上げるが早いか、土煙が渦を巻く方向へ向けて馬を走らせていた。
なにが起こっているのかはわからないが、”なにか”が起こっているのは確かだ。そして巻き込まれている人がいるなら、騎士として見過ごせない。
0
お気に入りに追加
162
あなたにおすすめの小説

カランコエの咲く所で
mahiro
BL
先生から大事な一人息子を託されたイブは、何故出来損ないの俺に大切な子供を託したのかと考える。
しかし、考えたところで答えが出るわけがなく、兎に角子供を連れて逃げることにした。
次の瞬間、背中に衝撃を受けそのまま亡くなってしまう。
それから、五年が経過しまたこの地に生まれ変わることができた。
だが、生まれ変わってすぐに森の中に捨てられてしまった。
そんなとき、たまたま通りかかった人物があの時最後まで守ることの出来なかった子供だったのだ。
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき(藤吉めぐみ)
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

白金の花嫁は将軍の希望の花
葉咲透織
BL
義妹の身代わりでボルカノ王国に嫁ぐことになったレイナール。女好きのボルカノ王は、男である彼を受け入れず、そのまま若き将軍・ジョシュアに下げ渡す。彼の屋敷で過ごすうちに、ジョシュアに惹かれていくレイナールには、ある秘密があった。
※個人ブログにも投稿済みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる