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133 報せ
しおりを挟む誰かの声……ではないが、なにかが「ある」。いや、やってくるような気配だ。
気になって、気配を感じる方に目を転じると、レイゾンもつられたように同じ方向を見る。
が、目に映るのは天幕の覆いだけだ。
「白羽? どうした」
<…………>
レイゾンが訝しそうに尋ねてくる。当然だろう。いきなりあらぬ方向を見てしまったのだから。しかし白羽は上手く応えられない。
気のせいではなく、間違いなく何かが近づいているような気がするのだが、それがなんだかわからない。
騏驥の五感——嗅覚や聴覚は普通の人間以上だ。人の姿の時であっても。けれど、そんな嗅覚や聴覚をもってしてもわからない。
人ではないし、馬でもない。野の獣でもない。匂いも音もそれらとは違う。けれど何か……。
気になってそわそわしてしまうと、レイゾンが「待ってろ」と小声で言い残して腰を上げた。腰の剣に手をかけつつ、反対の手で、自身が入ってきた天幕の出入り口をそっと捲る。
途端、なにか光るものが天幕の中に入ってきた。
「っ——」
レイゾンがすぐさま白羽を庇うようにして目の前に立ち塞がる。が、直後。
飛び込んできた「それ」は、鳥の姿を取ると、音もなく羽ばたき、天幕の中を優雅に旋回し始める。
(魔獣……)
使い魔だ。
感じていた気配はこれだったのだ。
遠征に付いてきていた子猫が——それまで荷物の陰でぐっすり眠っていたはずの子が目を覚ましたかと思うと、遊び相手を見つけたかのように俄かにはしゃぎ始める。
白羽は微かに目を眇めるようにして、その鳥を見上げる。
見る角度によって様々に色を変える虹色の羽。大きさは小鳥よりも少し大きいぐらい。
だが使い魔がこんなところまで?
使い魔は、ちょっとした伝令から偵察、または戦闘での攻撃補助や防御補助、密書を運ぶ役割まで、魔術によってさまざまに活用できる魔獣だ。
とはいえ、使うにはかなりの魔術の技量が必要だし、またその巧拙によって出来ることにも幅があるから、普段はあまり使われることがない。常から使えるのは「塔」に住む魔術師——塔の十杖と呼ばれる抜きんでた力を持つ選ばれた魔術師たちや、それに比肩する魔術師、もしくは魔術の加護を受けた王族ぐらいの者だろう。
ティエンは、小さな可愛らしい愛玩用の魔術を作っては白羽が住む離房に放して遊ばせ、白羽を驚かせていた。
だから。
逆に言えばこんなところまで使い魔がやってくることは稀だ。稀で——ということは、何か特別な事態なのだ。
しかも鳥の型を取っているということは、急ぎ——急使だ。
レイゾンも驚いた顔をしているのは、彼もまさかこんなところにまで使い魔が来るとは思っていなかったからだろう。
この遠征について、何か問題が生じたのだろうか。
白羽も気になってしまう。
するとしばらく天幕の中を旋回していた鳥は、ゆっくりとレイゾンに向けて降りてくる。彼が腕を差し出すと、あらかじめ決められていたかのように、そこにとまった。
脚についている符の色は紫。しかも金の縁取りだ。王城からの報せ。
レイゾンもそれを見て取ったのか、一層緊張した面持ちになる。
彼は再び白羽の傍らに腰を下ろすと、鳥の脚に付けられていた符を取った。
途端、それは今まで小鳥の脚に付けられていたとは思えない大きさに広がる。レイゾンが取ったことを感知して魔術が解かれたのだ。
白羽は気になったものの、そっと身体ごと目を逸らした。機密なら見ないほうがいいだろうと思ったのだ。
もし内容が遠征に関わることなら、あとで教えてもらえるだろうと、そう思って。
だが——。
(? レイゾンさま……?)
少し待っても、レイゾンからの声はない。いやそれどころか、彼から何の反応もない。
身じろぎすらしていない様子だ。
気になって——白羽はそっと様子を窺う。
刹那、目を疑った。
何事か記された符に目を落としていたレイゾンのその表情は、初めて見る冷たさだったのだ。いや、冷たいと言うよりも「冷えている」と喩えるほうが正しいだろうか?
凍り付いたようで、何も見ていないようで……息すらしていないような、そんな様子だったのだ。そんな彼の様子に、白羽もまた固まってしまう。声をかけることなど到底できない。
呆然としている、とでもいうのだろうか。けれどそこにはあまり落胆の翳はなく、むしろ吹っ切ったような、腹をくくったような……そんな気配だ。
とにかく——あまり見たことがない表情なのだ。白羽はレイゾンのそんな顔は見たことがなかったし、他の誰かでも、そんな顔は見たことがなかった。
息を詰めてじっと見つめてしまっていると、はっと気付いたようにレイゾンが白羽を見る。そしてふっと表情を崩すと「驚いた」と苦笑した。
彼は丁寧に符を畳んで自身の懐に仕舞うと、戸惑う白羽に「予定が変わりそうだ」と苦笑のまま続けた。
「王都に戻る前にもう一つ二つ仕事をしろとのことだ。まったく——初めての遠征だというのに、人使いが荒いものだ」
<…………>
レイゾンはそう言うけれど、白羽はすぐには頷けなかった。
それだけのことで、あんな表情をするものなのだろうか……?
気になってじっと見る白羽を見つめ返して、レイゾンは困ったように微笑した。
「やはりお前も不安だろうな……予定にない遠征の延長は。駆け出しの騎士では仕方がないとはいえ……すまないな」
<え……ぁ、いえ……>
そうではなく……。
白羽はレイゾンの言葉に「違う」と首を振りかけたものの、かといって彼にどう伝えればいいのかわからず困惑する。
自分が見た彼の表情と伝えられた内容のバランスの悪さがひっかかっているのは事実だが、わざわざ書いて尋ねるほどのことだろうか。第一、彼の表情は、自分の見間違いだったのかもしれないのだ。もしくは、気にしすぎ。
突然の使い魔の来訪で、白羽もまた戸惑っていた。必要以上に緊張していたのは事実なのだ。そのせいで、色々なことを過剰に気にしすぎていた可能性は否めない。
(もしレイゾンさまに尋ねるとしても、それはあとでサンファにも確認した後でもいいかもしれない……)
彼女が見ていたかどうかはわからないけれど。
白羽はそう決めると、筆をとり、
[お気になさらないでください]
と、レイゾンからの謝罪への返事を書いた。
[城からの命令では仕方がありません。それに……]
少し迷って、白羽は思い切って書き足した。
[それに、レイゾンさまとの遠征が延びるのは、嫌なことではありません]
疲れるけれど、不安もあるけれど、それ以上に彼の騏驥として彼を乗せていられる喜びは大きいから。
頬の熱さがぶり返してくるのを感じつつもそれを見せると、レイゾンは驚いたように瞠目する。
直後、「そうか……」と噛み締めるように呟くと、嬉しそうに破顔した。
その貌にもう翳はなく、だから白羽もほっと胸を撫で下ろしたのだった。
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