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160 困惑

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 じっと見つめる白羽からの視線も気にしていない様子で、彼は薄く微笑んだまま見つめ返してくる。
 しばらく見つめあったのち、先に、なんとなく居心地悪くなってしまったのは白羽の方だった。
 白羽はヨウファンから目を逸らすと、サンファを振り返る。自分の代わりに、彼女にレイゾンがどこにいるか尋ねてもらおうかとも思ったのだ。
 だが、

[レイゾンさまはどこですか]
 
 結局、白羽は自らヨウファンに問うた。
 ヨウファンは白羽が急いで書き記した紙を見ると、一瞬目を瞬かせる。あまりにも字が乱れているからだろう。書いた白羽自身がそれは一番よくわかっている。できるなら見せたくないほどの字だし、書き直したいくらいだが、もう見せてしまった。恥ずかしさに顔が熱くなるのを感じる白羽の目に、ヨウファンが微笑む様子が映る。
 柔らかな目元。均等に上がった両の口の端。しかし醸し出す雰囲気はどこか歪だ。
 悪意や敵意は感じないけれど、なぜか落ち着かないような気持ちにさせられてしまうのだ。
 裕福で気ままに過ごしているような相手とあまり面識がないからだろうか……。
 答えを待つ間、白羽がぼんやり考えていると、

「彼は、ここにはいないよ」

 穏やかに、しかしさらりとヨウファンは言う。
 当然のことを語るようなその口調に、白羽は気勢を削がれる。だが却って落ち着けた。

[また役所に出かけられたのですか?]

 重ねて尋ねる。今度は普通に書けた……はずだ。
 だがほっとしたのも束の間、紙を一瞥したヨウファンは即座に「いいや」と首を振ったのだ。

(?)

 ではどこに?
 白羽がさらに続けて訊こうとした寸前、

「街にももういない。あの御仁は、彼は誰時に王都に向けて発った」 

(!?)
 
 息が止まる。時間が止まる。

 発った? 王都へ? レイゾンが?
 白羽は混乱した。

 だってレイゾンはそんなこと一言も言っていなかった。昨夜会った時もなにも。
 
 聞き間違えた?

 だってヨウファンは平然とした顔のままだ。
 白羽は呼吸も忘れて目の前の男をまじまじと見つめる。彼は特に慌てていない。焦ってもいない。
 不自然なほど。
 そう——。まるで予め定められていたことを話しているかのような落ち着きぶりで……。

 自分が見ているものと聞いたことのチグハグさに、白羽の狼狽はますます大きくなっていく。答えを求めるようにじっと見つめていると、見つめ返してくるヨウファンのその双眸に、微かに哀れみにも見える気配が滲む。

 それを感じた瞬間、白羽は思わず彼に詰め寄っていた。

(どういうことですか!?)

 腕を掴み、必死で問う。
 声が出せないのがもどかしい。悔しい。
 苛立ちに、涙が滲んでくる。

 でも教えて欲しいのだ。
 今自分が耳にした言葉は本当なのか。彼は本当に——レイゾンは王都に向けて行ってしまったと、そう言ったのか。それとも聞き間違えたのか。

 行ってしまったなら、なぜ?
 自分を置いて、なぜ。
 なにも言わずになぜ——。

(どういうことですか!?)
 
 白羽はヨウファンの腕を揺さぶりながら繰り返し問う。出せない声で。
 そんな白羽をどう思っているのか、ヨウファンは黙ったままだ。
 されるままになりながら、ただじっと白羽を見つめてくる。そこに先刻のような哀れみの色はない。ただただ白羽が落ち着くのを待っているかのようだ。

 だが。
 そんな風に、ある意味突き放されるかのような態度を取られたところで気持ちが落ち着くわけもなく。
 白羽は、待ってもヨウファンからの応えがないと見ると今度は相手をサンファに変える。
 掴んでいた手を離し、白羽が振り返ると、彼の侍女はびくりと慄いた。

 整った貌は、いつもの彼女らしくなく引き攣っている。その理由はヨウファンが発した言葉のためなのか、それとも白羽のあまりの剣幕のためなのか……。
 それとも。

(もしかして……)

 白羽は、目を合わせようとしない侍女のこわばった頬を見つめながら思う。
 今朝、最初に会った時からどことなくおかしかった彼女の様子。

 もしかして。
 もしかして——彼女は——彼女”も”知っていた?

(サンファ——)

 白羽は、震える唇を動かして彼女の名前を呼ぶ。
 何度も何度も呼んだ名前。けれどこんな風に怒りと疑いを込めて呼んだことはなかったのに。
 声は出ないものの、責めるようなきつい視線でサンファを睨むその様子は——こちらもまたいつもの彼らしくないその様子は——彼女を恐れさせるのに充分だったのだろう。もしくは抱えている疾しさのせいか、今はサンファのその顔は真っ青だ。
 
 逃げるような素振りさえ見せようとするその様子に、思わず白羽が一歩踏み出した時。

「そのぐらいにしておかないか?」

 ヨウファンの困ったような声がした。
 白羽は、視線を彼に移す。と、この屋敷の主である男は、苦笑して肩を竦めて見せた。

「お前の大切な侍女なのだろう。怖がらせてどうする。彼女はなにも悪くないというのに」

 そして続いた言葉は、不快なほど馴れ馴れしい。
 白羽は怒りが込み上げるのを感じながら、

[あなたには関係ありません。黙っていてください]

 と、書いて見せた。

[それよりもレイゾンさまのことを教えてください。さっきの話が本当なら一体どういうことなのか——]

 しかし続けてそう書いていたとき。

「関係なくもないから言っている」

 白羽が紙を見せるより早くヨウファンが言葉を継いだ。白羽は紙から目をあげると、眉を寄せる。
 さっきといい今といい、一体なにを言い出すのだ、この男は。
 しかしそんな白羽の苛立ちなど気にしていないかのように、ヨウファンは「とりあえずこっちに来なさい」と、白羽を手招き、どこかへ連れて行こうとする。

(いい加減にしてください!)

 堪らず白羽は気色ばんで男を睨みつけた。
 
 こっちに来なさい?
 こんな男に命令されるいわれはない。
 たとえこの屋敷で世話になっているとしても、白羽に命令していいのは騎士だけ。レイゾンだけだ。

 白羽はひとしきりヨウファンを睨みつけると、ややあって、フイと顔を背けた。
 こんな男の顔、見ていたくない。踵を返すと、他の誰かにレイゾンのことを尋ねようと決める。
 ヨウファンの言ったことなど嘘かもしれない。サンファの態度も気のせいかもしれない。レイゾンはまだこの屋敷にいるかもしれない。いなくても——ただ少し出掛けているだけで——。

 しかし——。

「来なさい、白羽」

 足を踏み出しかけた白羽の耳に、再びヨウファンの声が届く。白羽はそれでも足を止めないつもりだった。

「今、お前の主はわたしだ」

 続けて、ヨウファンがそう言うまでは。
 
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