前王の白き未亡人【本編完結】

有泉

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158 明くる日

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 ◇ 


 目覚めはこの上なく心地よかった。
 白羽は、寝台の上で小さく——うっとりと息をつく。
 明るさから考えると、朝早く——という時間には少し遅いようだ。寝過ぎたというほどではないが、早起きとは言い難い時刻。
 とはいえ——それに——しても。

(気持ちいい……)

 よく眠れた。
 熟睡した。

 前夜とは大違いだ。
 
 こんなに心地よく深く眠ったのは久しぶりだ。
 身体の隅々までに活力と気持ちよさが満ちている。

 だからもちろんすぐにでも起き上がれるのだが、白羽はなんとなくそうしなかった。
 起きれば、それを察したサンファがすぐにやってくるだろう。そして身支度を整えるための盥や着替えを用意させるだろう。
 普段なら平気なそれだが、今朝はまだ一人でいたかった。
 一人で——一人だけで昨夜の思い出に浸りたかったのだ。レイゾンと二人で過ごしたあのひとときの思い出に。

 白羽は、天蓋を見上げながら再び息を零す。
 思い出すと、気恥ずかしさでくすぐったい。頬が熱くなるようだ。それでも、思い出してしまうことを止められない。

 月明かりのもとで見た彼の姿。彼の育った村の話。そして彼の歌……。
 良い声だった。荒削りで、だからこそ胸に深く染み込むような深く甘い声音。
 今でも耳の奥に残っている。
 
 切なくなるような不思議な旋律で、だから……思ってもいなかったのについつい身体が動いてしまった。
 あんな風に舞ったのなんて久しぶりだ。
 城でティエンの奏でる楽ともに舞ったのが最後だろうか。歌となると……。

(そうだ……)

 白羽の胸が、微かに疼く。
 そうだ。
 ちょうどこの街でティエンの歌声に併せて舞ったとき以来だ。

(でも)

 白羽は思う。
 けれど自分は昨夜、そのことを思い出さなかった。
 レイゾンだけを見て彼の声だけを聴いて彼のことだけを感じて……。
 少し前までは、何を見ても聞いてもティエンのことを思い出していたというのに。

 再び胸が疼いた。

 自分はティエンを忘れてしまいかけているだろうか。
 あれほど優しくしてくれた人を。あれほど慈しんでくれた人を。
 自分は何一つ変わっていないはずなのに。

(いや……)

 違う。
 白羽はゆっくりと身を起こした。
 朝陽が部屋に差し込んでいる。清かで眩しく明るい光。

(変わった)

 白く暖かな光を見つめながら、白羽は思う。
 わたしは、以前と少し変わった。
 騏驥として暮らし、思い切り駆ける経験を経て。
 わたしは騎士を大切に感じるようになった。
 ——より大切に。
 
 騏驥として騎士を求めるようになった。
 騎士を。
 ——レイゾンさまを。

 そして気づけば、左右色の違う白羽の瞳に、自分のものではない衣が映った。
"彼"のものだ。昨夜、白羽を気遣ってかけてくれたもの。まだうっすらと香りが残っている気すらする。
 間近で感じたレイゾンの……。

(わたしは……)

 白羽は、身体の奥から熱が沸き立ってくるのを感じた。
 言葉にできない——けれど胸の奥から沸き起こってくる衝動。
 今すぐ——今すぐレイゾンに会いたい。
 彼に会って、今感じているこの気持ちが、昨日から続く、いや、もっと前から静かに続いていたこの気持ちが何なのかを確かめたい。

 ——確かめたい。
 昨日の夜、見えない力に背を押されたかのように彼の腕の中に飛び込んだ自分。
 あれは——そして今もまた、自分を落ち着かなくさせているものはいったい何なのか——。
 白羽は滑るようにして寝台から降りる。

(レイゾンさまに会いたい——)

 ただその一心で、白羽は夜着のまま急ぎ足で部屋を出ようとする。
 彼に会いたい。
 会えばきっと——。
 いや——いいのだ本当は、なにもわからなくても。なにもわからなくても、ただただ彼に会いたい。彼の顔が見たい。声が聞きたい。名前を呼ばれたい。
 
 だがそのとき、はたと気付く。自分はレイゾンの部屋を知らない。
 ヨウファンに訊けばわかるだろうか?

 気持ちばかりが焦り、白羽がやきもきしていたとき、

「——白羽さま、お目覚めですか」

 扉の向こうから声がした。
 サンファだ。
 白羽が急いで扉を開けると、

「起きていらしたのですか。ではすぐにお着替えと——」

 彼女は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに落ち着いた様子で屋敷の使用人を呼ぼうとする。
 だが白羽は慌ててそれを留めると、急いで卓の上の筆をとり、レイゾンに会いたいことを書いて見せる。

[部屋はどこかわかる?]

「…………」

 しかし——。
 それを見たサンファの反応は奇妙なものだった。  
 
 彼女は黙ってしまうと、スイと目を逸らしたのだ。
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