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134 わたしが周りからよく見えるのなら、それは
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幾度となく感謝の言葉を口にして国境の向こうに消えていくジェンルの一行を見送ると、レイゾンは「さて」と白羽の上で一人ごちた。そして不意にその背から降りると、
「少し待っていてくれ」
白羽の首筋を叩きながらそう言い残し、騎兵たちの方に歩いていく。
「……どうしたのでしょう?」
代わって手綱を取りに来たサンファが、不思議そうに言う。白羽も気になってレイゾンを見やった。
昨夜は、あの使い魔が何事かを報せに来たこと以外は、取り立てて何事もない夜だった。
そしてその鳥も、レイゾンに符を渡してからは”もう仕事は終わった”というようにどこかへ飛び去り(おそらく王都へ戻ったのだろう)レイゾンもまた、特別なにをすることもなく天幕を出て行った。
『疲れを癒せるように、なるべくゆっくりと過ごせ。明日も早い』
それまでの野営の時と同じように、それだけを言い残して。
白羽が理解したことと言えば、遠征がもう少し延びそうだということだけ。報せを受け取ったときのレイゾンの様子についてサンファに尋ねてはみたものの、彼女はあまり気にしていなかったようで、白羽が[何か変じゃなかったかな]とさらに突っ込んで訊いてみても、今一つピンときていないようだった。
だから、やはり自分の見間違い・気にしすぎていただけなのだろうと、もう気にしないようにしようと決めたはずだったのだけれど……。
予定外のことが起こると、やはり不安でそわそわしてしまう。
(もっとしっかりしないと……)
白羽は一人ごちた。
初めての遠征とはいえ、もう王都を出て一週間ほどにはなるのだ。馬の姿で歩き続けることも、休むことも、人の姿に変わることももう慣れてきつつある。
まだまだ未熟とはいえ一人前の騏驥に近づきつつあるはず……なのだ。
少なくとも、周囲からは他の騏驥同様に”成望国が誇る強大な兵器の一頭”だと思われている。いや、もしかしたらそれ以上にも。なにしろ、五変騎の一頭であることは騎兵や歩兵たちが白羽の白い馬体を見る目は、畏敬と畏怖に満ちたものだったのだから。
未熟とか不慣れとか——そういったことは全て白羽だけの問題で、自分で片をつけなければならないことだ。屋敷の中に閉じこもっているならともかく、騏驥として一歩外に出れば送風の振る舞いが期待されるのは当然なのだから。
——望んで騏驥になったわけではないとしても。
望んで、ここにこうしているわけではないとしても。
騎士とともにいる以上は。
白羽は、「堂々としていよう」と自分に言い聞かせると、四肢に力を込めてしっかりと立つ。それでもレイゾンの方をつい見てしまうことは止められないが、そのぐらいはいいだろう。騏驥として、騎士を見守ることは間違っていない。
(早く戻ってこないかな……)
それでも、気付けばまたそわついてしまう。そのたびに自分を諫めていると、
「白羽さま」
サンファに小さく呼ばれた。
手綱を手にして傍らに立つ彼女を見つめる。
と、今は白羽の厩務員である彼女は、普段と同じ冷たさを漂わせた貌ながら、どこか嬉しそうな気配を漂わせながら続けた。
「白羽さま……。みなが見ていますよ。白羽さまがお美しくて毅然となさっているからでしょう。ご立派です。わたしも誇らしいです」
周囲を気にしてかあくまで小声だが、その声音は弾むようだ。
喜びが隠せない、といった風情に、白羽も思わず意識を周囲に向ける。
と——。確かに見られていた。今まではレイゾンのことだけ気にしていたから気付かなかったが、見られている。
辺りにいるのは成望国の兵たちだけだが、三十人余の彼らは、みな、こちらをちらちらと気にしている。
<……!>
その事実に、白羽は急に緊張してしまう。
頬が熱くなる。馬の姿でよかった……と思っていると、
「白羽さまがお美しいからですよ」
サンファが誇らしげに言った。
「この純白の馬体はもちろんのことですが、遠征の道中、騏驥として優れた立ち居振る舞いだったからでしょう。馬のお姿で長い道中を上手く歩けるのかと心配致しておりましたが……杞憂でございましたね。やはり白羽さまは抜きんでたお方です。陛下がこの上なく大切になさっていただけのことはあると、しみじみ思っておりました」
(…………)
陛下。——ティエン。
白羽の胸を、あの優しい面影が過ぎる。
いつも白羽に優しく、白羽を大切にしてくれた人。
(けれど……)
けれど。
けれどかの人は、白羽を騏驥としては扱わなかった。
白羽の全てを受け入れて慈しんでくれたけれど、白羽に乗ることはなかった。
一度も。
あの、優しいかの人は……。
白羽の胸の中で、上手く言葉にできない感情が縺れる。
それを整理できないまま、
<陛……下……のことは……ともかく……>
辛うじて声を返した。
以前なら——以前の自分なら、サンファからの言葉をそのまま受け取っていただろう。
自分があるのは全てティエンのおかげで、だから自分が褒められることがあったなら、それも全てティエンのおかげなのだと思って。
けれど……今は……。
<……わたしが周りからよく見えるのなら、それは……それは……お前のおかげでもあると思っている。お前が道中ずっとわたしを気遣ってくれていたから、体調を崩さずに済んだ。疲れて脚が止まるようなこともなかったし……。それに……レイゾン……さまも、ずっと気にかけていてくださった……>
遠回しにサンファの言葉を否定したかのような自分の言葉に、白羽はどきどきしてしまう。自分で口にしていながら、まさか自分がそんなことを言うとは思っていなかった。
忠実な侍女であり厩務員であるサンファだが、元はティエンによって連れられて来たのだ。彼の命で白羽に仕えてくれている。彼女はどう思っただろう……?
気にする白羽の視界の端に、微かに驚いたように目を丸くするサンファの貌が映る。けれどそれは、すぐに笑みに変わった。
彼女は、白羽を優しく撫でてくれながら言う。
「確かに、あの騎士はかなり気を遣って乗ってくれていたようですね。毎日、休憩や野営のたびに白羽さまのお身体の様子を確認いたしておりましたが、蹄の状態は良く、ほとんど傷みはございませんでした。上手く道の良いところを歩くように誘導してくれていたのでしょう。あの見かけでありながら、ずいぶんと細やかな手綱捌きで……」
<あ——あの見かけ、なんて失礼だよ。騎士として立派な……そういう格好だと……思う……>
サンファの言葉をかき消すように勢い込んで言いかけ、白羽は慌ててその勢いを緩める。
けれど、本当にレイゾンは彼女が言うほど悪くはないと思うのだ。
戦闘に赴くわけではないから完全な武装をしているわけではないが、剣を帯び遠征用の騎士服を纏ったレイゾンの姿は、充分に「頼りがいのある勇敢な騎士」という雰囲気なのだから。
頬の傷も、結い慣れていないせいで前髪が少し乱れ気味な髪も、むしろ彼の魅力を引き立てているようで悪くない……と思う。城にいるには少し野性的過ぎるかもしれないが、こういう場なのだ。遠征の場なら、騎士らしいいでたちと言えるだろう。
すると、サンファはじっと白羽を見つめてくる。その瞳は、見慣れた彼女の瞳のはずなのに、何か不思議な光を宿しているようにも見える。
見つめ合っていると、レイゾンを庇うようなことばかり言ってしまった自分に改めて気づかされる。
そういうわけじゃなくて……と、白羽が口を開きかけた時。
騎兵たちと話していたレイゾンが、踵を返してこちらに戻ってくるのが見える。
対して、騎兵や他の歩兵たちは口々にレイゾンに名残惜しげに挨拶をしながら、来た道を戻っていく。つまり——王都への道を。
残っているのはレイゾンの従者だけだ。
(??)
ここからレイゾンだけ別任務ということだろうか。
考える白羽の傍らにレイゾンは近づいてくると、「ただいま」の挨拶のように白羽の首を優しく叩く。そしてサンファから手綱を受け取ると、白羽に向け、
「では——行こう」
と、穏やかに言った。
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