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129 伝えて……みた
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白羽はますます眉を寄せた。
意味が解らない。
レイゾンはいったいどうしたというのだろう?
思っていることが伝わるなんて、あるわけがない。
だからこそ、自分はたびたび困っているのだ。話せなくなって、レイゾンに対してすぐに気持ちが伝えづらくなって……。
白羽がそう考えていると、
「……ああ……うむ。お前が困っていることは、俺も何となく感じていた」
レイゾンは続ける。
(!?)
その言葉に、白羽はぴくりと反応した。
偶然?
彼はたまたま、いま白羽が思っていたことを口にしたのだろうか?
当惑する白羽に、レイゾンもまた困った様子で言葉を継ごうとする。が、白羽は混乱し始めていた。
そんなわけはないと思う。
そんなはずはないと思う。
そんなことできるわけがない。
けれど——。
けれど——なんだか……。
なんだかレイゾンの様子を見ていると、”そう”なのではないかという気がしてきてしまう。
白羽はそっとサンファに視線を流す。目が合うと、彼の侍女は神妙な面持ちで小さく頷く。
(え!?)
まさか本当に?
いや、しかし——。
戸惑う白羽の耳に、
「……いま、『まさか本当に?』と思っただろう? そして直後に『いや、しかし』と思った……」
さらにレイゾンの声が続く。
(どうして……)
「そして今は、『どうして』と思った……」
(え? ええっ!????)
白羽はすっかり混乱して、意味なくそわそわ——きょろきょろしてしまう。
と、レイゾンが落ち着かせてくれるかのようにそっと白羽の手を握って言った。
「……伝わってくるのだ。それら全部が……お前に触れていると。ちょうどそう、馬の姿のお前に乗ったときに、手綱から伝わってくるように。だから——」
<!>
その瞬間、白羽は思わずレイゾンの手を振り払っていた。
思っていることが伝わる?
触れられていると?
白羽は逃げるようにしてレイゾンから距離を取ると、気付けば背中に隠すようにしていた自身の手をそろそろと見つめる。
何も変わっていない。少なくとも見た目は。
けれど触れると気持ちがわかるのだと——レイゾンは言う。
——信じられない。
けれど……。
白羽はそっとレイゾンを窺う。
彼は——彼も困っているような顔だ。
そしてよくよく考えてみれば、さっき自分は彼の手を強く振り払ってしまった。騎士の手を。
動揺していたとはいえ、騏驥としては良くない態度——どころか無礼な態度だった。
だが。
(あんなことを聞かされて……)
そのままでいられるわけがない。
最初は、彼が何を言っているのかわからなかった。
そんなことはあるわけがないと思っていたためだ。馬の姿の時ならともかく、人の姿の時にそんなことはありえない、と。
しかし。
(レイゾンさまは確かに私が考えていた通りのことを仰った……)
それも一度ではなく、だ。
白羽は唇を噛むと、ちらとサンファに視線を流す。レイゾンと目配せし合っていた彼女。
彼女は、レイゾンのこの言葉をどう聞いたのか。
すると視線の先のサンファは、神妙な面持ちで白羽を見つめ返してくる。
彼女もまた当惑しているような様子だが、少なくともレイゾンの発言に対して反対するような雰囲気ではない。あらかじめ聞いていたのだろうか……? 彼女は知っていたのだろうか。
(いつから……)
そうだ。
いったいいつからそんなことになっていたのか。
レイゾンの言ったことが本当だとして、それはいったいいつからだったのか。
今まで自分がどんなことを考えていたかや、いつレイゾンに触れられただろうかということを思い返せば思い返すほど、白羽の不安は増していく。
知らず知らずのうちに俯いてしまっていると、注意を惹こうとするかのようにレイゾンが小さく咳払いする。
不安を抱いたままそろそろと目だけを上げて見ると、レイゾンは労わるような視線でまっすぐに白羽を見つめ返して言う。
「不安にさせてしまったな……。突然のことで驚かせただろう。が……黙ったままというのも卑怯な気がしてな……」
<…………!>
白羽は息を呑む。それはまったく考えていなかったけれど……。
そうだ。
言われてみればそうなのだ。
想像もしていなかったことを告げられて、動揺して驚いて不安に感じているのは事実だが、もし本当にレイゾンがこちらの気持ちを知ることが出来るなら、それを早く教えてもらえた方がいいに決まっている。
黙ったまま気持ちを知られ続けていたらと思うと……想像するだけど怖い。
たとえ、レイゾンに対しての不満を抱いてなかったとしても、知らないうちにこちらの気持ちを探られていたなら、いい気持ちがするわけがない。
逆に言えば、レイゾンにすれば白羽の本音を知るには黙っていたほうがいいだろう。黙ったまま、それとなく触れれば……彼の言葉が本当なら、白羽の気持ちがまさしく手に取るように解るのだろうから。
けれど彼は……そうしなかった。
白羽はレイゾンを見つめ返す。
彼は、自分の話によって白羽が畏れを抱き、彼を敬遠するかもしれないと解っていても、白羽に伝えることを選んでくれたのだ。
白羽はぎゅっと手を握り締める。と、レイゾンが微かに笑んで続けた。
「一つお前を安心させるなら、このことがわかったのは……なんとなく『そうかもしれない』と気付いたのはごく最近だ。どうしてこういうことになったのか、正確なところはわからぬが……。これについては俺よりもお前の侍女の方が詳しいようだ。彼女に訊けば、いくら不安を解消できるだろう。——と言っても彼女も確証を得ているわけではないようだが……」
言いながら、レイゾンは再びサンファに目を向ける。
やはり二人は事前に話をしていたようだ。
いったいどんな話をしていたのか……あとできちんと訊かなければ。
(それにしても、レイゾンさまとサンファが二人だけで話をしていたなんて……)
意外だ。
(でも仲が良くなったなら良いこと……なのかな?)
白羽が内心で首を傾げて考えていると、
「そういうわけで——」
と、レイゾンが言葉を継いだ。
「お前が心配していたような……サンファを罰するようなことはせぬ。安心しろ。御者からの話と、お前から伝わってきたことで揉め事の事の次第はよくわかった。むしろ、お前を怖い目に遭わせてしまってすまなかったな……」
<! いいえ……!>
白羽は首を振る。
自分が勝手にやったことだ。レイゾンを馬鹿にされたことが悔しくて……。
(!!)
そう思って、はっと気付いた。自分のこの気持ちも……ひょっとしてレイゾンには伝わってしまったのだろうか?
知られたかもしれないと思うと、やけに気恥ずかしい。
騏驥としての行動だと考えれば——騎士の名誉を護ろうとしたが故の行動だと考えれば、別に恥ずかしがることもないはずだが、なんとなく耳が熱い。
伝わってしまったのだろうかと窺うように、そっとレイゾンを見るが、彼の表情に変化はない。そこまでは伝わっていなかったのか——それとも彼にとっては大したことではないのか……。
そう考えかけ、白羽ははっと思い出す。そんなことよりも、もっと大切なことがある。
視線でサンファに書くものを持ってこさせると、
[サンファのこと、ありがとうございます。側に付いていてくださったことにも、お礼申し上げます。ですが、わたしのしたことで、この後のレイゾンさまにご迷惑をおかけしませんでしょうか]
急いでレイゾンに書いて見せる。
少し迷って、声のことも書き足した。
そうなのだ。
今日のところは、周囲からの目もあってあれ以上の揉め事にはならなかったけれど、明日以降のことが気がかりだ。レイゾンに対して嫉みを持っていた者たちが、後日また因縁をつけないだろうか。
不安そうな顔をしていたのだろう。
レイゾンは白羽を安心させてくれるかのように、落ち着いた穏やかな声音で言った。
「大丈夫だろう。些細な嫌がらせはあるかもしれぬが、それはいつものことだ。お前の声のことも気にするな。さほど多くはないようだが、自分の騏驥や自分が騎乗する騏驥には、あれこれと制約をかけている騎士もいるときく。そういうものだと思わせておけばいい」
そして「大丈夫だ」というように一つ深く頷かれれば、まだ不安は残りつつも、白羽も頷くしかない。
と、レイゾンは目を細めて微笑んだ。
「俺のことは気にするな。お前はお前自身の身体を労わり癒すことを考えていろ。声も……急かすつもりはないが、早く戻ればそれに越したことはない」
お前の今後のためにも——。
レイゾンはそう言うと、改めて白羽を見つめてくる。
白羽は再び頷きかけたが、しかし今度はそうできなかった。
声を取り戻したいのは事実だ。そのために今も魔術師から与えられている薬を飲んでいる。けれど、今後のため——それはレイゾンの側を離れるためのことでもあるのだ……。
そう思うと、どうしてもすんなり頷けない。
だが、レイゾンは特に気にしなかったようだ。
そしてそろそろ自分の部屋へ戻ろうというのか、椅子から腰を上げると、
「今日は、出かける前に普段とは違う薬を口にしたことや、ずっと車に揺られた影響もあるだろう。あまりあれこれ考えずに、ゆっくり休むことだ。それから……触れれば気持ちがわかるからと言って、無遠慮にお前に触れるような真似はしない……つもりだ。俺の言葉では安心できないかもしれぬが、そのつもりではいる。それだけは言っておきたかった」
白羽を見つめてそう言う。
その瞳は——表情は、今までのレイゾンと変わらず厳めしいものではあるものの、その仲には確かに優しさと誠実さが滲んでいる。——そう感じられる。
刹那、白羽は胸の奥に熱いものが灯るような感覚があった。見えないけれどなにか確かなものが、音もなく胸に刺さるような……そんな感じだ。経験したことのない——不思議な——どきどきするような——うずうずするような——高揚するような——息が止まるような切ないようなそんな感じ。
吸い寄せられるように見つめてしまうと、レイゾンは少し困ったような——照れたような苦笑を見せる。
そしてサンファに向けて「あとは任せた」というように軽く頷くと、部屋を出て行こうとする。
が、踵を返しかけた直前。
彼は再び白羽を見つめてくる。
その柔らかな視線に白羽が息を呑んだとき、レイゾンは噛み締めるように言った。
「……お前が俺のために……俺の名誉のために、危険も顧みず闘ってくれたことを嬉しく思う。お前を、誇りに思う。ありがとう。感謝している。騎士になった甲斐があったというものだ」
微笑みとともに紡がれるその言葉は——しみじみとした声音は、彼の心からの思いを伝えてくるかのようで、白羽は息をすることも忘れてしまう。
返事もできずに見つめてしまう白羽の視線の先で、彼の騎士は淡く微笑む。その唇が僅かに動いたようにも見えたが、白羽には何も聞こえなかった。
自分の心臓の音だけが、耳の奥で響き続ける。
“騎士になった甲斐があった”
そんな風に言われたのは初めてだ。
碌に駆けたことのなかった騏驥。
役に立てるとは思えなかった。
——なのに。
“騎士になった甲斐があった”
——そんなことを、言ってもらえるなんて。
言葉にできないほどの喜びが、身体を駆け抜けていく。
今まで経験したことのない、想像もしていなかったほどの喜びが、全身を巡っている。
身体が震える。頭の芯が痺れるようだ。
レイゾンが部屋を出て行っても、その昂りはしばらく白羽を捕らえて止まなかった。
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