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167 街を発ってからの騎士と従者に起こったことは
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「……レイゾンさま、少し休みませんか……?」
少し後ろから聞こえてきた声に、レイゾンは軽く眉を寄せる。
ユゥは賢明な従者だ。ついさっき休憩を取ったばかりだということを忘れたわけではないだろう。
しかも彼は若い。さほど疲れてもいないはずだ。
馬の質が悪いならまだしも、二人が乗っている馬は、どちらも極上のそれだ。王城で飼われているものたちの中に混ぜても、決して見劣らないだろう。
形の良さはもちろん、気性もよく、乗っていて楽だ。
なにしろ、街どころか領内でも有数の富豪であるヨウファンがレイゾンとユゥのために——騎士とその従者が騎乗して王都に戻るに相応しい馬として用意してくれたものなのだから。
まだ夜も明けないうちにヨウファンの屋敷を後にして、どのくらい経っただろうか。すっかり明るい周囲の様子からすれば、昼前ぐらいだ。リーシァンの街を出て、ジゥジ領から王都を目指す街道を進み始めて、もうしばらく経つ。
馬の一完歩ごとに街は遠くなり、置いてきた騏驥も遠くなっている。
街から街へと行き来する商人や商隊たちのためか、道はよく整備されていて、馬も気持ちよさそうに歩いている。けれど今はそれが少し恨めしい。
その思いを顔にも態度にも出さないように気をつけながら、レイゾンは前だけを向いて馬を歩ませ続ける。
「……レンゾンさま……」
すると、そんなレイゾンに再びユゥの声が届く。
それでも返事をせずにいると、ややあって、傍に、ととと……、と馬が並びかけてきた。
「あの……少しだけ、休みませんか?」
そしてレイゾンの従者は、伺うように尋ねてくる。控えめな物言いと表情だ。だが、そう訊くこと自体がレイゾンの意に反していることがわかっているはずだ。
しばらく、土を踏み締める蹄の音を聞いたのち、レイゾンはふうっとため息をつくと、
「さっき休んだばかりだろう」
と短く返す。
しかしユゥは「そうですけど……」とさらに言葉を継いだ。
「でも、ちょっと疲れてしまって……」
「もう少し我慢しろ。まだジゥジ領内だ。そんなに頻繁に休んでいては、いつ王都に辿り着けることやら」
「レイゾンさまは馬に慣れていらっしゃるから平気なのでしょうが、僕は不慣れなのです。だから——」
「不慣れだからこそ長く乗るべきだ。そうだろう? 甘いことを言っていては、立派な騎兵になれないぞ。色々と学んでいると聞いていたが、あれは嘘か?」
「う、嘘では……」
慌てたように言うユゥがおかしくて、レイゾンは思わず笑った。
「わかっている。お前のことは何人かの教官から聞いているが、いい評判ばかりだ。このまま訓練を続けていけば、きっといい騎兵になるだろう」
そして言いながら首を巡らせると、傍を共に行くユゥを見る。
不慣れなどと言っているが、馬上の様子はなかなか堂にいっている。レイゾンが程よいペースで馬を進められているのは、ユゥがちゃんとついてきているからだ。
ひょんなことから出会い、側に置くようになった少年だった。
それでも最初の頃はすぐにいなくなるだろうと思っていたのだ。自分の側にいても、良いことなどないのだから、と。
なのに彼は離れなかった。
レイゾンのことを慕い続け、いつの間にか従者として身の回りの世話をしてくれるようになって……。
こんなに長い付き合いになるとは思っていなかった。
初めて会った頃に比べれば、随分と背が伸びた。顔つきからも子供っぽさが消えて、少年から少しずつ青年に変わってきている。
決して楽ではなかった騎士になるための日々の中、彼の存在は心の支えだった。騎士になってからも、目端がきく彼の機転や気遣いで助けられたことが度々あった。
家族と離れて暮らすようになって久しいが、彼は今や弟のような存在にも思っている。
と、不意にユゥが顔を曇らせる。馬の歩みも、やや緩くなる。
「どうした」
レイゾンが尋ねたのとほぼ同時、ユゥの馬が止まってしまう。
「ユゥ。休憩はしないと言って——」
険しい声でレイゾンが言いかけた時だった。
手綱を持つユゥの手に、ぽつ、と水滴が落ちた。
俯いたユゥの頬を、涙が伝って落ちる。
レイゾンが驚いて馬を止めると、
「……僕は、騎兵になりたいんじゃありません……」
泣き声を堪えようとして堪えきれなかったようなユゥの声がした。
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