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165 理由
しおりを挟む考えれば考えるほど——この数日のレイゾンとのことを思い出せば思い出すほど胸が苦しくなる。
気づこうとしていれば、気づけていたのではないだろうか。彼の気持ちに。彼の決心に。レイゾンは良くも悪くも自分の気持ちに素直な人だ。隠し事が得意だとは思えない。
けれど自分は、自分の思いを知ってもらいたいばかりで……。
白羽が、自身の目の奥がじわりと熱くなるのを感じた時。
「……白羽さま……こちらを……。ヨウファンさまが、白湯に蜜を混ぜたものを用意してくださいましたので……」
頭上からサンファの声がした。
ゆっくりと顔を上げると、寝台の傍らに杯の盆を持った彼女が立っている。
それを見留めた直後、白羽は目を伏せ視線を逸らした。
彼女の甲斐甲斐しさや献身を、今日まで疑ったことはなかった。
引き合わされて以来、ずっと信頼してきた。
その理由の一番大きなものは、彼女がティエンに連れられてきたためだったけれど、一緒に居続けたのはそれだけが理由じゃない。
同じ時間を過ごすうちに、彼女自身の優しさや気遣いの細やかさ、聡明さに好感を持ったからだ。
時にはその言動にハラハラすることもあったけれど、礼儀正しく、何より白羽に対してはいつも忠実に尽くしてくれていた。心を砕いてくれていた。
だからティエン亡き後も取り乱さずに済んだ。寂しかったけれど、心細い思いをしたのは最小限で済んだ。思い出を語り合う相手がいたからだ。折に触れて懐かしさを感じ合う相手がいたからだ。
サンファは白羽にとってそんな存在だった。
だから城から出ることになっても——心許ない思いをせずに済んだのだ。彼女がいつも付き従ってくれていたから。変わらずに。昔から変わらずに。
侍女だけれど、友人のように思っていた。気の置けない相手だと。
なのに……。
少し考えた後、白羽はゆっくりと身を起こす。
サンファは持っていた盆を傍の桌に置き飲み物を差し出してきたが、白羽は黙って首を振った。
そのまま寝台を降りて紙と筆を手にすると、
[お前はいつから知っていたの]
そう書いて、サンファに見せた。
言葉を選ぶほどの余裕は、今はない。
途端、彼女の造りもののような整った貌が強張る。
持っていた杯を静かに桌に戻すと、白羽をまっすぐに見て口を開いた。
「白羽さまたちと別れて……あの従者とともにこの街へやってくる道すがらです。……より正確に申し上げれば、ここへ着く前日の夜に」
[どうして教えてくれなかったの]
書きながら、白羽はできる限り落ち着こうと自分に言い聞かせる。
同時に、ここに着いてからのサンファの様子を思い返していた。
(言われてみれば……)
いつもの彼女よりもぼうっとしていることが多かったような気もする。心ここに在らずというか……別のことに気を取られているような。
それに昨夜だって——そうだ。彼女らしくなかった。
いつもの彼女らしからぬほど楽しそうだった。よく喋ってよく飲んで……。
あれは、これで別れなのだとわかっていたためなのだろう。
今朝の様子だって——早くに寝たはずなのに目元が赤く火照ったようになっていたのは、眠れなかったからか泣いていたせいに違いない。
一つ一つ思い返しながらじっと見つめる白羽に、サンファは「口止めされておりました」と小さな声で応えた。
「あの従者からも……レイゾンさまからもです」
そう言って目を伏せるサンファに、白羽は眉を寄せた。
口止めされていた。——そうだろう。だから白羽は全くなにも知らなかった。
だが。
[お前の主はわたしなのに、レイゾンさまの意向を受け入れたのはどういう了見から?]
書いて見せると、サンファははっと息を呑む。
気まずそうな表情が浮かぶ。けれどそれは数秒のことだった。
「わたくしもその方がいいと思ったからです。その方が、白羽さまのためになると——」
(っ——)
その瞬間、白羽は思わず手近にあった紙の束を叩き落としていた。
怒りで目の奥がチカチカした。
その方がいいと思った?
わたしのために?
どうして勝手にそんなことを。
そこまで許した覚えはない。
憤りを込めてサンファを見つめる。
が、彼女は怯むでも驚くでもなく、ただじっと白羽を見つめ返してきた。
しばらく見つめ合ったのち、おもむろに、サンファは落ちた紙を拾い始める。
全て拾い、きちんと揃えて白羽の傍に置き直すと、改めて口を開いた。
「……レイゾンさまがご予定通りに速やかにここをお立ちになることが、ひいては白羽さまのためにもなると思ったのです。レイゾンさまのご決意は固いようでしたので……」
淡々と、彼女は言う。
「今のこのご様子を拝見する限りでは、わたしの判断は正しかったと思っております。……こんなに取り乱されるとは……」
(!)
誰のせいで取り乱していると思っているのだ。
しかし白羽のその声にできない抗議は、不意に強く腕を掴んできたサンファによって阻まれた。
彼女は白羽の両腕を両手できつく掴むと、
「よくお考えください……!」
嗜めるように、諭すように言った。
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