前王の白き未亡人【本編完結】

有泉

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128 伝えて……みる?

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 ◇ ◇ ◇ 
 

(どこだろう……ここは……)

 辺り一面の白い靄の中、白羽は小さく首を傾げた。
 目を凝らしてみても、何も見えない。音も何一つ聞こえてこない。ただふわふわとした——もしくは薄い膜のような白い霞に取り囲まれているばかりだ。
 息はできる。
 身体は動く。
 けれどここがどこなのか、今がいつなのかはまるでわからない。

(どうしよう)

 じっとしていたほうがいいのだろうか?
 それとも……。

 佇んでいるだけでは不安で、白羽はそろそろと手さぐりに足を進めてみる。何も見えないのに不思議と不安はない。
 だが——。
 動いているつもりなのにその実感がない。晴れない靄をただ搔き分けているだけのような感覚。
 ぽつんと一人。これからどうすればいいのだろう……?
 
 そのとき。

(……!?)

 ふ、と人影らしきものが靄の向こうに見えた気がした。
 誰?
 慌ててそちらに近づいてみる。
 ……後ろ姿……?
 切れ切れの靄の向こう。
“誰か”がいる。
 良く見えない。でも——覚えのある気配。

 …………さま……!

 白羽は思わず声を上げる。
 だが何も聞こえない。声を出したはずなのに、出ていないかのように。
 再び呼ぶ。けれど同じだ。
 幾度も呼んでいるのに。そのつもりなのに。

 ——!

 白羽は名前を呼ぶ。
 その人に向けて、繰り返し。
 けれど、声はやはり靄に吸い込まれてしまう。
 近寄ろうとしても近づけない。近づこうとするほどに遠ざかっていく。

 ……さま!
 
 やがて、その姿は幾重もの白い靄の向こうへ滲んで——。



<——!!>

 はっ、と目が覚めた。
 
 なんとか触れたいと手を伸ばしていたつもりだったのに、実際はそうではなかったようだ。白羽は行儀よく横になっていた。
 見えるのは天蓋。見覚えのある生地模様のそれだ。

 だが、薄暗い。
 まるで、まだ夢の中にいるかのようだ。
 騏驥は人よりも夜目が利くはずだが、目が覚めたばかりだからか上手く調整できない。
 白羽は目を瞬かせる。

(今は一体……)

 いつなのか。
 そして自分はいったいいつの間に——ここへ?
 次第にはっきりと覚醒していく意識と、身体。
 白羽が起き上がろうとしたとき。

「——白羽……?」

 傍らから、そろそろと確かめるような声が聞こえた。
 首を巡らせると、そこには声の主であるレイゾンがいた。白羽が横たわる寝台の傍ら、椅子に腰を下ろしている彼が、こちらを覗き込んできていた。
 そしてその声に呼応したかのように、部屋にぽつりぽつりと灯りが灯される。
 サンファだ。
 白羽はゆっくりと身体を起こした。レイゾンが支えてくれる。
 まだ少しぼうっとした頭のまま彼を見つめると、不安そうだったその貌は、心底安堵したかのようにほっと緩んだ。

「大丈夫……なのだな……。どこか痛むようなことはないか? 気分はどうだ。頭が痛いとか胸がむかむかするとか……そんなことはないか?」

<…………>

 白羽は頭を振る。
 覚醒したばかりだからふわふわしているが、不快というわけではない。
 それよりも……もしかしてレイゾンはずっと側についていてくれたのだろうか?
 そうかもしれないと思うと、じわりと胸が熱くなる。

 そうしていると、「どうぞ」と、サンファが脚付きの玻璃の杯を差し出してきた。水がなみなみと注がれている。受け取ると、手のひらがひんやりと心地良い。白羽はそろそろとそれに口をつけた。気付かなかったが喉が渇いていたのか、水は思いのほか美味しかった。
 ほっと息をついたためだろうか。
 
「もう一杯お持ちしましょう」

 気を利かせてたサンファがそう言って二杯目を持ってきてくれる。
 それも飲み終えると、やっと全身に活力が戻ってくるようだ。そして同時に、辺りの様子や今までのことがはっきりとしてくる。

(そうだ……わたしは騒ぎを起こしてしまって……)

 あんな街中で。

 白羽は杯をサンファに渡すと、レイゾンに抱きかかえられたまま身じろぎ、書くものを探す。レイゾンに謝らなければと思ったのだ。
 そして事情をきちんと説明して、サンファは悪くないと伝えて……。

 ——しかし。

「——白羽」
 
 焦る白羽の手を握り、その動きを留めるようにしてレイゾンが言う。
 張り詰めているような——それでいてどこか戸惑っているような声音で名を呼ばれ、白羽は訝しく思いながらレイゾンを見つめた。
 咎められているわけではないようだが……いったいどうしたことだろう?

 白羽の視線の先、レイゾンはちらりとサンファに目を向ける。互いに何かを確認するかのような仕草だ。今までになかったことに、白羽がますます不思議に思ったとき。

「……白羽。その……少し話があるのだが……」

 やや躊躇いがちに、レイゾンが言葉を継いだ。彼らしくない言い淀むような口ぶりだ。白羽は微かに眉を寄せ、次いでサンファを見た。彼女が何か知っていると感じたのだ。が、返ってきたのは曖昧な笑みだ。
 仕方なくレイゾンに目を戻すと、彼は

「落ち着いて聞いてくれ」

 と、確認するように言う。
 だがそう言っておきながら、レイゾンは黙ったり咳払いしたりでなかなか本題に入ろうとしない。

(?? なに?)

 白羽はますます混乱して、思わずぎゅっとレイゾンの手を握ってしまう。
 すると、

「その……む……つまり——だな。……今もなのだが……なんとなく、解るというか……」

 言いづらそうに、レイゾンが言う。
 しかし、

(なにが?)

 白羽の困惑は深まるばかりだ。
 眉を寄せて見つめると、レイゾンは一層気まずそうな顔で、「……伝わってくるというか……」とさっきよりも小さな声で言う。

(???)

 何のことかわからず、白羽は首を傾げる。はずみで、肩からさらりと髪が零れた。
 レイゾンは白羽の視線から逃れるかのようにそれを見つめながら、

「……お前の、思っていることが……だ」

 ぽつりと言った。
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