前王の白き未亡人【本編完結】

有泉

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142 街

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 リーシァンの街はジゥジ領に入ってから、さらに南へ行ったところにある。
 背後は山で、街の広さとしては国府が置かれているジゥジョの街に負けるものの、領内では一番商業が盛んなためか、街は華やかで、人も多く賑わっているところだ。

 騏驥の姿でやってくるのは当然初めてだったが、領内に入ったぐらいのころから、道中の風景に何となく見覚えのある場所だと感じ始めているのは、まだ人間だった頃の記憶の名残なのだろう。一座の皆と旅をして、この街にたどり着いたときのものだ。

(あの時は、まさかその後、自分の運命が大きく変わるなんて思ってもいなかった……)

 白羽は、薄れつつある昔の記憶の中に自らを遊ばせ、ゆるやかに泳がせる。
 そんな余裕があるのは、駆けに駆けていた前日までとは違い、今日はどちらかと言えばずっと緩やかなペースで走っていたし、今はもう並足になっているからだろう。
 昼を少し過ぎた時刻。
 段々と街の中心に近づいているからか、人が増えてきている。
 その中には、道端からじっと見つめてくる者、立ち止まってこちらを指さしている者たちも目に入る。賑わっている街とはいえ、こうした地方ではまだ騏驥が珍しいのだろう。いるとすれば領主の城や館ぐらいだろうから。

 少し前までなら、じろじろ見られることで緊張したし動揺したかもしれない。ただでさえ騏驥は目立つ上に白羽はこの毛色だ。
 けれど遠征を経てレイゾンとともに駆け続けた今となっては、さほど気にならなくなっていた。もちろん騏驥として——レイゾンの騏驥として彼に恥をかかせたくない気持ちは変わらずあるが、気負わなくなっている。
 慣れてきた、のだろう。
 いつの間にか。騏驥として振る舞うことに。

「——そろそろだ」

 すると、背中の上から声が聞こえた。
 昨日も眠っていないわりに、レイゾンの声には張りがある。
 対して白羽は、実のところまだ少し眠たかった。
 昨日の野営のときも、やはり白羽の方が先に眠ってしまったにも関わらず、だ。

(騎士の方々は凄いのだな……)

 白羽は改めて思う。
 それとも、自分が虚弱なのだろうか。
 他の騏驥は、やはり騎士に付き添って——むしろ騎士を休ませるためにずっと夜は起きているのだろうか。
 
(…………)
 機会があれば他の騏驥に尋ねてみたいところだ。
 もちろん白羽だって、馬の姿でいたなら夜はさほど眠らなくて平気なのだ。
 だから昨日は馬の姿でいようか迷った。
 一昨日、不覚にもレイゾンより早く眠ってしまう失態を犯してしまったため(しかも彼が作ってくれていた寝場所を独占する形でだ!)、それを挽回するためにも今度は自分が火の番をしていようと思って。
 昨日の朝は、起きてびっくりした。レイゾンに起こされたのだが数秒事態が理解できず、その後飛び起きた。
 レイゾンは、
『そんなに謝らなくていい』
『気持ちよさそうに眠っていたから起こさなかった』
『疲れていたのだろう』
『よく眠れたなら何よりだ』

 と、まったく白羽を責めず、それどころかむしろ白羽の熟睡を喜んでくれていたけれど、主より先に眠った上に朝食まで準備させていたなんて、騏驥としてあまりに情けなくてしばらく顔があげられなかった。
 しかもどうやらレイゾンは眠らなかったらしいから、せめてその夜は白羽が起きていようと思ったのだ。
 だから。
 だからそうするつもりなら、馬の姿の方がよかったのだ。きっと。
 馬の姿ならほとんど眠らなくても大丈夫なのだから。

 なのに。

(なのに、わたしはまた……)

 人の姿に変わったのだ。
 昨日一日街道を駆けて、ジゥジ領に入る少し手前で野営したとき。
 また、人の姿に。

(なぜ……)

 そんなことをしてしまったのだろう。
 前日の反省を示すつもりだったのに、これでは……。

 幸いにしてと言うべきか、昨日の夜は白羽もほとんどずっと起きていることが出来た。
 やはり先に眠ってしまったけれど、二人で夜更かしして過ごしたのも楽しかった。
 彼が話してくれた、彼が生まれ育った村の話は興味深く、訪れてみたいと思うほどだった。

 けれどそれらは全て、やろうと思えば馬の姿でもできることなのだ。

 ——なのに。
 

 白羽は、この遠征でレイゾンに乗られ、精一杯駆ける事で騏驥としての——馬の姿での歓びを知った。レイゾンに触れられる心地よさを自覚した。今までにない感覚を。
 けれど、そうでありながらひとたび彼が下馬すると、自分も人の姿に戻りたいと思ってしまうのだ。馬の姿の方が気持ちが伝わるのに、人の姿でいることを望んでいる。
 一昨日も、昨日も。
 二度続けば「たまたま」じゃない。これはもう——はっきりとした意思だ。
 馬の姿では嫌なのだ。

 彼は馬の姿も褒めてくれるけれど、細やかに気遣って乗ってくれるけれど、それでも。
 人の姿で彼と向き合っていたい——から。

 白羽は、危うく脚を止めそうになるのを辛うじてやり過ごしながら、街を歩き続ける。人の気配からして、もう随分、リーシァンの街の中心部に近づいているはずだ。
 周囲に気をつけなければと思うけれど、レイゾンを乗せて注意深く歩き続ける白羽の胸の中は混乱をきたしていた。
 
(わたしは……)

(わたしは……)
 わたしは、レイゾンさまを……。

 そのときだった。

「白羽、どうした。なんだか上の空だぞ。……さすがに疲れたか?」

 手綱を通して、レイゾンの声が伝わってきた。
 白羽の胸が跳ねる。
 慌てて、しっかり歩かなければと気持ちを入れ直すが、ちょうど彼のことを考えていた時に声をかけられ、恥ずかしいようなばつが悪いような気持ちで落ち着けない。
 なんと返事をすればと考えれば考えるほど言葉が浮かばなくなる。
 と、

「安心しろ。お前も、もうゆっくり休めるはずだ」

 そんな言葉と同時にゆるやかに手綱を引かれ、白羽は反射的に脚を止めた。
 レイゾンが、「よしよし」と慰撫するように白羽の頸を叩く。

(ここが、目的地……?)

 だが。
 白羽は戸惑っていた。

 別の任務を受けたと言っていたから、てっきり行き先はリーシァンの衙府だとばかり思っていた。
 けれどここは、一軒の屋敷の門の前だ。
 大きな屋敷。

 考え事をしていたために、街中に入ってからの記憶があまりない。レイゾンの手綱に導かれるままやって来たが、確かここは……。
 この屋敷は……。
 
 なぜ、と白羽が惑っていると、屋敷から男が近づいてくる。
 使用人を引き連れて、出迎えにやって来た男。垢ぬけたその容姿には見覚えがある。

 笑顔でレイゾンに頭を下げる男は、昔、白羽たちが「旦那さま」と呼んでいた、その男。
 ここは、彼の屋敷だった。
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