前王の白き未亡人【本編完結】

有泉

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132 初めての遠征(3)

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 そんな風に考え、顔を曇らせてしまったためだろう。
 レイゾンが「国境まであと少しだ」と白羽を励ますように言う。白羽が頷くと、

「食事はちゃんととっているのか」

 白羽に尋ね、続けて、控えているサンファを見る。
 遠征に出て以来、レイゾンはたびたびこの質問をするが、ここ数回は白羽にというよりもむしろサンファに向けて尋ねている様子だった。
 それは、白羽が声を出せないためではなく、白羽の侍女であり、この遠征では厩務員の仕事も担っているサンファの方が正しい答えを知っている、とレイゾンが思っているからだろう。レイゾンは、白羽がやせ我慢をするとわかっているのだ。

 確かに、白羽はレイゾンに大丈夫かと尋ねられれば大丈夫でなくとも大丈夫と答えてしまいがちだ。彼を心配させたくなかったし、弱い騏驥だと思われたくなかったから。
 だが、こと今回の遠征については、ユーファからアドバイスを受けたこともあって、食事についても普段より頑張って食べるようにしていた。疲れすぎていて食べられないと思っていても、無理をしてでも何か口に入れるようにしていた。
 もし万が一、空腹のせいで翌日に動けなくなるような醜態を見せてしまえばレイゾンに恥をかかせることになる。それも騎兵や他国からの客人のいる前でだ。そんなことは絶対にしたくなかった。ただでさえ、馬体が純白の自分は目立つのだから。
 
 そして、サンファのおかげで、今のところはなんとかそれが叶っている。
 彼女がついてきてくれて本当によかった。レイゾンがそれを許してくれて本当によかった。
 付け焼刃だが、遠征の心構えを事前に学習していたのもよかったのだろう。
 食べられる時に食べて休めるときには休む——。今まで未経験の遠征生活だが、これを徹底しているためか、疲れはしても大きく体調を崩すこともない。
 
 レイゾンに尋ねられたサンファは「はい」としっかりと頷いて続けた。
「休憩ごとに、餌も食事も摂られています。体重の減少もありませんし、疲労はあっても体調に大きな問題はないかと」

「そうか」

 サンファの答えを聞くと、レイゾンは改めて白羽を見つめてくる。白羽も頷くと、レイゾンは安堵したように頷いた。

「お前は煩いと思うかもしれないが、初めての遠征は気を遣うものだ。ましてや騎士である俺も初めてだからな……。騎士学校で学んではいたが、実際は何もかも手探りだ。だが、ツェンリェン殿や騏驥からの助言が役に立っているようだな。王都に戻ったら礼を言っておこう。俺もなんだかんだと助かっている。ユゥも世話になったようだし、急なことで大変だったが、得るものも大きな遠征になっている……」

 そして続けるレイゾンの声は、しみじみと穏やかだ。
 そう。ツェンリェンの訪問は、レイゾンの従者にもいい影響を与えていたようだった。
 白羽は詳しくは知らないのだが、互いの従者同士も親しくなったらしい。そこで得た色々な知識をサンファとも共有し、情報交換をしているようで、特に白羽の馬装についてなどは、二人で相談することもあるようだった。

(これが……騎士と騏驥の遠征なのだ……)

 白羽は、天幕の外から伝わってくる普段とは違う賑やかさを感じながら改めて思う。
 行き交う人々の多さ。その声、聞きなれない言葉。足音。武具や剣の触れ合う音。煮炊きの香り。そしてなにより、進むごとに次々と現れる新たな景色……。
 踊り子として一座の者たちと旅をしていた昔を思い出すようだ。

 人であった頃の記憶をどの程度維持できるのかは騏驥によるようだが、白羽はわりと記憶している方だと思う。次第に薄れていってはいるものの、ふとした折に思い出す。
 そして、忘れない——忘れられないこともある。
 
 今のこの遠征は、普段とはまるで違う生活だ。
 けれどこうして長い時間を一緒に旅していると互いの絆は確かに強くなるような気がする。お互いを労わり合って励まし合って、気遣って……。
 闘う予定のない遠征だから、こんなに悠長なことが言えるのだろうか。
 ——そうかもしれない。
 戦闘が待つ遠征なら、レイゾンももっとぴりぴりしているだろう。いや……それ以前に、そんな遠征なら自分は彼の騏驥として同行できないのではないだろうか。

(闘う……)

 そんなことが、自分にできるのだろうか。
 白羽は考えてみる……。がわからない。 
 けれど、今後もレイゾンの騏驥であるなら、その可能性は当然考えなければならないことだ。

 今後。
 今後の自分。そして今後の自分たち。

 遠征から帰ったら自分たちはどうなるのだろう。
 声のこともある。
 治るまでは面倒を見ると言っていたけれど、これほど長引いているのだ。もう治らないのかもしれない。希望は持っていたいけれど。

 それに、レイゾンの騎士としての今後を思えば、騏驥は自分ではない方がいいだろう。
 つまり——。
 白羽を返上したい彼と、彼から離れた方がいいだろうと思う自分との希望は合致している、ということだ。

 でも……。

(レイゾンさまと、離れる……)

 以前は強く願っていたことなのに、今それを再考すると胸の奥がきりきりするのだ。
 互いのためにその方がいいのだろうとわかっていても、割り切れない。
 この遠征で、その気持ちを一層強くした。
 彼は無骨で愛想に乏しく綺麗な物とも縁がない。どちらかと言えば無粋だし、優美さを絵にかいたような普通の騎士たちとはまるで違う。
 けれど——。騏驥に乗る騎士としては本当に優れているのだ。白羽が騏驥として未熟だからこそ、なおさらそう感じる。彼は、騏驥の能力を自然と上げてくれるような乗り方をしてくれる。
 野性的な風貌からは想像もできないような細やかさで、こちらの負担を軽くしてくれている。今まで、調教の時に乗ってもらったときにもそれは感じていたが、長く乗ってもらって一層そう感じるのだ。
 そしてそれを感じるたびに、もっともっと——彼に乗ってもらいたい、彼と一緒にいたいと……そう思ってしまう。
 
(これは……わたしが騏驥だからなのだろうか……)

 たまらなく彼に惹かれて瞬間があることに、白羽はもう気付いている。
 と、

「そうだ。——白羽、これを」

 レイゾンの声がした。
 はっと見ると、彼は懐から何か取り出し、白羽に差し出してくる。
 手から手に渡されたそれは、二つの布袋だ。一つを開けると、そこには白羽の好きな干し果実が入っていた。
 驚いてレイゾンを見ると、彼は「あと一息だからな」と微笑んだ。

「王都から持ってきていたのだ。初日から渡してもよかったのだが、あまり数多く手に入らなくてな……いつ渡そうか迷っていた」

 彼は幾分すまなそうに言うが、白羽は彼の心遣いに嬉しさしかなかった。
 出立前は彼も忙しかったのに、白羽の好きなものを覚えていてくれて用意してくれていたなんて。
 すぐに[ありがとうございます]と書き、[嬉しいです]と書き添え、声に出せなくてもそう伝える。サンファも驚いた顔で喜んでいる。
 そしてもう一つの袋はといえば、小石のような塊が入っていた。色は優しい乳色。小石と違うのはそれよりも柔らかいことだ。そしてすべすべしている。
 
 なんだろう……? と目を瞬かせる白羽に、レイゾンは「それは薬効のある塗り薬らしい」と説明してくれた。
 薬、という言葉が気になったのだろう。サンファが近づいてくる。レイゾンはそれを特に咎めることもなく、さらに続けた。

「騎兵のものたちが、馬の蹄に使ってているもののようだ。温めると少しずつ溶けて、蹄の補強になるらしい」

「これを塗る、ということでしょうか」
 サンファが尋ねる。

「ああ。使ってるのを見たが、蹄の辺りを何度かなぞるようにしていたな。力加減を工夫すればマッサージにもなるようだ。自分の手で溶かして馬の足を撫でてやっている者もいた」

 レイゾンの言葉に、サンファは小さく感嘆の声を零す。
 白羽が差し出したそれを受け取り、しばらく撫でたり眺めたりしては、物珍しそうに目を輝かせている。
 再び白羽の手にそれが戻ると、レイゾンは「使ってくれ」と微笑んで言った。

「騏驥なら、人の姿の時にも使えるかもしれないな。どう使うかは、お前に任せる。香りはないようだが、白羽が気にするようなら無理に使う必要もないだろう」

 最後の言葉は、サンファに向けてだ。今は白羽の厩務員として体調管理をしてくれている彼女は、「かしこまりました」と丁寧に頭を下げる。
 白羽も「ありがとうございます」と声に出さずに頭を下げた。
 手中にすっぽり収まるそれは、その柔らかさが心地良いからか、なんだかずっと持っていたいほどだ。
 すると、
 「本当なら、騏驥の身の回りのことは俺がやってやりたいところなのだがな……」

 レイゾンは微かに苦笑しながら言う。
 白羽は頭を振ると、

[気になさらないでください。人目があります]
 と書き記す。

 騎士は騎士になるための知識の一つとして、騏驥の世話の方法を学ぶ。だからやろうと思えば厩務員としての仕事も一通りできるはずだが、実際に騎士になったのちにそれをやる騎士などいないのが実情だ。
 騎士は騏驥に命令し、騎乗し、従わせる者なのだ。そんな騎士が、甲斐甲斐しく世話を焼くような真似はしない。
 
 白羽の言葉を見て、レイゾンは、わかっている、というように「ああ」と頷く。けれどどこか残念そうだ。

「だが、できるなら何もかも自分でやりたいというのが本音だ。世話は厩務員に任せておけという者もいるし、その意見もわかるが……俺にとっても初めての遠征だからな。騏驥の変化を——お前の変化をつぶさに知りたいという望みもあった……」

 噛み締めるように語られる声は、白羽の胸にゆっくりとしみ込んでくる。
 
 と同時に、じわじわと過日が思い起こされた。彼に触れられた様々な時のことが。
 疲れた脚を労わるように撫でさすってくれた、彼の手。心地よかった。
 この道中も、彼に首筋を慰撫されるとたまらなく気持ちが良くて……。

 思い出すたびに、じわじわと耳が熱くなる。
 頬まで熱くなっている気がして俯きかけた時。

(?)

 不意に、天幕の外にそれまでになかった気配を感じた。
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